E・C・ベントリー&H・ウォーナー・アレン “Trent’s Own Case”

 前の記事で触れた機会に、“Trent’s Own Case”(1936)も紹介しておこう。言うまでもなく、『トレント最後の事件』に続く、フィリップ・トレント再登場の長編である。
 共作者のハーバート・ウォーナー・アレンは、モーニング・ポスト紙のパリ特派員だった人で、“Mr. Clerihew: Wine Merchant”(1933)というミステリも書いている。その主人公、ウィリアム・クレリヒューは、名前をベントリーから借用して創造された探偵で、“Trent’s Own Case”にも顔を出している。

 孤児院、精神病院などを設立し、慈善活動に資産を投入してきた、富豪のジェームズ・ランドルフが、ニューベリー・プレイスの自宅の寝室で殺されているのが発見される。ランドルフは、ちょうど上着を脱いで夕食のために着替えようとしていた時に、背中を銃で撃たれて即死していた。犯人は部屋の入口のドアから撃ったと思われ、被害者はなんの危険も察知していなかったようだった。
 被害者のポケットからは、小銭や手紙などのほかに、なぜか年代物のシャンペンのコルクが出てきた。部屋には、小包の包装紙や紐が散らかり、カーペットには、紐を切るのに使ったらしき安全剃刀の刃が落ちていた。さらに、その日の予定を記したはぎ取り帳がむしりとられ、持ち去られていた。
 ランドルフは遺言書を作っておらず、彼が行ってきた慈善活動は行き詰まることが予想された。彼には息子が一人いたが、16歳の時に家出したまま消息が知れなかった。
 廊下に、かばんから取れて落ちたと思しき名札が落ちていて、そこにはフェアマン医師の名前とフランスのディエップに向かう船客であることが記されていた。医師は、ランドルフが設立した病院の医師だった。
 事件のあった当日、フィリップ・トレントは、ランドルフの依頼を受けて、彼の肖像画を描くために邸を訪れていたが、彼の出入りは使用人のロートが目撃していた。その晩、外出したロートが邸に戻った時に主人の死体を発見したのだった。
 その後、トレントは、ヴィクトリア駅に、フランスに旅立つ叔母のジュディスを見送りに行ったが、フェアマン医師は同じ列車とディエップ行きの船に乗っていた。医師は、出発前に、自分がランドルフを殺したという告白文を警察宛てに投函しており、フランスからの帰路、船から飛び降りて自殺しようと図り、身柄を拘束される。
 さらに、ランドルフ家の使用人、ロートが逐電する。実は、ロートには前科があり、それ以外にも、銀行強盗を働いた過去の秘密があった。ランドルフは、ロートにその告白書を書かせていて、自分が不審な死を遂げた場合には、その告白書と経緯を明らかにする自分の手紙を警察に送付するように弁護士に指示していた。ロートは、事態を察知して逃げたものと思われた。
 事件現場に残されていた指紋の中で、剃刀の刃に残されていた指紋だけが、ランドルフを含む家人のもと一致しなかった。トレントは、その指紋の写真を警察からもらいうけて調べるうちに、それがほかでもない、自分の指紋であることに気づく・・・。

 トレントが事件関係者として巻き込まれる、まさにタイトルどおりの「トレント自身の事件」なのだが、トレントのアリバイは最初からはっきりしていて、結局、被疑者の一人とされることはない。せっかく指紋の謎を提示したのだから、トレントを容疑者に仕立てて、自らの潔白を証明するという筋書きにすれば、それなりにサスペンスを盛り上げたのでは、とも思ってしまうのだが、そこは期待外れで、トレントは淡々と捜査を進めていく。
 前作『トレント最後の事件』が古典としてあまりに有名なために、本作は割を食いがちで、ともすると不出来だという先入観を持ってしまいかねないのだが、リファレンス・ブック等を参照すると、意外と好意的な評価が多い。“Twentieth Century Crime and Mystery Writers”でベントリーの項目を執筆しているチャールズ・シバクは、『最後の事件』には及ばないとしつつも、「かなりの巧みさと奥行きをもった、優れた探偵小説」としているし、“A Catalogue of Crime”のバーザンとテイラーも、「謎は興味満点、解決も実に手堅い」と称賛している。“1001 Midnights”のエドワード・D・ホックも、「前作には及ばずとも、巧妙で魅力的な長編」としている。
 確かに、コルクの謎、逐電した使用人の謎、指紋の謎、告白書を書いて自殺を図った医師の謎など、一見ばらばらと思える様々な謎やエピソードが、細部に至るまで有機的に関係していたことが明らかになり、パズル・ピースのように一つの絵にまとまる解決は、確かによく練られたプロットであることを実感させる。錯綜したプロットながらも、手がかりをストーリーの中に巧みにちりばめている。ただ、犯人の偽装工作はそれなりに面白いが、実行可能性に疑問が残りそうなところではあるだろう。
 前作で結ばれたメイベル夫人のほか、元気いっぱいの息子も登場して、トレントの個人史を知る上でも興味深い。ケネス・マクゴワン編“Sleuths”(1931)によれば、二男一女があったとされているので、その後さらに子宝に恵まれたことになる。過大な期待さえ抱かなければ、まずまずの出来栄えで、『最後の事件』や『トレント乗り出す』を楽しんだ読者であれば、読んで損はない佳作といえるだろう。
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E・C・ベントリー ‘The Feeble Folk’

 ベントリーの単行本未収録短編も紹介しておこう。‘The Feeble Folk’は、ベントリーがEQMM本国版1953年3月号に寄稿した短編。タイトルは、旧約聖書「箴言」第30編26節に由来する。
 なお、同号には、フランク・ストックトンの「女か虎か」と「三日月刀の促進士」、ウールリッチ「さらばニューヨーク」、ジェームズ・ヒルトン「蝙蝠の王」、スコット・フィッツジェラルド「舞踏会」、トマス・フラナガン「獅子のたてがみ」、T・S・ストリブリング‘The Warning on the Lawn’も掲載されている。

 ボリビアに金を探しにやってきたハンティンドン中佐は、現地で伝道活動を行っているアクィラ神父のところに滞在していた。中佐は、ある日の日没時に、巨大な白いウサギが大麦の畑を走り去るのを目撃する。パブロというインディオの若者が、それは「収穫をもたらす者」という一種の魔王だと言う。
 パプロによれば、その姿は毎年目撃され、春に目撃されないと収穫がもたらされず、食料不足に陥るという。中佐は、その話を迷信だととりあわず、熊ではないかと考えていた。中佐は、現地住民のばかげた迷信に終止符を打つべく、神父の止めるのも聞かず、翌朝、二人のインディオを連れて、その動物を捕獲して皮をはぐために山中に向かう。
 山に入って三日目の朝、中佐は、同行したインディオたちが夜の間に逃亡し、自分一人になっているのに気づく。中佐は、雪が覆う山の斜面に、巨大なウサギがいるのを発見し、ライフルで射撃する。手応えを感じた中佐は、獲物を確かめに近づくが、死にゆく獲物が自分を見つめると、とたんに恐怖にとらえられ、意識を失う。再び意識を取り戻した中佐は、獲物の姿が跡形もないのに気づく・・・。

 「犯罪小説というよりはホラー」というチャールズ・シバクの評のとおり、オカルト色の強いホラー作品だ。トレントのシリーズに親しんだ読者にしてみると、意外の念を抱くかもしれないが、ベントリーのストーリー・テリングの巧さを楽しめる好編といえる。


EQMM53.3

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ベントリー『トレント最後の事件』初版の問題

 E・C・ベントリーの『トレント最後の事件』も、実は初版をめぐって議論のある本だ。ジョン・クーパー&B・A・パイク編“Detective Fiction: The Collector’s Guide”によれば、英版と米版のどちらが真の初版なのかはっきりしないらしい。同書によると、A・E・マーチ女史が“The Development of the Detective Novel”(1958)の中で、ニューヨークのセンチュリー社が1912年に“The Woman in Black”というタイトルで出したものが真の初版で、英ネルソン社の初版は1913年3月に出たものだと主張しているようだ。
 ところが、バーザン&テイラーの“A Catalogue of Crime”は、反対に、ネルソン社版が1912年、センチュリー社版が1913年としている。その一方で、アーロン・マーク・スタインは、1977年のミステリ・ライブラリ版の序文で、英米両版とも1913年3月に出たと述べているとのこと。
 肝心の英初版に出版年が印刷されていないことも混乱のもとになっているようだが、大英図書館蔵の英初版には1913年3月29日というスタンプがあり、イングリッシュ・カタログ・オブ・ブックスでは1913年2月13日という出版の日付を載せているらしい。
 もちろん、(誤植や異同の問題などを別にすれば)どちらが真の初版だろうと、何日に出版されたものだろうと構わないではないか、という意見もあるだろう。いわゆる初版本のコレクターでない限り、中身が同じであれば、そんな問題などどうでもいいことだからだ。
 誤解のないように申し上げれば、私自身もそんなコレクターではないので、基本的には同じ認識であり、中身が同じであれば、なにも高値の付きちがちな初版本を手に入れようとは思わない。ただ、フリーマンのように、初版にのみイラストや写真が入っている例もあり、初版に特別な情報が含まれているような場合には関心の向くことがある。
 この『トレント最後の事件』も、英初版には、ヒックリングという画家によるマンダースン夫人のカラーの肖像画が口絵として挿入されている。トレントが夫人に初めて会った時の様子を描写したもの。創元文庫版のカバーにも使われているが、なかなか魅力的なポートレートではないかと思う。

Mrs. Manderson

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