ナイオ・マーシュ“The Nursing Home Murder”

 “The Nursing Home Murder”(1935)は、ロデリック・アレンが登場する第三作目の長編。

 内務大臣のデレク・オカラガン卿は、無政府主義者を取り締まる法案を議会に提出するよう内閣に提案していた。閣僚たちと協議したあと、デレク卿が帰宅すると、執事からジェーン・ハーデンという看護師からの手紙を受け取る。
 実はデレク卿は、数か月前にコーンウォールでジェーンと不倫の過ちを犯していた。彼女は手紙で、今も彼を愛しているし、これ以上自分をないがしろにしたら恐ろしい手段を取ると脅迫していた。
 その後、デレク卿の旧友でかかりつけ医のジョン・フィリップス卿がオカラガン家を訪ねてきて、デレク卿にジェーンとの関係を問いただす。ジェーンはジョン卿の病院で看護師を務めていたが、ジョン卿は何年も前からジェーンを愛し、求婚していた。ジョン卿とデレク卿は言い争いになり、ジョン卿は、機会があればやっつけてやるとデレク卿を脅す。
 翌週、下院で法案を説明していたデレク卿は急に腹痛に襲われる。急性虫垂炎と思われたが、経緯を知らないデレク卿の妻、シシリーは、ブルック・ストリートにあるジョン卿の病院にデレク卿を運ばせ、ジョン卿に手術を依頼する。そこには看護師のジェーンもいた。
 意識を取り戻したデレク卿はジョン卿の姿を目にすると、「やめてくれ・・・」と言いかけるが、そのまま再び意識を失う。手術は成功するが、デレク卿の脈は弱まり、一時間後に死亡してしまう。
 シシリーは亡夫の書類を調べるうちに、そこに無政府主義者からの脅迫状とジェーンからの手紙を見つけ、夫は殺されたと確信し、ロデリック・アレン警部に捜査を依頼する。検死解剖の結果、デレク卿はヒヨスチンの過量投与により死んだことが明らかになる・・・。

 手術室にはほかにも、無政府主義者でデレク卿に敵意を抱く看護師がいたり、その前に、デレク卿の妹が訪ねてきて、怪しげな新薬を卿に勧めていたり・・・と容疑者には事欠かないのだが、いつものマーシュらしく、必要以上に容疑者を水増しした感があってうんざりさせられる。
 ストーリー展開も、初期作品にしばしば見られる欠点だが、退屈な尋問シーンが目立ち、途中、共産主義者の集会への潜入場面など、多少興趣を添える場面を設けてはいるものの、全体としては緩慢で起伏に乏しい。執筆にあたっては、医師のヘンリー・ジェレットの助言を仰いだとされるが、その割には、謎解きのプロットにもこれといったオリジナリティはなく、凡作の感が否めない。
 後期作品では、背景設定や人物造形も多様性を増し、ストーリー展開のメリハリの付け方も格段に上達していくのだが、やはりこの頃のマーシュの作品は習作の印象が強い。
 なお、本作は、かつて雑誌に抄訳が掲載されたことがあるそうだが、私は未見である。
スポンサーサイト

ジョン・ロード“Family Affairs”

 “Family Affairs”(1950:米題“The Last Suspect”)は、ランスロット・プリーストリー博士が登場する長編。『代診医の死』の前作に当たる。

 ミックルオーヴァーという村に駐在するリチャード・ランガム巡査は、レンドミルへ向かう道を自転車で走っている途中、溝にはまった車を見つける。車は左側を下にして溝にはまっていて、右側の窓から車内を覗き込んだランガムは、ガラスの割れた左側の窓から中に水が入り込み、明らかに死んでいる運転手の顔まで達しているのに気づく。
 そこへ、ティン・ホイッスルを吹きながら幌馬車を走らせ、求めに応じて音楽を奏でて小金を貰うウォーブリング・ウィリーが通りかかる。ランガムはウィリーの助けを借りて車内から男の死体を引き上げる。ウィリーの証言では、その車はしばらく前にウィリーの幌馬車を追い越していったが、運転手は酔っていたようで、隣に若い女性が乗っていたという。
 所持品から、男はレパード・ビール酒造のエドワード・ドレイトンと分かる。ドレイトンは集金のため酒場を回っていて、その道のカーヴを曲がり切れず、溝にはまったと思われた。だが、車の中からは集金したお金の入ったバッグは見つからず、血まみれの女物の手袋が見つかる。
 地元警察は、スコットランド・ヤードの支援を求め、ジェームズ・ワグホーン警視が捜査を担当することになり、ドレイトン家の複雑な関係が次第に明らかになっていく。エドワードはレパード・ビール酒造の社長、エイルマー・ドレイトンの一人息子だが、最近、ミュリエル・ゲイウッドという女性と婚約したばかりだった。
 エドワードの死をゲイウッド家に伝えても、ミュリエルの所在ははっきりせず、彼女の婚約相手もエドワードと従弟のジャスパーのどちらになるか微妙だったことも明らかになる。エイルマーはエドワードを自分の後継者と考えていたが、実はエドワードは仕事に熱心ではなく、ジャスパーのほうが事業運営がうまかった・・・。

 ロードの後期作品らしく、ストーリー展開は緩慢で起伏に乏しい。ただ、中盤でレナード・タマー卿殺害事件という、最初の事件とは一見無関係と思える第二の事件が発生し、それが次第に第一の事件と関係していることが明らかになっていく。普通なら第二の事件の発生で中だるみを防げそうなものなのだが、これまた展開が緩慢で、ちっとも盛り上がらない。
 いずれの事件も、それぞれの家庭内の複雑な人間関係が原因であるように思われ、それが英版の原題の由来となっている。ところが、一見複雑そうに見える人間関係も、人物描写が薄っぺらなために、ちっとも面白味がなく、まるで紙人形を配置しているみたいだ。
 これまた後期の作品らしく、本作でも、プリーストリー博士は要所要所で助言を与えるだけで、最終的に謎解きをして事件を解決するのはワグホーン警視だ。ただ、この作品の面白いところは、プリーストリー博士が間違いを犯し、ワグホーン警視の捜査も方向性を誤ってしまうところにある。
 博士が間違いを犯すのはなにもこれが初めてではなく、“The Davidson Case”のような前例もあるのだが、先入観にとらわれて重要容疑者の存在と動機が盲点になってしまうという設定が、作者が本作のテーマにしたかったことのように思われる。ただ、それも謎解きのプロットとしては拍子抜けで、特に意外性もなければ、テーマ自体もさほどアピール性もなく、どっちつかずの凡作に終わってしまったとしか言いようがない。

ケネス・ブラナー監督「オリエント急行殺人事件」を観る

 ようやく「オリエント急行殺人事件」を観ることができた。
 どうしてもシドニー・ルメット監督の旧作と比較してしまうのだが、優劣を論じるのが虚しいと思うほどどちらもよくできた映画だ。
 ルメットは、社会派の監督として知られる人で、「十二人の怒れる男」や「評決」のように、裁判の正義を問うた傑作もあるだけに、「オリエント急行」もやはりこの監督らしい同様の視点からの演出が際立っていたように思う。それが原作の個性ともよくマッチして、映画としても卓越した傑作になったところがあり、原作にはないラストの演出も、映画ならではの感動的な見せ場だった。
 ブラナー監督の新作は、ルメット作品に比べると、謎解き的性格はやや後退し、むしろ個々の登場人物の心理的な葛藤を浮き彫りにして、ヒューマンなドラマとして描こうとした意図がよく見える。ルメット作品が、列車が走り出してからはほとんど列車内の場面に限定されて、ややもすると息苦しい閉所感があったのとは対照的に、ブラナーは外に出るシーンも増やして広々とした視野を確保しただけでなく、原作にはないアクション・シーンや銃撃シーンまで加えてドラマチックなメリハリをつけたようだ。
 個々の俳優で言えば、ポワロらしさという点では、アルバート・フィニイを越えるものはないが、コミカルさがやや目立つフィニイのポワロに比べると、ブラナーのポワロはずっとシリアスで、映画のヒューマンなタッチとよく調和している。ジュディ・デンチはどうしても007の〝M〟を連想してしまうのだが、旧作のウェンディ・ヒラーに比べるとやや個性を発揮しきれていない感がある。デイジー・リドリーも、ちょうどタイミングを同じくして「最後のジェダイ」がかかっているだけに、〝レイ〟のイメージが付きまとってしまうのだが、こちらはヴァネッサ・レッドグレイヴに負けない好演だった。
 原作の持ち味という点では、ベリンダ・ハバード夫人をもっとうまく描いてほしいと思うのだけれど、旧作のローレン・バコールも、新作のミシェル・ファイファーも決して悪くはないものの、やはり食い足りなさが残ってしまう。ただ、全体としては、名優をずらりとそろえたルメットの旧作のほうが、さすがに個々の俳優の個性がより際立っていたように思える(数では新作のほうが絞り込んでいるにもかかわらずだ)。
 余談ながら、字幕に「ヘラクレス・ポアロ」と出てくる箇所があるが、聴いていると、英語式に「ハーキュリーズ・ポワロ」と言っている。「エルキュール」はフランス語でどのみち「ヘラクレス」を意味するのだが、英語を母語とする者には、そう発音すると、はっきりヘラクレスの意味に受け取れるわけだ。
 ジョン・ギラーミン監督「ナイル殺人事件」では、最後にピーター・ユスチノフ演じるポワロが「オリエント急行」のエピソードに触れる場面があったが、今回の「オリエント急行」では、次作「ナイル殺人事件」を予告するようなセリフが最後に。映画ならではの宣伝上手なところも心憎い。

ジョン・ロード『代診医の死』が「2018本格ミステリ・ベスト10」の第8位に

 ジョン・ロード『代診医の死』(論創社)が『2018本格ミステリ・ベスト10』の第8位にランクインしました。これまで我が国ではなかなか評価を得られなかったロードの作品に高い評価をいただいたのは画期的なことと思っています。
 読んでくださった読者の方々はもとより、ROM叢書からの刊行にご尽力いただいた故加瀬義雄氏、須川毅氏、「論創海外ミステリ」からの刊行をお誘いくださり、丁寧な編集作業をしてくださった論創社の黒田氏にあらためて厚く御礼申し上げます。


               代診医の死


 なお、この場を借りての余談ではあるが、一つ触れておきたい。
 『オシリスの眼』(ちくま文庫)に寄せた私のあとがきに対して、心外なリアクションを時々受ける。そこでの私の主旨は、トリック重視型の本格作品が主流となったことで、これに慣れた読者の多くもその視点からフリーマンの作品を評価してしまうために、ロジック重視型のフリーマンの作品の特長が見えなくなる、という点にあった。視点を切り替えることでフリーマンの作品のよさを味わってほしいというのが私の主旨で、ロジック重視型の作品を手放しで称賛し、トリック重視型の作品をそれより低劣なものとみなすような主張をしたつもりはない(当たり前だが、どちらのタイプにも長所も短所もあるというものだろう)。ちなみに、(これは論創社の黒田氏とも話したことだが、)『代診医の死』のような、まさにトリック重視型の作品を積極的に紹介していることからも、私がそんな「本格ミステリ」観を持っていないことは明らかというものだろう。
 ところが、そうした意味に曲解して異見を述べる人が時折いるようなのだ。単純な誤解なのでよく読んでほしいと言えば、それだけのことかもしれない。しかし、敢えて穿った見方をすれば、そうした「誤解」には、トリック重視型の視点で「本格ミステリ」を評価することに慣れ、これを暗黙のうちに当然視してきたために、異なる視点での評価があり得るという盲点を突かれたことに対する反感が潜んでいるように思えることもある。ちょうど、『オリエント急行の殺人』の思いがけない結末に「アホにしか分かりっこない」と感情的な反応を示したチャンドラーのように。案外、そうした読者は、フリーマンの作品を「たいしたことはない」と訳知り顔に割り切ってきた人が多いのではないだろうか。あとがきでも触れたが、むしろ、トリックの出来栄えで作品を評価する視点に偏り、ロジック重視型の作品を正当に評価できない「本格ミステリ」観のほうこそ反省を促されるべきものではないかと思える。平たく言えば、問題の所在は、トリック重視型の「作品」にあるのではなく、「評者」にあると言うべきだろう。
 ふとそんなことに触れたのは、『本格ミステリ・ベスト10』の「座談会」で、私がロジック重視型の作品を「無批判に称揚」し、「プロット重視型」(「プロット」というのはトリックより広い概念で、ロジック構築もプロットのうちなので、表現として適切か疑問だが)の作品を「ディスる」ことをしたと語っておられる文芸評論家がいるからだ。こんなことを今さら噛んで含めるように説明するのも憂鬱な限りなのだが、同様の誤解を抱く人もおられるといけないので、敢えて触れた次第である。

『オシリスの眼』が「2017文庫翻訳ミステリー・ベスト10」の第9位に

 講談社「IN★POCKET」の「2017文庫翻訳ミステリー・ベスト10」において、R・オースティン・フリーマン『オシリスの眼』(ちくま文庫)が第9位にランクインしました。
 評価していただいた皆様と読んでいただいた読者の方々にあらためて感謝申し上げたいと思います。日下三蔵氏には、「クオリティの高い翻訳」にも言及していただき、光栄の至りと存じます。
 昨年も『二人のウィリング』を選んでいただきましたが、実を言えば、今年の結果には特別な驚きと感慨を抱かずにはいられません。というのも、他のベスト10ランクイン作品はすべて、2008年から2017年までに刊行された21世紀の作品だからです。しかも、純粋な意味での本格謎解き推理小説は『オシリスの眼』だけと言っていいでしょう。
 ここ10年のうちに刊行された現代の作品とともに、百年以上前の1911年に刊行された『オシリスの眼』が高い評価をいただいたことは、真に優れたクラシック・ミステリは時の試練に耐えて読者の心をとらえる力を持つことを証明するものではないかと思っています。たとえ時のベストセラーとなろうと、50年後には忘れ去られている作品もあまたあることを思えば、こうした永続的価値を持つ作品を多くの方々に身近なものとしてご提供できたことは、私にとっても大変嬉しいことです。
 今後もこれを励みとし、多くの読者の皆様に優れた作品を提供していけるよう、ますます精進してまいりたいと考えております。引き続き、皆様のご支援、ご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
 また、この場を借りて、編集者の藤原氏、磯部氏にあらためて感謝申し上げます。


               The Eye of Osiris

ピーター・ウィムジイ卿生誕100年記念誌

 今年はドロシー・L・セイヤーズの没後60年に当たるが、この機会に、英国のドロシー・L・セイヤーズ協会が発行している刊行物についてご紹介しよう。
 以前の記事で、“Les Origines du Roman Policier”(1940)をご紹介したが、今回ご紹介するのは、1991年に刊行されたウィムジイ卿生誕100年記念誌“Encounters with Lord Peter”。
 ピーター・デス・ブレドン・ウィムジイ卿は、1890年生まれ。同冊子には、1990年11月24日にピカデリーのパーク・レーン・ホテルで行われた100年記念昼食会でのP・D・ジェイムズ、エドワード・ペザーブリッジ(BBCのテレビ・シリーズでピーター卿を演じた俳優)による演説も含まれている。
 収録エッセイは以下のとおり。

序文 キャサリン・エアード(当時のCWA会長)
The Address given at the Centenary Luncheon P・D・ジェイムズ
Lord Peter Wimsey ジェシカ・マン
Lord Peter Wimsey, born in 1890 エルンスト・ライズィ
The Paradox of Lord Peter Wimsey ジューン・トムスン
Lord Peter’s Touch キャサリン・エアード
A Little Than-You サイモン・ブレット
“Now, wha this tale o’ truth shall read” ロッド・マンロー
Wimsey and Strong Drink T・J・ビニョン
A Life-long Affair, But… H・R・F・キーティング
Lord Peter and the Butterboy マイク・リプリー
The Toast at the Centenary Luncheon エドワード・ペザーブリッジ

 各筆者が様々な角度からピーター卿の魅力を論じている。スイスの英語学の研究者ライズィがセイヤーズの愛読者というのも興味深い。


               Encounters with Lord Peter

アントニー・ギルバートの短編集“Sequel to Murder”が刊行

 以前、このブログの記事でも紹介した、アーサー・クルックものの全短編を含むアントニー・ギルバートの短編集“Sequel to Murder”がクリッペン&ランドリュ社から刊行されたようだ。編者は、“Detective Fiction: The Collector’s Guide”(1995)の編者の一人でもあるジョン・クーパー。
 詳細は、同社のホームページを参照

ロデリック・アレン復活

 ナイオ・マーシュが第二次大戦中に執筆した未完のアレン警視もの長編“Money in the Morgue”が、ステラ・ダフィによる補筆完成版で来年3月にハーパー・コリンズ社から刊行予定。既にアマゾンでも予約を開始している。
 ダフィはこれまで、『カレンダー・ガール』、『あやつられた魂』など15作の長編と50編以上の短編を公表し、CWAのショートストーリー・ダガー賞を二度受賞。ニュージーランド育ちでロンドン在住の作家であり、ミステリだけでなく、演劇の世界でも業績のあることが、マーシュの未完長編の補筆者としてふさわしいと白羽の矢が立ったようだ。
 これでアレン警視登場のオリジナル長編は33作となる。奇しくもポワロ、ウルフと同じ長編数だ(他人が書き継いだものを別にして)。クイーンも『間違いの悲劇』をカウントしなければ、やはり33。なにやらジンクスめいたものを感じる。

ジョージ・リムネリアス“The Medbury Fort Murder”

 英軍医療部隊のヒュー・プリース少佐は、十五年前、医師の資格を取って軍に入ったばかりの25歳の時、〝ヴァニティ劇場〟のミュージカル・コメディに端役で出ていたプルネラ・レイクという娘と恋に落ちたことがあった。プリースはプルネラに求婚するが、彼女はプリースを愛しつつも、彼の求婚を拒み、トレメイン・ローナンという貴族との結婚を選ぶ。プリース自身も、のちにクレアという女性と結婚する。
 プリースはクレアとの間に二人の娘を儲け、幸せな家庭を築いていた。別離以来十一年後、バースの軍病院に勤務していたプリースにプルネラから手紙が届く。バースに立ち寄るので、会いたいという。二人はスウィンドンというホテルで落ち合う手はずをし、再びかつての愛が蘇った二人は、一夜だけの関係を持ってしまう。その九か月後、それまで子のなかったプルネラは男の子を産み、プリースは彼女から送られてきた子どもの髪の房を受け取る。
 その四年後、テームズ河口にあるメドベリー砦に駐在するプリースのところに、カタルを患うチャールズ・レピアンという連隊の中尉が診察を受けに来るが、プリースは彼に見覚えがあるのに気づく。実はレピアンは、プリースとプルネラが会ったホテルのバーで二人を目撃していたのだった。
 レピアンもそのことに気づき、二人の関係を調べ上げ、プルネラの子がプリースそっくりであることも突き止め、彼女に恐喝の手紙を送る。レピアンはメドベリー砦でプリースにその事実を明かし、彼にも金を要求する。
 プルネラは砦のプリース宛てに手紙を送り、医師の立場を利用してレピアンの口を塞ぐよう、暗に殺害を教唆する。プリースは覚悟を決め、かつて読んだイズレイル・ザングウィルの『ビッグ・ボウの殺人』のプロットを参考に、レピアンの殺害を計画する・・・。

 作者のリムネリアスは、本名をルイス・ジョージ・ロビンスンと言い、推理小説を二作書いたそうだが、知られているのは、ほぼこの“The Medbury Fort Murder”(1929)一作だけ。だが、本作は不可能犯罪ものの名作リストによく出てくる。
 プリースとプルネラのロマンス、二人の関係を知ったクレアの葛藤など、恋愛小説的な人間関係の描写が行き届いていてなかなか読ませる。生真面目なプリース少佐、したたかで大胆なプルネラ、冷酷無情なレピアンなど、個々の人物もまずまずよく描かれている。二人の関係を次第に突き止めていくスコットランド・ヤードのペイトン警部の地道な捜査ぶりも、その追及を必死に逃れようとするプルネラとのコントラストの中でうまく描かれ、飽きさせない。
 ほぼプリースが立てた計画通りに起きたように見えるレピアンの殺害は、プリース以外の容疑者にも事欠かない状況の中で、本当にプリース自身の犯行なのか、それとも別人による偶然の犯行なのか、作者は容易に手の内を明かそうとせず、読者を迷わせる展開もまずまずだ。
 ただ、最終的な不可能犯罪の絵解きとフーダニットの真相は、残念ながらあまりに肩透かしで、いかにも画竜点睛を欠く印象が後に残ってしまう。いくら終盤まで巧みなストーリーテリングと持続するテンションで読者を引っ張っても、肝心かなめの大団円が拍子抜けでは、凡作の評価を下さざるを得ないという典型的な例と言えるかもしれない。

「ミステリマガジン」にジョン・ロード『代診医の死』の書評

 「ミステリマガジン」2017年11月号(早川書房)において、若林踏氏に『代診医の死』(論創社)を書評で取り上げていただきました。
 「丁寧に事実の積み重ねを見せていくところにこの作者らしさが滲み出ているが、実はそんな印象を吹き飛ばすような仕掛けが本書には待っている。とにかく「地味」というイメージで語られることの多いジョン・ロードだが、本書を読めば評価は一変するのではないだろうか」と若林氏は述べておられます。
 ジュリアン・シモンズがロードをはじめとする作家たちに「退屈派」というレッテルを貼ったのは、(“Bloody Murder”をよく読めば分かるのですが)人物造形や雰囲気描写といった小説家としての力量が欠けているという意味なのですが、シモンズはその一方で、彼らが「謎解きを構築する技量」を有することも認めていました。ただ、シモンズのような犯罪小説礼賛者にとっては、そんな技量は(無価値ではないものの)必ずしも高い評価には値しなかったようです。
 ところが、これまで紹介されてきたロードの作品は、残念ながら、(少なくとも私の見るかぎり)謎解きとしても「地味」な作品が多かったように思います。このため、ロードに対する「退屈派」のレッテルも、シモンズが使った本来の意味からずれ、謎解きのプロットそのものまでが「退屈」であるかのような誤解すら生んでいたかもしれません。
 シモンズ流の犯罪小説を求める向きにまでロードの作品を無理にお勧めしようとは思いませんが、謎解きを愛する本格ミステリ・ファンにとって、ロードの作品は決して「退屈」でも「地味」でもないし、若林氏の『代診医の死』評からもそのことが窺えるのではないかと思います。あらためて多くの読者の皆さんに楽しんでいただけることを願っております。
プロフィール

S・フチガミ

Author:S・フチガミ
お問い合わせ等は
fuhchin6491
(アットマーク)
hotmail.co.jp
へどうぞ

カテゴリ
フリーエリア
天気予報
リンク
検索フォーム
アクセスカウンター
RSSリンクの表示