エルスペス・ハクスリー『サファリ殺人事件』

 エルスペス・ハクスリーは、5歳の時に両親とともに英領ケニアに移住し、18歳まで過ごした。“The Flame Trees of Thika”など、アフリカを題材にした著書がよく知られている。『野生のエルザ』の著者、ジョイ・アダムソンの友人でもあった。なお、彼女の夫、ジャーヴァスは、『素晴らしい新世界』の著者として知られるオルダス・ハクスリーのいとこに当たる(彼女自身は血縁ではない)。
 ハクスリーは、東アフリカの英領チャニアを舞台にした、ヴェイチェル警視の登場するミステリを三作残している。『サファリ殺人事件』(1938)はその二作目に当たる。邦訳があるのでストーリーの詳細は省くが、宝石盗難事件の捜査の依頼を受けたヴェイチェルが、身分を隠してハンターとして潜入したキャンプで、宝石の所有者だった富豪の夫人が射殺される・・・という展開。
 本書を読んでいて一番新鮮に感じられるのは、作者自身の実体験に裏打ちされたアフリカの描写の生々しさだろう。そこに暮らす人々のありさまはもちろんのこと、野生動物の描写ひとつ取っても、百科事典から引っ張ってきたような薄っぺらさとは無縁の、生き生きとした現実味を感じさせる。
 植民地時代のアフリカを描いた文学としてはなかなか貴重なものと思われるが、ミステリとしてはどうだろうか。アフリカにおける狩猟の知識などもプロットに活かされていて、興味深い点はいろいろあるが、全体としては凡庸な出来栄えと言わざるを得ないだろう。“A Catalogue of Crime”の編者、バーザンとテイラーは、全体としては「一級品」と称賛しているが、のちに“Fifty Classics of Crime Fiction 1900-1950”を編集した時には、“Death of an Aryan”のほうを選んでいる。
 ところで、本書の邦訳は長崎出版から出ていたのだが、同社の倒産に伴い、この邦訳も既に入手困難になっている。昨今の我が国における出版不況は海外ミステリの世界にも暗い影を落としつつあるようだ。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

エルスペス・ハクスリー“Death of an Aryan”

 “Death of an Aryan”(米題:The African Poison Murders)(1939)は、ヴェイチェル警視の登場する最後の長編である。

 舞台は東アフリカの町、クルナ。第二次大戦の前夜、チャニア警察のヴェイチェル警視は、クラブで出会ったジャニス・ウェスト夫人の招きで、農場を持つデニス・ウェストの家に行く。ウェストは隣人のカール・マンスンのことでヴェイチェルに相談をする。実はマンスンこそ、ナチスの地方支部の大物であり、ヴェイチェルは彼を調査するためにその地に来ていたのだった。
 ウェストの話によれば、マンスンは自分の畜牛を隣の農場に侵入させて作物を荒らしたり、隣家の一人、アンスティの使用人を虐待して死に至らしめるなど、理不尽なふるまいが問題になっていた。
 最近、マンスンの畜牛が毒を盛られて死ぬという事件が起き、マンスンはウェストの仕業だと非難していたが、その後、ウェスト家の周囲を何者かが徘徊しているらしい様子があり、ジャニスが育てていたヒエンソウがナイフで花を切り取られるという事件が起きていた。ヴェイチェルがジャニスと話している間に、ウェスト夫妻が飼っているセッター犬が四肢を切断されるという事件が起きる。
 ヴェイチェルはマンスンを訪ねるが、マンスンは自分の雌牛が毒を盛られた事件を調べようともしないくせに、自分が犬の足を切断したと疑っていると激しく難じる。マンスンの家には、妻と二人の子どものほか、甥のエドワード・コーコラン、子どもの家庭教師のミス・アニータ・アダムスがいた。アニータは、一週間前に自分の飼っていた鳩が首を切断される事件があったことをヴェイチェルに告げる。いずれも同一犯の仕業のように思われた。
 翌朝、マンスンが除虫菊の乾燥小屋で死んでいるのを使用人が発見する。マンスンの死体には暴行の跡はなく、争った形跡もなかった。エドワードは、マンスンが閉め切った小屋に入って、充満していた火鉢の煙のせいで窒息死したと考えていたが、マンスン夫人は、夫は毒殺されたと主張する・・・。

 ハクスリー自身の体験に裏打ちされたアフリカの舞台背景描写は、本作でもさすがに生き生きとしていて興味深い。野生動物に囲まれた大自然の中で暮らす人々の姿が目に浮かぶようで、 “Fifty Classics of Crime Fiction 1900-1950”の一つに本作を選んだバーザンとテイラーもこの点を特筆している。‘askari(兵士)’、‘bwana(主人)’といった、作中で頻出するスワヒリ語も、生活体験の中で身近に接した表現だろうし、取って付けた感がなく、臨場感を醸し出す自然さがある。ナチスの存在が色濃く影を落としている点も時代を感じさせるところだろう。なお、“1001 Midnights”にも本作が選ばれていて、マーク・ジョンスンが評を書いている。
 矢毒の謎、動機の謎など、ちょっとした注目点はあるが、それほど独創性のあるものではなく、むしろ期待を膨らませて読むと肩すかしを食らわされるかもしれない。バーザンとテイラーも、“A Catalogue of Crime”では、犯人の正体は「期待外れ」だとやや厳しめの評価をしている。
 ただ、ジョンスンも述べているように、残虐行為の黒幕と思われていたマンスンが殺され、さらには、彼と不仲だったウェストも殺害されるに及んで、ウェスト夫人が容疑者に浮上してくる展開はなかなか面白い。ミステリとしての出来栄えは、前作『サファリ殺人事件』を上回ると言っていいだろう。

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