アンソニー・バウチャー “Nine Times Nine”

 アンソニー・バウチャーがH・H・ホームズ名義で書いた“Nine Times Nine”(1940)、“Rocket to the Morgue”(1942)の二作は、いずれも「ベタニヤのマルタ修道女会」に属するシスター・アーシュラを探偵役としたシリーズで、これら二長編のほかに三篇の短編がある。
 その第一作目である“Nine Times Nine”は、エドワード・D・ホックがMWAのアンソロジー『密室大集合』編纂の際に行った密室物長編の人気投票でも第9位に入るなど、密室物の古典の一つと見なされている。

 伝説の「さまよえるユダヤ人」を名乗るアハスヴェールは、現代のキリスト教を批判し、唯一の正しい福音は自分がチベットで発見した「アリマタヤのヨセフによる福音書」だと主張するカルト宗教団体、「光の子」教団の指導者だった。
 いんちきカルト宗教の研究で知られるウルフ・ハリガンは、「光の子」教団を糾弾する準備を進めていた。研究書ではなく、広く読まれる雑誌や新聞で告発したいと考えたウルフは、記者の経験のある青年マット・ダンカンに執筆の協力を求め、二人は「光の寺院」で開かれる教団の集会に偵察に出かける。その集会の場で、黄色いローブを身にまとったアハスヴェールは、信者たちとともに「九を九倍せよ」という呪いの祈りを唱え、公然とウルフ・ハリガンの死を予言する。(※新約聖書「マタイによる福音書」で、イエスが、人に対する赦しについて「七の七十倍までも赦しなさい」と語ったことになぞらえて、呪いの祈りを表現したものと思われる。)
 その翌日、マットは、ハリガン家の家族と邸の芝生でクローケー(ゲートボールの原型)を楽しんでいた。ウルフのいる書斎のフランス窓に照り返していた陽光が夕方になって陰ると、書斎の中の様子が見え、フード付きの黄色いローブをまとった男がウルフの机にかがみこんでいるのに気づく。
 マットたちは、フランス窓が施錠されていたのと、相手に気取られないようにするために、邸内のドアから書斎に入ろうと試みるが、やはり鍵がかかり中に入れない。再び外に出てフランス窓から中をのぞくと、ウルフは顔を撃たれて机のそばの床に倒れており、書斎にはほかに誰もいなかった・・・。

 “Locked Room Murders”のロバート・エイディは、「実にユニークな解決」と本作の密室トリックを称賛しているが、実際、用いられているトリックはシンプルで分かりやすいだけでなく、謎解きの歯切れよさも好印象だ。実行可能性に疑問を呈する向きもあるようだが、素人がにわか仕立てで実行できるかどうかはともかくも、プロのマジシャンならいかにも用いそうな手法で、工夫すれば決して無理な仕掛けではなさそうにも思える。(ディクスン・カーの作品にはもっと荒唐無稽な仕掛けがほかにたくさんあるとも言えそうだ。)
 エイディは、本書第14章で、マット、マーシャル警部補、その妻のレオーナの三人が繰り広げる密室の議論を「密室の解決法についての三番目に優れた議論」としている。一番は言うまでもなく、『三つの棺』第17章の「密室講義」、二番目はクレイトン・ロースンの『帽子から飛び出した死』第13章である。
 バウチャーは、作品の冒頭でジョン・ディクスン・カーへの献辞を掲げているが、この第14章の議論でもマーシャル警部補がカーへの称賛を口にし、『三つの棺』を引用して、「密室講義」での分類に即しながら事件を検討していく。さらに、レオーナが、カーとは異なる視点から密室を三つのカテゴリーに分類して議論を発展させていくのが面白い。
 カーへのオマージュと遊び心が横溢していて実に楽しく、かつて『密室の魔術師』という題で邦訳が雑誌掲載されたことがあるらしいが、埋もれさせてしまうには惜しい佳品である。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

アンソニー・バウチャー “Rocket to the Morgue”

 “Rocket to the Morgue”(1942)は、シスター・アーシュラの登場する二作目。マット・ダンカン、テレンス・マーシャル警部補とその妻レオーナといった前作“Nine Times Nine”でおなじみの登場人物たちも再登場する。

 マーシャル警部補は、ジョナサン・ターベルというゆすり屋らしき男の射殺事件を調べるため、被害者が持っていた紙切れに書かれた電話番号から、ある高級なアパート式ホテルを訪れる。そのホテルには、ヒラリー・フォークスという、デリンジャー博士シリーズで知られるSF小説作家の故ファウラー・フォークスの息子が滞在していた。
 ヒラリーは父親の著作の再版や引用などを試みる者がいるたびに法外な著作権料を要求することで悪名高かった。ヒラリーはマーシャル警部補に、自分を狙う未遂事件が何度かあったことを訴え、最近も誕生日に郵送されてきたチョコレートに青酸カリが仕込まれていたと告げる。ヒラリーが話している最中にも、時限爆弾らしき小包が届き、緊急処理班を呼ぶ騒ぎとなる。
 その翌日、警部補がヒラリーと電話で話している最中に、ヒラリーが背中をナイフで刺され、あやうく一命をとりとめるという事件が起きる。ヒラリーのいた書斎は彼以外誰も出入りしたはずがなく、ナイフの刺された位置から、ヒラリーが自分で刺したとも考えられなかった。
 ヒラリーの退院祝いに、科学者ヒューゴー・チャントレルの模型ロケット・カーの公開実験を兼ねたパーティーが開かれるが、ロケット発射の瞬間、その場に出席していたマットを何者かが後ろから突き飛ばし、マットは勢いで前にいた人物をロケットの軌道上に押し出してしまい、死に至らしめてしまう。被害者はヒラリーではなく、ウィリアム・ランシブルというファンの一人で、飛び入りで参加していたらしく、彼をよく知る者はいなかった。事件はパサディナで起きたため、ロサンゼルス市警のマーシャル警部補には捜査権限はなく、嫌疑はマット・ダンカンに向けられる・・・。

 作中には、登場人物たちがバウチャーのSF作品を論じるくだりが出てくるだけでなく、パーティーの場面ではバウチャー自身も参加していて、警察から質問を受けるやりとりが出てくる。クリスティのオリヴァ夫人のように、作者が自分をモデルにした登場人物を創造する例はあるが、ヒッチコックのように自分自身をチラリ登場させてしまうのは珍しく、そんなところにも作者の遊び心が感じられる。
 ロケットが発射されるまでの状況を描写する間に、犯人の内心の独白をイタリック体で随所に挿入し、緊迫感を高める効果を上げているだけでなく、読者を惑わすレッド・ヘリングを巧みに仕掛けているのも面白い。
 密室のトリックは、バウチャー自身の経験に基づくものであるらしく、これまた登場人物がそうだと発言するくだりが出てきてニヤリとさせられるが、いくら実際の裏づけがあると言われても、知識のない一般読者には釈然としないものだろう。
 なお、本作は本来、7章構成だったが、後の版で1951年12月付けの作者によるあとがきが第8章として加筆され、執筆の動機や背景に言及するとともに、その後のSF小説の発展について触れ、謎解きの愛読者がSFのジャンルにも興味を持ってくれるよう期待を表明している。(本作もかつて『死体置場行ロケット』という題で邦訳が雑誌掲載されたらしいが、この第8章は欠けているようだ。)

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アンソニー・バウチャー “The Case of the Crumpled Knave”

 バウチャーの“The Case of the Crumpled Knave”(1939)は、“The Case of the Seven of Calvary”(1937)(邦訳『ゴルゴタの七』東京創元社)に続く彼の長編二作目であり、アイルランド系の青年探偵ファーガス・オブリーンの初登場作である。なお、その後の作品に登場する姉のモーリーン・オブリーンは、会話の中でしばしば言及されるが、登場はしない。
 (前作『ゴルゴタの七』に登場したカリフォルニア大学のサンスクリットの教授ジョン・アシュウィン博士と学生マーティン・ラムは、その後再び登場することはなかったが、“The Casebook of Gregory Hood”に寄せたジョー・R・クリストファーの序文によれば、同作と“The Case of the Crumpled Knave”の間には、出版社に拒否され、破棄されてしまった幻の長編があったようだ。もしかして、それはアシュウィン博士物の二作目だったのだろうか。だとすれば、出版社に拒まれた理由もさることながら、どんな作品だったのか興味津々。手がかりが残っていないとすれば残念なことだ。)

 ニューヨークに住む退役軍人のランド大佐は、友人の研究化学者ハンフリー・ガーネットから謎の電報を受け取る。その電報には、「すぐカリフォルニアに来られたし。必要ならフライトで。君は我が死体の検死審問の重要な証人となるだろう。ヘクターに用心を」とあった。ランド大佐がハンフリーの家に着くと、既に警察が来ていて、ロサンゼルス警察のジャクスン警部補から、ハンフリーが毒殺されたと知らされる。
 ガーネットは、事故で妻を亡くし、一人娘のケイ、義弟のアーサー・ウィロウ、研究助手のウィル・ハーディングと同じ屋根の下に暮らしていたが、そのほかに、映画俳優でケイの婚約者であるリチャード・ヴィントン、素姓のよく分からないカミーラ・サリスという娘がゲストとして滞在していた。
 ハンフリーは、夜、ほかの者が部屋に引き取ったあと、一人書斎に残っていたが、寝酒として置いてあったウィスキーの水割りに青酸が仕込まれていて、それを飲んで死んだらしかった。いまわの際に犯人の手がかりを残そうとしたらしく、くしゃくしゃになったトランプのカードを握っていたが、それはダイヤのジャックだった・・・。

 ファーガス・オブリーンが捜査に乗り出すきっかけは、ケイ・ガーネットが姉モーリーンと一緒に学校に通った仲だったからだが、著名な探偵だと警察と関わりが深すぎてその立場に与するかも、と言われ、友だちの弟が探偵をしていることを思い出したケイが、ただそれだけの理由で衝動的にファーガスに依頼の電話をかけるという設定がユニークだ。探偵として多少の実績は上げていても、まだ経験も浅く、殺人事件を扱うのは初めてときては、探偵としての力量も未知数で、粋がってはいるものの、警察からも侮られ続ける頼りなさが、かえっていい味を出していて面白い。しかも、最後に真相を暴くのはファーガスではなく、別の登場人物。いったんは見事な推理を披露したかに見えたところで、思いがけないどんでん返しを食らってしまう。華々しいどころか、むしろ手痛い失敗でデビューを飾り、捲土重来を誓って結びを迎えるところが、この探偵に人間的な魅力を与えていて、つい、今後の活躍を応援してやりたい気分にさせる。
 アーサー、ヴィントン、サリス嬢といった登場人物たちがいずれも未知の素姓を隠していて、それが明かされていくプロセスが事件の展開とうまく結び付いているのもストーリーに起伏を与えているし、二転三転する謎解きの醍醐味も、いつもの作者の遊び心が溢れていて実に楽しい。過去の著名作から借用したと思しきアイデアが幾つも隠し味に使われていて、そんなことに気づくのもこの作品の面白さの一つだ。独創的なプロットが用いられているわけではないが、今後に期待を抱かせる設定の巧みさが、(アシュウィン博士物と異なり)シリーズとして受け入れられ、成功した理由だったといえるかもしれない。

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アンソニー・バウチャー “The Case of the Solid Key”

 “The Case of the Solid Key”(1941)は、アンソニー・バウチャーが創造した私立探偵ファーガス・オブリーンの登場する二作目。(シリーズとしては、『シャーロキアン殺人事件』(1940:邦訳は教養文庫刊)が“The Case of the Crumpled Knave”(1939)に続く二作目に当たるが、『シャーロキアン』にはファーガスの姉モーリーンとレギュラー・メンバーのアンディ・ジャクスン警部補が登場するものの、ファーガス本人は登場しない。)
 タイトルの‘solid key’とは、頭の部分に鍵束やキーホルダーなどにつなぐための通し穴がない鍵のことである。
 “The Case of the Solid Key”は演劇界が舞台であり、登場人物も、劇場主、舞台監督、ビジネス・マネージャー、俳優に脚本家という具合で、メトロポリス・ピクチャーズ社の宣伝部長である姉のモーリーンも再登場し、『シャーロキアン』で言及のあった、ジャクスン警部補の弟で俳優のポール・ジャクスン、女優のリタ・ラ・マールも顔を出している。ファーガス自身も(表向きは)俳優として登場する。
 ストーリーは、オクラホマからハリウッドに出てきた脚本家の卵、ノーマン・ハーカーが、ドラッグストアで支払いができなくて困っている女優のサラ・プランクを助ける場面から始まり、二人のロマンスをサブプロットにしながら展開していく。(ノーマン・ハーカーは、のちに、短編「ピンクの芋虫」[『SFミステリ傑作選』講談社文庫所収]にもファーガスとともに登場する。)

 ルパート・カラザースは、若い俳優や脚本家の卵たちを育てているカラザース・リトル・シアターという小劇団の事業主。ノーマンはカラザースに自分の書いた脚本を売りこみ、その結果を聞くために劇団のビルを訪れる。カラザースは、脚本家ルイス・ジョーダンの『魂には衣装が二つ』という作品の序幕場面の効果を試すために、ガレージを改造した作業場にこもって火薬を用いた実験を行っていた。ノーマンが作業場のドアをノックしても返事がなく、ビジネス・マネージャーのアダム・フェンワースとともに再びノックするが、やはり返事がない。フェンワースが鍵穴を覗くと、鍵が内側から差し込んだままになっていた。
 ノーマンは便利屋をやった経験を活かして、ボール紙をドアの下から突っ込み、その上に鍵を落として引っ張り出そうと試みる。フェンワースが鉛筆を鍵穴に突っ込んで鍵を落とそうとするが、鉛筆が太すぎて、鍵は穴のはしに引っ掛かってうまく落ちない。ノーマンが細い針金を使って、引っ掛かった鍵をようやく落とし、ボール紙を引き寄せて鍵を取り出すことに成功する。
 ようやく鍵を開けてドアを開けた二人の眼に入ったものは、顔が焼けただれたカラザースの無残な姿だった。現場を検証したジャクスン警部補は、窓もドアも施錠されていたことから、実験の失敗で火薬の爆発が起き、カラザースは顔に爆発を浴びて、背後にあった旋盤に後頭部をぶつけて絶命したと判断するが・・・。

 鍵に通し穴がないことから、糸などを結びつけてドアの外から鍵をかけるような小細工は弄せなかったはずだ、というのがタイトルに込められた意味。“Locked Room Murders”でロバート・エイディが評しているように、さほど独創的ではないが、ちょっとした巧妙なトリックではある。糸やピンなどの小道具に頼るのではなく、心理的なミスディレクションを活用しているところがアイデアとしては面白い。
 ただ、タイトルがミスリーディングな面もあって、ついトリック偏重式の読み方をしそうになるし、それだけをメインに据える読み方をすると、エイディが評しているように、短編向きの小ネタにすぎないし、長編としては埋め草が多すぎるという見方になってしまうのだが、密室トリックはむしろ添え物のようなものだ。
 確かに、敢えてタイトルで表現したように、トリック自体にも作者としては思い入れがあったのだろうが、この作品の面白さはそれだけではない。作品のプロットは、密室トリックよりも、カラザースの正体や過去に起きた事件との関わりをめぐって展開し、いくつもの仮説が提示されながら、ファーガスがたどり着いた推理にも最後の段階でまたもやどんでん返しが待っている。
 最初の三分の一はとりたてて事件も起きず、登場人物たちの散漫な会話が目立つのが辛いところではあるが、気楽に読めば実に楽しい作品といえるだろう。いつもながらの作者の遊び心が溢れていて、最後に仕掛けたどんでん返しも、決してあっと驚くようなものではないが、作者なりに工夫を練った読者へのサービス精神を感じる。大上段に構えて推薦するほどではないが、なかなか魅力的なシリーズの一作。

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アンソニー・バウチャーの「シルバー13」

 作家としてだけでなく批評家としても健筆を揮ったアンソニー・バウチャーの書評分野での業績は、“Multiplying Villainies”(1973)という部数限定の冊子でもその一端を窺い知ることができたが(これに序文を寄せていたのがヘレン・マクロイ)、1942年から47年にかけてのバウチャーの書評をまとめたフランシス・M・ネヴィンズ編“The Anthony Boucher Chronicles”(2009)のおかげで、より充実した形で身近に接することができるようになった。
 バウチャーは、エラリー・クイーンが選定した「黄金の二十」(1943:邦訳は『世界短編傑作集5』創元社収録)について、「クロニクル」誌の書評(1944年6月25日)の中でコメントを寄せている。このうち、「最も重要なる長編推理小説10」(『ルルージュ事件』 『月長石』 『リーヴェンワース事件』 『緋色の研究』 『トレント最後の事件』 『樽』 『アクロイド殺害事件』 『ベンスン殺人事件』 『マルタの鷹』 『レディに捧げる殺人物語』)についてのコメントは、上記“Multiplying Villainies”に再録されていて、これをもとに日本語でもネットで紹介されているようだ。
 その概要を簡単に紹介すれば、バウチャーは、「穏やかな異議」として、アイルズの『レディに捧げる殺人物語』を倒叙物とみなすことに異議を述べ、もしリストに倒叙物を入れるのであれば、フリーマンの『ポッターマック氏の失策』を入れるべきだとしている。また、「断固たる異議」として、ヴァン・ダインの作品をリストに入れることに反対し、代わりにセイヤーズの『ナイン・テイラーズ』を入れることを提案している。
 実は、「黄金の二十」の前半部分である「最も重要な短編推理小説10」についても、その前の書評(1944年5月28日)でコメントを寄せているのだが、こちらについては“Multiplying Villainies”に再録されなかったためか、知る限りでは、日本語で紹介された例はないようなので、この記事で紹介しておこう。
 念のため、クイーンが選んだ「ゴールデン10」を再掲すれば、以下のとおり(タイトルの訳は上記邦訳に従う)。

 エドガー・アラン・ポー 『小説集』
 アーサー・コナン・ドイル 『シャーロック・ホームズの冒険』
 アーサー・モリスン 『マーチン・ヒューイット探偵』
 バロネス・オルツィ 『隅の老人』
 オースティン・フリーマン 『ジョン・ソーンダイクの数々の事件』
 ウィリアム・マクハーグ&エドウィン・バーマー 『ルーサー・トラントの功績』
 G・K・チェスタトン 『ブラウン神父の童心』
 アーネスト・ブラマ 『マックス・カラドス』
 メルヴィル・デイヴィスン・ポースト 『アブナー伯父』
 H・C・ベイリー 『フォーチュン氏を呼べ』

 バウチャーはこれに対し、ささやかな異議を呈するとすれば、フリーマンについては、むしろ倒叙物の嚆矢となった『歌う白骨』に差し替えたいとし、10を11に拡大していいのなら、M・P・シールの『プリンス・ザレスキー』を加えたいとしている。
 バウチャーは、このリストが1920年で止まっているのは、それ以降が長編中心の時代になったためと考えている(以前の記事で紹介したように、ジュリアン・シモンズも“Bloody Murder”で同様の見解を述べていた)のだが、このリスト以降の四半世紀の間にも優れた短編集があるとして、以下のように自分なりの「シルバー13」を挙げている。

 エドガー・ウォーレス “The Mind of Mr. J. G. Reeder”
 T・S・ストリブリング 『カリブ諸島の手がかり』
 F・テニスン・ジェス “The Solange Stories”
 ジョルジュ・シムノン “Les 13 Coupables”
 アガサ・クリスティ 『火曜クラブ』
 ドロシー・L・セイヤーズ “Hangman’s Holiday”
 マージェリー・アリンガム “Mr. Campion: Criminologist”
 E・C・ベントリー 『トレント乗り出す』
 エラリー・クイーン 『エラリー・クイーンの新冒険』
 カーター・ディクスン 『不可能犯罪捜査課』
 ウィリアム・アイリッシュ “I Wouldn’t Be in Your Shoes”
 レイモンド・チャンドラー “Five Murderers”
 ダシール・ハメット “The Adventures of Sam Spade”

 クイーン自身も1920年以降に挙げるべき候補作を5冊挙げていて、うち3冊は、バウチャーと同じく、ストリブリング、ベントリー、ディクスンの上記短編集を挙げている(残り2冊は、ルブランの『八点鐘』とセイヤーズの『ピーター卿死体検分』)。バウチャーが挙げているほかの短編集も、その多くが『クイーンの定員』に選ばれていて、多少の見解の相違はともかくも、この両者の鑑識眼はそれほど大きく隔たってはいなかったように思える。
 ただ、今日的視点からすれば、クイーンの挙げている『ルーサー・トラントの功績』はさすがに時代を感じさせるし、超自然的直感に依存しがちな点をよく批判されるテニスン・ジェスのソランジュ・フォンテーヌ物も、今ならどこまで大方の同意を得られるかは疑問だろう。
 その意味では、この両者のリストもそれ自体が時代物の部類に入りつつある面も感じるのだが、例えば、“Detective Fiction: The Collector’s Guide”(1994)で編者のジョン・クーパーとB・A・パイクが推薦している短編集を参照すると、アリンガム、ベイリー、ベントリー、ブラマ、チェスタトン、ポースト、セイヤーズの上記作(セイヤーズは『ピーター卿死体検分』)が依然としてリストアップされているので、古典として定評のあるものは時代を経ても根強い支持を得ていることが窺える。ちなみに、クーパーとパイクは、バウチャーの“Exeunt Murderers”とクイーンの『犯罪カレンダー』も推薦作に挙げている。

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