ホレス・マッコイ『明日に別れの接吻を』

 私は必ずしもハードボイルドのファンではないし、それほど読んでいるわけでもない。だが、嫌いというわけでもなく、ロバート・B・パーカーのような比較的最近の作家までは手が回らないが、いわゆる御三家、ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドの作品はほとんど読んでいるし、ケインやスピレーンなど、ほかの古典的な作品もそうだ。
 ハードボイルドの論客の方々のような鋭い読み込みをする自信はないけれど、ガチガチの本格マニア的な視点から毛嫌いするつもりはないし、読んで面白い作品は素直に面白いと言える。マッコイの『明日に別れの接吻を』もそんな作品の一つだ。(もっとも、マッコイ自身は、「ブラック・マスク」に作品を寄稿していたにもかかわらず、自作が「ハードボイルド」と呼ばれるのを嫌っていたらしいが。)
 とにかく読んでいてめっぽう面白い。発端からぐいぐい引き寄せられていくし、ページを繰るのももどかしいくらい弛緩することなく展開するストーリーを追っていくうちにすぐ読み終えてしまうようなところがある。この作品については、ストーリーににじむ抒情性、意識の流れを用いた叙述の手法(私の好きなフォークナーも用いた手法だ)など、いろんな角度から論じる人たちもいるが、そう難しいことを言わなくても、ストーリーとして読んで素直に面白いのだ。「長い作品だが、動きが早いし、プロットも巧みで、叙述も生き生きとしている」という、“1001 Midnights”のマックス・アラン・コリンズの評が、この作品の特徴を端的に表しているように思われる。
 主人公は、ラルフ・コッターというインテリの犯罪者。刑務所を脱獄する計画を立てるところから始まり、首尾よく脱獄したあとは、大金強奪の計画あり、腐敗した警察との駆け引きあり、政財界の大立者の娘とのいきさつありと、ギャングの大物を夢見て非行と犯罪を繰り返す男が、成功の一歩手前でアイロニーに満ちた最期を迎えるというストーリー。
 大金と地位を手にする信じがたい夢が実現しそうなその一歩手前で、すべてが逆転して瓦解する最期を演出するために、その大団円に向けて、既に冒頭の脱獄シーンから、登場人物の配置や場面設定も含めて、よくプロットを練り上げたことが窺える。目まぐるしい場面の入れ替わりが続く中に登場する、欲情に溢れた色っぽい女に、悪徳警官や悪徳弁護士という、一見お決まりのキャラクターも、個々の場面を光らせるだけでなく、そのクライマックスを実現するためによく計算されて造形され、配置されていることが分かるのだ。
 個々の場面には軽薄な描写もあるが、エピソードのつなぎと全体の構成がとてもよく組み立てられ、結末できれいに収束するプロットのおかげで、安易な暴力シーンやただの気の利いたセリフで成り立っているような月並みなハードボイルドとは違って、なかなか重量感のある作品に仕上がっているように思える。邦訳は既に入手困難になっているようだが、惜しい限りだ。
 この作者のもう一つの代表作、『彼らは廃馬を撃つ』は、本作と並んで、“1001 Midnights”に傑作を意味するアスタリスクを付されて取り上げられているが、そこでは「『廃馬』は今なお「完璧な」作品――詩なら実現できても小説にはまずできないような完璧さを持つ作品」と評されている。やはり入手困難だったこの作品が白水社から新たに刊行されるとの情報もあり、改めてマッコイの魅力に触れてみたいという期待を膨らませているところである。
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ホレス・マッコイ『彼らは廃馬を撃つ』

 この作品は、『明日に別れの接吻を』と並ぶマッコイの代表作として知られる作品だが、残念なことに長い間絶版の憂き目に遭い、私も読む機会に恵まれなかった。
 このたび、白水社が復刊してくれたおかけで、ようやくこの作品に接することができた。最後までリタイアせずに踊り抜いたカップルに千ドルの賞金を贈るというマラソン・ダンスを舞台設定に選んだ作品だが、これは大恐慌時代に流行したコンテストで、マッコイ自身、このマラソン・ダンスの警備員に雇われたことがあるらしく、その実体験をもとにしているとのこと。それだけに描写がなかなかリアルだ。
 マッコイは、『明日に別れの接吻を』でも、ジョイスやフォークナーなども用いた「意識の流れ」という手法を採り入れる技巧派としての片鱗を見せていたが、本作では、まず冒頭でフラッシュバックの手法を採り入れ、さらには、章ごとに少しずつ字を大きくしていく標題(というか判決文の断片)を掲げるという、技巧的ながらも実に面白い手法を試みている。フラッシュバックはミステリでも時おり用いられる手法だが、マッコイは単に奇を衒うためではなく、大団円を余韻深いものに仕上げるために実に効果的にフラッシュバックの場面を配している。読者は、結びに至ったあと、思わず冒頭に戻って読み返さずにはいられないはずだし、作品のタイトルも含め、いかに全体のプロットをよく考え抜いた上でこうした技巧を採り入れたか、作者の苦心の跡を改めて実感させられるはずだ。漫然と読み流してはいかにももったいない。
 『明日に別れの接吻を』は、起伏のある楽しいストーリーというだけでなく、よく練られたプロットの整合性に感心されられたものだが、『廃馬』もその点では同様であり、この両作を読んだことで、マッコイという作家の技量の一端を窺い知ることができたような気がする。なにやら未訳の作品にも関心が向いてしまいそうだ。
 作品自体からはやや脱線するが、平成25年に亡くなった翻訳者の常盤新平氏の業績がこうした形で復活したことも注目されて然るべきだろう。常盤氏は、「エラリイ・クイーンズ・ミステリマガジン」の編集者を務めたこともあるが、ミステリよりもデイモン・ラニアンやアーウィン・ショーなどのアメリカのしゃれた都会小説を好み、自らも同誌にこうした作品をよく紹介したとされる。マッコイの『廃馬』は、その時代背景といい、ストーリーといい、常盤氏にはいかにも心の琴線に触れる作品だったのではないだろうか。氏による旧版の解説も再録されているが、翻訳者としての思い入れが伝わってきて興味深い。よき翻訳者に巡り合えた幸運な作品だったとも言えるかもしれない。

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