不可能犯罪の傑作?愚作? ウィンズロウ&カーク “Into Thin Air”

 ここのところメジャーな作家ばかり取り上げてきたので、「お口直し」と言うのも変だが、今度はがらりと視点を切り替えて、筋金入りのマニアが珍重する幻の作品でありながら、大多数の人は名前も知らないマイナー物を取り上げてみる。
 ホレイショ・ウィンズロウとレスリー・カークの“Into Thin Air”(1929)は、不可能犯罪物のファンから近年にわかに注目されるようになった作品だ。そのきっかけは、ロバート・エイディの“Locked Room Murders and Other Impossible Crimes”(1991)の中で称賛されたことにある。同書巻末の解決要約の部分でも、「まさに黄金時代の娯楽。盛りだくさんの不可能状況、非凡な登場人物、クロッツ博士という優れた探偵、素晴らしい解決、見事な大団円」と手放しの誉めちぎりようだ。エイディはローズマリー・ハーバート編“The Oxford Companion to Crime and Mystery Writing”でも‘Impossible Crime’の項目を担当しているが、そこでも、いわゆる消失物の「最も満足できる作品」と最高級の評価を与えている。不可能犯罪物の批評にかけては大家のように見なされているエイディのこと。さて、どれほどすごい作品なのかと思うのだが・・・。

 怪盗「セーレム・スプーク」は、壁を通り抜けたり、空を飛んだりしたかのような超自然的としか思えない仕方で犯行現場から姿を消し、警察当局の追跡から逃れ続けていた。いったん捕らえられても、見事に脱獄を果たした「セーレム・スプーク」だったが、列車事故に巻き込まれて無残な最後を遂げる。死体は指紋の照合により彼のものと確認され、墓地に埋葬されて、その伝説にも幕が下ろされたかに見えた。
 その二日後、オールデン・ノリンズ教授(語り手)は、恋人のデイ・キャロルの父の家で、自動車レース興行主のリチャード・アダムス、新聞記者のアン・クレム、犯罪捜査の大家であるクロッツ博士らを招き、かつて「グランド・ガレオト」として名の知られた魔術師アーネスト・フィトキンに降霊術をやらせて、クロッツ博士にその謎解きをさせる場を設けた。
 クロッツ博士は、フィトキンを試すため、密封した小包の中から取り出した蝶番式の石板に手を触れずに文字を書かせることとした。なにも書かれていないことを確認させるためにフィトキンに石板を手渡し、開かせると、そこには既に「クロッツ博士へ。あなたの部屋で待っている。セーレム・スプーク」とクレヨンで書かれていた。予期せぬ事態に驚くクロッツに家政婦から電話がかかり、赤い羽根の付いた帽子をかぶった青年が博士の家に押し入って来たという連絡がはいる。
 一行がクロッツの家に駆けつけると、家政婦はその青年が家に入ったまま消えてしまったと言う。調べてみると、博士の所有するカメオのコレクションが盗まれていることが分かる。手鏡に侵入者の指紋が残っているのを見つけた博士は、すぐさま検出を試みるが、それは紛れもなく、死んで埋葬されているはずの「セーレム・スプーク」の指紋だった・・・。

 クロッツ博士の家に再び侵入した謎の「霊体」の目撃証言をはじめ、奇想天外な不可能状況が次々と出てくるのだが、結論から言えば、ひどい愚作としか思えなかった。クロッツ博士も、エイディが称賛するような名探偵であるどころか、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまう。マジックの種明かしが出てくる個所などからすると、おそらく著者はマジックの知識に詳しいと思われるが、小道具の使用や組み合わせといったマジックの手法をそのまま推理小説に持ち込んでも印象的なプロットにはなりにくい。
 特にひどいと思ったのはフーダニットの設定で、ある作家が用いた手法を下手くそに真似た代物にすぎない。エイディの評価とは対照的に、“A Catalogue of Crime”のバーザンとテイラーは、「全くとるに足りない本」という素っ気ない評でにべもなく斬って捨てているが、個人的にはこちらの評価にほぼ同感である。(どうやら「お口直し」にならなかったようだ・・・。)
 とはいえ、それまでほとんど誰も注目しなかったのに、エイディが特筆したことがきっかけで注目され、紹介されるに至った作家や作品は少なくない。ジョエル・タウンズリー・ロジャーズの『赤い右手』、ノーマン・ベロウの『魔王の足跡』、アントニー・レジューンの『ミスター・ディアボロ』、ルパート・ペニーの『警官の証言』などもそうだ。
 『赤い右手』についても、バーザンとテイラーは極めて否定的な評価を下していて、その評もこれまた個人的にはほぼ同感なのだが、その一方で、ドナルド・E・ウェストレイクのように同書をベスト・テンの一つに選んでいる著名作家もいる(ケイト・スタイン編“The Armchair Detective: Book of Lists”)。そんなことを考えると、当たり前のことではあるけれど、やはり人の見方は千差万別としか言いようがない。
 我が国では密室はじめ不可能犯罪物が特に人気が高いようだし、四の五の言うより、まずは紹介されてみれば、この“Into Thin Air”にしても、エイディによる高い評価を支持する人が案外たくさんいるのではないだろうか。


Into Thin Air
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密室・不可能犯罪のアンソロジー

 密室や不可能犯罪をテーマにしたリファレンス・ブックといえば、ロバート・エイディの“Locked Room Murders”がよく知られているし、エドワード・ホックが作家や批評家からのアンケートを集計した密室物のベスト表も『密室大集合』(邦訳は早川文庫)の序文に紹介されている。念のため、そのベスト表を再掲すると、以下のとおり(どうやら邦訳も品切れになっているようだ)。

 1 『三つの棺』 ジョン・ディクスン・カー
 2 『魔の淵』 ヘイク・タルボット
 3 『黄色い部屋の謎』 ガストン・ルルー
 4 『曲った蝶番』 ジョン・ディクスン・カー
 5 『ユダの窓』 カーター・ディクスン
 6 『ビッグ・ボウの殺人』 イズレイル・ザングウィル
 7 『帽子から飛び出した死』 クレイトン・ロースン
 8 『チャイナ橙の謎』 エラリー・クイーン
 9 “Nine Times Nine” H・H・ホームズ(アンソニー・バウチャー)
 10 『孔雀の羽根』 カーター・ディクスン
 11 『帝王死す』 エラリー・クイーン
 12 『暗い鏡の中に』 ヘレン・マクロイ
 13 『爬虫類館の殺人』 カーター・ディクスン
 14 『魔術師が多すぎる』 ランドル・ギャレット
    『見えないグリーン』 ジョン・スラデック


 ジョン・ディクスン・カーの評伝『奇蹟を解く男』(邦訳は国書刊行会)の著者ダグラス・G・グリーンも密室・不可能犯罪物長編ベストを選んでいて(ケイト・スタイン編“Book of List”所収)、誰かが紹介しているかと思ったが、案外見かけないので(私が不明なだけかもしれないが)、以下に紹介しておく。
 グリーンは、カー(ディクスン)の作品から10、その他の作家から10の長編をそれぞれ選んでいて、いずれも「巧妙さ」の順に並べたとのこと。

ジョン・ディクスン・カー(カーター・ディクスン)
 『ユダの窓』
 『三つの棺』
 『爬虫類館の殺人』
 『死が二人をわかつまで』
 『孔雀の羽根』
 『囁く影』
 『曲った蝶番』
 『白い僧院の殺人』
 『貴婦人として死す』
 『悪魔のひじの家』

その他の作家
 『魔の淵』 ヘイク・タルボット
 『絞首人の手伝い』 ヘイク・タルボット
 “Nine Times Nine” H・H・ホームズ(アンソニー・バウチャー)
 『ビッグ・ボウの殺人』 イズレイル・ザングウィル
 『帽子から飛び出した死』 クレイトン・ロースン
 『チャイナ橙の謎』 エラリー・クイーン
 『迷路』 ビル・プロンジーニ
 『おしゃべり雀の殺人』 ダーウィン・L・ティーレット
 『魔術師が多すぎる』 ランドル・ギャレット
 『見えないグリーン』 ジョン・スラデック


 こうして見ると、『密室大集合』の集計結果と結構重なり合っているのに気づく(グリーン自身もアンケート回答を寄せた一人ではあるが)。長編に関しては定評のある作品は概ね絞り込めると言うこともできようか。
 ところが、短編の領域に入ると、それこそ多彩な作品が目白押しで、これぞベストと言える作品を挙げるのはもちろんのこと、ベスト・テンに入りそうな作品すら挙げるのも迷うほどだ。もともと密室や不可能犯罪物は、全体構成としてのプロットの工夫より、小道具や技術的なトリックで勝負する分野であり、短編のほうがなじみやすい形式だからではないだろうか。
 実際、過去に出版された密室・不可能犯罪物をテーマとした主だったアンソロジーを見ても、(重複を避けるよう工夫している面もあるが)収録作品の異同の著しさに戸惑いすら覚える。見方変えれば、それだけ楽しめる作品が山ほどあるということだ。
 我が国でも不可能犯罪物のアンソロジーが幾つか出ているが、読書ガイドを兼ねて、以下に海外で編まれた代表的なアンソロジーを挙げ、(恣意的な選択ではあるが)比較的知られたものを中心に(重複を避けて)収録作を例示しておく。


ハンス・S・サンテッスン編“The Locked Room Reader”(1968:邦訳『密室殺人傑作選』早川文庫)
 カー「ある密室」、クイーン「クリスマスと人形」、ロースン「世に不可能事なし」、チェスタトン「犬のお告げ」、ホック「長い墜落」など。
 ※原書には『ビッグ・ボウの殺人』と邦訳のないヘンリー・ケインの長編‘The Narrowing Lust’も収録されている。

エドワード・D・ホック編“All But Impossible!”(1981:邦訳『密室大集合』)
 カー「山羊の影」、マクロイ「鏡もて見るごとく」、クイーン「七月の雪つぶて」、ゴドフリー「ニュートンの卵」、ホック「有蓋橋事件」など。

アイザック・アシモフ、チャールズ・G・ウォー、マーティン・H・グリーンバーグ編“Tantalizing Locked Room Mysteries”(1982)
 ポー「モルグ街の殺人」、ドイル「まだらの紐」、フットレル「十三号独房の問題」、アーサー「51番目の密室」、ホック「レオポルド警部の密室」など。

マーティン・H・グリーンバーグ、ビル・プロンジーニ編“Locked Room Puzzles”(1986)
 カー「第三の銃弾」、プロンジーニ「盗まれた部屋」、ロースン「この世の外から」、ホック「魔術師の日」。

ダグラス・G・グリーン、ロバート・エイディ編“Death Locked In”(1987)
 ボドキン「代理殺人」、ゴドフリー「この世の外から」、ホック「魔法の弾丸」、カー「見えぬ手の殺人」、チェスタトン「見えない男」など。

ジャック・エイドリアン、ロバート・エイディ編“The Art of the Impossible”(1990)
 カー「妖魔の森の家」、タルボット‘The Other Side’、ポージス「コーヒー・ブレイク」、スーター「不可能窃盗」、ホック「不可能犯罪」など。

マイク・アシュリー編“The Mammoth Book of Locked Room Mysteries and Impossible Crimes”(2000)
 カー「銀色のカーテン」、ホック「混み合った墓地の謎」、ロースン「天外消失」、ポースト「ズームドルフ事件」、フットレル「モーターボート」など。

マイク・アシュリー編“The Mammoth Book of Perfect Crimes and Impossible Mysteries”(2006)
 カミングズ「Xストリートの殺人」、ホック「黒修道院の謎」、キング「釘と鎮魂曲」、ゴドフリー‘The Flung-Back Lid’、プロンジーニ「有罪証拠」など。

 カーとホックはほぼ常連であり、クレイトン・ロースン、ジョゼフ・カミングズ、ビル・プロンジーニもよく収録されている。
 カミングスは、“Banner Deadlines”(2004)でようやくまとまった短編集が出たが、それまではアンソロジー・ピースとしてしか単行本では読めなかった。同書に寄せたホックの回想によれば、『密室大集合』にカミングズの作品も含めたかったが、編集者に拒まれたらしい。「Xストリートの殺人」は個人的にも特に感心した作品の一つで、あまり知られていないのが惜しい。
 だが、上記アンソロジーの本当の読みどころは、邦訳でも読める有名作ではなく、上記では挙げなかったような掘り出し物の数々のほうだろう。ミステリマガジンなどに訳載されたものもあるが、未訳の作品も目白押し。特にアシュリー編の二冊はそうで、エイディの著書からもうかがえるが、きっとこれらの掘り出し物も氷山の一角に違いない。
 なお、“Locked Room Mysteries and Impossible Crimes”のあとがきとしてアシュリーが書いている‘Impossible Crimes: A Quick History’は、よくまとまった不可能犯罪物の略史で、代表作をうまく拾い上げていてなかなか参考になる。


Locked Room Reader 初版

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T・H・ホワイト “Darkness at Pemberley”

 テレンス・ハンベリー・ホワイトは、映画「キャメロット」の原作となった、アーサー王伝説を題材にしたファンタジー小説『永遠の王』(1958)で知られる作家。“Darkness at Pemberley”(1932)は、ホワイトが犯罪小説に手を染めた初期の作品であり、密室物の古典の一つとしても知られる。

 あるケンブリッジの大学で二件の殺人事件が起きる。被害者の一人は、セント・バーナバス・カレッジのフレイザーという大学一年生。もう一人は、セント・バーナード・カレッジのフェローで学寮長のビードンだった。
 セント・バーナードのフェローで化学の教師をしているモールヴェラーは、ウィーンズという学生とビードンと一緒に観劇に行く予定だった。モールヴェラーがウィーンズを連れてビードンを部屋に呼びに行くと、ドアには鍵がかかり、ノックをしても返事がない。すると、部屋の中でレコード・プレーヤーが作動して音が鳴り始め、ビードンは在室しているらしいことが分かるが、それでも返事はなく、二人は諦めて劇場に向かう。
 同じ日、その近隣にある下宿屋の部屋で、女主人がフレイザーの死体を発見する。フレイザーは、離れた距離から眉間を撃ち抜かれ、顔には驚きと恐怖の表情が表れていた。しかし、フレイザーを殺害する動機は誰にも見あたらなかった。
 その翌朝、ビードンの部屋を整えに来たメイドが彼の死体を発見する。椅子に座った状態で、至近距離からこめかみを撃たれ、手にはサイレンサー付きのオートマチックを握っていた。銃はフレイザーを撃ったものと同一と判明し、ビードンがフレイザーを殺害したあと、自殺を図ったものと思われた。
 ところが、両事件の捜査に携わるブラー警部は、警察医から、弾丸や二人の被害者の傷を分析した結果、最初に殺されたのはビードンのほうであり、フレイザーはその直後に殺されたことを告げられる。
 ブラーは真相に気づき、真犯人に迫るが、有罪を立証できるだけの証拠はなく、真犯人は二つの殺人事件の経緯を詳細に説明し、第三の殺人まで告白してブラーに向かって勝ち誇る。
 二週間後、この事件をきっかけに警察を退職したブラーは、ダービーシャー州のペンバリーという田舎に住むチャールズ・ダーシー卿の招待を受け、休日を過ごしにその邸に赴く。チャールズ卿は、かつて、酔った勢いの過ちから麻薬事件に巻き込まれ、事故で妻を失い、自らも刑期を務めた過去があり、今は妹のエリザベスとともに邸で静かに暮らしていた。
 ブラーは、ケンブリッジでの事件の経緯と真相をチャールズ卿と妹に語るが、チャールズ卿は義憤に駆られ、ケンブリッジに赴いて真犯人に会い、自分の手でお前を殺すと宣言してしまう。真犯人の悪魔的な性格を知るブラーは、犯人がチャールズ卿の抹殺に動き出すと確信し、エリザベスや邸の使用人達とともに予防策に乗り出すが・・・。

 図面を三枚挿入するなど、出だしはいかにも古典的な設定の謎解きの体裁となっているが、犯人もトリックもすぐに明らかにされ、後半はブラー元警部やチャールズ卿たちと真犯人との対決を描くスリラー・タッチの展開となる。
 “Locked Room Murders and Other Impossible Crimes”のロバート・エイディも本作を取り上げているが、「スリラーと探偵小説の見事な組み合わせであり、おそらくこれまでに創造された最も狡猾で冷血な犯罪者が登場する」と付記している。“A Catalogue of Crime”のバーザンとテイラーも、「見事な性格描写と昔ながらの密室物の謎を解き明かす実行可能な仕掛けを提示した稀有な作品」と一定の評価を与えている。
 ただ、さすがに今日的視点から見ると、用いられたトリックは時代を感じさせるものだし、メカニカルな仕掛けは時代遅れになりやすいという好例でもあるように思える。
 犯人の造形は確かに個性的で面白いが、後半のスリラーめいた追跡劇はやや通俗的だし、邸の構造内で活動する犯人の動きやブラーたちの対応ぶりも、なにやら荒唐無稽で現実離れした印象を抱いてしまう。バーザンとテイラーも「プロットは弱い」としているが、確かにもう少しリアリティを感じさせる程度にプロットを練り上げる余地はあったかもしれない。ホワイトが再び犯罪ジャンルに手を染めなかったことを考え合わせても、作者にとっては初期の習作的な作品に位置づけられるべき小説なのかもしれない。

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アラン・トーマス “The Death of Laurence Vining”

 “The Death of Laurence Vining”(1928)は、「エレヴェーター内の密室殺人」を扱った不可能犯罪物の古典として知られる作品。同テーマの作品としては、カーター・ディクスン&ジョン・ロードの『エレヴェーター殺人事件』があるが、意外と珍しいようだ。

 ローレンス・ヴァイニングは、アマチュア犯罪研究家であり、スコットランド・ヤードに協力して幾つもの難事件を解決し、最近でも、「ショップの殺人」として知られる事件を解決して、容疑者の有罪判決を見届けたところだった。
 ヴァイニングには、親代わりになって育ててきたジャック・ランサムという医師の卵の甥がいた。ジャックはヴァイニングの秘書のパメラ・ジャクスンと結婚したいと望んでいたが、ヴァイニングは激しく反対し、指示に従おうとしないジャックに、生活費の支給を打ち切り、遺産相続からも締め出すと通告する。
 ヴァイニングは、「レッド・ハット」と名乗る女性から支援を求める手紙を受け取る。手紙には、日時を指定して、地下鉄ハイド・パーク駅の新聞雑誌売り場で会いたい、自分の目印は赤い帽子だと書いてあったが、それ以上の詳細はなかった。
 ヴァイニングは、指定通り、ハイド・パーク駅に行き、地下鉄のプラットホームに降りるエレヴェーターに一人で乗る。エレヴェーターが下降してきて、ドアが自動的に開くと、ヴァイニングはそのままエレヴェーターの外に倒れ込む。
 ちょうどその時、ヴァイニングの友人、ベン・ウィリング医師は、ハイド・パーク駅で下車したところだったが、改札係を兼ねたエレヴェーター運転係とともに、異常に気づいてエレヴェーターに駆け寄ると、ヴァイニングの背中からは短剣が突き立っていた。短剣は心臓に達し、即死状態だった。
 事件を担当するのは、スコットランド・ヤードのウィジャン警部。警部は、上のエレヴェーターの乗り口のところにいたエレヴェーター係にも尋問するが、係のビーチャムは、ヴァイニングは乗り込んだ時にはピンピンしていたし、ほかには誰も乗らなかったと証言する。
 凶器は、ヴァイニングが家に所蔵していたマラヤの短剣と判明する。ハイド・パーク駅の近くには、ジャックが勤めていたセント・ジョージ病院があり、ヴァイニングの遺体はそこに運び込まれていた。ところが、ジャックは消息が分からなくなり、病院のジャックの部屋からは、短剣のさやが発見される・・・。

 図面を挿入するなど、本格仕立ての雰囲気たっぷりだが、ヴァイニングの家政婦で、ジャックを幼い頃から面倒を見てきたベイトマン夫人、マレー人の使用人で、事件後にこれまた行方をくらましてしまうスレイマンなど、(さほど性格描写が濃厚というわけでもないが)それなりに面白い登場人物たちを配置したり、マラヤの短剣にまつわるエピソードやジャックの出生の謎などのサブプロットを織り交ぜて、無味乾燥な謎解き物に陥らないようストーリー展開に苦心した跡が窺える。
 ハウダニットとして見た場合、コアとなるトリックは、決して荒唐無稽で呆気にとられるような代物ではないし、『エレヴェーター殺人事件』のようなメカニカルなものと比べても、比較的すっきり理解しやすい点が好感が持てる。ただ、現実味や蓋然性を持たせようと苦心するあまり、犯人が立てた慎重すぎるほどの計画を謎解き部分で説明するのがかえって饒舌で退屈となり、裏目に出てしまっている。
 全体のプロットとしては、クリスティの有名作品を意識した面も感じられ、フーダニットとしての工夫の跡もあるのだが、動機に説得力が乏しいなど、いずれの要素も生煮えで、可もなく不可もなしの印象の乏しい作品になっているのが残念なところか。



Laurence Vining

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フランスの研究家が選ぶ「天下一品」の密室ミステリ

 最近、『完全版 密室ミステリの迷宮』(洋泉社)という楽しいムック本が刊行された。ご存知の方も多いと思われるので、内容の紹介は省かせていただくが、その中で、フランスの密室ミステリ研究家のロラン・ラクルブらが昨年刊行した“1001 Chambres Closes: Guide de lecture du crime impossible”が紹介されている。
 フランス語は苦手なので、十分読みこなしたわけではないのだが、上記ムック本でも紹介されているとおり、密室ミステリ千一冊を取り上げて解説したガイド本である。
 同書で五つ星を与えられて「天下一品」と評価された作品のリストをご参考までに挙げておこう。長編計47作、短編計27作である。

長編
アンソニー・アボット  About the Murder of a Startled Lady
ガストン・ボカ  L’Ombre sur le jardin
ピエール・ボワロー  三つの消失
ピエール・ボワロー  殺人者なき六つの殺人
ボワロー=ナルスジャック  悪魔のような女
レオ・ブルース  三人の名探偵のための事件
ジョン・ディクスン・カー  絞首台の謎
カーター・ディクスン  黒死荘の殺人
カーター・ディクスン  赤後家の殺人
ジョン・ディクスン・カー  三つの棺
ジョン・ディクスン・カー  火刑法廷
カーター・ディクスン  孔雀の羽根
カーター・ディクスン  ユダの窓
ジョン・ディクスン・カー  曲がった蝶番
カーター・ディクスン  爬虫類館の殺人
ジョン・ディクスン・カー  死が二人をわかつまで
ジョン・ディクスン・カー  囁く影
ポール・カルタ  Crimes temporels
アガサ・クリスティ  そして誰もいなくなった
ウルフ・デュルリンク  Pour un bout de fromage
アレクシ・ジェンスール&シャルル・グレニエ  La mort vient de nulle part
アラン・グリーン  くたばれ健康法!
ポール・アルテ  第四の扉
ポール・アルテ  赤い霧
ポール・アルテ  七番目の仮説
ポール・アルテ  L'image Trouble
ポール・アルテ  Le Géant de Pierre
ポール・アルテ  La Ruelle Fantôme
ミシェル・エルベール&ユージェーヌ・ウィル  La Maison interdite
マルセル・ラントーム  騙し絵
マルセル・ラントーム  La Treizieme balle
ガストン・ルルー  黄色い部屋の謎
クレイトン・ロースン  帽子から飛び出した死
ルネ・ルーヴァン  Tobie or not Tobie
ジョエル・T・ロジャーズ  赤い右手
島田荘司  占星術殺人事件
ピエール・シニアック  Un Assassin, ca va, ca vient
ジョン・スラデック  見えないグリーン
デレック・スミス  悪魔を呼び起こせ
ヘイク・タルボット  絞首人の手伝い
ヘイク・タルボット  魔の淵
アラン・トーマス  The Death of Laurence Vining
ジャン・ポール・トロク  L’Engime du Monte Verita
ルイ・フェルナンド・ヴェリッシモ  Borges et les oranges-outangs eternels
ノエル・ヴァンドリー  La Bete hurkante
ノエル・ヴァンドリー  Le Double alibi
ノエル・ヴァンドリー  A Travers les Murailles

短編
ロバート・アーサー  51番目の密室
J・バリーヌ  Le Témoignage de l’enfant de chœur
ジョン・ディクスン・カー  妖魔の森の家
G・K・チェスタートン  秘密の庭
ジョゼフ・カミングズ  黒魔術の殺人
ジョゼフ・カミングズ  Ghost in the Gallery
ジョゼフ・カミングズ  海児魂
ジョゼフ・カミングズ  Xストリートの殺人
アーサー・コナン・ドイル  ソア・ブリッジ
ヴィンセント・コーニア  待っていた弾丸
ジャック・フットレル  十三号独房の問題
ポール・アルテ  ローレライの呼び声
ポール・アルテ  La Hache
エドワード・D・ホック  長い墜落
エドワード・D・ホック  不可能な“不可能犯罪”
エドワード・D・ホック  レオポルド警部の密室
エドワード・D・ホック  幽霊殺人
エドワード・D・ホック  有蓋橋の謎
エドワード・D・ホック  古い樫の木の謎
エドワード・D・ホック  オランダ風車の謎
エドワード・D・ホック  ジプシー・キャンプの謎
エドワード・D・ホック  青い自転車の謎
ロナルド・A・ノックス  密室の行者
ウィリアム・クローン  サタヌス博士の不可能殺人
ヘレン・マクロイ  鏡もて見るごとく
ジャック・リッチー  クライム・マシン
サミュエル・W・テイラー  罠


 ただ、気になるのは、巻末に挙げられたこのリストと、本編の解説とでは、星の数が必ずしも一致していないことだ。例えば、アボットの“About the Murder of a Startled Lady”は、本編では4つ星になっているし、このブログでも以前紹介したウィンズロウ&カークの“Into Thin Air”は、巻末リストでは4つ星なのに、本編の解説では5つ星になっている。このあたりは、版を重ねる機会があれば、訂正がなされるのかもしれない。
 島田荘司の『占星術殺人事件』をリストアップしているのは、我が国のミステリ・ファンにとっては嬉しい限りだろうし、ほかにも、スウェーデンのデュルリンクやブラジルのヴェリッシモなど、国・地域への目配りが行き届いているのが興味深い。
 その一方で、自国フランスの作家の作品に対して評価が甘い印象があり、ボワローの『三つの消失』やラントームの『騙し絵』などは、フランスのミステリにありがちな拍子抜け物の典型だし、『悪魔のような女』を密室ミステリとして評価するのもどうかと思われる。
 カー、ホック、カミングズが多数選ばれているのは、英語圏のアンソロジー等と同様の傾向で、フランスにおいてもポピュラーなことが窺えるが、自国フランスの作家では、我が国でも人気のあるポール・アルテのほか、最近、ROM叢書で紹介がなされたノエル・ヴァンドリーが3冊選ばれているのが目を引く。今後さらなる紹介が期待されるところだろう。

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