〝ビック4〟の人気はいまだ衰えず

 今日はマージェリー・アリンガムの誕生日。乳癌で比較的早く亡くなったこともあり、クリスティやマーシュより年長だったかのような先入観を抱きそうになるが、実はアリンガムのほうが年下だった。
 日本にいると実感が湧かないが、英語圏の書店に行けば、今も彼女のペーパーバックがずらりと並び、人気の高さを実感させられる。同じことはナイオ・マーシュにも言えることで、クリスティ、セイヤーズとともに、時の試練に耐えて高い人気を誇るこの四人の女性作家が〝ビッグ4〟と呼ばれるのも頷ける。
 最近は、『窓辺の老人』の帯文句でも「クリスティ、セイヤーズらと並び、四大女流ミステリ作家のひとりに数えられる」などと出くるので、この四人をそう呼ぶのはすっかり定着したことのように思っていたのだが、日本では実感がないせいか、意外と疑問に思う人もいるようだ。
 ちなみに、私自身も当たり前のように〝ビッグ4(The Big Four)〟という呼称をあちこちで使ってきたが、その出典は、H・R・F・キーティング編“Whodunit?”(1982)に所収のロバート・バーナードの論稿‘The English Detective Story’。四人が並んでソファに座るイラストも載っていて、そのソファのうしろには死体が転がっている。

         The Big Four


 それにしても、ロバート・バーナードの論稿は、クリスティを論じた『欺しの天才』、ルース・レンデルを論じた「眠りを妨げる才能」、クリスチアナ・ブランドを論じた「ちょっと狂ったブランドの世界」、ジョセフィン・テイの長編ペーパーバックに寄せた序文、ジョイス・ポーターの“Dover: The Collected Short Stories”に寄せた序文、The Hatchers Crime Companionの「ゴールデン・エイジ」部門の解説等々、いずれも並々ならぬ洞察を示すものばかりで、ご本人も物故した今、これらの論稿を一つにまとめてほしいと思うのは私だけではないのでは。
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アガサ・クリスティ『十人の小さなインディアン』(論創社)が6月刊行予定

 論創社から刊行予定のアガサ・クリスティ『十人の小さなインディアン』は、6月29日刊行予定として、アマゾン、楽天ブックスで予約を開始していますのでお知らせいたします。
 戯曲「十人の小さなインディアン」、「死との約束」、「ゼロ時間へ」
 短編「ポワロとレガッタの謎」
を収録しています。
 解説はアガサ・クリスティ研究家の数藤康雄氏に執筆していただきました。
 多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。

  Amazon  楽天ブックス


               十人の小さなインディアン

ヘレン・マクロイ『牧神の影』(ちくま文庫)は6月刊行予定

 ちくま文庫から刊行予定のマクロイ『牧神の影』は、6月7日刊行予定として、アマゾン、honto等でも予約を開始していますのでお知らせいたします。

Amazon honto HonyaClub 楽天ブックス 紀伊國屋書店 TSUTAYA

ヘレン・マクロイ『牧神の影』刊行予定

 ヘレン・マクロイ『牧神の影』がちくま文庫から刊行される予定です。
 原題は“Panic”。ストーリーを少しだけ紹介させていただくと・・・ 

 アリスン・トレイシー(本書のヒロイン)は、早朝、屋内電話で目を覚まし、同居の伯父フェリックスが死んだことを知らされる。心臓を患っていた伯父は、いつも寝る前に読んでいたプルタルコスの著書を膝の上に開いたままベッドで息を引き取っていた。
 アリスンはその本の間から滑り落ちた紙片に意味不明の文字の羅列が手書きで書かれているのに気づくが、ただの紙くずと思い、ゴミ箱に捨てるよう女中に指示する。そこへ陸軍情報部のアームストロング大佐と名乗る人物が来訪し、伯父の書類フォルダーはどこにあるのかとアリスンに詰め寄る。大佐によれば、伯父は新たな暗号法の開拓を試み、完璧な戦地用暗号を作ったと主張していたという。捨てた紙がその暗号だったのではと気づくが、屑籠のゴミは既に焼却され、アリスンも内容を憶えてはいなかった。
 アリスンはいとこの勧めでニューヨークの喧騒を離れ、老犬のアルゴスを連れてオールトンリーという人里離れた山間のコテージに移り、しばらく滞在することに。一人静かに床に就いたアリスンだったが、夜中に、コテージの周囲をうろついているらしい不審な足音に目を覚ます・・・。

 本作の重要なテーマの一つは、〈暗号〉。マクロイのノン・シリーズものの代表作の一つというだけでなく、暗号ミステリの頂点を極めた傑作として評価されています。我が国でも、近年話題を呼んだ竹本健治氏の『涙香迷宮』のように、ミステリにおける暗号は今日なお人気の高いテーマですが、マクロイがこの困難なテーマにどのように挑んだかも注目されるところでしょう。
 シリーズものであれば、〝機械仕掛けの神〟よろしく、ベイジル・ウィリング博士が必ず最後に快刀乱麻を断つ如く決着をつけてくれると誰もが予測します。しかし、叡智に長けた名探偵はここには不在。それだけに、ヒロインが救われるかどうかも心もとない。ヒロインはみずから苦境を脱し、謎を解かなくてはならない状況に置かれ、そのことがサスペンスをいやがうえにも高める展開となります。
 本作は、H・R・F・キーティング編“Whodunit?”において、マクロイの作品としては、『暗い鏡の中に』、The Sleepwalkerと並んで採点の対象に挙げられ、両作と遜色のない高い評価を与えられており、また、短編集“The Pleasant Assassin and Other Cases of Dr. Basil Willing”に序文を寄せたB・A・パイクも、ノン・シリーズものとしては唯一、本作をマクロイの傑作として挙げています(ほかは、『あなたは誰?』、『逃げる幻』、『ひとりで歩く女』、『暗い鏡の中に』、『二人のウィリング』、『幽霊の2/3』、『割れたひづめ』)。
 なお、翻訳の底本には、1944年の米ウィリアム・モロウ社初版を用い、1972年の英ヴィクター・ゴランツ社の改訂版を適宜参照しました。
 多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。

            Panic Morrow
                米ウィリアム・モロウ社初版


            Panic Gollanz
                英ヴィクター・ゴランツ社改訂版



 なお、私の所持する英ゴランツ社版には、著者マクロイの献辞が書き込まれています。


            Panic署名

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

レックス・スタウト“Death of a Doxy”

 “Death of a Doxy”(1966)は、ネロ・ウルフとアーチー・グッドウィンが登場する長編。

 アーチー・グッドウィンは、イザベル・カーという元ショーガールのアパートを訪ねる。ところが、アーチーがそこで発見したのは、大理石製の灰皿で頭を殴られたイザベルの死体だった。アーチーは、自分が部屋に残した指紋を拭き取り、人に悟られないように立ち去る。
 アーチーがイザベルの部屋を訪ねたのは、仲間のオリー・キャザーに依頼されてのことだった。オリーは、スチュワーデスのジル・ハーディーと結婚する予定だったが、イザベルもオリーとの結婚を望んでいたという。彼女はオリーの結婚に異を唱え、お腹にオリーの子がいて、そのことを世間に公表するとか、オリーのポケットから抜き取った探偵許可証なども持っているとオリーを脅していた。
 オリーはアーチーに自分の持ち物を取り戻してほしいと依頼し、イザベルの部屋の鍵も貸したのだが、アーチーの追及を受けたオリーは、自分は彼女を殺していないと主張する。
 イザベルの死体は、アーチーのあとに部屋を訪れた姉のステラ・フレミングが発見し、部屋からオリーに言及のある日記を見つけた警察は、オリーを重要参考人として連行する。弁護士のナサニエル・パーカーからの連絡で、事件はウルフの耳に入り、彼はアーチーから事の経緯を知る。
 ウルフはアーチーや彼の仲間たちに意見を聴くが、オリーの無実を確信するソール・パンザーの意見を受け入れ、オリーの無実を証明すべく捜査に乗り出す・・・

 原題の‘Doxy’は今日ではほぼ死語かもしれないが、「情婦」や「愛人」を意味する言葉。イザベルが奢侈な生活を送っていたのは、〝フェデラル・ホールディング・コーポレーション〟の社長、アヴェリー・バルーが愛人の彼女の生活の面倒を見ていたためで、アーチーがフレミング夫妻の前で彼女のことをそう呼ぶことによる。アヴェリーのほか、イザベルの姉のステラ、その夫で数学教師のバリー・フレミングなど、容疑者には事欠かない。
 ウルフが脅迫状の差出人の名前からその正体を突き止める推論は、ウルフの教養の深さを印象付ける意味では面白いのだが、犯人は後半三分の一くらいでほぼ明らかになり、さしたる意外性もツイストもなく、謎解きとしては凡庸なところに物足りなさが残る。
 しかし、アーチーとナイトクラブの歌手のジュリーとのやりとりなど、アーチーの相変わらずのプレイボーイぶりもさることながら、登場人物同士の歯切れのいい会話やアーチーの一人称の叙述のテンポの良さも健在で、リーダビリティは、今日なお人気の高いこの作家ならではと思わせる。
 ちょっとしたエピソードとして面白いのは、ウルフがロンドン塔の二王子の謎に挑んでいるらしい場面が出てくることで、いったいどんな結論を出したのかと興味津々になる。劇場で上演中の「十人の小さなインディアン」への言及も出てくるが、これは明らかにアガサ・クリスティの劇作品だろう。今年論創社からご紹介する予定の作品だ。

ナイオ・マーシュ“The Nursing Home Murder”

 “The Nursing Home Murder”(1935)は、ロデリック・アレンが登場する第三作目の長編。

 内務大臣のデレク・オカラガン卿は、無政府主義者を取り締まる法案を議会に提出するよう内閣に提案していた。閣僚たちと協議したあと、デレク卿が帰宅すると、執事からジェーン・ハーデンという看護師からの手紙を受け取る。
 実はデレク卿は、数か月前にコーンウォールでジェーンと不倫の過ちを犯していた。彼女は手紙で、今も彼を愛しているし、これ以上自分をないがしろにしたら恐ろしい手段を取ると脅迫していた。
 その後、デレク卿の旧友でかかりつけ医のジョン・フィリップス卿がオカラガン家を訪ねてきて、デレク卿にジェーンとの関係を問いただす。ジェーンはジョン卿の病院で看護師を務めていたが、ジョン卿は何年も前からジェーンを愛し、求婚していた。ジョン卿とデレク卿は言い争いになり、ジョン卿は、機会があればやっつけてやるとデレク卿を脅す。
 翌週、下院で法案を説明していたデレク卿は急に腹痛に襲われる。急性虫垂炎と思われたが、経緯を知らないデレク卿の妻、シシリーは、ブルック・ストリートにあるジョン卿の病院にデレク卿を運ばせ、ジョン卿に手術を依頼する。そこには看護師のジェーンもいた。
 意識を取り戻したデレク卿はジョン卿の姿を目にすると、「やめてくれ・・・」と言いかけるが、そのまま再び意識を失う。手術は成功するが、デレク卿の脈は弱まり、一時間後に死亡してしまう。
 シシリーは亡夫の書類を調べるうちに、そこに無政府主義者からの脅迫状とジェーンからの手紙を見つけ、夫は殺されたと確信し、ロデリック・アレン警部に捜査を依頼する。検死解剖の結果、デレク卿はヒヨスチンの過量投与により死んだことが明らかになる・・・。

 手術室にはほかにも、無政府主義者でデレク卿に敵意を抱く看護師がいたり、その前に、デレク卿の妹が訪ねてきて、怪しげな新薬を卿に勧めていたり・・・と容疑者には事欠かないのだが、いつものマーシュらしく、必要以上に容疑者を水増しした感があってうんざりさせられる。
 ストーリー展開も、初期作品にしばしば見られる欠点だが、退屈な尋問シーンが目立ち、途中、共産主義者の集会への潜入場面など、多少興趣を添える場面を設けてはいるものの、全体としては緩慢で起伏に乏しい。執筆にあたっては、医師のヘンリー・ジェレットの助言を仰いだとされるが、その割には、謎解きのプロットにもこれといったオリジナリティはなく、凡作の感が否めない。
 後期作品では、背景設定や人物造形も多様性を増し、ストーリー展開のメリハリの付け方も格段に上達していくのだが、やはりこの頃のマーシュの作品は習作の印象が強い。
 なお、本作は、かつて雑誌に抄訳が掲載されたことがあるそうだが、私は未見である。

ジョン・ロード“Family Affairs”

 “Family Affairs”(1950:米題“The Last Suspect”)は、ランスロット・プリーストリー博士が登場する長編。『代診医の死』の前作に当たる。

 ミックルオーヴァーという村に駐在するリチャード・ランガム巡査は、レンドミルへ向かう道を自転車で走っている途中、溝にはまった車を見つける。車は左側を下にして溝にはまっていて、右側の窓から車内を覗き込んだランガムは、ガラスの割れた左側の窓から中に水が入り込み、明らかに死んでいる運転手の顔まで達しているのに気づく。
 そこへ、ティン・ホイッスルを吹きながら幌馬車を走らせ、求めに応じて音楽を奏でて小金を貰うウォーブリング・ウィリーが通りかかる。ランガムはウィリーの助けを借りて車内から男の死体を引き上げる。ウィリーの証言では、その車はしばらく前にウィリーの幌馬車を追い越していったが、運転手は酔っていたようで、隣に若い女性が乗っていたという。
 所持品から、男はレパード・ビール酒造のエドワード・ドレイトンと分かる。ドレイトンは集金のため酒場を回っていて、その道のカーヴを曲がり切れず、溝にはまったと思われた。だが、車の中からは集金したお金の入ったバッグは見つからず、血まみれの女物の手袋が見つかる。
 地元警察は、スコットランド・ヤードの支援を求め、ジェームズ・ワグホーン警視が捜査を担当することになり、ドレイトン家の複雑な関係が次第に明らかになっていく。エドワードはレパード・ビール酒造の社長、エイルマー・ドレイトンの一人息子だが、最近、ミュリエル・ゲイウッドという女性と婚約したばかりだった。
 エドワードの死をゲイウッド家に伝えても、ミュリエルの所在ははっきりせず、彼女の婚約相手もエドワードと従弟のジャスパーのどちらになるか微妙だったことも明らかになる。エイルマーはエドワードを自分の後継者と考えていたが、実はエドワードは仕事に熱心ではなく、ジャスパーのほうが事業運営がうまかった・・・。

 ロードの後期作品らしく、ストーリー展開は緩慢で起伏に乏しい。ただ、中盤でレナード・タマー卿殺害事件という、最初の事件とは一見無関係と思える第二の事件が発生し、それが次第に第一の事件と関係していることが明らかになっていく。普通なら第二の事件の発生で中だるみを防げそうなものなのだが、これまた展開が緩慢で、ちっとも盛り上がらない。
 いずれの事件も、それぞれの家庭内の複雑な人間関係が原因であるように思われ、それが英版の原題の由来となっている。ところが、一見複雑そうに見える人間関係も、人物描写が薄っぺらなために、ちっとも面白味がなく、まるで紙人形を配置しているみたいだ。
 これまた後期の作品らしく、本作でも、プリーストリー博士は要所要所で助言を与えるだけで、最終的に謎解きをして事件を解決するのはワグホーン警視だ。ただ、この作品の面白いところは、プリーストリー博士が間違いを犯し、ワグホーン警視の捜査も方向性を誤ってしまうところにある。
 博士が間違いを犯すのはなにもこれが初めてではなく、“The Davidson Case”のような前例もあるのだが、先入観にとらわれて重要容疑者の存在と動機が盲点になってしまうという設定が、作者が本作のテーマにしたかったことのように思われる。ただ、それも謎解きのプロットとしては拍子抜けで、特に意外性もなければ、テーマ自体もさほどアピール性もなく、どっちつかずの凡作に終わってしまったとしか言いようがない。

ケネス・ブラナー監督「オリエント急行殺人事件」を観る

 ようやく「オリエント急行殺人事件」を観ることができた。
 どうしてもシドニー・ルメット監督の旧作と比較してしまうのだが、優劣を論じるのが虚しいと思うほどどちらもよくできた映画だ。
 ルメットは、社会派の監督として知られる人で、「十二人の怒れる男」や「評決」のように、裁判の正義を問うた傑作もあるだけに、「オリエント急行」もやはりこの監督らしい同様の視点からの演出が際立っていたように思う。それが原作の個性ともよくマッチして、映画としても卓越した傑作になったところがあり、原作にはないラストの演出も、映画ならではの感動的な見せ場だった。
 ブラナー監督の新作は、ルメット作品に比べると、謎解き的性格はやや後退し、むしろ個々の登場人物の心理的な葛藤を浮き彫りにして、ヒューマンなドラマとして描こうとした意図がよく見える。ルメット作品が、列車が走り出してからはほとんど列車内の場面に限定されて、ややもすると息苦しい閉所感があったのとは対照的に、ブラナーは外に出るシーンも増やして広々とした視野を確保しただけでなく、原作にはないアクション・シーンや銃撃シーンまで加えてドラマチックなメリハリをつけたようだ。
 個々の俳優で言えば、ポワロらしさという点では、アルバート・フィニイを越えるものはないが、コミカルさがやや目立つフィニイのポワロに比べると、ブラナーのポワロはずっとシリアスで、映画のヒューマンなタッチとよく調和している。ジュディ・デンチはどうしても007の〝M〟を連想してしまうのだが、旧作のウェンディ・ヒラーに比べるとやや個性を発揮しきれていない感がある。デイジー・リドリーも、ちょうどタイミングを同じくして「最後のジェダイ」がかかっているだけに、〝レイ〟のイメージが付きまとってしまうのだが、こちらはヴァネッサ・レッドグレイヴに負けない好演だった。
 原作の持ち味という点では、ベリンダ・ハバード夫人をもっとうまく描いてほしいと思うのだけれど、旧作のローレン・バコールも、新作のミシェル・ファイファーも決して悪くはないものの、やはり食い足りなさが残ってしまう。ただ、全体としては、名優をずらりとそろえたルメットの旧作のほうが、さすがに個々の俳優の個性がより際立っていたように思える(数では新作のほうが絞り込んでいるにもかかわらずだ)。
 余談ながら、字幕に「ヘラクレス・ポアロ」と出てくる箇所があるが、聴いていると、英語式に「ハーキュリーズ・ポワロ」と言っている。「エルキュール」はフランス語でどのみち「ヘラクレス」を意味するのだが、英語を母語とする者には、そう発音すると、はっきりヘラクレスの意味に受け取れるわけだ。
 ジョン・ギラーミン監督「ナイル殺人事件」では、最後にピーター・ユスチノフ演じるポワロが「オリエント急行」のエピソードに触れる場面があったが、今回の「オリエント急行」では、次作「ナイル殺人事件」を予告するようなセリフが最後に。映画ならではの宣伝上手なところも心憎い。

ジョン・ロード『代診医の死』が「2018本格ミステリ・ベスト10」の第8位に

 ジョン・ロード『代診医の死』(論創社)が『2018本格ミステリ・ベスト10』の第8位にランクインしました。これまで我が国ではなかなか評価を得られなかったロードの作品に高い評価をいただいたのは画期的なことと思っています。
 読んでくださった読者の方々はもとより、ROM叢書からの刊行にご尽力いただいた故加瀬義雄氏、須川毅氏、「論創海外ミステリ」からの刊行をお誘いくださり、丁寧な編集作業をしてくださった論創社の黒田氏にあらためて厚く御礼申し上げます。


               代診医の死


 なお、この場を借りての余談ではあるが、一つ触れておきたい。
 『オシリスの眼』(ちくま文庫)に寄せた私のあとがきに対して、心外なリアクションを時々受ける。そこでの私の主旨は、トリック重視型の本格作品が主流となったことで、これに慣れた読者の多くもその視点からフリーマンの作品を評価してしまうために、ロジック重視型のフリーマンの作品の特長が見えなくなる、という点にあった。視点を切り替えることでフリーマンの作品のよさを味わってほしいというのが私の主旨で、ロジック重視型の作品を手放しで称賛し、トリック重視型の作品をそれより低劣なものとみなすような主張をしたつもりはない(当たり前だが、どちらのタイプにも長所も短所もあるというものだろう)。ちなみに、(これは論創社の黒田氏とも話したことだが、)『代診医の死』のような、まさにトリック重視型の作品を積極的に紹介していることからも、私がそんな「本格ミステリ」観を持っていないことは明らかというものだろう。
 ところが、そうした意味に曲解して異見を述べる人が時折いるようなのだ。単純な誤解なのでよく読んでほしいと言えば、それだけのことかもしれない。しかし、敢えて穿った見方をすれば、そうした「誤解」には、トリック重視型の視点で「本格ミステリ」を評価することに慣れ、これを暗黙のうちに当然視してきたために、異なる視点での評価があり得るという盲点を突かれたことに対する反感が潜んでいるように思えることもある。ちょうど、『オリエント急行の殺人』の思いがけない結末に「アホにしか分かりっこない」と感情的な反応を示したチャンドラーのように。案外、そうした読者は、フリーマンの作品を「たいしたことはない」と訳知り顔に割り切ってきた人が多いのではないだろうか。あとがきでも触れたが、むしろ、トリックの出来栄えで作品を評価する視点に偏り、ロジック重視型の作品を正当に評価できない「本格ミステリ」観のほうこそ反省を促されるべきものではないかと思える。平たく言えば、問題の所在は、トリック重視型の「作品」にあるのではなく、「評者」にあると言うべきだろう。
 ふとそんなことに触れたのは、『本格ミステリ・ベスト10』の「座談会」で、私がロジック重視型の作品を「無批判に称揚」し、「プロット重視型」(「プロット」というのはトリックより広い概念で、ロジック構築もプロットのうちなので、表現として適切か疑問だが)の作品を「ディスる」ことをしたと語っておられる文芸評論家がいるからだ。こんなことを今さら噛んで含めるように説明するのも憂鬱な限りなのだが、同様の誤解を抱く人もおられるといけないので、敢えて触れた次第である。

『オシリスの眼』が「2017文庫翻訳ミステリー・ベスト10」の第9位に

 講談社「IN★POCKET」の「2017文庫翻訳ミステリー・ベスト10」において、R・オースティン・フリーマン『オシリスの眼』(ちくま文庫)が第9位にランクインしました。
 評価していただいた皆様と読んでいただいた読者の方々にあらためて感謝申し上げたいと思います。日下三蔵氏には、「クオリティの高い翻訳」にも言及していただき、光栄の至りと存じます。
 昨年も『二人のウィリング』を選んでいただきましたが、実を言えば、今年の結果には特別な驚きと感慨を抱かずにはいられません。というのも、他のベスト10ランクイン作品はすべて、2008年から2017年までに刊行された21世紀の作品だからです。しかも、純粋な意味での本格謎解き推理小説は『オシリスの眼』だけと言っていいでしょう。
 ここ10年のうちに刊行された現代の作品とともに、百年以上前の1911年に刊行された『オシリスの眼』が高い評価をいただいたことは、真に優れたクラシック・ミステリは時の試練に耐えて読者の心をとらえる力を持つことを証明するものではないかと思っています。たとえ時のベストセラーとなろうと、50年後には忘れ去られている作品もあまたあることを思えば、こうした永続的価値を持つ作品を多くの方々に身近なものとしてご提供できたことは、私にとっても大変嬉しいことです。
 今後もこれを励みとし、多くの読者の皆様に優れた作品を提供していけるよう、ますます精進してまいりたいと考えております。引き続き、皆様のご支援、ご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
 また、この場を借りて、編集者の藤原氏、磯部氏にあらためて感謝申し上げます。


               The Eye of Osiris

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S・フチガミ

Author:S・フチガミ
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