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戯曲作家としてのアガサ・クリスティ

 最近、戯曲「そして誰もいなくなった(十人の小さなインディアン)」の公演が都内の小劇場で行われた。連日超満員だったようで、我がことのように嬉しく思ったのだけれど、ツイッター等に書き込まれた事後の感想には、相変わらず、演出で小説の結末を変えていたというコメントが目につく。
 アガサ・クリスティが戯曲版の結末を小説版とはまったく異なるものにしたことは、このブログでも、『十人の小さなインディアン』のあとがきでも書いてきたことだが、やはり戯曲版の認知度は小説版にははるかに及ばないことを実感させられたように思う。ルネ・クレール監督による映画など、映像メディアを通じてもある程度は知られているのだけれど、その映画すら、視聴者から「結末を勝手に変えた!」といった批判をしばしば受けているので、やはりそうなのである。その意味では、『十人の小さなインディアン』を世に送り出したことで、少しは戯曲版の存在を認知してもらえればと期待しているところではあるのだけれど。
 しかし、『そして誰もいなくなった』のようなギネス級のベストセラーで、映画化も何度もなされてきた作品でもこんな状況だから、「死との約束」戯曲版に至っては、結末ががらりと変わっていることなど、ほとんど知られてはいないだろうし、仮に上演すれば、「十人の小さなインディアン」以上に、「結末を変えた」というクレームが殺到するのではという気がしてならない。
 それは、戯曲作家としてのクリスティの認知度の低さでもあると言える。クリスティの戯曲は、確かに文庫で出ているものも多いのだけれど、小説版が別にあって、プロットを大きく変更した戯曲は、重複を避けようという考えもあってのことなのか、これまであまり紹介されてこなかった。実際の上演の機会がもっと増えて、戯曲作家としてのクリスティのオリジナリティが、より多くの方々に知られるようになってくれればと心から期待している。なにしろ、映画では、「そして誰もいなくなった」、「検察側の証人」は戯曲版をベースにしているし、「ナイル殺人事件」も戯曲版のアイデアを取り入れているほどなのだから。
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ジョン・ロード『クラヴァートンの謎』刊行予定

 ジョン・ロードの『クラヴァートンの謎』(英題:The Claverton Mystery、米題:The Claverton Affair:1933)が論創社の論創海外ミステリから刊行される予定です。
 『代診医の死』のあとがきでも述べましたが、ロードの作品は1940年代以降の作品になると、中間部に延々と尋問や議論の場面が続き、ストーリー展開が滞って退屈さを感じさせる作品が増えてきます。しかし、脂の乗っていた1930年代までの作品には、プロットに覇気があるだけでなく、ストーリー展開や人物描写にも丁寧に取り組んだ作品が多く、『クラヴァートンの謎』はその時期の代表作と言えるでしょう。ハウダニットを得意としたロードの面目躍如たる作品というだけでなく、大団円における降霊術会の演出を含め、ストーリー展開や見せ場、人物描写にも起伏があり、読み応えという点でも秀でた作品です。
 『クラヴァートンの謎』は、“A Catalogue of Crime”の編者ジャック・バーザンとウェンデル・ハーティグ・テイラーが、『ラリーレースの惨劇』、“Hendon’s First Case”、『ハーレー街の死』と並んでロードの代表作の一つに挙げ、ビル・プロンジーニ&マーシャ・マラー編“1001 Midnights”でも『ハーレー街の死』とともに挙げられています。また、H・R・F・キーティングが選定したコリンズ社の“The Disappearing Detectives”叢書における復刊書の一つにも選ばれています。
 “1001 Midnights”でも特筆されていますが、他の作品では内面の思考過程を滅多に見せないプリーストリー博士が、同作では心理の動きが事細かに描写され、鬼神のごとき叡知を秘めた名探偵としてではなく、感情の起伏や迷いなどをあらわにするヒューマンな存在として描かれています。また、中期以降の作品に見られるように、土曜の例会で語るだけの不活性化した存在ではなく、人の家やよその町を積極的に訪れ、関係者にも直接聞き込みをするなど、自ら活発に行動する姿が描かれており、それがストーリー展開にもプラスの効果をもたらしています。
 さらに、同作は、レギュラー・メンバーの一人、オールドランド医師の初登場作でもあります。のちの作品の多くでは、土曜の例会の出席メンバーの一人に役割がほぼ限定され、人物描写も平板化してしまいますが、本作では、被害者の主治医として重要な役割を演じているだけでなく、医師の過去や子息の存在も事件に深く関わるなど、個人史的な経緯や人間的な魅力も描きこまれています。
 多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。

マクロイ『牧神の影』の書評が「小説すばる」9月号に

 千街晶之氏によるヘレン・マクロイ『牧神の影』(ちくま文庫)の書評が「霧のように濃くなっていく恐怖」というタイトルで「小説すばる」9月号に掲載されました。
 「暗号の素人であり数学が苦手なアリスンが、数学的な解法とは別の角度から暗号の解き方に迫ってゆくプロセスが本書の大きな読みどころだが、一方で、アリスンがコテージに移住してからのサスペンスの演出も素晴らしい」として、「アリスンを脅かす数々の現象は、恐怖が霧のように濃くなってゆく過程がマクロイならではの繊細な筆致で綴られていて圧巻である」と述べておられます。
 同書のあとがきでも述べましたが、同書の暗号テーマが第二次大戦という時局的背景と密接に関わっている点をしかと指摘していただいているところを嬉しく思いました。ギリシア神話のモチーフ、「なぜ犬は殺されなければならなかったのか」というホワイダニットなど、盛り沢山のファクターを含む同書ですが、緊密に融合されたプロットの中でも、やはり第二次大戦と暗号というテーマが大きな比重を占めているのではないでしょうか。
 引き続き多くの読者の方に楽しんでいただけることを願っております。

黄金時代の巨匠たちの未収録作品集 “Bodies from the Library”

 コリンズ社から最近刊行されたトニー・メダウォー編“Bodies from the Library”は、過去に新聞や雑誌に掲載されただけか、一度も日の目を見たことのない、黄金時代の巨匠たちの短編16編を集めたアンソロジー。
 収録作品は以下の通り。

J・J・コニントン  Before Insulin  投函された遺言状(EQ96年5月号収録)
レオ・ブルース  The Inverness Cape
フリーマン・ウィルズ・クロフツ  Dark Waters
ジョージェット・ヘイヤー   Linckes’ Great Case
ニコラス・ブレイク   ‘Calling James Braithwaite’
ジョン・ロード  The Elusive Bullet  逃げる弾丸(『名探偵登場4』早川書房収録)
シリル・ヘアー  The Euthanasia of Hillary’s Aunt
ヴィンセント・コニア  The Girdle of Dreams
アーサー・アップフィールド  The Fool and the Perfect Murder  名探偵ボナパルト(EQ80年7月号収録)
A・A・ミルン  Bread Upon the Waters
アントニイ・バークリー  The Man with the Twisted Thumb
クリスチアナ・ブランド  The Rum Punch
アーネスト・ブラマ  Blind Man’s Bluff
H・C・ベイリー  Victoria Pumphrey
ロイ・ヴィカーズ  The Starting-Handle Murder  智の限界(別冊宝石59年85号収録)
アガサ・クリスティ  The Wife of the Kenite

 こうして見ると、邦訳のあるものも幾つかある。
 主だったものだけ出典を紹介すると、クロフツのDark Watersは、1953年9月21日付けの「ロンドン・イヴニング・スタンダート」紙に掲載されたフレンチ警部ものの短編で、クーパー&パイク編“Detective Fiction: The Collector’s Guide”にも記載がない。
 ブレイクの‘Calling James Braithwaite’は、1940年7月20、22日にBBCで放送されたナイジェル・ストレンジウェイズもののラジオ・ドラマで、ディテクション・クラブのメンバーによる企画の一つとのこと。
 バークリーのThe Man with the Twisted Thumbは、1933年1月から12月にかけて「ホーム・アンド・カントリー」誌に連載された中編で、コックスの研究者、アーサー・ロビンスンが発見した。
 ブラマのBlind Man’s Bluffは、1918年4月に上演されたマックス・カラドスものの戯曲で、バタード・シリコン・ディスパッチ・ボックス刊のオムニバス“The Max Carrados Portfolio”にも収録されていない。
 クリスティのThe Wife of the Keniteは、以前紹介した、The Woman of Keniteのオリジナルで、オーストラリアの「ホーム・マガジン」1922年9月号に掲載されたもの。イタリア語からの反訳は読めた代物ではなかったが、ようやくオリジナルに接することができた。

ヘレン・マクロイ『牧神の影』の書評が「ミステリマガジン」9月号に

 若林踏氏によるヘレン・マクロイ『牧神の影』(ちくま文庫)の書評が、「ミステリマガジン」2018年9月号に載りました。
 「山中のコテージで不穏な気配に囲まれながら過ごす主人公のサスペンス、そして後半における真相当てと、暗号の謎を中心に据えつつも多様な要素を盛り込んだマクロイらしい小説だ・・・本作は、一見、異色作のようでいて、実はマクロイの本質をずばり突いた作品だろう」と述べておられます。(なお、巻末の「響きと怒り」の「読者の書評」でも、愛知県の方に『牧神の影』を取り上げていただいています。)

 なお、この機会にあわせてご紹介させていただきますが、7月12日付けの日本経済新聞夕刊「目利きが選ぶ3冊」では、野崎六助氏に、「戦地用暗号解読と犯人捜しの謎解きを融合し、そこに、心理スリラー要素も加味した著者の力技に、あらためて感服する」、7月19日付けの YOMIURI ONLINEでは、石井千湖氏に、「謎解きだけではなく、繊細な風景描写や人物造形も魅惑的なミステリー」との評を載せていただいております。

ニーナ・ボーデン“The Odd Flamingo”

 ニーナ・ボーデン(1925 –2012)は、英国の小説家、児童文学作家で、生涯に55作発表したが、推理小説は、処女作“Who Calls the Tune?” (1953)と第二作の“The Odd Flamingo”(1954)だけである。本作は、1980年にコリンズ社のクライム・クラブ50周年記念として復刊された12作の一つでもあり、復刊本には選者のジュリアン・シモンズの序文が付されている。

 ある日の午後、弁護士のウィル・ハントに、友人のシリア・ストーンから電話がかかる。ウィルは、パブリック・スクールの校長を務める、シリアの夫のハンフリーとも親しかった。シリアは切羽詰まった様子で、電話では話せないので、学校へ来てほしいという。
 ウィルが来ると、シリアはいきさつを説明した。ローズ・ブラッカーという娘がシリアのもとを訪れ、自分はハンフリーの子を身ごもっていると告げ、証拠として、ハンフリーから受け取ったラヴレターも持っているという。
 ハンフリーは会議出席のためロンドンに出張中で不在だった。シリアは自分で対処しきれず、ウィルにローズと会って話してほしいと頼む。ローズはウィルにも同じ話を繰り返し、ハンフリーから受け取ったという6通のラヴレターを見せる。筆跡も文体も確かにハンフリーのものだった。
 ハンフリーはローズに金を渡して堕胎を勧めたが、ローズはハンフリーが紹介した医師のもとを逃げ出してきたという。ウィルは、ハンフリーと直接話し、そのあと彼女に連絡すると約束して、とりあえずローズを引き取らせる。
 翌日、ウィルはロンドンに赴き、ハンフリーが滞在している腹違いの兄のピアーズの家を訪ね、ハンフリーがフラム・ロードの〈オッド・フラミンゴ〉というクラブにいることを聞き出す。
 ウィルは〈オッド・フラミンゴ〉でハンフリーを見つけるが、ハンフリーは、ローズとの関係を認めたものの、お腹の子が自分の子どもであることはきっぱりと否定し、誰の子かは知らないと言い、お金を払って解決を勧めるウィルの忠告もはねのける。
 しばらくして、ウィルのもとを、ローズを養女にした義母のブラッカー夫人が訪ねてきて、ローズが5日も家に戻っていないので、事情を知らないかと言う。ウィルは友人のハートリー警察本部長にローズの特徴を伝えて捜索を依頼する。
 その後、ハートリーからウィルに電話がかかり、警察本部に来てほしいと言う。本部を訪れたウィルに、ハートリーは、水路でローズらしき娘の死体が見つかったと告げる。頭を殴られて水路に投げ込まれたらしく、彼女と一緒にハンドバッグも見つかり、中にはハンフリーのラヴレターが入っていた・・・。

 出だしは、ありきたりな犯罪の構図のように思え、犯人も動機も自明な印象を与えるが、被害者の娘は妊娠しておらず、実はローズではなく、彼女の友人のジャスミン・キャッスルと判明するところから、一筋縄ではいかないプロットであることを予感させる。
 場末のクラブ〈オッド・フラミンゴ〉とそこにたむろする人々の描写、ローズと彼女を取り巻く人々の関係など、背景も人物もよく描き込まれていて、テンポの良さには欠けるが、じっくりと読ませる濃さがある。
 プロットもよく練られていて、予想したとおり一筋縄ではいかないのだが、本格ファンを喜ばせるほどの独創性を求めると肩透かしに終わるだろう。そこはシモンズが選んだ作品らしく、謎解きというより、人物描写に力を入れた犯罪小説と見なすべき作品かもしれない。

マクロイ『牧神の影』のコテージがある山地はどこか?

 『牧神の影』の舞台となるコテージ〈オールトンリー〉が建っている山地はどこなのだろう? 出てくる地名や駅名はいずれも架空なので、マクロイは架空の土地を創造して舞台にしたと思われるのだが、具体的な自然描写からして、モデルとなった山地があるのではないかと誰しも思うところだ。
 実は、クリス・スタインブラナー&オットー・ペンズラー編“Encyclopedia of Mystery and Detection”が、舞台はニューヨーク州北部の〈キャッツキル山地〉と決めつけているのだが、断定はできないものの、モデルとなった山地である可能性はあるだろう。
 登場人物たちが比較的容易に行き来している様子からしても、ニューヨークから近いという印象があるし、豊かな自然描写も、同山地にふさわしいからだ。ニューヨーク市民の保養地として親しまれていることからしても、マクロイ自身、滞在したことがあったかもしれないし、その体験に基づいた描写である可能性は十分あるだろう。もっとも、〈オールトンリー〉のような孤独な環境のコテージが普通にあるかどうかは疑わしいが。
 余談かもしれないが、Wikipediaのマクロイの英語記事は、『牧神の影』の説明で、上記“Encyclopedia of Mystery and Detection”の記述をほぼそっくりコピペして、やはり舞台をキャッツキル山地と決めつけている。Wikipediaのいい加減さを示す一例か。

アガサ・クリスティ『十人の小さなインディアン』刊行

 アガサ・クリスティ『十人の小さなインディアン』が論創海外ミステリの第210巻として刊行されました。

 収録作は
 戯曲『十人の小さなインディアン』(『そして誰もいなくなった』の戯曲版)
 戯曲『死との約束』
 戯曲『ゼロ時間へ』
 短編「ポワロとレガッタの謎」

 以前の記事でも紹介しましたが、『十人の小さなインディアン』と『死との約束』は、元の小説版からプロットを大きく変更していることが特徴であり、特に『死との約束』は内容的にほぼ別の作品と言っていいでしょう。また、『ゼロ時間へ』は、小説版にない独自のラストシーンの展開が見どころの一つです。
 短編「ポワロとレガッタの謎」は、のちにパーカー・パインものの短編に改稿されましたが、特にポワロが登場する後半部分が改稿版とは大きく異なっています。
 解説はアガサ・クリスティ研究家の数藤康雄氏に執筆していただきました。
 多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。

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            十人の小さなインディアン


戯曲『牧師館の殺人』にクリスティはどう関わったのか?

 モイエ・チャールズとバーバラ・トイによる戯曲『牧師館の殺人』については、アガサ・クリスティ自身がどの程度執筆に関与したのか、議論の分かれるところだ。
 ジャネット・モーガンの『アガサ・クリスティーの生涯』によれば、チャールズとトイの二人からクリスティに『牧師館の殺人』の戯曲化の依頼があり、クリスティはこの依頼を快諾して、1949年に初稿を完成させた(邦訳下巻161頁)。モーガンはさらに、トイはこの初稿に「ほとんど手を加え」なかったとしている(同164頁)。
 モーガンの記述を読むかぎり、戯曲『牧師館の殺人』はほぼクリスティ自身の手になるものであり、チャールズとトイはこれにわずかな手を加えたにすぎなかったかのように読める。では、なぜこの戯曲のクレジットはチャールズとトイに帰せられているのだろうか?
 モーガンの見解と真っ向から対立しているのが、ジュリアス・グリーンの“Curtain Up”だ。グリーンによれば、1948年の暮れに、トイとチャールズの二人に戯曲化の許可が与えられ、印税はこの二人とクリスティとの間で50%ずつ等分とすること、戯曲の完成は半年以内と取り決められた。トイとチャールズは一月以内に初稿を書き上げたらしく、クリスティはその結果に満足していたようだという。
 グリーンはさらに、1968年にカリフォルニアのマイケル・プリチャード(孫のマシュー・プリチャード氏とは無関係)という学生からの照会に応じて、各戯曲の執筆経緯を明らかにしたクリスティ自身の書簡から、「『アリバイ』、『牧師館の殺人』、『邪悪の家』の戯曲化には関与していない」という言及を引用し、クリスティが執筆に関わったという説を否定している。
 ところが、グリーンは必ずしもこの書簡を全面的には信頼しておらず、戯曲『ゼロ時間へ』については、クレジット上はクリスティとジェラルド・ヴァーナーの共作とされ、上記プリチャード宛て書簡でも、「『ゼロ時間へ』では、ジェラルド・ヴァーナーとある程度の共同作業をした」と書いているにもかかわらず、その信憑性を疑っている。
 このように、外的証言を見るかぎりでは、モーガンとグリーンの説明のどちらが正しいのかは、いまひとつ判断の決め手に欠ける印象があるのだが、戯曲そのものに内的な手がかりがあるように思える。それがト書きだ。

 実は、ミステリマガジン2010年4月号を古書で入手したのだが、これはクリスティの戯曲『ホロー荘の殺人』が掲載されている号だ。故瀬戸川猛資氏による訳で、底本に何を用いたのかは不明だが、舞台配置図や小道具等の情報を載せていないので、フレンチ社の台本版ではなく、ドッド・ミード社の戯曲集版を用いたのかもしれない。
 それはさておき、戯曲そのものより興味深かったのは、むしろ補訳を行った劇団主宰者の松坂晴恵氏による「ト書きはさいなむ」というエッセイだ。少し長くなるが、以下に一部引用させていただく。
 「クリスティーの戯曲を読むと、俳優の動きについてやたら細かく書かれている。たとえば『ソファの後ろを通って上手前のテーブルの横に』とか、『ゆっくりと、下手前のテーブルのところに行く』など、動線から動くスピード、止まる位置まで、指定されている。これだけ細かい動きの指定がある戯曲は、私の知っている限り、他にはない。普通の戯曲の三倍以上書かれているように思われる。」
 これは私自身もまったく同じ印象を持ったことで、演劇の経験のある知人も同様のことを言っていた。松坂氏はその点を実に的確に表現してくださっているように思える。同じクリスティの作品でも、レスリー・ダーボンをはじめ、他の脚本家が脚色した戯曲のト書きははるかに簡潔で、あとは実際の上演に携わる演出家や俳優の創意工夫に委ねているように思えるからだ。
 これまでの記事でも触れてきたが、『ブラック・コーヒー』や『そして誰もいなくなった(十人の小さなインディアン)』のように、改訂版のある戯曲は、改訂後のバージョンのほうがさらにト書きが詳細化されている。煩わしいほどと言ってよく、いっそ細かい方向指示などは省いて簡略化してしまいたい誘惑に駆られるのだが、それがむしろクリスティ自身のト書きの特徴なのだ。
 先に触れたように、戯曲『ゼロ時間へ』について、ジュリアス・グリーンはヴァーナーの単独作と推測しているのだが、戯曲の本文を読めば、『ゼロ時間へ』にも、他のクリスティ自身の戯曲と同様の微に入り細を穿つようなト書きがびっしりと書き込まれている。これはクリスティ自身の「指紋」と言ってよく、実際の共作プロセスは資料が残っていないらしいので何とも言えないのだが、クリスティが最終的に手を入れた戯曲であることはほぼ間違いないと思われる。
 同じく、戯曲『牧師館の殺人』の本文を見ても、他の脚本家による戯曲に比べると、やはりト書きの指示はかなり詳細であり、クリスティ自身の戯曲に近い印象がある。
 クリスティは、この戯曲の上演実現にかなり熱を入れ、リハーサルや初演にも立ち会ったという事実からすると、仮にグリーンの言うように(クリスティ自身の書簡にもあるように)クリスティ自身は原案作成に関与していないとしても、少なくともト書きには、実演に際してクリスティ自身が与えた細かい指示が何ほどか反映されているのではないだろうか。その意味では、数藤康雄氏が『十人の小さなインディアン』の解説で述べておられるように、チャールズとトイが「クリスティの助言を得て最終稿にした」という説明が事実に近いように思える。クレジットから自分の名が外された以上、自分は関与していないと公式には発言していた可能性もあるだろう。
 新たな証拠でも出てこないかぎり、最終的な結論は出せないだろうが、今後のさらなる検証を待ちたいところだ。

ヘレン・マクロイ『牧神の影』(ちくま文庫)が刊行

 ヘレン・マクロイ『牧神の影』(1944)がちくま文庫から刊行されました。「暗号の謎とサスペンスが融合したマクロイ円熟期の傑作ミステリ」です(文庫帯より)。
 アンソニー・バウチャー、バリー・A・パイク、エドワード・D・ホックなど、多くの批評家から高い評価を受けた、マクロイのノン・シリーズものの代表作。多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。

 なお、まだ個人的な段階の情報ですが、マクロイの長編については、さらに二作の翻訳の準備を進めているところです。いずれ皆様にお届けすることができればという願いを込めて、あわせてお知らせさせていただきます。

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         牧神の影
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