スタンリイ・エリン『ニコラス街の鍵』

 『ニコラス街の鍵』(1952)は、『断崖』(1948)に続くスタンリイ・エリンの長編第二作である。
 物語は全五部からなり、ニコラス街に住む一つの世帯の家族や使用人が各部の語り手を務めている。アイレス家の主人、ハリーが、隣家に移り住んできた画家、ケイト・バルウと深い仲になり、妻ルーシルとの関係がぎくしゃくする矢先、殺害されたケイトの死体が地下室の階段の下で発見される、というストーリー。
 一つの事件を複数の人間の視点から叙述することで、事件の諸相を立体的に描きながら、アイレス家の家族に絡む人間模様を浮き彫りにしていくという構成の技巧が冴えている。サブプロットとして描かれる、ハリーの娘ベティナとケイトの友人マットとの関係も、こうした叙述の構成もあってうまくストーリーの中に融合している。
 テン・エイクという警察署長が事件の捜査に当たる描写も含め、一見するとフーダニット的な構成を持つ作品だが、推理の要素やプロット面での技巧は希薄であり、作者の主眼はアイレス家のメンバーの心理描写にあったと思われる。短編に見られるような切れ味の鋭い大団円の妙味はないが、その分、一人一人の人物描写は長編ならではの深みを持っているようだ。
 もっとも、五人の視点で同じ事件の経緯を語らせるという叙述の構成が本作の特長をなしている反面、同じ出来事を繰り返し聞かされるような煩わしさを感じる面がなくもない。『第八の地獄』をはじめ、長編でも高い評価を得たエリンだが、緊密な構成を持つ短編に比べると長編はやや弱いとよく言われるのは、こうした冗長さがつきまとう面があるからだろう。
 蛇足ながら、邦訳はどうも首を傾げる箇所が多かった。例えば、第二部の冒頭で、「アイレスの家系にはその背骨のある者は一人もなかった」と出てくる。この「背骨」の言及はそのあとも何度か出てくるのだが、まるでアイレス家の人たちは無脊椎動物みたいだ。おそらく原語は‘spine’で、この語は「気骨」とか「根性」といった意味で使われることも多い(‘backbone’でも同様だ)。この訳者はロードの『吸殻とパナマ帽』も手がけているが、これも残念ながら不自然で読みにくい文章に満ちた翻訳だった。本作はエリンの長編中でも評価の高い作品だけに、できれば改訳してほしいところだ。
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スタンリイ・エリン『特別料理』

 最近文庫化された、エリンのこの第一短編集ほど粒ぞろいの作品を収録した短編集はなかなかあるまい。当然のことながら、「クイーンの定員」にも選ばれている。1956年に刊行された際の原題は、“Mystery Stories”という実にありきたりなタイトルなのだが、「特別料理」から「決断の時」まで10作の収録作品の多様性は、とてもこのタイトルでは表現し尽くすことはできない。
 同じ短編の名手でも、フレドリック・ブラウンは、閃いたインスピレーションをそのまま即興で作品に仕上げたような軽い印象の短編が多いが、エリンの場合は、アイデアを得てから一つの作品に仕上げるまでに、試行錯誤を重ね、練りに練った推敲の跡がにじみ出ているような重みを感じる。音楽で言えば、モーツァルトとベートーヴェンを連想させるような違いがある。ローレンス・トリート編『ミステリーの書き方』に収録された「『手直し』というきびしい仕事」というエリン自身のエッセイに、その作業工程の一端が示されている。
 「これ以外の結末はあり得ない」と思わせる大団円の必然性を伴った短編は滅多にあるものではないが、エリンの短編はそんな作品が目白押しだ。驚くべきことに、その水準の高さは第二短編集の『九時から五時までの男』になっても全く変わらず、第三短編集の『最後の一壜』に至ってようやく、わずかに衰えを感じさせる作品が散見される程度だ。印象に残った作品だけでも、「お先棒かつぎ」、「好敵手」、「ブレッシントン計画」、「最後の一壜」、「内輪」と次々と思い浮かぶが、それ以外にも、見事なプロットと大団円を兼ね備えた作品が多い。
 残念なのは、かつて光文社から刊行されていた雑誌「EQ」に翻訳が掲載されたまま放置されている、単行本未収録の作品が幾つか残っていることだ。数からいってもこれだけで単独の短編集が編まれるとは考えにくいのだが、このまま埋もれさせておくのはいかにも惜しい。

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