シャーロット・アームストロング『毒薬の小壜』

 『毒薬の小壜』(1956)は、1957年の米国推理作家協会(MWA)による最優秀長編賞を受賞した作品。ところが、邦訳は品切れ状態が続いていて、そんなに読者ニーズが低いのかと意外の念を抱く。
 詩の教師、ケネス・ギブソン氏は、ローズマリーという年の離れた妻と結婚するが、交通事故で足に障害を負ってしまう。事故をきっかけに妹のエセルと同居を始めた頃から、妻との間に隙間風が吹くようになり、妻の不倫を疑い始める。自殺を考えたギブソンは、大学の化学実験室から毒薬を盗み出すが、毒を入れたオリーブ油の小壜をうっかりバスの中に置き忘れてしまい、その行方を捜して、多くの人を巻き込みながら騒ぎが拡大していく、というストーリー。
 犠牲者を出さぬうちに小壜の行方を突き止めなくてはならないというデッドライン物のような印象を一見受けるが、実はこの作品のポイントはそんなところにはない。むしろ、バスの運転手や乗客など、毒薬の小壜を探し求める過程で接する関係者たちとのやりとりを通じて、次第にギブソンの家庭に潜む不幸の原因が明らかになっていくプロセスに主眼があるようだ。実際、恐ろしい猛毒の存在がストーリー展開の原動力だというのに、結局、この作品では死者も出なければ、犯罪らしい犯罪も起きない。いわば、毒薬は触媒の役割を果たしているにすぎない。だから、この作品をサスペンス小説と思って読むと肩透かしを食らってしまうのだ。
 敢えてサスペンスの要素を求めるとすれば、それは毒薬の小壜をめぐる追跡劇そのものより、妻への疑惑を触発し、家庭の幸福を狂わせた元凶が何であり、それがどんなやり方でそうした状況を作り出していったかが次第に解明されていくところにあるというべきだろう。そこにポイントがあることを意識しながら読めば、なるほど、この作品は優れた心理描写と人物造形を伴った傑作といえるかもしれない。
 ただ、もっと効果的なサスペンスを期待する向きならば、例えば、家庭に不幸をもたらした元凶に矛先を向けていく展開にすることもできたろうにと考えそうなところだ。ところが、本作に登場する人々は主人公も含めてやけに人のいい連中ばかりで、リベンジを志すような方向には誰も仕向けようとしない。しかも、不幸の原因が解き明かされるプロセスにしても、ギブソンが自ら気づく発見の醍醐味やサプライズがあるわけでもなく、赤の他人のはずの登場人物たちが妙におせっかいにギブソンに教え諭しながら明らかにしていくものだから、ややもすると鼻につくような説教臭さすら感じてしまう。さらには、どんでん返しの結末が待っているわけでもなく、ハッピーエンドで丸く収まるものだから、よけい拍子抜けしてしまうのだ。
 したがって、結局は大事件に発展することもなく、市井の一家庭の問題として片付いてしまい、サスペンス物としては薄味なところが、この作品の不人気の原因であるように思える。アームストロングが念入りに造形した登場人物とその心理描写に感心する読者ももちろんいるだろうし、それがエドガー賞を受賞した主たる理由と思えるが、大衆読者層はウールリッチ(アイリッシュ)のようなもっとストレートで分かりやすいサスペンスを求めそうなところだろう。
 なにやら批判めいた論調になってしまったが、ポイントを捉えながら読めば、確かに読み応えのある作品であることは間違いない。むしろ、サスペンスの巨匠による傑作という先入観が、この作品の正当な評価を妨げているのかもしれない。どちらかといえば、アイルズ(バークリー)のような犯罪心理小説の味わいを楽しめる通好みの作品ではないかと思うが、埋もれさせておくにはいかにも惜しい作品である。
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シャーロット・アームストロング『疑われざる者』

 『疑われざる者』(1946)は、有名な『毒薬の小壜』(1956)の10年前に書かれた、アームストロングの出世作として知られる作品である。
 邦訳もあるのでストーリーの詳細な解説は省くが、標題の「疑われざる者」とは、元演出家のグランディスン。自分が行っていた財産の横領に気づいた若い女秘書を自殺に見せかけて殺害した男である。彼女の婚約者だったフランシスは、グランディスンの犯罪を暴くために、グランディスンの同居人で、事故で行方不明となっているマティルダの夫を装って彼の家に乗り込む。ところが、マティルダは無事が確認されて生還し、フランシスの計画は狂い始める・・・というストーリー。
 『毒薬の小壜』は、殺人も死体も出てこないし、お人好しの登場人物だらけという、サスペンスとしてはやや変則技の作品だったが、『疑われざる者』は正攻法のサスペンス小説であり、グランディスンという悪の造形もなかなかのものである。
 フランシスがグランディスンの犯罪を暴き、その魔手からマティルダを守ろうと四苦八苦しているのに、肝心のマティルダのほうはグランディスンを信用し切り、フランシスの目論見を妨害するばかりで、かえって自分自身をますます危険に曝していることに全く気づかないという展開がストーリーのミソだ。読者はマティルダの浅はかさ、愚かさに歯痒さを感じながら、明らかに一枚も二枚も役者が上のグランディスンに翻弄される劣勢のフランシスの姿に手に汗握る緊張感を味わうことになる。
 囚われの身となったフランシスが一旦はマティルダの機転で救われそうになるのに、またもや彼女がグランディスンに軽率に事態を告げて暗転してしまう展開も、読者をやきもきさせる実に芸達者な演出だ。そこから続くクライマックスのゴミ焼却場のシーンは、まさにサスペンスの女王の面目躍如たるところで、グランディスンの言葉巧みな演技に警察すらも乗せられて、トランクに閉じ込められたフランシスがじりじりと瀬戸際へと追い詰められていく展開は、本作の一番の見どころだろう。
 人の好さや善意を巧みに逆手に取る心理的なサスペンスの手法は、『毒薬の小壜』とも共通したものがあり、この作者ならではの技法とも言える。サスペンスの名手としてのアームストロングの本領は、『毒薬の小壜』よりもむしろ本作においてこそ発揮されていると言っても過言ではあるまい。

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