J・J・コニントン “Nemesis at Raynham Parva”

 J・J・コニントンは、本名をアルフレッド・ウォルター・スチュアートと言い、グラスゴー大学、クイーンズ大学で教鞭をとった化学の教授である。このため、彼の作品は、窒素麻酔、ジギタリス中毒、広場恐怖症などの専門知識を駆使したマニア好みのプロットが多い。その反面、ストーリーテリングの才に欠け、人物描写も下手なことから、ジュリアン・シモンズをはじめ辛口の評をする人も多いし、広範な読者層に受容されるには至らず、ほとんど忘却同然の扱いを受けていた時期もあった。実際、“1001 Midnights”や“The Oxford Companion to Crime and Mystery Writing”など、コニントンの項目を設けていないリファレンス・ブックも珍しくない。
 ところが、最近、コニントンの作品が続々とペーパーバックで再刊されるようになり、以前紹介したカーティス・エヴァンズの“Master of the “Humdrum” Mystery”のように、コニントンを大きく取り上げた評論が登場するなど、リバイバルの兆しも出ているようだ。
 彼の作品の多くに登場するシリーズ・キャラクターは、州警察本部長のクリントン・ドリフィールド卿と地主のウェンドーヴァー氏だが、“Nemesis at Raynham Parva”(1929)は、クリントン卿が退職したあとの事件という設定で、ウェンドーヴァー氏は登場しない。代わって、地元警察のレドベリー巡査部長とピア巡査が登場するが、この二人は相性が悪い上に、レドベリーはクリントン卿にすら信を置かなくなる設定が面白い。

 クリントン・ドリフィールド卿は、レインハム・パーヴァという田舎に住む妹のアン・ソーナビー夫人を訪ねていく。ソーナビー夫人は、既に夫を亡くし、ファーン・ロッジという邸に、エルシー、ジョニーという二人の子と一緒に住んでいた。
 クリントン卿は、姪のエルシーが結婚したと聞き、てっきり以前親しくしていたレックス・ブランドンと結婚したものと思ったが、妹の話から、相手はヴィセンテ・フランシアというアルゼンチン人だと知る。ソーナビー夫人は、この結婚を快く思ってはいないようだった。エルシーはもうすぐ夫とともにアルゼンチンに行く予定で、友人のエステルらも同行することになっていた。
 その矢先、レインハム・パーヴァでクェヴェドというアルゼンチン人が車で溝にはまって事故死する事件が起きる。ドリフィールド卿は道中、ファーン・ロッジの女中のスタッフィンをめぐって、クェヴェドが彼女の恋人テディーと喧嘩している場面を目撃していた。一見事故に見えたクェヴェドの死は、実は殺人と分かり、テディーが逮捕されるが、クリントン卿は車の走行跡からテディーの無実を証明する。
 エルシーのかつての恋人、レックスはブラック・ブル・ホテルに滞在していた。クリントン卿は、同じホテルに滞在しているロカ医師という外国人青年に見覚えがあることに気づき、かつて国際連盟で情報員をしていた男と分かる。ロカは自分の素性と過去の経緯をクリントン卿に告白する。
 ロカは些細なことから恋人と喧嘩別れし、彼女はアルゼンチン人の男と結婚して、夫の母国に旅立った。ところが、その夫は人身売買による強制売春を生業とする男で、恋人は現地で隷属生活を強いられたあげくに病死していた。ロカは、恋人を騙した男を突き止めて復讐を果たすために情報員になったのだった。
 ところが、今度は、そのロカ医師が、車の炎上事故で死亡するという事件が起きる。クリントン卿は、現場検証から、それが事故に偽装した殺人であることを見抜く・・・。

 本作は、“Give A Dog A Bad Name…”(CADS21所収)の執筆者の一人、スティーヴン・リードビーターが「知られざる離れ業」としてコニントンのベストに推している作品。“A Catalogue of Crime”のバーザンとテイラーも、「叙述も十分だし、『フランシア』の造形も真実味がある」と好意的に評価している。
 メカニカルな殺害方法がいかにもコニントンらしいが、彼の作品としては展開に起伏があり、退屈さを感じさせない部類に入る作品といえる。だが、問題は根幹をなすプロットをどう評価するかだろう。
 クライマックスをなす事件は、実は最後のほうで起き、そのプロットの着想は、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンの作品にも類似のヴァリエーションを見出せるものだが、そうした例に比べると、いま一つ効果的な斬新さがなく、かえってモラル面での疑問すら惹起しそうに思える。
 クリントン卿を退職者という設定にしたのもプロットと無関係ではないことに気づくが、そのあたりは作者自身にも迷いがあったことを示すものではないだろうか。クリスティなどに比べると、ややもすれば無理筋と思われかねないプロットを必ずしもうまく消化しきれていないのが、手放しでは評価しにくいところだ。
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J・J・コニントン “The Twenty-One Clues”

 “The Twenty-One Clues”(1941)は、警察本部長のクリントン・ドリフィールド卿と地主のウェンドーヴァーが登場する長編。

 ラフォード警部のところに、列車の運転士と火夫がやってくる。彼らは、列車の走行中、道路を挟んだ線路の向かいにある、ワラビの茂みに覆われた丘の中腹に、男女二人が横たわっているのを目撃したという。そこは恋人たちが逢引する場所として知られ、彼らもこれまで列車から逢引の現場をよく見かけていた。ところが、露でびしょ濡れになりそうなのに、朝8時頃にそんな場所に寝そべっているのも不審だったが、二時間後に通りかかった時も同様に横たわっていたことから、様子がおかしいと感じた二人は警察に報告に来たのだった。
 ラフォード警部が巡査を連れて現場に行ってみると、はたして、二人の男女が死んで横たわっていた。二人は頭部を銃で撃たれて死亡しており、男の死体のそばには、コルトのオートマチックが落ちていた。女性の指には内側にイニシャルの彫られた結婚指輪がはめてあり、男のポケットには、ロンドン行きの列車の二人分の切符とスーツケース二つの手荷物預かり証があった。一緒にロンドンへ行く予定だったが、気が変わって現場に来たものと思われた。
 死体の周囲には引き裂かれたラブレターらしき手紙の断片が散らかっていた。ラフォード警部は、そこに書かれた住所から、ファーン・バンク在住の公認会計士コーリスを訪ね、写真を見せて身元確認を求める。その結果、死体はエスター・コーリス夫人とジョン・バラットという教会の牧師と判明する。バラットは、キリスト教の特殊なセクト「覚醒したイスラエル」教団の牧師で、ヘレンという妻がいた。コーリス夫妻はともに教団の信者で、それぞれ教団の仕事の役割を持っていた。
 現場に落ちていた銃には指紋が残っていて、バラットの指紋と判明する。銃はコーリスの所持品で、コーリス夫人が持ち出してバラットに渡したものと思われた。夫人がはめていた結婚指輪のイニシャルも、バラットと自分のイニシャルを彫ったものだった。警部は、不倫の果ての単純な心中事件と見ていたが、その後の調査から、現場にはオートマチックの薬莢が四つ落ちていたことが分かる・・・。

 クリントン卿は休暇中で物語の半ばまで登場しないが、第6章で、ピーター・ダイアモンドという青年記者がラフォード警部と論じながら、「ドリフィールド方式」なるものに言及する。「彼ならこう言うさ。死者が二人いるとする。考えられる可能性は次のとおり。一、事故。二、自殺。三、殺人。あるいは、事故と自殺。事故と殺人。自殺と殺人・・・等々と簡潔な数学的公式にまとめる。それから、証拠を吟味して、絶対にあり得ない選択肢を一つ、また一つと排除していく。最後に、真の解決が目の前に残っている」というわけだ。第14章でも、ウェンドーヴァーが、「君はこのバラット事件をハッセンディーンとシルヴァーデイル夫人の事件と同じやり方で扱おうとしてるんだろう」と、九つの解答の組み合わせから消去法を行っていく方式に言及している。
 ハッセンディーンとシルヴァーデイル夫人の事件とは、“The Case with Nine Solutions”(1928)の事件のことであり、このように、本作は同書を強く意識していることが随所で窺える。実際、事件の構図も、不倫の果ての男女の死という外観がそっくりであり、おそらくは当時も好評を博し、今日も代表作の一つと見なされている同書の成功をもう一度狙ったというところだろう。
 “The Case with Nine Solutions”では、クリントン卿とフランボロー警部が九つの組み合わせに基づく解決案を論じ合う場面が見せ場だったが、本作では、タイトルにもあるとおり、第10章で、クリントン卿、ピーター・ダイアモンド、ウェンドーヴァーの3人が、事件の手がかりと思われるものを順に挙げていき、答えに詰まったら負け、最後まで残った者が勝者というゲームをして、全部で21の手がかりを提示する。クリントン卿は‘Choose Your Clue’と呼んでいるが、日本で言えば山手線ゲームのようなものだ。
 大団円では、クリントン卿がすべての手がかりをパズル・ピースのように見事に当てはめて事件の絵解きをするのだが、それはそれで面白いし、筋道立ってもいるものの、全体の出来栄えとしては“The Case with Nine Solutions”には及ぶまい。
 “The Case with Nine Solutions”では、九つの組み合わせの可能性について、一つ一つ蓋然性を論じ、消去していくところに議論としての醍醐味があったが、本作では、ただ思いついた手がかりをばらばらに挙げていくだけのことで、それ以上に掘り下げた議論が伴うわけではないし、手がかりを総合していくのも大団円の謎解きにおいてだけだ。さらに、“The Case with Nine Solutions”では、最後にクリントン卿のノートの抜粋でまとめられた理路整然とした謎解きも見どころだったが、本作では謎解きにもそれほどの冴えは見られない。
 しかも、消えた25ポンドのお金、希少コインのダブル・フロリンなど、細々した謎を盛り込んでプロットを錯綜させてはいるものの、中心となる謎は意外と単純で、勘のいい読者なら、まどろっこしい議論など経なくても、おそらく事件の発端の段階で真相を見抜いてしまいそうだ。(ジャック・バーザンも、「からくりは非常に早い段階で見抜けてしまう」と述べている。) ストーリーも、“The Case with Nine Solutions”では、霧の中で事件が起きる発端から、「ジャスティス」という謎の密告者が登場し、とんでもないクライマックスへと至る展開がそれなりに読み応えのあったのに比べると、どうにも展開が鈍くて退屈でならない。
 ‘A Catalogue of Crime’のバーザンとテイラーは、どうやら意見が分かれたらしく、バーザンは、「“The Case with Nine Solutions”の設定の貧弱な焼き直し」と酷評しているが、テイラーのほうは、「決して悪くない」と異議を唱えている。
 どちらの言い分もそれなりにもっともで、バーザンの言うように、柳の下に二匹目のドジョウを狙った試みではあるのだろうが、過大な期待を抱かなければまずまず楽しめる佳作と言えそうだ。

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J・J・コニントン “The Castleford Conundrum”

 “The Castleford Conundrum”(1932)は、クリントン・ドリフィールド卿が登場する長編。相棒のウェンドーヴァー氏も登場している。

 フィリップ・キャッスルフォードは、妻のウィニフレッドが所有する邸、「キャロン・ヒル」に、娘のヒラリーとともに住んでいる細密画の元画家だった。ウィニフレッドは後妻で、ヒラリーは亡くなった最初の妻との間に儲けた連れ子だった。
 キャッスルフォードは、投機の失敗で財産を失ったあげくに、事故で右手の指を失い、画家として生計を立てる道を絶たれていた。ウィニフレッドは、もともとキャッスルフォードに自分の肖像画を依頼した顧客だったが、彼が指を失ったのは、彼女が車のドアを閉める時に彼の指を挟んでしまったためだった。
 ウィニフレッドにとっても二度目の結婚であり、前夫から相続した財産のおかげで「キャロン・ヒル」で豊かな生活を送っていたが、キャッスルフォードは自分と娘の生活を守るためにウィニフレッドとの結婚を選択したのだった。ところが、ヒラリーは年長じるにつれ、義母のウィニフレッドとの関係が険悪になっていた。「キャロン・ヒル」の管理は、ウィニフレッドの腹違いの妹、コンスタンス・リンドフィールドが切り盛りしていたが、彼女もフィリップとヒラリーの父娘によい感情を持っていなかった。
 ウィニフレッドの前夫には、ローレンス・グレンケイプルとケネス・グレンケイプルという弟がいて、二人は彼女が相続した兄の財産を狙っていた。ウィニフレッドは糖尿病を患っていたため、万が一のために遺言書を作成していたが、その内容は、グレンケイプル兄弟と妹のコンスタンスに一定額を遺すほかは、財産の大半を夫に遺すというものだった。グレンケイプル兄弟は「キャロン・ヒル」に来てウィニフレッドの歓心を買い、その財産がもともと自分たちの兄の財産であったことを理由に、ウィニフレッドに遺言書を書き替えるよう説得していた。彼女も説得に応じて、兄弟に手厚くした新たな遺言書を作成することに同意し、弁護士に連絡して以前の遺言書を破棄させた。
 ケネスにはフランシスという息子がいて、買い与えられたルークライフルに夢中になり、敷地内の林で缶や猫を標的にして射撃を試していた。近隣に住むハッドン夫人の家の窓に流れ弾が当たり、ハッドン夫人が穴の開いた窓を修復していると、コンスタンスがやってくるのが目に入る。彼女に被害を訴えると、コンスタンスは、自分にも流れ弾が飛んできて、持っていたカーディガンに穴をあけられたという。
 二人が話している間も、林のほうからはライフルを撃つ音が聞こえていたが、その時、コンスタンスは人の叫び声を聞きつける。二人が「キャロン・ヒル」に向かうと、ウィニフレッドがベランダで椅子に座った状態で死んでいた。状況から見て、背中に流れ弾が当たり、心臓を貫通したものと思われた。テーブルにはお茶のカップが二つあり、直前まで誰かがいたらしかった。
 警察は当初、フランシスの流れ弾が当たった事故と考えていたが、死因となった弾丸の口径がルークライフルと一致せず、ウィニフレッドの目の瞳孔が異常に収縮していたことから、モルヒネを投与されていたことが判明するなど、不審な状況が明らかになってくる。
 彼女は最初の遺言書を既に破棄していたが、新たな遺言書はまだ作成しておらず、遺言書のないまま死んだ結果、彼女の財産は全て夫のフィリップが相続することになった・・・。

 本作は、クリス・スタインブラナー&オットー・ペンズラー編“Encyclopedia of Mystery and Detection”においてコニントンのベストの一つとされ、“Master of “Humdrum” Mystery”の著者、カーティス・エヴァンズも、“Murder in the Maze”、“In Whose Dim Shadow”と並んで、コンニントンの傑作として推している作品である。
 コニントンは、化学の教授だったという経歴もあってか、化学的な専門知識の多用を強調されがちだが、それだけでなく、フェアプレイを重んじ、緻密に練り上げた複雑なプロットを得意とした作家でもあった。力を出した時のコニントンの作品は、一筋縄ではいかない、幾重にもツイストを効かせたプロットをベースに、随所に多くの手がかりを散りばめ、これをパズル・ピースのように細心に当て嵌めて収束させる解決が光る。“The Case with Nine Solutions”や本作はその典型的な例で、前者における「九つの解決」の議論や最終章のメモの抜粋で提示されるクリントン卿の推理、本作におけるウェンドーヴァー氏にクリントン卿が提示した九項目の手がかりなどは、その特徴が端的に表れたものだろう。21の手がかりをきれいに当て嵌めて解決を提示する“The Twenty-One Clues”も(プロット自体は前二者に比べると弱いが)その一つといえる。
 「細心にプロットを組み立てた推理小説」(“Encyclopedia of Mystery and Detection”)、「地味で細心な推理」(H・R・F・キーティング編“Whodunit?”)、「複雑なパズル」(ブルース・F・マーフィー“The Encyclopedia of Murder and Mystery”)という表現に示されるように、欧米の批評家の評もそうした特徴を捉えたものが多い。“Twentieth Century Crime and Mystery Writers”でコニントンの項目を書いているメルヴィン・バーンズも、やはり「細心(meticulous)」という言葉を使っている。
 本作では、クリントン卿とウェンドーヴァー氏は三分の二を過ぎた頃にようやく登場するが、“Mystery at Lynden Sands”の事件でたまたま顔を合わせたヒラリー・キャッスルフォードに支援を求められて捜査に乗り出すという設定になっている。人物描写が下手と言われるコニントンだが、キャッスルフォード親子をはじめ、本作の登場人物たちはそれなりによく描けていて、プロットにも説得力を与えているようだ。
 なお、本作で登場人物の一人がセイヤーズの『不自然な死』を引用するくだりがあるが、セイヤーズもコニントンの愛読者だったようで、『五匹の赤い鰊』でコニントンの“The Two Tickets Puzzle”を引用し、解決でもそのプロットを活用している。

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J・J・コニントン “The Boathouse Riddle”

 “The Boathouse Riddle”(1931)は、警察本部長のクリントン・ドリフィールド卿が登場する6作目の長編。
 余談ながら、前作『レイナムパーヴァの災厄』では既に警察を退職していたクリントン卿は、本作では時代を遡って再び現役という設定になっており、その後の作品でもそうだ。ここからも、『レイナムパーヴァ』での引退後という設定は、あくまでプロット上の便宜にすぎなかったことが分かる。
 なお、本作に登場するセヴァーン警部は、次作“The Sweepstake Murders”(1931)にも登場している。

 クリントン卿は、休暇で釣りとゴルフを楽しむため、友人のウェンドーヴァー氏の地元、タルガース・グレンジの家に滞在しに来る。ウェンドーヴァー氏は、湖岸にある自分の新しいボート小屋をクリントン卿に見せる。古いボート小屋は中に簡単に入れたため、ボブ・クレイという密漁者が勝手にボートを拝借してマス釣りをしたりすることもあったが、新しいボート小屋は鍵がないと入れないようにできていた。
 クリントン卿が到着した翌朝、地元警察のセヴァーン警部が、ウェンドーヴァー氏に電話をかけてきて死体発見を知らせ、捜査の協力を求めてくる。死体は、ウェンドーヴァー氏のボート小屋の対岸の土手で発見された。そこは、コリン・キース=ウェスタートン氏の土地であり、死体は彼に仕える猟場番人のホーンキャッスル。死体を発見したのはクレイだった。
ホーンキャッスルは、頭を銃で撃ち抜かれていたが、銃は彼自身のものであり、死体の右手に握られていた。一見すると、土手で足を滑らせて銃が暴発した事故のように見えたが、現場に残された足跡やマッチの燃えがら、銃に付いた指紋を草で拭い取ったらしい痕跡、死体の顎の殴られた跡などから、クリントン卿は、ホーンキャッスルが殴られて意識を失ってから撃たれた殺人と判断する。
 セヴァーン警部は、現場でネックレスから取れたと思しき真珠が幾つか落ちているのを見つける。それはまがい物ではなく、高価な本物の真珠だった。ウェンドーヴァー氏のボート小屋を調べると、ねじ回しがなくなっていて、死体発見現場に落ちていたのと同じ真珠が落ちていた。さらに、そこに置いてあったレコードプレーヤーのモーターと音響装置が外れさてなくなっているのも分かる。
 ボートの一つから携帯用の化粧道具入れが見つかり、キース=ウェスタートン夫人の物と分かる。そのボートにも同じ真珠が落ちていた。ところが、夫人は前夜どこかへ出かけたまま、行方が知れなくなっていた・・・。

 事件は、謎の女性の死体が湖底からさらに発見されて、ますます錯綜していくのだが、フーダニット、ハウダニットなどの面で特に目覚ましい仕掛けはない。ただ、プロットの複雑さは尋常ではなく、事件当時、現場付近には、キース=ウェスタートン家の複数の使用人をはじめ、救世軍の伝道師や蛾を採集する昆虫学者までがうろついていたことが分かり、事件に関わっていたり、重要な現場を目撃したりして、それぞれが謎をますます錯綜させる役割を担っている。キース=ウェスタートン夫妻にまつわる秘密や過去に遡る恐喝なども絡んで、一見単純そうに見えた事件が、実は錯綜を極めた背景や経過を持つことが明らかになっていくのだが、さすがここまでツイストを加えて複雑にしてしまうと、すっきりまとまっているとは言い難く、おそらく大半の読者は、そのプロットに感心するより、うんざりした気分になってしまうのではないだろうか。
 おそらく、作者の狙いは、事件解決後にクリントン卿が説明する謎解きのプロセスにあったと思われ、黄金期の謎解き物にふさわしく、緻密で論理的な推理のプロセスには感心させられるのも事実だ。“The Case with Nine Solutions”や“The Castleford Conundrum”などと同じく、コニントンの細心なプロット構築と論理性がよく発揮された作品といえるだろう。
 とはいうものの、錯綜したプロットをクリントン卿に理路整然と解き明かさせる場面を最後に設けるために、ことさらプロットを複雑に練り上げ、謎解きのための細かな手がかりを随所に散りばめたのだろうが、これをどう評価するかは意見の分かれそうなところだ。“A Catalogue of Crime”のバーザンとテイラーは本作を称賛しているし、“Twentieth Century Crime and Mystery Writers”でコニントンの項目を書いているメルヴィン・バーンズも、ドリフィールド/ウェンドーヴァーのシリーズの中では、“Murder in the Maze”、“The Sweepstake Murders”、“A Minor Operation”と並んで本作を推しているので、実際に評価する向きがあるのも事実だろう。
 しかし、奇術もそうだが、トリックというものは、シンプルであればあるほど、その効果は目覚ましく、喝采を浴びるものだろう。手の込んだ複雑なプロットは、ある程度までなら許容できるが、それも度が過ぎると眉をひそめたくなるのが人情ではなかろうか(さしたる意外性や独創性もないとなればなおさらだ)。“Master of “Humdrum” Mystery”の著者、カーティス・エヴァンズ氏も、同書補遺のコニントンのベスト表に本作を選んでいないし、他の秀作ほど推してはいないようだ。
 ただ、専門知識を駆使したような難解さは本作にはなく、純粋にプロット構築とロジックで勝負しようとした作品の一つとして、個人的には一定の評価を与えたいところか。

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J・J・コニントン『九つの解決』刊行予定

 コニントンの『九つの解決』(1928)(原題:The Case with Nine Solutions)が、来年夏に論創社の論創海外ミステリ叢書から刊行の予定です。警察本部長クリントン・ドリフィールド卿が登場する長編です。
 コニントンは、専門的で難解な化学知識や地味なストーリーテリングもあって、広範な読者層に受容されるには至らず、ほとんど忘却同然の扱いを受けていた時期もありましたが、最近では、カーティス・エヴァンズの“Masters of the “Humdrum” Mystery”のように、コニントンを主要テーマの一つにした研究書なども出ており、黄金期の謎解き作品に対するリバイバルの動きと並行して、復権の兆しが見えるようです。
 ストーリーの退屈さをよく指摘されるコニントンですが、この『九つの解決』については、濃霧の中で起きる臨場感に満ちた殺人を発端に、計四件の死が次々と発生し、捜査陣すら巻き込んだ驚くべきクライマックスに至るまで、弛緩することのないストーリー展開を楽しむことができます。特に、タイトルにあるように、クリントン卿とフランボロー警部が、九つの組み合わせに基づく解決案を叩き台に議論を展開し、公算の低い選択肢を消去しながら真相を絞り込んでいく第六章は、まさに黄金時代の謎解きの醍醐味を味わえる本作の最大の見せ場と言えるでしょう。
 ところで、この翻訳は、実はもともとROM叢書から刊行する予定だったのですが、論創社がちょうど同作の刊行の企画を進めているとの情報に接した須川毅氏の御配慮により、論創海外ミステリ叢書に加えていただくことになったものです。仲介の労を取っていただくとともに、快く論創社に企画を譲っていただいた須川氏にこの場を借りて厚く御礼申し上げる次第です。
 いささか申し上げにくいことながら、論創海外ミステリ叢書の刊行物については、当ブログの過去の記事において、かなり厳しめの翻訳評を書かせていただいたことがあります。今にして振り返れば、翻訳批評がやや下火になるとともに、翻訳ミステリの中にも首を傾げるような水準の翻訳が以前にもまして出回る現実も目につくようになったことが、つい勇み足の辛口記事につながってしまったように思います。普通であれば、自社の刊行物の翻訳を批判した翻訳者など使わないだろうと思うところですが、論創社からは、むしろ、私の拙い批判記事を真摯に受け止めていただき、質の改善に努めておられる旨とともに、私の翻訳を叢書に快く加えていただける旨のご連絡をいただきました。私としても、こうした論創社の努力を多とするとともに、その誠意にしかとお応えすべきと考え、拙訳を叢書の末席に加えていただくこととした次第です。
 刊行までにはまだしばらく時間がありますが、多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。

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