ナイオ・マーシュ “Tied up in Tinsel”

 “Tied up in Tinsel”(1972)は、シリーズ・キャラクターのロデリック・アレン警視が登場する作品。

 ロデリック・アレン警視の妻トロイは、ヒラリー・ビル=タスマンという裕福な実業家の依頼を受けてハルバーズ荘という田舎の邸に招かれ、そこに滞在しながら彼の肖像画を描いていた。ところが、ハルバーズ荘には殺人者が五人同居していた。ヒラリーが前科のある彼らの社会復帰を支援するために使用人として採用していたからだ。
 司厨長のカスバートは、レストランのボーイ長をしていた時、自分の妻の愛人だった若い副料理長を刺殺し、情状酌量で減刑され、模範囚として短期で釈放された過去があった。下働きのマーヴィンは、かつて作曲家だったが、泥棒よけの「まぬけ落とし」に重すぎる鉄を使用して侵入者を死なせてしまった罪で服役したことがあった。料理長のウィルフレッドは、猫好きで「キティウィー」というあだ名で呼ばれていたが、服役中に猫嫌いの看守を壁に叩きつけて殺してしまい、刑期を延期された。二人目の下働きのナイジェルは、メリーゴーラウンドの馬を製作する仕事をしていたが、過激な宗教団体に入り、狂信的な信念から「罪深い女」を殺してしまった。さらに、庭師のヴィンセントは、ヒ素を噴霧した温室に老女を閉じ込めて死に至らしめてしまったが、上訴の結果、事故と認められて釈放されたのだった。
 トロイの滞在中に、クリスマスを祝うために、ヒラリーの親戚たちがやってくる。滞在客の中には、ヒラリーの叔父のバート・スミス、フォレスター大佐夫妻のほかに、婚約者のクレシダ・トテナムも加わっていた。ところが、彼らの滞在中に、トロイの部屋のドアに「まぬけ落とし」が仕掛けられたり、クレシダを「罪深い女」と中傷する手紙が舞い込んだり、バート叔父が愛飲する大麦湯に石鹸が仕込まれるなどのいたずらが発生する。いずれも、使用人達の過去の事件を連想させるものだったが、彼らはみな疑いを否定する。
 クリスマスの晩を迎えると、滞在客のほかに子どもたちもパーティに招かれ、フォレスター大佐がサンタの扮装をして登場する趣向を準備していた。ところが、大佐は具合が悪くなり、随行していた自分の使用人のモールトに代役を頼むが、モールトはサンタの扮装をしてパーティの場に現れたあと、忽然と姿を消してしまう・・・。

 本作は、ケイト・スタイン編“Book of List”(第二版:1995)において、アーロン・エルキンズがベスト・テンの一つに選び、1973年にMWA(アメリカ推理作家協会)の最優秀長編賞の候補にも挙がった、マーシュ後期の代表作である。
 マーシュが77歳の時の作品であるが、人物の造形はもちろん、プロットの構築も全盛期と全く遜色のない綿密さを感じさせる。ロバート・バーナードは、The English Detective Story’(キーティング編“Whodunit?”1982所収)の中で、「クリスティは後期の作品になると緻密なプロット構築力が弱くなってしまったが、マーシュは細心さと公明さを変わることなく保ち続けた」と述べているが、確かに、クリスティほどの巧妙さは持ち合わせなかったものの、丁寧にプロットを組み立てて解き明かしていく彼女のスタイルは晩年になっても変わらなかった。
 マーシュは1967年にも“Killer Dolphin”(英題:“Death at the Dolphin”)がMWAの最優秀長編賞の候補に挙がっているが、クリスティの場合は晩年にこうした賞の候補に挙がることはなく、全盛期に比べると作品の出来栄えに大きな落差を感じさせることを考えると、老いてなお健筆を揮ったマーシュの力量には感服させられる。
 いつもながら個性の乏しいアレン警視だが、本作では中間近くなるまで登場せず、不穏な使用人達のいる環境に置かれた妻のトロイに中心的な役割を演じさせさることでサスペンスを巧みに醸成している。中間部で退屈な尋問場面が続くパターンが欠点とされるマーシュだが、独特の事件環境と展開のおかげで本作ではそうした欠点もさほど目立たず、だれることなくクライマックスまでテンションを持続させることに成功している。MWAの候補作となったのも首肯できる佳作である。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

ナイオ・マーシュ “Scales of Justice”

 “Scales of Justice”(1955)は、ロデリック・アレン首席警部が登場する長編。

 舞台はスウェヴニングズという牧歌的な片田舎。住人も、ラックランダー家、フィン家、サイス家、カータレット家という、昔から定住している一族ばかりだった。ところが、この平和そうな村で、住人の一人、モーリス・カータレット大佐が渓流のそばで死んでいるのが発見される。大佐はこめかみを何らかの凶器で殴られて殺されていたが、死体のそばには、「オールド・アン」という、その土地で有名な巨大な鱒も死んで横たわっていた。
 先日夫を亡くしたばかりのレディ・ラックランダーは、スコットランド・ヤードに連絡し、旧知のロデリック・アレン首席警部に捜査を依頼する。
 事件の前、スウェヴニングズの名士、ハロルド・ラックランダー卿は、臨終の床でカータレット大佐に自分の回想録の出版を託すべく遺言していた。ところが、その回想録には重大な秘密があるらしく、それは、ハロルド卿が大戦中に大使の職にあった際の事件に関わることらしかった。
 当時、ハロルド卿の下で仕事をしていたのは、同じスウェヴニングズの住人、オクタヴィアス・ダンベリー・フィンの息子ルドヴィクだったが、ルドヴィクはナチスに機密を漏洩していた疑いを持たれて自殺していた。回想録の原稿を委託された大佐は、その真相に触れた箇所があることを、ハロルド卿の息子、ジョージに教える。ジョージは公表を思いとどまるよう迫るが、大佐は公表することに決めたと告げる。
 ジョージの息子マークは、医師をしていたが、大佐の娘ローズと愛し合っていた。ジョージは、回想録を公表すれば、ラックランダー家の人間はもちろん、ローズも不幸にすると言うが、大佐は耳を傾けなかった。
 フィンは猫好きで、何匹もの猫に囲まれて暮らしていたが、弓技が趣味のサイス中佐がフィンの飼い猫を誤って射殺してしまったことがあり、今でもそのことを恨んでいた。
 フィンは、以前から「オールド・アン」を釣り上げようと狙っていたが、事件の前、釣り場を得るためにカータレット大佐の土地に侵入して、大佐と諍いを起こしていた。
 フィンは、「オールド・アン」を釣り上げたのは自分だと主張するが、釣り上げて横たえた場所は死体発見場所ではなく、しばらく目を離した間に、その鱒がいつの間にか消えてしまっていたという・・・。

 本作は、1955年の英国推理作家協会(CWA)のシルヴァー・ダガー賞(当時は「ランナーズ・アップ(次点)」と呼ばれ、複数選ばれていた)に選ばれ、“Detective Fiction: The Collector’s Guide”の編者の一人、ジョン・クーパーもパースナル・チョイスの一冊に選んでいる、マーシュの代表作の一つ。
 マーシュの作品の特徴は、あらかじめよく練り上げた事件のプロットを、アレンの捜査を通じて丹念に解きほぐしていくところにある。このため、彼女の作品は、しばしば指摘されるように、中間部で延々と尋問シーンが続き、展開がだれることが多いのだが、辛抱強く付き合えば、事件の概観やポイントをつかみやすいメリットもある。クリスティのような斬新なサプライズは必ずしも期待できないが、マーシュは、こうした作品構想の手法のおかげで、後年になっても、弛緩することなく綿密なプロットを構築することができたようで、質の低下が目立たず、MWA(アメリカ推理作家協会)やCWAの賞にも候補として挙がるほどだった。
 こうしたマーシュの特質は本作にも表れていて、目覚ましいトリックが仕掛けられているわけではないが、プロットもよく練られた跡がうかがえて、すっきりとまとまるところが心地よい読後感をもたらす。移動した鱒の謎、死体の傷の謎など、本格ファンの関心をくすぐるポイントも効果的に配されている。個々の人物もよく描けていて、尋問が続く中にも、人間関係の綾が丁寧に描かれるため、ロードのように、うんざりするような退屈さを感じさせることもない。
 なお、原題の“Scales of Justice”は、「正義の秤」のことで、司法・裁判の公正さを象徴するものとして、裁判所などの司法関係機関に飾られる絵や像の正義の女神が手にしている天秤のことである。ところが、‘scale’には、「天秤」の意だけでなく、「うろこ」の意味もあり、この原題はダブル・ミーニングで、鱒の存在が事件の謎を解く重要な鍵になっていることを暗示している。つまり、「裁きをもたらすうろこ」の意味にも読めるというわけである。

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ナイオ・マーシュ “Singing in the Shrouds”

 “Singing in the Shrouds”(1958)は、ロデリック・アレン警視が登場する長編。邦訳のある『道化の死』に続く作品である。

 二月の夜、ロンドンのプールの波止場で、パトロール中の巡査が奇妙な叫び声を耳にする。不審に感じた巡査は波止場を探索して、絞殺された女の死体を小路に見つける。女の胸には、壊れた模造真珠のネックレスとヒヤシンスの花がばら撒かれていた。女の手には船会社が乗客に発行した乗船通知の切れ端が握られていたことから、犯人は、ラスパルマス経由でケープタウンに向かう貨物船「ケープ・フェアウェル」号の乗客と思われたが、巡査がスコットランドヤードに連絡しているうちに船は出航してしまう。
 ロデリック・アレン警視は、船会社幹部の親戚と称して「ケープ・フェアウェル」号に途中乗船し、船内で調査を進める。船内には9人の乗客がおり、そのうちの一人が殺人犯のはずだった。乗客は、服地小売商、引退した校長、司祭、切手収集家、テレビ俳優のほか、女性も4人乗っていた。
 実はそれまでに同様の殺人事件がロンドンで発生していて、これが3件目の事件だった。被害者は常に女性で、ネックレスを壊され、絞殺死体に花をばら撒かれていた。目撃者の証言から、この「花殺人鬼」は犯行後に歌を口ずさみながら去っていくのが常だった。事件はほぼ10日おきに起きていることから、次の事件は船内で起きることが予測された。
 アレン警視は、船医のメイクピース医師とジュールダン神父に身分を明かし、協力を得ながら捜査を進めるが、殺人鬼が乗船していることを信じようとしないバナーマン船長の非協力的な態度に悩まされる。
 事件が起きると予測された晩、船内で、乗客の女性の一人をかたどった人形が、エメラルドのビーズとヒヤシンスをばら撒かれ、壊されているのが見つかる。直前に何者かが歌を口ずさみながら立ち去るのをアレン警視とジュールダン神父が聞いていた・・・。

 本作は、“Detective Fiction: The Collector’s Guide”の編者の一人、B・A・パイクがパースナル・チョイスの一冊に選んでいる。
 ストーリーは船上を舞台に展開し、被疑者が限られた、いわゆる「クローズド・サークル」物である。「切り裂きジャック」のバリエーションでもあり、普通なら、限られた空間の中で殺人鬼が徘徊している状況がいやが上にもサスペンスを醸し出すものだが、乗客のほとんどは実情を知らされないままのんびり船旅を過ごしているし、マーシュらしい淡々とした捜査状況の描写もあって、せっかくの設定が十分活かされていないきらいがある。
 愛妻家のアレンが妻のトロイに捜査の進捗状況を手紙に書いたり、神父や医師と事件について論じるシーンなどが何度か出てくるが、そんな描写がかえって緊張感を弱め、いかにも切迫感が乏しい印象を与えてしまう。もっとも、こうした展開の中で登場人物たちの個性と人間模様を密に描くことに作者の意図があったとも考えられるし、それはある程度成功しているともいえる。
 後半に入ってようやく本当の殺人が船内で起き、乗客たちも実情を知らされて、にわかにテンションが高まり、そこからクライマックスに至るまでの展開はさすがに読ませる。プロットもマーシュらしく綿密に練られたことがうかがえ、さりげない会話に出てきたシェークスピアの話題などが実は重要な手がかりであったことも分かる。余談ながら、英文学を読んでいてよく実感することだが、少なくとも聖書とシェークスピアに親しんでおくことがしばしば作品の理解を助けるものである。イギリス人には常識に近い古典作品やそこからの引用などが、日本人にとっては縁遠い場合がよくあるからだ。
 なお、原題にある‘shroud’は海事用語でマストに張る横静索を意味するが(故浅羽莢子さんは『帆の中の歌声』と訳していた)、「屍衣」の意味にもかけたダブル・ミーニングだ。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

ナイオ・マーシュ “Death at the Bar”

 “Death at the Bar”(1940)は、ロデリック・アレン首席警部が登場する長編。

 ロンドンで法廷弁護士を務めるルーク・ウォッチマンは、友人達と休日を過ごすため、デヴォン州南部にある海沿いの田舎、オッターコームに向かっていたが、途中、運転していた車に他の車が接触する事故に遭う。相手の男は平謝りに謝り、ウォッチマンはとりあえずその場は収めたが、オッターコームに着くと、その男は同じ宿屋の「羽根飾り亭」の滞在客で、ロバート・レッグという男だと分かる。
 オッターコームには、彼のいとこで俳優のセバスチャン・パリッシュ、友人で画家のノーマン・キュビット、かつての愛人だったデシマ・ムーアも来ていた。「羽根飾り亭」の主人、エイベル・ポムロイにはウィルという息子がいて、レッグ、デシマとともに左翼活動の団体を作っていた。
 ウォッチマンは、ある朝、ハリエニシダの茂みでデシマと二人になり、ウィルやレッグと行っている左翼活動への疑問を話しているうちに、強引にデシマに言い寄り、よりを戻そうとするが、そこにパリッシュとキュビットが通りかかったおかげで彼女はその場を切り抜ける。
 ある晩、「羽根飾り亭」のバーで、ウォッチマンがレッグに、自慢のダーツの技を見せろと、ダーツボードに自分の手を広げて当てて挑発する。レッグは、広げた手の指の間にダーツを当ててみせる特技があった。ところが、レッグは誤ってダーツをウォッチマンの指に刺してしまう。
 ウォッチマンは子どもの頃から流血を過度に恐れる特質があり、一気に青ざめて言葉を失う。宿の主人のエイベルは、急いで救急箱を出してきて、ヨードチンキを傷に塗るが、ウォッチマンはそのまま絶命してしまう。レッグは、自分が失敗するはずはなく、ダーツが刺さったのはウォッチマンが手を動かしたせいだと主張する。
 検死解剖の結果、ウォッチマンの死因は青酸カリによるものと分かるが、胃の内容物からは検出されなかったことから、外傷から取り込まれたと考えられた。はたしてウォッチマンを刺したダーツの矢からは青酸カリが検出される。事件の前に、エイベルは、ネズミ駆除のために青酸カリを購入して戸棚にしまっていたのだった。
 ダーツは、その時に出したばかりの新しい矢で、他の矢に毒はなかったし、レッグが選んだ矢にあらかじめ毒を塗っておくことも不可能だった。しかも、バーにいたほかの客たちは、その矢を取り出してから投げるまでの間に、レッグが矢に細工するようなことはしなかったと断言する・・・。

 いとこのパリッシュと親友のキュビットはウォッチマンの相続人であり、デシマはウォッチマンの愛を拒み、ウィルは彼女に思いを寄せ、さらに、レッグは、かつてウォッチマンが弁護士を務めた横領事件で有罪判決を受けた前科者と分かるなど、有力な動機を持つ容疑者には事欠かない。そこにダーツと青酸カリの謎というハウダニットの興味が加わり、いかにも本格謎解きファンを喜ばせそうな設定となっている。
 大団円から顧みても、シンプルな殺人方法とともにフーダニットとしての魅力もあり(といっても、推理小説を読み慣れた読者なら案外簡単に見抜きそうな気もするが)、“The Mystery Lover’s Companion”のアート・ブアゴウのように、「傑作」を意味する短剣4本を与えている評者もいるが、意外と推薦作に選ぶ評者は少ない。
 私自身も、かつて読んだ時は、マーシュの作品をそれほど読んでいなかったし、謎解き重視の視点で読んだせいもあってか、まずまずの佳作と思ったものだが、久しぶりに読み返してみると、マーシュの作品の中では比較的地味な作品のように思えた。
 というのも、しばしば指摘されるように、マーシュの作品は、中間部に事件関係者への退屈な尋問シーンが延々と続くことが欠点とされるが、比較的初期に属する本作にもそうした場面が目立ち、途中の展開がだれてややうんざりしてくるからだ。マーシュもそうした批判を踏まえてか、次第に人物描写に円熟味を増すとともに、演劇や旅行などの舞台設定を巧みに取り入れるなど、ストーリーテラーとしての才に磨きをかけていった。本作は、まだマーシュのそうした才能が十分開花する前の時期に属する作品と見るべきなのかもしれない。
 だからというので、ジュリアン・シモンズのように、『ヴァルカン劇場の夜』をはじめ、人物描写に力のこもった作品ばかりを優先的に推すつもりもないのだが、プロットとしても、本作は比較的シンプルな設定で、マーシュにはもっと緊密で構成のがっちりしたプロットの作品が幾つもあるように思える。
 ハウダニットやフーダニットとしてそれなりの面白さがあるにもかかわらず、さほど斬新な印象を受けないのも、そうしたプロットのシンプルさと人物描写の地味さに加えて、マーシュらしい展開の退屈さが目立つためだろう。もちろん、決して悪い作品ではなく、謎解き重視の傾向が強い我が国であれば、評価する読者もきっと多いのではないだろうか。
 なお、クライマックス直前で、部下のフォックス警部が毒殺されそうになり、いつもはあまり感情も見せず個性も希薄なアレンが、フォックスを気遣って人情味を見せるところはなかなか珍しいシーンといえるだろう。
 タイトルもマーシュらしく、ダブル・ミーニングを活かしたものとなっている。素直に読めば、バーで起きた殺人を意味すると思えるが、‘bar’には「法廷」の意味もあり、‘a case at the bar’(係争中の事件)、‘a prisoner at the bar’(刑事被告人)のように使う。読後にその意味が分かる仕掛けとなっているのだ。

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ジャンル : 小説・文学

ナイオ・マーシュ“Swing, Brother, Swing”

 “Swing, Brother, Swing”(1949)は、ロデリック・アレン首席警部の登場する長編。米版(A Wreath for Rivera)のほうが英版に先行して初版が出た。作中に言及はないが、英版タイトルは、ジャズ・シンガーとして著名なビリー・ホリデイの曲に由来する。

 ジョージ・パスターン卿は、インドのヨガに夢中になったかと思うと、ヴ―ドゥー教の研究に没頭したり、ヌーディズムの信奉者になったりと、世間では変り者で知られていた。そのパスターン卿が、今度は、ブリーズィ・ベレアズのジャズ楽団がナイトクラブ「メトロノーム」で行う特別興行に、臨時のティンパニ奏者として参加するという。パスターン卿の夫人、セシルはいつもの夫の奇行に当惑していた。
 セシルには、フェリシテという先夫との間にできた娘がいた。フェリシテは、楽団でピアノ・アコーディオン奏者を務めるカルロス・リヴェラとひそかに婚約していた。フェリシテはカルロスの嫉妬深い態度に悩まされ、「ハーモニー」という雑誌の身の上相談欄に投稿して悩みを打ち明けていた。
 パスターン卿は、演奏会の余興として、リボルバーに空包を詰め、奏者を次々と撃ち倒すという演出を予定していた。観客が見守る中、パスターン卿はリボルバーを取り出し、まずカルロスを撃ち、彼が倒れると、ほかの奏者も次々と撃ち倒していく。指揮をしていたリーダーのベレアズが卿からリボルバーを取り上げ、自分のポケットにしまう。ベレアズがウェイターに手渡された花輪を倒れたカルロスの胸に置くと、ベレアズは心臓のあたりを手探りして顔色を変え、担架でカルロスを運び出すよう指示する。
 カルロスは胸に矢のようなものを刺されて絶命していた。それは、パスターン卿夫人の日傘の柄から取られたもので、パスターン卿は、自分が演奏前にその日傘をたわむれに解体してピアノの上に置いたと説明する。
 パスターン卿のリボルバーは、ティンパニ奏者のスケルトンが空砲しか入っていないことを事前に確認していたし、その後に自分以外にリボルバーに手を触れた者はいないと卿は主張する。ところが、リボルバーには凶器となった矢が突っ込まれたとみられる傷が残っていた。
 ほかにカルロスに近づいた者は、リーダーのベレアズだけだったが、ベレアズは演奏前に気を静めるための錠剤が見つからないことで騒ぎ、パスターン卿がベレアズの体をくまなく探して錠剤を見つけていたことから、兇器を衣服などに隠し持っていたはずがなかった。
 たまたま妻トロイとともに観客として演奏を聴いていたアレン首席警部は、事件の一部始終を目撃し、そのまま捜査に携わることになる・・・。

 本作は、“A Catalogue of Crime”の編者ジャック・バーザンとW・H・テイラーが、“Fifty Classics of Crime Fiction 1900-1950”の一つに選んでいる作品である。バーザンらは主に、パスターン卿の特異な人物造形を称賛しているが、「結末のサプライズ」にも言及しているように、プロットの水準としてはマーシュの作品の中でも一、二を争うものだろう。
 マーシュの作品の中には、“Death at the Bar”、“Death and the Dancing Footman”、『道化の死』のように不可能興味をプロットの中心に据えた作品が幾つかあるが、本作もその一つ。前二者が比較的シンプルなトリックで、ややもすると拍子抜けしそうになるのに対し、本作は『道化の死』とともに、よく練られたプロット構成が光る作品といえる。
 あっけらかんと自分に不利な証言をするパスターン卿が犯人とは考えにくく、彼以外には誰もリボルバーを細工できなかったという不可能興味の横溢する謎を、バーザンらの言うように、いかにも変人のパスターン卿を見事に造形することで無理なく浮き彫りにすることに成功している。ただ、例によって、中間に退屈な尋問シーンが延々と続くところがいつものマーシュの欠点ではある。
 演奏会場に据えられた巨大なメトロノームなど、レッドへリングも巧みに散りばめられているし、「ハーモニー」誌の身の上相談員の正体、麻薬中毒のベレアズと提供者のカルロスの関係といったサブプロットも決してただの埋め草ではなく、全体のプロット構成と緊密に結びついていることも分かり、いかにもマーシュらしく事前にプロットをよく練り上げたことが窺える。ポーの「盗まれた手紙」を引用するくだりも、ただのこけおどしではなく、プロットの着想に見事に活かされていることも特筆されていいだろう。
 初期作品のシリーズ・キャラクターだったジャーナリストのナイジェル・バスゲイトが最後のほうで登場し、捜査に協力するところもご愛嬌で、シリーズのファンにとっては嬉しいサービスだ。“Death in Ecstasy”で新興宗教の儀式に巻き込まれる展開はなかなか印象的だったが、その事件以来影の薄い存在になっていたからだ。
 なお、‘swing’にはジャズのリズムや演奏スタイルの意味もあるが、「吊るす」の意味から転じて「絞首刑になる」という意味も持つし、作中で被害者がよろめいて倒れるシーンも暗示している。いつもながら、マーシュはタイトルの付け方が実にうまい。


Swing, Brother, Swing
    英初版の扉

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