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クレイトン・ロースン 『首のない女』の写真解説

 クレイトン・ロースン『首のない女』米初版には、ロースンが〈首のない女〉のマジックを実演している写真が口絵として掲載されている。
 また、作中に出てくる象を消すマジックも、ダストジャケットにロースンが実演している写真入りで解説が載っている。
 いずれも、原書房から刊行された新訳には掲載されていないので、ここでご紹介しておきたい。
 なお、原書では、Performing Cast として、Stars, Towners, Supporting Cast, The Fuzz, Walk-arounds という分類の登場人物表が載っているが、邦訳では、通例に従った整理の仕方をした登場人物表に差し替えられているようだ。


       首のない女


           象
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マージェリー・アリンガム 『判事への花束』のバーナバス家系図

 マージェリー・アリンガムは、版によるテクストの混乱が著しい作家の一人でもある。問題はテクストに留まらない。アリンガムは作品に図面や地図、系図などを入れることが多かった。彼女が自分で描くことはなかったが、アラン・グレゴリーや夫のフィリップ・ヤングマン・カーターが(おそらく彼女の指示に基づいて)描いている。ところが、初版に入っていた図面や系図がリプリント版で省かれているものもある。
 Mystery Mile, Look to the Lady, 『ファラデー家の殺人』、『甘美なる危険』、『クロエへの挽歌』、Cargo of Eaglesの図面等は、ペンギン・ブックスのペーパーバック版にも再掲されているが、『幽霊の死』と『判事への花束』の図面等は同ペーパーバック版には欠けている。
 『幽霊の死』英初版には'The Lafcadio House and Studios of Little Venice in Bayswater, London'というアラン・グレゴリーによる図面が見返しに載っているが、リプリント版やペーパーバック版では省かれてしまった(邦訳にもない)。
 同じく、『判事への花束』英初版にも、アラン・グレゴリーによるバーナバス家の系図が見返しに載っているが、これもリプリント版やペーパーバック版では省かれ、邦訳でも省かれている。
 ここでは『判事への花束』の系図を載せておくが、以下のように、同系図にはバーナバス社のエンブレムも描かれている。


系図

マージェリー・アリンガム『ファラデー家の殺人』(仮題)刊行予定

 英国の探偵小説作家、マージェリー・アリンガムの『ファラデー家の殺人(仮題)』(Police at the Funeral:1931)が論創海外ミステリから刊行される予定です。

 ケンブリッジの旧家、ソクラテス屋敷のファラデー家を襲う謎の連続殺人。ファラデー家は、84歳の女主人、キャロライン・ファラデー夫人を筆頭に、娘のジュリア、息子のウィリアム、娘のキティ、夫人の甥のアンドリューという変わり者が揃った一家だった。そこに、ファラデー夫人の求めに応じて、一家の世話役として遠縁のジョイスが住み込むようになった。その一家に、夫人の義理の甥、住所不定のジョージが影のようにつきまとい、彼らを悩ませていた。
 三月の日曜、一家揃って教会の礼拝に出席した帰り、アンドリューが突如行方不明となる。一家の持て余し者だったアンドリューは家出したとも考えられたが、金もない彼の失踪に不審を抱いたジョイスは、婚約者の友人、アルバート・キャンピオンに支援を求める。
 ところが、アンドリューは十日後にグランタ川で頭を撃ち抜かれた死体となって発見され、失踪事件は殺人事件へと発展する。友人のマーカスの依頼を受け、キャンピオンは事件の調査に乗り出すが、それは一族を襲う謎めいた事件の序章にすぎなかった。キャンピオンが赴く前に、ソクラテス屋敷では第二の犠牲者が・・・。

 アリンガム(1904―1966)は、アガサ・クリスティ、ドロシー・セイヤーズ、ナイオ・マーシュと並んで、英国の〈ビッグ4〉の一人とされる作家です。『ファラデー家の殺人』は、彼女が創造した冒険家・探偵、アルバート・キャンピオンが登場する4作目の長篇です。
アルバート・キャンピオンは、英国推理作家協会(CWA)の会員によるアンケート結果を集計したHatchards Crime Companion(1990)で人気男性探偵の第5位に選ばれ(1位:モース警部、2位:シャーロック・ホームズ、3位:ピーター・ウィムジイ卿、4位:フィリップ・マーロウ)、1989年から1990年にかけて「キャンピオン」というピーター・デイヴィスン主演のBBCテレビのシリーズにもなった、英本国では大変人気の高いキャラクターです。
 アリンガムは様々なジャンルに挑戦した作家であり、これまで紹介されてきた作品を見るだけでも、冒険物(『甘美なる危険』『検屍官の領分』)、スパイ物(『反逆者の財布』)、風俗小説(『クロエへの挽歌』『屍衣の流行』)、スリラー(『霧の中の虎』『殺人者の街角』)など、その芸域の広さを感じ取ることができます。
 『ファラデー家の殺人』は、彼女の作品の中でも、『幽霊の死』『判事への花束』『今は亡き豚野郎の事件』『葬儀屋の次の仕事』などとともに、本格謎解き推理小説に属する作品であり、ロバート・バーナードが、アガサ・クリスティを論じた『欺しの天才』の中で、セイヤーズ『毒を食らわば』、クリスティ『五匹の子豚』と並んで、「真相がそれまでの出来事の論理的で唯一可能なクライマックス」となるような「最も納得のいく探偵小説の解決」の例の一つとして挙げている作品です。
 本作については、かつて六興推理小説選書の一冊として『手をやく捜査網』という大幅にカットされた抄訳が1957年に出ましたが、その抄訳も長らく入手困難でした。ここにあらためて全訳をご紹介するにあたり、多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。
 なお、底本には、英ウィリアム・ハイネマン社の初版を用い、ハイネマン社やペンギン・ブックスのリプリント版等を適宜参照しました(リプリント版はわずかに誤植や脱落、異同があり、系図や図版が欠けているものもあるが、初版の明らかな誤植が直されている箇所もある)。


             キャンピオン

      フィリップ・ヤングマン・カーターにるアルバート・キャンピオンの肖像

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

ジョン・ロード “They Watched by Night”

 ジョン・ロードの“They Watched by Night”(1941、米題:Signal for Death)は、ランスロット・プリーストリー博士の登場する長篇。

 時は第二次大戦時。ホクスダウンのボールトブリッジ区の特別巡査団(特別巡査は非常時に任命される一般人の警察官)を所管するスタンリー・ランバーハースト氏の〈グローヴ荘〉に、L部門のピーター・カーベック大尉が相談にやってくる。大尉はジェームズ・ワグホーン中尉を伴っていた。ワグホーンは臨時の将校として情報部に転属となっていたのだ。
 カーベック大尉のL部門は機密事項を扱っていて、ホクスダウンの町から4マイルほど離れたファーナス・ウッドという森の中に秘密裏に移動していた。その場所は周囲からも上空からも見えない理想の場所と思われたが、L部門の野営隊は、最近、ドイツ軍の爆撃機の空襲を何度か受けていた。
 野営隊は空襲に備えて、敵はもちろん、地元の者にも気取られないように灯火管制を徹底していたが、敵機は上空を何度か旋回したあと、野営地を直撃する焼夷弾を投下していた。L部門は用心を重ねて森の別の場所に移動したが、敵機は再び襲来し、正確に野営地を爆撃した。
 その事実から、カーベック大尉は、地元に敵の内応者がいて、L部門の動きを察知し、敵機に何らかの信号を送って、標的の位置を知らせているのではないかと疑っていた。不審な電波については、探知機を使ってチェックしていたが、何も検知されていないことから、信号は光で送られているのではないかと考えられた。
 ランバーハースト氏の提案に基づき、不審な光信号を捉えるため、観察所が幾つか設けられ、ワグホーン中尉もその一つを担当した。だが、敵機は再び襲来し、不審な光は何も検知されなかったにもかかわらず、上空を何度か旋回した敵機は、森の中に隠れた野営地の位置を正確に捉えて爆撃した・・・。

 戦時中に書かれた作品らしく、大戦時の状況を反映した珍しい作品。ロードには、同様の設定の作品として、ほかに、The Fourth Bomb、ノン・シリーズものの Night Exercise(ともに1942年)がある。
 ハンスリット警視も、警察を引退したように装いながら、ファーランドという偽名を使って同じ町で活動していて、ワグホーン大尉とともに信号送信の謎に取り組む。だが、プリーストリー博士は、ストーリーの三分の二以上を過ぎてからようやく登場し、ファーランド氏の依頼に応じてホクスダウンに招かれるという設定になっている。
 当初は、どうやって敵機に野営地の位置を知らせる信号を送ったのか、という謎を中心にストーリーが展開するが、〈グローヴ荘〉の東屋が謎の火災で焼失し、焼け跡からランバーハースト氏らしき焼死体が発見されるという事件が新たに発生して、オーソドックスな殺人事件の謎がそこに加わる。ランバーハースト氏には多額の財産があったが、最近親者の弟ではなく、二人の友人に遺言で財産の大半を遺していた。そこに、兄の死を知った弟が現れ、兄の後ろ暗い過去を明らかにするという新たな展開を見せる。
 信号送信の謎はプリーストリー博士によって解明されるが、まずまず面白いアイデアとは思うものの、謎解きとしてどこまで興味深く受け止められるかは読者の評価の分かれそうなところだろう。ランバーハースト氏殺害事件のほうも、信号送信の謎に比して、なにやらとってつけた感のある事件で、全体のプロットの中では必然性の乏しさが感じられて、どうしても浮いた印象が否めない。いずれの謎も、ハウダニットを得意としたロードの特徴がよく表れてはいるが、単なるエスピオナージュものにならないよう、殺人の謎を中途半端にくっつけた感があるのがプロットの弱さか。
 なお、バーザンとテイラーは、A Catalogue of Crime の本書の評で、ある科学知識の誤りを指摘して厳しめの評価を下しているが、それ自体はプロットの根幹に関わるというほどの瑕疵でもなく、無視してもほぼ差し支えなさそうな問題点と言えそうだ。
 戦時中の設定を用いた作品の中では一番出来がよさそうな作品ではあるが、ロードの作品としては、可もなく不可もなしの凡作といったところか。

ジョン・ロード『デイヴィッドスン事件』が刊行予定

 ジョン・ロードの『デイヴィッドスン事件』(英題:The Davidson Case、米題:Murder at Bratton Grange:1929)が論創社の論創海外ミステリから刊行される予定です。ランスロット・プリーストリー博士の登場する長篇です。

 化学装置の設計・製造を行う〈デイヴィッドスン社〉の社長、ヘクター・デイヴィッドスン卿が謎の死を遂げる。ヘクター卿は、業務用のケースを携えて列車に乗り、駅からトラックの荷台に乗せてもらって自分の屋敷に向かうが、トラックが屋敷に着いた時、卿は荷台の中で死んでいた。社の事務所では、特許申請予定だった新発明の装置の図面や模型が行方不明となっていて、ヘクター卿が携えていたケースの中にあったと思われたが、卿の死体が発見された時、そのケースは消えていた・・・。

 レギュラー・メンバーとして、秘書のハロルド・メリフィールド、ハンスリット警部のほか、『クラヴァートンの謎』に登場するアラード・ファヴァーシャム卿も登場しています。のちにレギュラー・メンバーとなるオールドランド医師やジミー・ワグホーン警部はまだ登場しておらず、中期以降の作品で頻繁に催される土曜の例会も本作にはありません。
 初期作品らしく、プリーストリー博士は、犯行現場へみずから調査に赴き、人々に直接聞き取り調査を行うなど、活動的な面を見せています。また、事件を取り巻く登場人物たちが血の通った個性的な存在として描かれているのも本作の読みどころの一つです。
 『デイヴィッドスン事件』は、ローズマリー・ハーバート編The Oxford Companion to Crime & Mystery Writing(1999)でジョン・ロードの項目を執筆しているティモシー・ジョン・ビニョン(Murder Will Out: The Detective in Fiction〔1989〕の著者)が、『クラヴァートンの謎』、『ハーレー街の死』とともにロードのベストに挙げている作品です。
 また、マーティン・エドワーズは、『探偵小説の黄金時代』(2015。邦訳は国書刊行会刊)で本作に言及し、「興味深いアイデア」と述べ、カーティス・エヴァンズはMasters of the “Humdrum” Mystery(2012)で、本書をロードの「一九二〇年代の謎解きのベスト」と呼んでいます。ロードの代表作の一つと言っていいでしょう。
 多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。

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        デイヴィッドスン事件

ジョン・ロード “Vegetable Duck”

 Vegetable Duck(1944:米題 Too Many Suspects)は、ランスロット・プリーストリー博士の登場する長篇。

 バタシーのマンデズリー・マンションの7G号室に住むチャールズ・フランシャムは、妻のレティシアと二人暮らしだった。8月末の晩、チャールズがマンションに戻ってくると、一階下の部屋に住むナニー氏と鉢合わせした。チャールズは、銀行が閉まる前にお金をおろすのを忘れたため少し借りたいというナニー氏とともに部屋に戻ると、レティシアが食堂の床に倒れていた。
 呼び出されたかかりつけ医のケタリング医師は、レティシアの死亡を確認するが、死体に外傷はなく、死後一時間ほどだと判断した。しばらくしてジミー・ワグホーン警部も現場にやってくるが、チャールズは妻の死をよく認識しないまま酒に酔って眠り込んでいた。医師の話では、夫人はもともと健康体であり、死因は植物性アルカロイドによるものだろうという。
 ジミーが食堂を調べると、テーブルには夫人が食べた夕食が残っていて、主菜はカボチャに挽肉やハーブなどを詰めた〈ベジタブル・ダック〉だった。チャールズの分もあったが、手を付けないまま残っていた。女中はその日不在らしく、夕食は夫人が調理したものらしかった。
 チャールズは、しばらく前から脅迫状を受け取っていて、マッシンガムという探偵に調査を依頼していたが、妻の死亡時に出かけていたのは、マッシンガムの部下でコーパスティと名乗る男から電話がかかってきて、〈セプター〉というパブに呼び出されたためだという。だが、パブにはそれらしき男は現れなかったため、マンションに戻ったという。ジミーはマッシンガムのところに行って確認するが、コーパスティという名の男は知らないし、チャールズを呼び出させた覚えもないという。
 ジミーは、引退してハムステッドで悠々自適の生活を送るハンスリット元警視を訪ねた。フランシャム夫妻のことは過去に起きた事件の関係でハンスリットからよく聞いていたからだ。それは十年ほど前にサセックス州のベアエイカー農場で起きた事件だった。農場の持ち主はハリー・ベクルズという男で、レティシアは彼の妹だった。
 フランシャム夫妻がハリーの農場に滞在していたある日の午後、ハリーとチャールズは狩猟に出かけたが、ハリーは森の中の小川にかかる橋のそばで頭を撃たれた死体となって発見された。チャールズの説明では、ハリーは金網フェンスを越えて用水路を渡ろうとした時に誤って銃で頭を撃ってしまったのではないかという。事件は事故として処理されたが、警察は当初、チャールズが殺したのではないかと疑っていた。
 ベクルズ一家はもともとお互いに不仲だったらしく、父親のピーターには、ハリー、レティシア、エマという三人の子がいた。ハリーは独身で、エマはジョン・ディムズデイルという男と結婚し、リチャードという息子がいるという。ハリーは粗暴な男だったため、レティシアは兄を嫌い、父親が死ぬと、すぐ家を出てロンドンで働き始めたという。
 ピーターは莫大な財産を遺したが、遺言で遺産を信託財産とし、そこから生じる収入は、ハリーが受け取るようにしていた。ハリーが死んだ場合はその子どもが受け取り、子どもがいない場合は、レティシアとその子ども、レティシアが子どものないまま死んだ場合は、エマとその子どもが受け取ることとされていた。
 このため、チャールズにはハリーを殺す動機はあったが、妻のレティシアが死んでも、収入の受取人は最終的にリチャードに移るだけであり、妻を殺害する動機はないように思われた。ところが、レティシアはみずから蓄財に励んでいて、彼女自身が莫大な財産を形成していて、死の直前に二人の男友だちに遺産を遺す遺言書を作成しようとしていたことが判明する・・・。

 英題が示唆するように、夕食の食材のカボチャに、硬い皮から種に至るまでジギタリスが満遍なく浸み込んでいたことから、どうやって毒を仕込んだのかという謎が当初クローズアップされるが、その謎はプリーストリー博士によって早い段階であっさり解明されてしまい、毒殺のトリック自体も特に目覚ましいものではない(これを特筆するリファレンス・ブックなどもあるのだが)。
 チャールズには、前妻との間にポールという息子がいて、ジギタリスが仕込まれたカボチャはポールの住む土地の住人が栽培していたこと、事件当時のポールのアリバイが怪しいことなどが次第に明らかになる。さらに、レティシア夫人が自分の財産をガンソープとヒンドルフォードという男友だちに遺す遺言書を作成する相談を弁護士にしていたことも明らかになり、チャールズ、ポール、リチャードだけでなく、レティシア殺害の動機を持ちそうな人々が次々と浮上してくる。米題はこうした展開を踏まえたものだ。
 中期の作品らしく、ハンスリットとオールドランド医師を交えたウェストボーン・テラスでの土曜の例会の議論が中間部をある程度占めるが、ジミーがチャールズとポールに目星をつけて捜査を進めるうちに第二の事件が発生し、あまり中だるみを感じさせない展開の上手さがある。ただ、プリーストリー博士は、毒殺方法を解明するものの、あとは例会でジミーにいろいろ示唆を与えるだけで、最終的に謎解きをし、事件を解決するのはジミー・ワグホーン警部だ。既にこの頃、作者は次第に主役をワグホーン警部にシフトしつつあったことが窺える。
 なお、作中にジュリア・ウォーレス殺害事件への言及が何度も出てきて、事件の設定自体がその犯罪実話をベースにしたことが窺える。ロードはのちに、邦訳のある『電話の声』でも、未解決に終わったウォーレス事件の解明に挑んでいる。
 容疑者の多いフーダニットを主眼にした作品といえるが、手がかりがあからさますぎて、よほど鈍感な読者でない限り、誰が犯人かは早い段階で気づいてしまうだろう。二転三転する展開の面白さはそれなりにあるが、プリーストリー博士にさほどの見せ場もなく、ロードの作品としては可もなく不可もなしの凡作といったところか。

マイルズ・バートン “Death Takes a Flat”

 Death Takes a Flat(1940:米題 Vacancy with Corpse)は、デズモンド・メリオンとアーノルド警部が登場する長篇。

 退役してインドから英国に帰ってきたばかりのポンテフラクト少佐と妻のメアリは、ロンドンでフラットを借りて住むことに決め、1月の月曜の朝、新聞広告を目にした、賃料も手頃で快適そうな〈マーシー荘〉を見学に訪れる。
 フレインという賃貸担当者が夫妻に対応し、空室の中で彼らの希望に見合いそうなフラットとして5階の87号室に夫妻を案内する。フレインがドアの鍵を開け、玄関に入って電灯を点けると、背中に短剣を突き立てられた男がうつ伏せに倒れていた。
 捜査に当たったアーノルド警部は、フレインから、死者が建物の所有者である〈住宅開発社〉の社長、エドガー・ステイプルハースト氏に間違いないという証言を得る。事務室のフックには各部屋の鍵が掛けてあり、空室の場合はキーホルダーに鍵が三つ付いているはずだったが、87号室の鍵は二つしか付いていないとフレインは証言する。彼が先週、別の見学者を87号室に案内した時には、確かに三つ付いていたという。
 フレインがポンテフラクト夫妻を案内する前に最後にその部屋に入ったのは先週の金曜の朝だったが、無論その時、室内に死体はなかった。生きているステイプル氏の姿の目撃証言や医師による死亡推定日時から、氏は金曜の午後に殺されたと考えられた。
 アーノルド警部は、ステイプルハースト氏の所持品の中に〈ミリー〉という女性の署名のあるタイプ打ちした手紙を見つけるが、その手紙には5時半に会いたいと記してあった。
 死体が見つかった部屋の近くの86号室には、クランブルック夫妻が住んでいたが、ミリセント・クランブルック夫人はノーマ・エイヴリングというペンネームでロマンス小説を書く作家だった。ステイプルハースト氏の義兄で、出版社を営むバウマン氏の口利きもあり、クランブルック夫妻は格安の賃料で86号室を借りているという。
 夫妻は金曜の午後6時半の列車でボーンマスに向けて旅立っていて不在だったが、夫妻の86号室からは、ステイプルハースト氏の所持品と思しき手袋、帽子、傘が見つかり、テーブルには三人分のティーカップがあった。そして、凶器の短剣は、夫妻の部屋の壁に掛けてあったものだった・・・。

 冒頭の死体発見から凶器の特定まではごく単純な事件のように見えるが、ステイプルハースト氏の息子レナードが〈マーシー荘〉の事務員のミス・ダーズリーと結婚を考えていたこと、ステイプルハースト氏がこれに猛反対して、レナードが父親の了解なしに結婚した場合には遺産相続から外すと宣告されていたこと、事件以降、レナードが行方不明になっていることが明らかになり、事件は俄然複雑な様相を呈し始める。
 A Catalogue of Crime のバーザンとテイラーが「優れたプロット」と評価しているように、全体のプロットはよく考え抜かれていて、手がかりのちりばめ方もなかなか巧みで、意外性には乏しいが、うまくまとまっている。想像力を駆使して仮説を展開するメリオンと状況証拠から容疑者を絞り込むアーノルド警部との激論も、二転三転して決して退屈さを感じさせないし、マイルズ・バートンの作品の中ではかなり上位に来る佳作と思われる。

マイルズ・バートン “The Platinum Cat”

 The Platinum Cat(1938)は、デズモンド・メリオンとアーノルド警部が登場する長篇。

 パスコームの教区牧師、ピーター・ボーデズリーは、不眠症の慰めも兼ねて天体観測を趣味にしていた。11月のある夜、2時25分頃に目覚めた牧師は、ベッドを出て双眼鏡を手にしたが、3マイルほど離れたところにあるラグホース・ハウスという農場のほうから火の手が上がっていることに気づく。すぐさま消防署に電話をし、牧師自身もデントンという警察官とともに現場に駆けつけたが、燃えていたのは農場の小屋だった。消防車もすぐに駆けつけたが、近くに給水できる場所がなく、小屋は骨格を残して午前5時頃にほぼ全焼した。
 小屋の持ち主はスウィンドン氏だったが今は住んでおらず、小屋は自治体から居住不適格の宣告を受けていたため、二か月ほど無人のままだった。夜が明けてから焼け落ちたあとの残骸を調べはじめたデントンは、その中から焼けただれた肉の付着した人骨を発見する。
 その後の調査で、死体は損傷が激しく身元確認が困難だったが、〈J・H・F〉と読めるイニシャル入りの金のカフスボタン、鍵束の付いたキーホルダー、小銭、腕時計、懐中電灯などの焼け残った遺留品が見つかった。その中に、長さ4分の3インチほどの猫の姿を象ったプラチナ製の装飾品らしき物があった・・・。

 同作は、1001 Midnights(1986)で、ビル・プロンジーニとニューエル・ダンラップがマイルズ・バートンの代表作の一つに挙げ、The Encyclopedia of Murder and Mystery(1999)の編者ブルース・F・マーフィーがThe Secret of High Eldershamと並んでバートンの代表作に挙げている作品。
 死体は、遺留品などから、国防省の職員、ジェイムズ・ヘンリー・フェンチャーチと判明し、彼が重要な機密事項を握っていたことが分かり、ストーリーは、国防省の幹部なども絡んで、フェンチャーチとある人妻との不倫、その女性とソ連のスパイとの関係などがあぶり出されていき、エスピオナージュ的性格が強くなっていく。
 フェンチャーチを小屋に誘い出して機密情報を奪ったらしきソ連のスパイを追跡する方向へとストーリーは流れていくため、バートンの他の初期作品と同様、これもスリラー的性格の強い作品かと思わせるが、ちょっとしたどんでん返しが待ち受けていて、実は本格要素の濃厚な作品だったことが明らかになる(もっとも、手がかりがあからさますぎて、年季の入った探偵小説ファンには早い段階で犯人も動機も見抜けてしまいそうな弱さはあるが)。
 プロット自体はよく考え抜かれていることが窺え、メリオンもいつものように得意の想像力を働かせて仮説を展開するし、脂の乗った時期の作品らしい水準の高さを保っている。だが、タイトルの〈プラチナの猫〉は特別意味深長な手がかりというわけでもなく、本格推理小説のお約束とも言うべき、メリオンによる鮮やかな謎解きの場面もない上に、エスピオナージュらしいけりの付け方をされてしまうため、消化不良感がどうしても残ってしまう。もう少し本格仕立てにしていれば、と思えてならないのだが、それでも、推す評者がいるように、バートンの作品としては比較的水準の高いほうの作品ではないかと思う。

ギャヴィン・スティーヴンズの事件簿

 ウィリアム・フォークナーと言えば、ノーベル文学賞の受賞者であり、『響きと怒り』、『アブサロム、アブサロム!』などは、20世紀のアメリカ文学を代表する傑作として知られている。ミステリやSFなどの娯楽系の小説を主に楽しんできた読者にすれば、そう聞いただけで敷居の高い作家と思えるかもしれない。実際、フォークナーの作品は〈意識の流れ〉を用いた手法や複数の語り手による重層的な叙述など、難解な面もあるし、あからさまに言えば、いくら「クイーンの定員」に選ばれたとか、ミステリのアンソロジーにも採録されていると言っても、とっつきにくい作家として敬遠されることも多いのではないかと思う。
 だが、フォークナーは名が売れる前にハリウッドで脚本家として仕事をしていた時代もあり、手がけた脚本の中には、ハワード・ホークス監督の「三つ数えろ(The Big Sleep)」もある。ご存じ、レイモンド・チャンドラー原作の『大いなる眠り』だ。『サンクチュアリ』や『八月の光』では、殺人が起きるだけでなく、かなりどぎつい陰惨なシーンも出てきて、フォークナーの作品には、ハードボイルド的な要素も少なくない。もともとミステリとの親和性が強い作風だったのだ。
 エラリー・クイーン(フレデリック・ダネイ)は、「クイーンの定員」にフォークナーの短篇集『駒さばき』(1949)を選んでいる。この短篇集の主人公が、ヨクナパトーファ郡ジェファソンの郡検事、ギャヴィン・スティーヴンズだ。
 彼が登場するのは『駒さばき』だけではない。むしろ、フォークナーの登場人物の中でもほぼ最多と言えるほど登場作が多い。以下、その登場作を発表順に列記しよう。

「紫煙」(短篇)      1932年4月(『駒さばき』収録)
『八月の光』(長篇)    1932年10月
「マンク」(短篇)     1937年5月(『駒さばき』収録)
「水をつかむ手」(短篇)  1939年11月(『駒さばき』収録)
「明くる日も」(短篇)   1940年11月(『駒さばき』収録)
「行け、モーセ」(短篇)  1941年1月(『行け、モーセ』収録)
「調合の誤り」(短篇)   1946年6月(『駒さばき』収録)
『墓地への侵入者』(長篇) 1948年9月
「駒さばき」(中篇)    1949年(『駒さばき』収録)
『尼僧への鎮魂歌』(長篇) 1951年9月
『町』(長篇)       1957年5月
『館』(長篇)       1959年11月

 短篇集『駒さばき』の刊行が1949年であるため、ギャヴィンの初登場を『八月の光』としているソースもあるが、実際は『ハーパーズ・マガジン』に掲載された短篇「紫煙」が初登場作だ。
 文学としての視点からこれらの作品を考察した議論は、ノーベル文学賞作家として当然のことながら、数多あるわけだが、ここではあくまで探偵小説の歴史の中でギャヴィンの登場作を捉え、主にその視点からシリーズの特徴を拾い上げて平たい紹介を試みたいと思う。文学としての深みをさらに探究したいと思われる向きは、それぞれの邦訳の解説や月報などを参照していただければ幸いである。
 ギャヴィン・スティーヴンズは、『駒さばき』や『尼僧への鎮魂歌』などではおよそ50歳。ハーヴァード大学卒で、ハイデルベルク大学で博士号を取得し、懐中時計の鎖にハーヴァード大学で貰ったファイ・ベータ・カッパ(成績優秀で卒業した大学生の友愛会)のメダルを付けている。趣味として、旧約聖書を古典ギリシア語に逆翻訳することに長年うちこんできた。『八月の光』では、「背の高い、しなやかな身体の男で、コーンパイプを片時も離さず、鉄灰色の髪はくしゃくしゃで、いつもだぶだぶのプレスしない濃い灰色のスーツを着ている」(黒原敏行訳)とされ、『尼僧への鎮魂歌』では、弁護士というより詩人に近い風貌とされている。
 『駒さばき』の幾つかの短篇で語り手を務め、『墓地への侵入者』で活躍するチャールズ(チック)・マリソンはギャヴィンの甥であり、彼の母親マーガレットとギャヴィンは双子のきょうだいだ。ギャヴィンはマリソン一家と同居している。『町』によると、『サンクチュアリ』の登場人物の一人、ガワン・スティーヴンズも大学に入るまで同じ家に同居していた(ガワンの父親は国務省の職員で、海外駐在になったため、帰国するまでの間、息子をマリソン夫妻に預けたという。『町』では、ガワンは13歳という設定であり、ギャヴィンとマーガレットの父親、レミュアル・スティーヴンズ判事もまだ存命で同じ家に同居していた)。
 「真実というよりは正義、もしくは彼が正義だと思いこんでいるものの擁護者たらんとして、故郷に帰ってきたのであるが、しばしば一文にもならないのに、白人、黒人の区別なく郷土の人たちの平等や情熱や犯罪の事件にもたえず巻きこまれ」(阪田勝三訳)と『尼僧への鎮魂歌』でも描写されているように、ギャヴィンは、事件の謎を解決するただの探偵役ではなく、南部特有の社会構造の中で人種や不平等の問題とも格闘しながら正義を追求する審判者としての性格を色濃く有している。
 フォークナーがEQMMのコンテストに応募したり、『駒さばき』が「クイーンの定員」に選ばれたこともあって、ミステリの批評家などの中には、ギャヴィンの登場作を謎解きの視点から、フェアプレーと言えるか、トリックとして面白いか、という物差しで論評する議論もしばしば目にするが、これは少々的外れというものだろう。彼の登場作は、他の作品と同じく、「ヨクナパトーファ・サーガ」に属する作品群の一部であり、そこには同時代のアメリカ南部の社会になおも根付く因襲や不平等の問題、人種間の相克や偏見などが潜んでいて、ギャヴィンは事件と関わることを通じてそれらの問題と格闘するのである。その基本的性格は、『駒さばき』の収録作も同じと言えるだろう。
 初登場作「紫煙」は、亡妻の所有物だった農場を一人占めした農夫が不審な死を遂げ、その遺言執行者だった判事が殺されるという事件を扱った作品で、双子の二人の息子が疑われるが、ギャヴィンは法廷で真犯人にある計略を仕掛ける。シンプルな構成のストーリーで、ギャヴィンの個性はまだ十分開花していない。のちに短篇集『駒さばき』に収録されるが、それ以前に短篇集『医師マーティーノ、他』(1934)に単独で収録されており、当初はギャヴィンをシリーズ・キャラクターにするつもりはなかったのかもしれない。
 続く長篇『八月の光』は、『響きと怒り』、『アブサロム、アブサロム!』と並ぶフォークナーの代表作で、妊娠を知って逃げた相手の男を探してアラバマからジェファソンまで旅をしてきた身重の娘リーナと、孤児院で育ったあと養父を殴り倒して家出し、ジェファソンの製板工場で働くようになったジョー・クリスマスのエピソードが絡み合うストーリーだ。スティーヴンズは第19章にわずかに登場するだけだが、ジョー・クリスマスとその祖父母との関係を解き明かす重要な役割を演じている。この頃から、ギャヴィンは彼らしい個性を備え始めたと見ていいだろう。
 「マンク」では、〈マンク(猿)〉という綽名の知的障碍者の囚人が、慕っていたはずの刑務所長を殺してしまったのはなぜかという謎をスティーヴンズが追究する。農耕の経験もない〈マンク〉が絞首刑の際に「外の自由な世界に出て、畑を耕す生活をしたい」(山本晶訳)という謎の言葉を残したことが手がかりとなる。聖書になじみが薄い日本人には分かりにくいが、含蓄のあるプロットが印象的で、エラリー・クイーンがアンソロジー『犯罪文学傑作選』にこの作品を選んだのも肯ける。なお、同アンソロジーの邦訳では題名を「修道士」と訳しているが、Monkは「猿」の意で、その囚人の様子や振る舞いから付いた綽名だ。
 「水をつかむ手」は、川のほとりに住むロニー・グリナップという男が、自分が川に仕掛けたはえなわにみずからかかって溺死するという事件を扱っている。聾啞者の青年が重要な役割を演じているが、『響きと怒り』をはじめ、フォークナーの作品ではストーリーの鍵となる障碍者が登場することが少なくない。
 「明くる日も」では、バック・ソープというならず者が、駆け落ちしようとしていた娘の父親に射殺される事件が起きる。その父親は裁判にかけられるが、陪審員の多くは情状を酌量して父親の釈放を認めようとするのに、一人だけ頑として受け入れない陪審員がいて、その背景が次第に明らかになる。
 『行け、モーセ』(1942)は長篇か短篇集か議論のある作品だが、ギャヴィンは最後の「行け、モーセ」にしか登場しないし、これはもともと単独で『コリアーズ・マガジン』に発表された短篇でもあるため、ここでは便宜上短篇ということにしておく。同書の掉尾を飾る短篇で、シカゴで警察官を殺害し、死刑を明日に控えた黒人の青年の祖母がギャヴィンの事務所を訪れ、孫を探したいと告げる。特に事件が起こるわけでも謎があるわけでもなく、「おらのベニヤミンを売っ払っちまっただ、エジプトで売っ払っちまっただ」(大橋健三郎訳)と繰り返す老婆とのやりとりを浮き彫りにするエピソードだ。これも聖書になじみがないと分かりにくい作品かもしれない。
 「調合の誤り」は、もともとフォークナーが『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の短篇コンテストに応募した作品であり、同誌が初出というユニークな短篇。T・S・ストリブリング「ジャラッキ伯爵、釣りに行く」、ヘレン・マクロイ「東洋趣味(シノワズリ)」などと並んで第二席に選ばれた(第一席は、マンリイ・ウェイド・ウェルマン「戦士の星」〔エラリー・クイーン編『黄金の十三/現代編』収録〕)。同誌の編集者前書きでは、ギャヴィンとポーストのアンクル・アブナーとの類似性が示唆されているが、時代背景も異なるし、そこでも述べられているように、それは表面的な類似性であって、直接の影響があったとは考えにくい。
 ジョーエル・フリントというよそ者が、農夫の売れ残りの娘と結婚するが、その娘を射殺したと自首してくる。だが、フリントは留置所を抜け出して姿を消し、残された農夫は自分の地所を売り払って出ていこうとするが・・・という話。謎解きの手がかりもユニークなら、プロットもまずまず秀逸で、いかにも探偵小説であることを意識したらしい作品だ。
 長篇『墓地への侵入者』は、おそらくフォークナーの作品の中でも、最も探偵小説らしい性格を持った作品と言えるだろう。ドストエフスキー『罪と罰』、ディケンズ『荒涼館』と並んで、ミステリのベスト表にもよく登場する文学作品であり、「ヘイクラフト=クイーンの里程標」に挙げられたほか、ケイト・スタイン編“The Armchair Detective: Book of List”(改訂第二版:1995)では、マイケル・マローンがベスト10の一つに選んでいる。
 プロットの骨格だけを取り出すと、いかにも探偵小説らしく聞こえるはずだ。ヴィンソン・ガウリーという白人が射殺される事件。銃声を聞きつけて人々が現場に集まってくると、ルーカス・ビーチャムという黒人がヴィンソンの死体のそばに立っている。ルーカスのポケットからは撃ったばかりのピストルが出てきたため、犯人として逮捕される。ルーカスはギャヴィンに弁護を依頼するが、彼の甥のチャールズに、ヴィンソンの死体を掘り起こして死体を調べれば、自分のピストルで撃たれたのではないことが分かると言い、掘り起こしをひそかに頼む。チャールズはアレック・サンダーという黒人少年とユーニス・ハバーシャムという黒人のオールドミスとともに深夜に墓を掘り起こしに行くが、墓から出てきたのはヴィンソンの死体ではなく、ジェイク・モンゴメリーというまったく別の男の死体だった。チャールズたちは墓を埋め戻してギャヴィンたちに事態を知らせる。翌日、彼らは再び墓を掘り返すが、死体は消えていた・・・。
 と、実に謎めいた事件の設定で、これだけ説明すれば、謎解きファンならワクワクしそうなところだろう。実際、犯人が仕掛ける計略もよく考え抜かれていて面白い。だが、フォークナーの関心は謎解きにはなく、事件をめぐる人種間の相克や正義の問題を浮き彫りにすることにあり、探偵小説の見せ場ともいうべき鮮やかな謎解きや犯人との対決の場面はなく、ギャヴィンもどちらかといえば脇役に甘んじ、16歳の甥、チャールズの活躍のほうが目立つ。だが、ラストのギャヴィンとルーカスのやりとりには、「人間の生命というのは、どんな膚の色だろうと肺はふくらみ、鼻は空気を呼吸して、息吹きつづける権利があるんだからという、それだけで貴重なものであるということを他の何人かが信ずること、どんな代償を払ってもその権利を守ろうとする人間が何人かいることが前提なんだ」(鈴木建三訳)というセリフに示されるように、事件に対するギャヴィンの見方と彼の信念が強く打ち出されている。
 「駒さばき」は、同題の短編集が初出の書下ろし中篇で、同短篇集のほぼ半分の分量を持つ。青年とその妹が、ガルドレス大尉というアルゼンチンの将校が自分の家に滞在しているが、財産目当てに自分たちの母親と結婚しようとしているので、町から追い出してくれとギャヴィンのところに頼みに来るという発端。事件とその解決より、ギャヴィンが、若い頃に婚約しながら、ほかの男と結婚したメリサンダー・ハリスにあらためて求婚し、めでたく結ばれるという大団円を描きたかったのかもしれない。
 長篇『尼僧への鎮魂歌』は、『サンクチュアリ』の後日譚と言うべき長篇。『サンクチュアリ』に登場したテンプル・ドレイクとガワン・スティーヴンズが再び登場し、ギャヴィンの父親とガワンの祖父が兄弟だったことが同作で初めて明らかになる(『町』で触れられているように、チャールズとガワンはまたいとこになる)。『サンクチュアリ』においてテンプルを密造酒業者の隠れ家に置き去りにし、彼女が悲惨な事件に巻き込まれる原因を作ったガワンは、その償いとしてのちにテンプルと結婚したが、ナンシー・マニゴーという黒人女中が二人の間に生まれた女の赤ん坊を殺害してしまう。ギャヴィンは被告弁護士として事件と関わり、テンプルやガワンとの対話の中から事件の背景が浮き彫りになっていく。彼らの葛藤を戯曲形式で描きつつ、ジェファソンの町ができあがるまでの歴史的描写が交錯する作品である。ギャヴィンやガワンの属するスティーヴンズ家は、『響きと怒り』のコンプソン家、『アブサロム、アブサロム!』のサトペン家などとともに、初期開拓期以来のヨクナパトーファ郡の名門だ。
 『町』と『館』は、『村』とともに、スノープス三部作と呼ばれる作品であり、『村』では、フレンチマンズ・ベントという村に住み着いたスノープス一族のフレムが、あくどい狡猾な手段で、よろず屋の店員からレストランの持ち主へとのし上がる過程、『町』ではジェファソンに進出したフレムが発電所の監督から銀行の頭取へとのし上がり、大邸宅も手に入れる過程が描かれるが、『館』では、フレムが恨みを買っていたいとこに射殺されるまでの過程が描かれる。
 ギャヴィンは、『町』では幾つかの章の語り手を務め、『館』でも第二部「リンダ」の一部で語り手を務めている。彼は地方検事として町をスノープス一族から守るために戦おうとするが、若い頃、フレムの妻ユーラに恋心を寄せ、ユーラの自殺後は、その娘リンダに情熱を傾け、彼女をスノープス一族の家風から救い出そうと試みる。『館』第11章では、語り手のチャールズ・マリソンが「駒さばき」で描かれたギャヴィンとメリサンダー・ハリスとの結婚について言及し、ギャヴィンとリンダが結局結ばれなかったことが触れられている。
 このように、ギャヴィン・スティーヴンズは、事件を解明する探偵の枠には収まり切らず、内容豊かな個人史と彼を取り巻く人間関係を有し、「ヨクナパトーファ・サーガ」で重要な役割を幾度も演じる人物だが、時には探偵らしい謎解きもし、正義の追求を使命と考える検事という、他の探偵小説の主人公とも相通ずる個性をも兼ね備えている。
 著名作家の中には、『チップス先生、さようなら』の作者ジェイムズ・ヒルトンのように、売れるようになる前に探偵小説を書いたことを恥じる人もいるが、フォークナーにはそんなところはなく、『ポータブル・フォークナー』(1946)刊行をきっかけに売れる作家になってからも、ノーベル文学賞を受賞(1949)して以降も、ギャヴィン・スティーヴンズを重要なキャラクターとして作品に登場させ続け、彼の個性をますます広がり豊かなものへと発展させていった。
 我が国における探偵小説の批評では、「クイーンの定員」に選ばれたという理由で、『駒さばき』ばかりが取り上げられる傾向があり、入手困難な『墓地への侵入者』も無視されがちだが、多様性のある息の長いシリーズのキャラクターとして、ギャヴィン・スティーヴンズという人物にもっと注目してほしいところだ。


     EQMM
    『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』1946年6月号(「調合の誤り」初出誌)

ジョルジュ・シムノン『13の秘密』

 ジョルジュ・シムノンの『13の秘密』(邦訳は創元推理文庫)は、ジョゼフ・ルボルニュを主人公とする短篇集で、『十三の謎と十三の被告』(邦訳は論創社)とともに13シリーズの三部作をなす。
 『十三の謎と十三の被告』には写真や図面などが豊富に収録されているが、同書解説でも触れられているように、『13の秘密』もファイヤール社初版には同様の写真や図面などが多数収録されていた。
 ここでは「ルフランソワ事件」の図面と「クロワ=ルウスの一軒家」の写真を掲載しておく。「ルフランソワ事件」では作中でルボルニュが図面の存在に言及するが、邦訳では省かれているため詳細が分からなくなっている。



       13の秘密1
                 「ルフランソワ事件」


       13の秘密2
                 「クロワ=ルウスの一軒家」
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S・フチガミ

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