FC2ブログ

フリーマン『ニュー・イン三十一番の謎』におけるトラック・チャート

 今月、論創社から刊行されたR・オースティン・フリーマン『ニュー・イン三十一番の謎』には、著者がまえがきで述べているように、フリーマン自身がアフリカ滞在中に考案した方法によるトラック・チャートが用いられ、第8章にそのイラストが掲載されている。
 The Thorndyke File No.5(1978春)の中で、マイケル・G・ヒーナンが、ウォード・ロック社の1909年版のロンドンの地図を基に、そのチャートがいかに正確に実際のロンドンの街路に当てはまるかを裏づけている。まえがきで自慢しただけのことはあったわけだ。


        フリーマンによるイラスト
       Track Chart


        ヒーナンによる地図への適用
   Map



      31 New Inn
        英ホダー&スタウトン社初版



スポンサーサイト

アルバート・フィニイ逝く

 名優アルバート・フィニイがロンドンの病院で2月7日に亡くなった。死因は胸部感染症。享年82歳。
 言うまでもなく、映画「オリエント急行殺人事件」(1974)でエルキュール・ポワロを演じた俳優である。同作で米アカデミー賞の最優秀主演男優賞にもノミネートされた。ここでは省略するが、ほかにも数々の名演があり、主演男優賞に4回、助演男優賞に1回ノミネートされている。
 ポワロを演じた俳優には、チャールズ・ロートン、ピーター・ユスチノフ、デイヴィッド・スーシェ、最近では、ケネス・ブラナーなど、名だたる名優が名を連ねているが、原作のポワロの描写に最も近いというだけでなく、叡智を秘めた優れて知的なポワロを演じてみせた点でも、フィニイのポワロを超える演技は未だかつてないと言ってもいいほどだ。
 優れた演技で多くのミステリ・ファン、クリスティ・ファンを楽しませてくれた名優に心からご冥福をお祈り申し上げたい。

フリーマン“The Man with the Nailed Shoes”速記版

 John Thorndyke’s Cases(1909)の巻頭を飾る中編“The Man with the Nailed Shoes”は、これまでのところ、単行本に先行して掲載された雑誌は確認されておらず、同短編集が初出と思われる。
 このため、他の収録短編がピアスン誌に掲載されたH・M・ブロックの挿絵の一部を再録しているのに対し、同中編については、ブロックの挿絵がない。
 フリーマンは1921年に、この中編の速記版を‘Pitman’s Shorthand’の一冊として刊行している。本来は他の短編も続編として出る予定だったらしいが、結果的に同中編のみの刊行となった。フリーマンは彼独自の速記法を用いたため、そのままでは解読が困難らしい。
 昨年、邦訳が刊行されたマーティン・エドワーズの『探偵小説の黄金時代』でも、この速記版のことが言及されていて、同様の速記法で記された日記の写真も掲載されている。
 この速記版には、13枚のイラストがあり、うち2枚はオリジナル中編にも含まれているフリーマン自身によるイラストだが、残り11枚は、G・Fというイニシャルの挿絵画家によるもの。オリジナルにはブロックの挿絵がないだけに、これらの挿絵は貴重で、フリーマンの研究家、デヴィッド・イアン・チャップマンも「魅力的」と評している。一部だけご紹介しておこう。


         Pitman1


       Pitman2
       左は『キャッツ・アイ』でおなじみのアンスティ弁護士。中央がソーンダイク博士。
       法廷の場面のため、いずれもカツラとガウンをまとっている。

ジョン・ロード『クラヴァートンの謎』が予約開始

 ジョン・ロード『クラヴァートンの謎』(論創社)の予約受付が始まっています。
 2月28日発売の予定です。

 Amazon  楽天ブックス  TSUTAYA

 「急逝したジョン・クラヴァートン氏を巡る不可解な謎。遺言書の秘密、不気味な降霊術、介護放棄の疑惑……。果たして彼は“殺された"のか?」

 多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。

R・オースティン・フリーマン『キャッツ・アイ』が刊行

 R・オースティン・フリーマン『キャッツ・アイ』(1923)がちくま文庫から刊行されました。
 「宝石収集家の死、姉弟に迫る怪しい影、聖書の暗号に隠された秘密――複雑に絡み合う謎にソーンダイク博士が挑む。本格推理に冒険的要素を加えた、英国黄金時代ミステリの名作。」
 ノーマン・ドナルドスン、トーマ・ナルスジャック、トニー・メダワー、ダグラス・G・グリーンなど、多くの批評家からフリーマンの代表作の一つとして評価された長編。
 多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。

Amazon honto HonyaClub 楽天ブックス 紀伊國屋書店 TSUTAYA e-hon セブンネット


       キャッツ・アイ

アガサ・クリスティ “The Stranger”

 “The Stranger”は、クリスティの遺稿の中から発見された戯曲。ジュリアス・グリーンの“Curtain Up”によれば、1932年3月10日という日付があり、これは、元となった短編「ナイチンゲール荘」を収録した『リスタデール卿の謎』(1934)が刊行される二年前、フランク・ヴォスパーが戯曲化の許可を得る三年前である。
 グリーンが詳細に跡付けているように、ヴォスパーが戯曲“Love From A Stranger”(1936)の脚色に当たって主に用いた素材は、従来考えられていたように、短編「ナイチンゲール荘」ではなく、この未発表の“The Stranger”だった。
 1968年に、カリフォルニアのマイケル・プリチャード(孫のマシュー・プリチャード氏とは無関係)という学生からの照会に応じて、各戯曲の執筆経緯を明らかにした書簡の中で、クリスティは、「Love From A Strangerは、もともと『ナイチンゲール荘』という私が書いた短編です。私はこれをLove From A Strangerという一幕ものの劇に書き直し、フランク・ヴォスパーが三幕ものの劇に拡張することを認めました。最初の二幕は彼によるもので、第三幕は主に私が執筆した一幕ものです」と述べて、(不正確ながらも)ヴォスパーの作品が自分の戯曲をベースに執筆したものであることを認めている。
 実際は、クリスティの“The Stranger”は三幕ものであり、ヴォスパーの第一幕と第二幕は、確かにヴォスパーが大幅に加筆した部分ではあるが、“The Stranger”の第一幕をベースにしていて、ヴォスパーの完全な創作ではない。‘Love From A Stranger’というタイトルに用いられた言葉も、「ナイチンゲール荘」には出てこないが、“The Stranger”では、家政婦のハギンズ夫人(原作のジョージ、‘Love From A Stranger’のルイーズに相当)が口ずさむ〈メリー・ウィドウ〉からの引用として出てくる。
 ヴォスパーは明らかに、自分自身が演じるブルース・ロヴェル(原作のジェラルド・マーティン、“The Stranger”のジェラルド・ストレンジ)の見せ場を増やすために、自身の戯曲の第一、二幕部分を大幅に加筆したのだが、グリーンは、クリスティのオリジナルのほうが、テンポがよく、機知に富み、サスペンスフルで、優れていると判断しているようだ。
 確かに、以前の記事でも書いたように、男女の三角関係の機微を描くことに費やされる第一幕と第二幕は、いかにもロマンス寄りで、緊張感に欠ける印象がある。だが、ヒロイン(原作ではアリクス、“The Stranger”ではイーニド、“Love From A Stranger”ではシシリー)がそれまでの恋人を振り、知り合って間もない上に、出自もよく知らない相手と結婚してしまう経緯は、「ナイチンゲール荘」では通り一遍に説明されるだけ、“The Stranger”では、それよりは状況が描き込まれてはいるが、やや性急に展開し、いま一つ説得力に欠けるのに対し、ヴォスパーの戯曲では、詳細に描き込まれた分だけ、より説得力を持つようになったのも事実だ。
 ただ、ヴォスパーは、伏線部分も気を回して加筆しすぎた感があり、ブルースの心臓が弱いという設定も、原作と“The Stranger”では、新聞記事で軽く触れられているだけなのに対し、“Love From A Stranger”では念の入った状況設定で説明されていて、そうした場面は(なくもがな)と思わぬでもない。
 クリスティの“The Stranger”のほうが、展開の速さ、サスペンスの密度という点で、ミステリ劇らしさがあるのは事実だが、ヴォスパーの戯曲には、加筆が行き届いた分だけ、背景の説明や人物の造形にも厚みが増していて、どちらを良しとするかは判断の分かれそうなところだろう。

アガサ・クリスティ “Fiddlers Three”

 “Fiddlers Three”は、もともと1971年にThis Mortal Coilというタイトルで執筆され、1971年4月にFiddlers Fiveという戯曲に改稿され、1971年6月7日にキングズ・シアター・サウスシーで初演が行われた。
 ところが、クリスティの娘、ロザリンドが、80歳になったクリスティが71年にDBEに叙されたばかりであり、これまでは勧善懲悪の作品を書いてきたのに、犯罪行為や脱税を是認するかのようなストーリーが母親の名を傷つけるのではと考え、ウェスト・エンドでの上演に反対したという。
 ウェスト・エンドでの上演を予定して、クリスティはさらに改稿の手を加え、タイトルもFiddlers Threeとして、1972年8月1日にギルフォードのイヴォンヌ・アルノー・シアターで初演が行われたが、結局、ウェスト・エンドで上演されることはなかった。これがクリスティ自身の執筆した最後の戯曲となり、これまで刊行されることもなかった。

 ロンドンのモンマス・ビルディングにオフィスを構えるサム・フレッチャー氏は、購入した土地の代金を調達する必要に迫られ、土地をめぐるいざこざで借金もしていて、返済を迫られていた。
 同じビルの上階のフラットに住むジョナサン・パンハッカー氏は、実業界の大立者で、歳の離れた南米出身の若い女性と再婚したばかりだったが、息子のヘンリーのほかに、イタリア人の貴族と婚約したばかりの娘がいた。ヘンリーはフレッチャー氏の土地購入の計画に参画し、翌週18日に父親から大金を得る予定だったが、フレッチャー氏はヘンリーがもらうその金が頼みだった。フレッチャー氏は、オフィスを訪れた友人のボーガシアン氏にその事情を打ち明ける。
 そこへヘンリーがやって来ると、父親が飛行機内で突然発作を起こし、ヒースロー空港から救急車で上階のフラットに運び込まれたと語る。医師からは安静を指示されていたが、医師の話では、氏の命はもって一両日だろうとのこと。
 実は、パンハッカー氏は、健康食品会社のクラインフェルト氏と言い争いになり、クラインフェルト氏が70歳まで生きることができるかどうかで10万ポンドの賭けをして、拠出した金を管財人に管理させていた。クラインフェルト氏が67歳で死んだため、賭けた10万ポンドは、18日にパンハッカー氏のものとなる予定で、パンハッカー氏はその金を息子に与えるという項目を設けていた。
 パンハッカー氏は、自身の本来の財産を後妻と娘に遺すこととしていたため、ヘンリーにはその10万ポンドが頼みだったが、18日より前に父親が死んだ場合には、その金はクラインフェルト氏の会社に行ってしまうことになっていた。フレッチャー氏のオフィスに来たヘンリーは彼に事情を話し、それまでに父親に万が一のことがあったら、金が手に入らなくなると打ち明ける。
 そこへパンハッカー氏が上階のフラットから降りてきて、自分は大丈夫だと言い、医師の指示になど従わないし、与えられた薬も飲まないと豪語する。しばらくして、飛行機から病院まで付き添ってきた客室乗務員の女性がパンハッカー氏を追いかけてきて、医師から渡された薬をパンハッカー氏に飲んでもらわないといけないと言う。乗務員は薬瓶をヘンリーに預けて去る。
 パンハッカー氏はブランデーを飲むと言って騒ぎ立て、勢いでテーブルに載っていた自分の薬瓶とフレッチャー氏の薬瓶を払い落としてしまい、錠剤が床に散らばる。パンハッカー氏は謝り、拾った自分の薬を飲むが、その直後、絶命してしまう。
 その場に居合わせたのは、フレッチャー氏、ボーガシアン氏、ヘンリーと、フレッチャー氏の秘書サリーだったが、サリーはほかに誰もパンハッカー氏の死を知らないのをよいことに、死んだパンハッカー氏を自分の伯父ということにして、氏の死を隠蔽する計画を提案する・・・。

 コメディー・タッチの戯曲で、性格的に『蜘蛛の巣』に近い作品と言える。実際、ジュリアス・グリーンのCurtain Upによれば、クリスティはサリーの役を『蜘蛛の巣』で主役を演じたマーガレット・ロックウッドに想定して執筆したようだ。
 フレッチャー氏をはじめとする共謀者たちが、生きているパンハッカー氏と一緒にいると装って滞在しているホテルに、くだんの客室乗務員やパンハッカー氏の顧問弁護士などが次々と訪れ、偽装がばれるのではないかという、ほどよいサスペンスを維持しながらストーリーが進行していくが、クリスティらしい謎解きも最後に用意されていて、ミステリ劇としての骨格を維持している。
 全盛期ほどの目覚ましさはないものの、コミカルな展開がそれなりに面白く、まずまず読み応えがあって、晩年の作品とは思えないほどだ。アイロニーの効いた大団円も悪くないし、劇として上演する分には弱いかもしれないが、読み物としては悪くない。これまで刊行されずにお蔵入りしていたのは残念な限りだ。

アガサ・クリスティ 〈屋外ヴァージョン〉戯曲『ゼロ時間へ』

 サミュエル・フレンチ社から最近刊行された〈屋外ヴァージョン〉戯曲『ゼロ時間へ』は、近年になって発見されたクリスティ自身による戯曲であり、『十人の小さなインディアン』(論創社)収録のクリスティとジェラルド・ヴァーナーとの共作戯曲『ゼロ時間へ』とは別物である。
 フレンチ社のホームページにアップされたクリス・チャンの‘An Introduction to “The Collection”– Agatha Christie’s Lost Plays’によれば、「クリスティは、ヴァーナーの脚色が気に入らなかったため、登場人物間のゆがんだ人間関係に焦点を当て、劇を屋外に設定して、彼女自身の脚本を執筆したとされる」となっている。
 この記述を信じると、この新発見の戯曲は、1957年刊のクリスティとヴァーナーの共作による上記戯曲『ゼロ時間へ』(以下、1957年版)よりあとに書かれたものと思われ、当ブログの以前の紹介記事でも、これに従って解説した。だが、実物を読んでみると、この戯曲は、ジュリアス・グリーンが“Curtain Up Agatha Christie: A Life in the Theatre”(2015)で解説している(私自身も『十人の小さなインディアン』のあとがきで言及した)1944年にクリスティが単独で執筆したとされる戯曲版(以下、1944年版)と思われ、チャンの解説には事実誤認があるようだ。
 これは、グリーンの上掲書における1944年版の引用箇所がほぼ完全に一致して出てくること、グリーンが解説しているように、バトル警視が登場せず、リーチ警部が主要な役割を演じ、舞台がレディー・トレシリアンの邸のテラスや庭が舞台となっている等の記述と一致していることからも明らかだ。実際、刊行書の冒頭には上演記録が記されていて、1945年9月4日にマサチューセッツ州のマーサズ・ヴィンヤード・プレイハウスで上演とあるので、まず間違いない。
 ということは、現存する『ゼロ時間へ』は

 1) 1944年の小説版
 2) 1944年の戯曲版(クリスティ単独による)
 3) 1957年の戯曲版(クリスティとヴァーナーの共作)
 
 の三種類ということになる。

 1944年版の特徴は、舞台がレディー・トレシリアンの邸〈ガルズ・ネスト〉(これも、他の二つの〈ガルズ・ポイント〉と異なっている)の屋外に設定されていること、バトル警視が登場せず、リーチ警部が捜査の中心を担い、ハーヴェイ巡査部長が加わっていることのほか、1957年版では省かれたマクワーターが登場し、重要な役割を演じていること、テッド・ラティマーに相当する登場人物がピーター・デ・コスタというラテン系の人物になっていること、オドンネル(男)、コリー(女)、マグレガー(女。メアリ・オールディンに相当)という使用人が登場すること。
 〝ゼロ時間〟の意味を語るのは、小説版ではトリーヴズ弁護士、1957年版ではトマス・ロイドだが、1944年版ではマクワーターだ。プロットの骨格は三者とも共通しているが、舞台や登場人物などの差異だけでなく、1944年版はセリフも1957年版とは大幅に異なり、1957年版が1944年版をほとんど参照していないのもほぼ確実だろう。
 ただ、お蔵入りになった理由がクライマックスの設定にあったとされるように、(ネタバレになるのではっきり説明しにくいが)1957年版の緊張感に満ちたクライマックスと比べても、大団円の付け方がいかにも弱い。さらに、各登場人物の造形や丁々発止のやりとりという点でも、1957年版のほうに一日の長があるように思われる。最終的に残ったのは小説版と1957年版だけで、1944年版が、興行的にも失敗し、クリスティの生前、日の目を見ないままお蔵入りになったのも仕方がない面があるようだ。
 面白いのはト書きだ。アメリカで試験興行が行われただけで、クリスティ自身はリハーサル等にも立ち会っていない。そのためか、ト書きは、1957年版も含め、他の戯曲と比べても驚くほど簡潔で、方向指示もほとんどない。クリスティの戯曲の創作過程を知る一つの手がかりと言えるだろう。
 なお、刊行された版には収録されていないが、グリーンの前掲書には、1944年版用に描かれた舞台セットの水彩画の白黒写真が収録されている。

ヘレン・マクロイ “Before I Die”

 このブログでマクロイの未訳作品の紹介をしてきたが、ミステリでは唯一、この作品だけ取り上げていなかった。“Before I Die”(1963)は、マクロイが夫ブレット・ハリデイとともに立ち上げた出版社トークィルから刊行された作品(但し、配本はドッド・ミード社)。マクロイの作品では、ほかにヘレン・クラークスン名義のSF、The Last Day(1959)がトークィルから刊行されている。
 トークィルは、1953年に設立、1965年に解消されたが、その時期の経験は『幽霊の2/3』(1956)に生かされている。

 広報会社に勤めるボブ・ランディは、パーティーの席で、カイラ・ノヴァクスという女性と知り合う。東欧からの移民らしく、国連で翻訳の仕事をしている父親と暮らしているというが、素性はよく分からなかった。
 ボブには妻のスーザン、娘のロビンと息子のバズがいた。ボブは、カイラにタイピストの仕事を提供してやることにしたが、彼女のアパートでカイラと過ちを犯してしまう。
 ボブは家族がいることを理由に、二度と同じ過ちを繰り返すまいとするが、カイラを週末に家に招いた時、居間で全裸になって寝そべり、誘いかけてくるカイラの誘惑に負け、愛し合おうとしたところを、妻のスーザンに見つかってしまう。ボブはスーザンに離婚話を切り出し、カイラとともに家を出て行く。
 ボブは、カイラと結婚するため、彼女の父親に了解を求めに行こうと切り出すが、カイラは、父親というのが、実は彼女の夫だと告白する。衝撃を受けたボブは、彼女の夫に離婚を求めようと言うが、カイラは、夫が応じるはずはなく、争うだろうと言い、ボブに夫を殺してくれと求める。夫は糖尿を患っていて、インシュリンを打てなければ、事故に見せかけることができる、と。しかし、ボブは、二度と殺人のことなど考えないよう彼女に誓わせる。
 一方、スーザンは意を決して、カイラの父親とされるダニエル・ノヴァクスのアパートを訪ねる。ダニエルは、スーザンが事情を話す前に、カイラがボブに結婚を迫ったのではと切り出す。彼は自分がカイラの父親ではなく夫であることを話し、彼女が過去にも同様に男を籠絡し、相手に夫を殺してくれと頼んだことがあったと打ち明ける。
 ダニエルの母国は、戦時中、ロシアとドイツの狭間で弄ばれた小国だったが、戦後、ロシアが進駐し、カイラはロシア軍の兵士から逃れて、匿ってほしいと頼んできた少女だったという。のちに、ダニエルがアメリカの国連代表部に派遣されることになった時、結婚しないとカイラを一緒に連れて行けないため、既に妻を亡くしていたダニエルは、彼女と結婚してアメリカに移ってきたのだった。
 ダニエルは、自分に離婚の意思はなく、ボブが殺人に同意しなければ、カイラはボブへの関心を失うはずだとスーザンに告げる。スーザンがアパートを出ると、カイラと出くわす。スーザンが、ダニエルから離婚の意思はないと告げられたことを話すと、カイラは、「殺してやる!」と叫びながらアパートに向かう。
 スーザンはボブのオフィスに赴くが、ボブは不在だった。そこへニューヨーク市警察のカソヴィッツ警部補がやってきて、ダニエル・ノヴァクスが文鎮で頭を殴られて殺されたと告げる。容疑者は行方の知れないボブだった・・・。

 本作は、ミステリとしては、『殺す者と殺される者』(1957)以来、6年ぶりに発表された作品だが、その間にSFの“The Last Day”(1959)を出している。それをカウントしても、4年のブランクがあるが、実はその間に、マクロイは夫ブレット・ハリデイとの離婚を経験している(1961年)。マクロイが一種のスランプに陥ったのは、そのことと無関係ではあるまい。
 本作のストーリーには、その経験が色濃く影を落としているのだが、マクロイは、単に精神的な痛手のはけ口を小説執筆に求めたというわけではなく、その経験すらプロットに応用しているところがミステリ作家としてのマクロイのプロ根性のように思える。
 本作では、妻に問い詰められたボブが、男は二人の女を同時に愛せるし、今も妻のスーザンを愛していると口にする場面がある。実は、似たような場面はのちの作品にも出てきて、“A Question of Time”のヒロイン、スーザン・エヴェレットも、秘書と恋に落ちて母親と離婚しようとした父親のヒューのことを「男の人は一度に複数の人を愛せるのかも」と語っているし、“Minotaur Country”のヒロイン、タッシュも、ほかの女性と恋に陥って母と離婚した父親について、それでもなお両親は愛し合っていたと回想している。
 これはおそらく、マクロイとハリデイ自身の事情をある程度反映したものと思われ、ハリデイ自身、マクロイに対してそんな説明をしていたのではないだろうか(真意のほどはともかくとして)。そう考えると、なぜ離婚後にも、ハリデイがマクロイの短編集『歌うダイアモンド』に序文を寄せたのか、“Minotaur Country”にマクロイがハリデイへの献辞を記したのかも、それなりに背景が見えてくるように思える。
 ただ、さすがにマクロイの精神的痛手は大きかったのか、本作の出来栄えは、50年代までの傑作群に比べると著しく落ちると言わざるを得ない。とは言うものの、「これはとても推理小説とは呼び得ないような作品」、「スリラーでもサスペンスでもミステリでもない」という加瀬義雄氏の評(『割れたひづめ』の解説より)はいささか不当と思える。実際は、ミステリとしての骨格をしっかりと持っているし、大団円にも、マクロイらしい仕掛けが用意されているからだ。油断していると、ちょっとしたサプライズを味わうことになるだろう。
 マクロイの作品には、自身の経験がしばしば反映されていて、ウィリング博士は、『悪意の夜』ではコネティカット州在住だが、マクロイは夫とともにコネティカット州の新聞の書評欄を担当していたことがあったし、離婚後にボストンに移住したのと符節を合わせたように、ウィリング博士もボストンに移住し(それ以前に妻のギゼラは死去)、もう一人のシリーズ・キャラクター、アルフレッド・ネローニ医師もボストン在住という設定だ。なかでも本作は、特に私小説的性格の強い作品と言えるだろう。


        Before I Die
            トークィル社初版ダスト・ジャケット

KADOKAWA『幽』に『牧神の影』の書評

 KADOKAWAから刊行の怪談文芸専門誌『幽』30号に、杉江松恋氏によるヘレン・マクロイ『牧神の影』(ちくま文庫)の書評が載りました。(同誌は、30号をもって休刊との由。)
 「死者の声が聞こえてくる長編小説」として、「主人公を狂気の淵へと追い詰めていく得体の知れない影と、理知的な謎解きとの対照が見事な一作」という評価をいただいています。
 『牧神の影』は、マクロイの作品の中でも、フーダニットとサスペンス、さらには暗号解読というアカデミックな知識が有機的に一体となったプロット構築が光る作品ですが、その特徴をうまく表現していただいたように思います。
 マクロイには、ほかにも優れた作品が未訳で残されており、引き続き多くの読者の皆様に紹介していくことができればと希望しております。
プロフィール

S・フチガミ

Author:S・フチガミ
お問い合わせ等は
fuhchin6491
(アットマーク)
hotmail.co.jp
へどうぞ

カテゴリ
フリーエリア
天気予報
リンク
検索フォーム
アクセスカウンター
RSSリンクの表示