『オシリスの眼』が「2017文庫翻訳ミステリー・ベスト10」の第9位に

 講談社「IN★POCKET」の「2017文庫翻訳ミステリー・ベスト10」において、R・オースティン・フリーマン『オシリスの眼』(ちくま文庫)が第9位にランクインしました。
 評価していただいた皆様と読んでいただいた読者の方々にあらためて感謝申し上げたいと思います。日下三蔵氏には、「クオリティの高い翻訳」にも言及していただき、光栄の至りと存じます。
 昨年も『二人のウィリング』を選んでいただきましたが、実を言えば、今年の結果には特別な驚きと感慨を抱かずにはいられません。というのも、他のベスト10ランクイン作品はすべて、2008年から2017年までに刊行された21世紀の作品だからです。しかも、純粋な意味での本格謎解き推理小説は『オシリスの眼』だけと言っていいでしょう。
 ここ10年のうちに刊行された現代の作品とともに、百年以上前の1911年に刊行された『オシリスの眼』が高い評価をいただいたことは、真に優れたクラシック・ミステリは時の試練に耐えて読者の心をとらえる力を持つことを証明するものではないかと思っています。たとえ時のベストセラーとなろうと、50年後には忘れ去られている作品もあまたあることを思えば、こうした永続的価値を持つ作品を多くの方々に身近なものとしてご提供できたことは、私にとっても大変嬉しいことです。
 今後もこれを励みとし、多くの読者の皆様に優れた作品を提供していけるよう、ますます精進してまいりたいと考えております。引き続き、皆様のご支援、ご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
 また、この場を借りて、編集者の藤原氏、磯部氏にあらためて感謝申し上げます。


               The Eye of Osiris

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ピーター・ウィムジイ卿生誕100年記念誌

 今年はドロシー・L・セイヤーズの没後60年に当たるが、この機会に、英国のドロシー・L・セイヤーズ協会が発行している刊行物についてご紹介しよう。
 以前の記事で、“Les Origines du Roman Policier”(1940)をご紹介したが、今回ご紹介するのは、1991年に刊行されたウィムジイ卿生誕100年記念誌“Encounters with Lord Peter”。
 ピーター・デス・ブレドン・ウィムジイ卿は、1890年生まれ。同冊子には、1990年11月24日にピカデリーのパーク・レーン・ホテルで行われた100年記念昼食会でのP・D・ジェイムズ、エドワード・ペザーブリッジ(BBCのテレビ・シリーズでピーター卿を演じた俳優)による演説も含まれている。
 収録エッセイは以下のとおり。

序文 キャサリン・エアード(当時のCWA会長)
The Address given at the Centenary Luncheon P・D・ジェイムズ
Lord Peter Wimsey ジェシカ・マン
Lord Peter Wimsey, born in 1890 エルンスト・ライズィ
The Paradox of Lord Peter Wimsey ジューン・トムスン
Lord Peter’s Touch キャサリン・エアード
A Little Than-You サイモン・ブレット
“Now, wha this tale o’ truth shall read” ロッド・マンロー
Wimsey and Strong Drink T・J・ビニョン
A Life-long Affair, But… H・R・F・キーティング
Lord Peter and the Butterboy マイク・リプリー
The Toast at the Centenary Luncheon エドワード・ペザーブリッジ

 各筆者が様々な角度からピーター卿の魅力を論じている。スイスの英語学の研究者ライズィがセイヤーズの愛読者というのも興味深い。


               Encounters with Lord Peter

アントニー・ギルバートの短編集“Sequel to Murder”が刊行

 以前、このブログの記事でも紹介した、アーサー・クルックものの全短編を含むアントニー・ギルバートの短編集“Sequel to Murder”がクリッペン&ランドリュ社から刊行されたようだ。編者は、“Detective Fiction: The Collector’s Guide”(1995)の編者の一人でもあるジョン・クーパー。
 詳細は、同社のホームページを参照

ロデリック・アレン復活

 ナイオ・マーシュが第二次大戦中に執筆した未完のアレン警視もの長編“Money in the Morgue”が、ステラ・ダフィによる補筆完成版で来年3月にハーパー・コリンズ社から刊行予定。既にアマゾンでも予約を開始している。
 ダフィはこれまで、『カレンダー・ガール』、『あやつられた魂』など15作の長編と50編以上の短編を公表し、CWAのショートストーリー・ダガー賞を二度受賞。ニュージーランド育ちでロンドン在住の作家であり、ミステリだけでなく、演劇の世界でも業績のあることが、マーシュの未完長編の補筆者としてふさわしいと白羽の矢が立ったようだ。
 これでアレン警視登場のオリジナル長編は33作となる。奇しくもポワロ、ウルフと同じ長編数だ(他人が書き継いだものを別にして)。クイーンも『間違いの悲劇』をカウントしなければ、やはり33。なにやらジンクスめいたものを感じる。

ジョージ・リムネリアス“The Medbury Fort Murder”

 英軍医療部隊のヒュー・プリース少佐は、十五年前、医師の資格を取って軍に入ったばかりの25歳の時、〝ヴァニティ劇場〟のミュージカル・コメディに端役で出ていたプルネラ・レイクという娘と恋に落ちたことがあった。プリースはプルネラに求婚するが、彼女はプリースを愛しつつも、彼の求婚を拒み、トレメイン・ローナンという貴族との結婚を選ぶ。プリース自身も、のちにクレアという女性と結婚する。
 プリースはクレアとの間に二人の娘を儲け、幸せな家庭を築いていた。別離以来十一年後、バースの軍病院に勤務していたプリースにプルネラから手紙が届く。バースに立ち寄るので、会いたいという。二人はスウィンドンというホテルで落ち合う手はずをし、再びかつての愛が蘇った二人は、一夜だけの関係を持ってしまう。その九か月後、それまで子のなかったプルネラは男の子を産み、プリースは彼女から送られてきた子どもの髪の房を受け取る。
 その四年後、テームズ河口にあるメドベリー砦に駐在するプリースのところに、カタルを患うチャールズ・レピアンという連隊の中尉が診察を受けに来るが、プリースは彼に見覚えがあるのに気づく。実はレピアンは、プリースとプルネラが会ったホテルのバーで二人を目撃していたのだった。
 レピアンもそのことに気づき、二人の関係を調べ上げ、プルネラの子がプリースそっくりであることも突き止め、彼女に恐喝の手紙を送る。レピアンはメドベリー砦でプリースにその事実を明かし、彼にも金を要求する。
 プルネラは砦のプリース宛てに手紙を送り、医師の立場を利用してレピアンの口を塞ぐよう、暗に殺害を教唆する。プリースは覚悟を決め、かつて読んだイズレイル・ザングウィルの『ビッグ・ボウの殺人』のプロットを参考に、レピアンの殺害を計画する・・・。

 作者のリムネリアスは、本名をルイス・ジョージ・ロビンスンと言い、推理小説を二作書いたそうだが、知られているのは、ほぼこの“The Medbury Fort Murder”(1929)一作だけ。だが、本作は不可能犯罪ものの名作リストによく出てくる。
 プリースとプルネラのロマンス、二人の関係を知ったクレアの葛藤など、恋愛小説的な人間関係の描写が行き届いていてなかなか読ませる。生真面目なプリース少佐、したたかで大胆なプルネラ、冷酷無情なレピアンなど、個々の人物もまずまずよく描かれている。二人の関係を次第に突き止めていくスコットランド・ヤードのペイトン警部の地道な捜査ぶりも、その追及を必死に逃れようとするプルネラとのコントラストの中でうまく描かれ、飽きさせない。
 ほぼプリースが立てた計画通りに起きたように見えるレピアンの殺害は、プリース以外の容疑者にも事欠かない状況の中で、本当にプリース自身の犯行なのか、それとも別人による偶然の犯行なのか、作者は容易に手の内を明かそうとせず、読者を迷わせる展開もまずまずだ。
 ただ、最終的な不可能犯罪の絵解きとフーダニットの真相は、残念ながらあまりに肩透かしで、いかにも画竜点睛を欠く印象が後に残ってしまう。いくら終盤まで巧みなストーリーテリングと持続するテンションで読者を引っ張っても、肝心かなめの大団円が拍子抜けでは、凡作の評価を下さざるを得ないという典型的な例と言えるかもしれない。

「ミステリマガジン」にジョン・ロード『代診医の死』の書評

 「ミステリマガジン」2017年11月号(早川書房)において、若林踏氏に『代診医の死』(論創社)を書評で取り上げていただきました。
 「丁寧に事実の積み重ねを見せていくところにこの作者らしさが滲み出ているが、実はそんな印象を吹き飛ばすような仕掛けが本書には待っている。とにかく「地味」というイメージで語られることの多いジョン・ロードだが、本書を読めば評価は一変するのではないだろうか」と若林氏は述べておられます。
 ジュリアン・シモンズがロードをはじめとする作家たちに「退屈派」というレッテルを貼ったのは、(“Bloody Murder”をよく読めば分かるのですが)人物造形や雰囲気描写といった小説家としての力量が欠けているという意味なのですが、シモンズはその一方で、彼らが「謎解きを構築する技量」を有することも認めていました。ただ、シモンズのような犯罪小説礼賛者にとっては、そんな技量は(無価値ではないものの)必ずしも高い評価には値しなかったようです。
 ところが、これまで紹介されてきたロードの作品は、残念ながら、(少なくとも私の見るかぎり)謎解きとしても「地味」な作品が多かったように思います。このため、ロードに対する「退屈派」のレッテルも、シモンズが使った本来の意味からずれ、謎解きのプロットそのものまでが「退屈」であるかのような誤解すら生んでいたかもしれません。
 シモンズ流の犯罪小説を求める向きにまでロードの作品を無理にお勧めしようとは思いませんが、謎解きを愛する本格ミステリ・ファンにとって、ロードの作品は決して「退屈」でも「地味」でもないし、若林氏の『代診医の死』評からもそのことが窺えるのではないかと思います。あらためて多くの読者の皆さんに楽しんでいただけることを願っております。

「翻訳ミステリー大賞シンジケート」に『代診医の死』の書評

 「翻訳ミステリー大賞シンジケート」の「クラシック・ミステリ玉手箱」の書評で、ストラングル・成田氏にジョン・ロード『代診医の死』を取り上げていただきました。
 「予想をはるかに上回るホームラン級のできばえ」、「これぞ謎解きのセンスオブワンダー、推理のカリスマ」という賞賛の言葉をいただいたのは訳者としても嬉しい限りで、ロード再評価に向けての大きな手応えを感じました。
 「事件の謎についての徹底したディスカッション」に一定の評価をいただいた点も、ロードの作品の特徴を読者の方に理解していただく上で重要なポイントと感じました。
 改めて多くの読者の方に楽しんでいただけることを願っております。

「ROM」が復活

 2015年に最終号が出た同人誌「ROM」が復活した。亡くなられる少し前に、既に病床にあった加瀬さんご本人から、その144号をもって最終号としたい旨とともに、「この号だけはロード特集にするつもりです。40年近く前、ROMを最初に始めたのがロードでした。」との連絡をメールでいただいていた。
 ちょうどROM叢書から『代診医の死』を刊行する段取りを進めていたところだったこともあり、丁重にお断りし続けていた「ROM」への寄稿についても、ロードについて寄稿を、と改めて依頼してこられたのもそのメールだった。ほどなくして、小林晋先生から訃報の連絡をいただき、言葉を失ったのは今も忘れられない。
 加瀬さんの最後のメールを小林先生にお伝えしたことから、御遺志を踏まえて最終号がロード特集となったことは同号を手にされた方であればご存じかと思われる。私自身も、さすがに加瀬さんの最後のご依頼を無碍にすることはならず、ささやかながら最初で最後の寄稿をさせていただいた。
 『代診医の死』は、後を引き継がれた須川毅さんの御尽力により刊行にこぎつけることができたが、加瀬さんの生前に刊行できなかったのは、今も無念でならない。できれば、同書を通じてロードの謎解き作家としての実力を我が国の読者に再認識してもらい、ロードが真の復権を遂げたとの手応えをご本人に実感していただきたかった。
 その『代診医の死』が改めて論創社から刊行されたのとほぼ時期を同じくして、「ROM」が新たな形で復活したことは感無量であり、加瀬さんの遺業がこうした形で受け継がれていくことを心からお祝い申し上げたい。

 なお、「ROM」ご希望の方は、romj2013-editor(アットマーク)yahoo.co.jpにお問い合わせいただければとの由。


               ROM

脱線の余談――主従逆転?

 まるで下剋上みたいなタイトルだが、『代診医の死』に関連して、もう一つ余談を。
 シリーズ・キャラクターの存在は、作家の人気を左右する大きなファクターでもあるが、作者自身が自分の人気シリーズ・キャラクターを嫌いになってしまったり、いつの間にか背景に退かせてしまう例は少なくない。
 そもそも、あのシャーロック・ホームズにしてからが、原作者のドイルはいったん滝壺に落として葬り去ったほどだし、エルキュール・ポワロもクリスティから嫌われ、メグレ警視だって、シムノンはいったんシリーズに終止符を打ったのをファンからの懇望を受けてシリーズ再開した経緯がある。
 そこまで極端ではなくとも、いつの間にか存在感が希薄になって他のキャラクターに主役の座を取って代わられる人も中にはいる。例えば、エミール・ガボリオが創造したタバレは、『ルルージュ事件』の主役で、ルコックは脇役にすぎないが、その後は主従逆転してルコックが主役となり、『ルコック探偵』では、タバレの登場はごくわずかで、タイトルロールのルコックに助言を与える役割にすぎない。
 ジョン・ロードが創造したランスロット・プリーストリー博士も似た例と言えるだろう。初期作品では活発に行動していた博士は、“Hendon’s First Case”(1935)でジェームズ・ワグホーン警部(のち警視)が登場したのに伴い、次第に不活性化し、ウェストボーン・テラスの土曜例会で発言するだけの存在に変わっていくのだが、ちょうどタバレのように、自分は第一線を退き、後進に節目節目で助言を与えて育てる役目になったかのようだ。
 後期の作品になると、自分で大団円の謎解きをすることすらしなくなり、主役は文字どおりワグホーン警視になってしまった感がある。“The Paper Bag”(1948)、『電話の声』(1948)、“Death at the Inn”(1953)、『吸殻とパナマ帽』(1956)、“Robbery with Violence”(1957)、“Twice Dead”(1960)、“The Vanishing Diary”(1961)などは、博士は解決を導く手がかりとなる洞察を助言の中で示しはしても、最後に事件を解決するのは、プリーストリー博士ではなく、ワグホーン警視だ。この頃のプリーストリー博士は、土曜の例会で意見を述べるだけの役割にほぼ限定され、特に晩年の作品になると、時おり自分の老いや衰えに言及し、なにやら「終活」モードに入ってしまった感なきにしもあらずだ。
 とはいえ、ネロ・ウルフとアーチー・グッドウィンみたいに、まるでサイボーグかと思うほど、年代が変わってもまったく歳を取る気配のないシリーズ・キャラクターもいるわけで、活発な行動家から安楽椅子探偵、さらには老いと衰えを口にする後進へのよき助言者という具合に、経年変化が比較的分かりやすい点は、まだ人間味があっていいのかもしれないが。
 おそらく、作者のロードにとって、ストーリー中間のあーでもないこーでもないと延々続く尋問と議論こそは、一番書き甲斐のある情熱を注いだ部分だったのではなかろうか。その部分の中心を担うワグホーン警視は、作者にとって一番愛着を感じる登場人物だったのであり、思い入れも博士から警視のほうに移っていったのかもしれない。そう考えると、やはり退屈の象徴とも思える中間部分は、決して紙数を増やすための埋め草ではなく、ロードが推理小説で本当に書きたかったことだったのかもしれない。ただ、自分の思いと裏腹に、大衆読者層にどこまで受け入れてもらえたかは別問題だったのだろうけれど。
 ところで、以前の記事でも触れたが、邦訳書の冒頭にある登場人物表の大半は、邦訳が慣行としてサービスで加えているものであり、ナイオ・マーシュのような例外はあるが(演劇に情熱を注いだマーシュは自作でも配役表を好んで掲げた)、原書にはないのが普通だ。ちなみに、『オシリスの眼』も『代診医の死』も、原書に登場人物表はなく、いずれも私が作成したものに編集者さんが手を加えられたものだ。
 何が言いたいのかと言うと、邦訳『吸殻とパナマ帽』では、おそらく訳者も編集者も、すっかり存在感が希薄になってしまったプリーストリー博士を脇役以下の存在としか認識せず、冒頭の登場人物表に載せずにすませているのだ。黄金時代の本格推理小説で、メイン・シリーズ・キャラクターの探偵でありながら登場人物表から落とされてしまった人は空前にして絶後か。

脱線の余談――What’s your name?

 『代診医の死』刊行によせて、ちょっとした余談を。
 そのあとがきでも触れたが、ジョン・ロードが創造した数学者、ランスロット・プリーストリー博士の名前は妙に曖昧で、「ランスロット」は、‘Lancelot’なのか‘Launcelot’なのかはっきりしないし、たぶん誤植だろうが「J・P」というイニシャルが出てくる作品もある。出てくる頻度からすると、‘Launcelot’が最有力に思えるが、初登場の“The Paddington Mystery”の記述はそう軽いものではないような気も。オールドランド医師も、「シドニー」なのか「モーティマー」なのか、よく分からない。
 とはいえ、こんな例は珍しいものではない。海外ミステリのシリーズ・キャラクターには、しばしば名前の混乱がある。一番有名なのは、ホームズの親友、ワトスン医師だろう。『緋色の研究』で表記される「ジョン・H・ワトスン」か、「唇のねじれた男」で妻が呼びかける名の「ジェイムズ・ワトスン」かをめぐっていろんな議論があるのだが、名前がこれほど様々に取り沙汰されるキャラクターもほかにはあるまい。
 ワトスン医師はそれだけでなく、作品間の記述の矛盾を指摘するシャーロキアンたちから「再婚説」も取り沙汰されているのだが、それを言うなら、エルキュール・ポワロの親友、ヘイスティングズ大尉だって怪しいものだ。というのも、『邪悪の家』において、ヘイスティングズはポワロとの会話の中で、妻のことを「ベラ」と呼んでいるからだ。『ゴルフ場殺人事件』を読んだ読者なら、(えっ、まさか・・・?)と思うのではなかろうか。それとも、思い出を大事にして、敢えて(紛らわしくも)そう呼び続けているとでも?
 イニシャルの誤植といえば、ピーター・ウィムジイ卿の妻となるハリエット・ヴェインもそうだ。初登場作『毒を食らわば』で殺人の容疑者として裁判に立つことになる彼女は、第一章で出てくるフィリップ宛ての手紙に、「M」というイニシャルで署名している。MはいかにもHと取り違えそうな気がするし、訳者の故浅羽莢子さんも訳注で誤植の可能性を示唆しているのだが、ファンにとっては、そう簡単には片付けられないものらしい。Mは「殺人(Murder)」の頭文字だ、いやいや、「情婦(Mistress)」の頭文字だ、というセイヤーズ協会会員による議論まである(「ミステリマガジン」1983年5月号より)。いやはや・・・(笑)。
 ソーンダイク博士の助手、ナサニエル・ポルトンは、『オシリスの眼』でも大活躍だが、“Helen Vardon’s Confession”第28章において、なにゆえかソーンダイクは、自分の助手の名を「フランシス・ポルトン」と証言している。同書は、ノーマン・ドナルドスンも指摘しているが、あの緻密なフリーマンにしてはミスが散見される作品で、なにかの事情でよほど注意が散漫になっていたのだろうか。
 以前の記事でも触れたが、ヘレン・マクロイが創造したベイジル・ウィリング博士の娘ギゼラは、“The Long Body”で初登場した時は「エリザベス」という名だった。まさか別人だとでも?
 ジョルジュ・シムノンが創造したジュール・メグレ警視も、名前の混乱という点では人後に落ちない。『メグレの初捜査』によれば、フルネームは「ジュール・アメデ・フランソワ・メグレ」で、リファレンス・ブックやネット情報をはじめ、この名前がいろんなところで採用されているし、ジル・アンリの『シムノンとメグレ警視』でもこの名で紹介されている。ところが、『メグレの拳銃』によると、「ジュール・ジョゼフ・アンテルム・メグレ」という名前らしいのだ。さて、いったいどっちが正しいのだろう?
 ある意味、チェスタトンのように、「J・ブラウン」とシンプルに決めて、それ以上は余計なことを一切言わないのが一番無難なのかも(笑)。
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S・フチガミ

Author:S・フチガミ
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