ビル・S・バリンジャー『歯と爪』

 バリンジャーは既に何冊も邦訳が出ているが、実は読んだことがあるのは、本作と『消された時間』の二作だけだ。二つのストーリーが交互に並行して進行していくという構成はどちらも同じで、『煙で描いた肖像画』や『赤毛の男の妻』も同様というから、なにやら同工異曲の作品ばかり書いている芸のない作家のような悪い印象があり、読まず嫌いになってしまったのかもしれない。
 『消された時間』のほうは、「あらゆるサスペンス小説の中でも最も戦慄させられる第一章の一つ」(“1001 Midnights”のビル・プロンジーニ)と評される作品で、確かに出だしは面白いのだが、残念ながらほとんどその最初の段階からプロットがほぼ読めてしまい、さほど強い印象を残さなかったのも読まず嫌いになったもう一つの理由だろうか。
 本作と『消された時間』は、発表当初、巻末を袋とじにして、開封せずに版元に持参すれば代金は返すという趣向を取り入れた最初の試みとして知られ、創元文庫の本作の邦訳も同じ趣向を採り入れている。そんな趣向につい惹かれて購入する人もいるのだろうが、実際に封を切らずに返金してもらう人がどれだけいるのか興味津々で、ぜひ出版社に聞いてみたいところだ。
 クリス・スタインブラナー&オットー・ペンズラー編“Encyclopedia of Mystery and Detection”のバリンジャーの項目では、『煙で描いた肖像画』、本作、『消された時間』の三作が代表作として挙げられている。アンソニー・バウチャーをはじめ、本作を高く評価する評者は、結末の意外性やトリックの独創性に言及している例が多いようだ。
 「まず第一に彼は、ある殺人犯人に対して復讐をなしとげた。第二に彼は殺人を犯した。そして第三に彼は、その謀略工作のなかで自分も殺されたのである」という、謎めいた挑発的な「プロローグ」も、そうした評価に多分に寄与してきたのだろう。
 しかし、実際に読んで印象に残るのは、そうした奇抜な趣向やトリックよりも、リュウとタリーという二人の出会いと悲劇、そして、復讐を誓い、固い決意のもとにこれを成し遂げていくリュウの姿ではないだろうか。帯文句やこれまでの評価に惑わされると、視点はどうしても、リュウがグリーンリーフをどのようにして追い詰めていくのかという計略や、(並行して描かれる裁判の場面がプロットを錯綜させるものだから、)作者が読者に仕掛けたトリックのほうに向いてしまいそうになる。しかし、むしろ本当に魅力的なシーンは、お金を失くして困っているタリーをリュウが助けてやる出会いのエピソードや、たった一人でタリーの復讐を果たそうとするリュウの悲壮的なまでの犯人追跡のプロセスのほうだろう。
 バリンジャーといえば、凝った構成ばかりが注目されがちだが、ウールリッチ(アイリッシュ)の『黒衣の花嫁』や『喪服のランデヴー』とも相通じるような切ない復讐譚の魅力こそがこの作品の持ち味のような気がする。その魅力を味わってみると、返金などしてもらわずに、封を開けて最後まで読んでよかったという気持ちにもなる。読まず嫌いにならずに、ほかの作品もぜひ読んでみたいところだ。
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