レックス・スタウト『遺志あるところ』

 レックス・スタウトも最近次々と新訳が出るようになって嬉しい限りなのだけれど、いつもじれったく思うのは、原文の持つ味わいが翻訳ではなかなかうまく表現しきれていないこと。ウルフ、アーチー、クレーマー警部の掛け合いなども、「てにおは」で成り立つ日本語に直すと、どうしてもまどろっこしくなってしまうからだ。
 スタウトは初期作品ほど覇気があって、会話も活き活きしているし、見せ場も多ければ、プロットもしっかりしているものが少なくない。『腰抜け連盟』、『ラバー・バンド』、『シーザーの埋葬』などは、謎解きとしてもよくできた作品で、本格ファンでも楽しく読める作品ではないかと思う。
 初期作品の一つ、“Where There’s a Will”(1940)では、スタウトは、6枚のスナップ写真を挿入して読者に手掛かりを与えるという趣向まで凝らしている。
 写真を手がかりに挿入するとは、まるでオースティン・フリーマンにならったかのようで、エラリー・クイーンすらも手を出さなかった試みにチャレンジしているのが微笑ましく、この頃のスタウトが謎解きにも意欲的だったのがうかがえる。
 (ただ、一頁の片面に6枚のスナップ写真を押し込んだため、それぞれのサイズが小さくなりすぎて、作者がそこに隠した手がかりが必ずしも鮮明ではないのが惜しい。)
 謎解きの手がかりというのは、残された凶器や部屋の様子など、叙述だけでは十分に説明しきれない立体的なものが少なくない。図面やイラストを加える例が少なくないのもこのためだが、写真となるとさらに臨場感が増すというものだろう。
 デニス・ホイートリーやパトリック・クエンティンが参加した「クライム・ファイル」は、こうした趣向が高じて、手掛かりの実物を本の中に取り入れるところまで行ってしまったシリーズなのだが、長続きしなかった。ストーリーとしての厚みが弱くなり、無味乾燥になりがちという欠点もさることながら、コストや手間の問題もあったのではないかと思う。
 スタウトのこの作品も、米ファーラー&ラインハート社の初版にあった写真がのちのペーパーバック版などでは欠落してしまい、せっかくの趣向が活かされないまま版を重ねている。
 同書の邦訳(『遺志あるところ』)は光文社の「EQ」93年7、9月号に連載されたが、やはりのちの版を底本に用いているのか、この写真は掲載されていない。
 その邦訳でいえば、9月号の254頁目下段、「ひとわたり調べてもはっとするような発見には出くわさずじまいだった。」という文に続けて、元々は‘Here they are—reproductions of them:’という文があり、次頁に写真が掲載されていた。


意志あるところ



 現在出ているスタウトのペーパーバックを見ると、作品ごとに著名な作家たちが序文を寄せて、ネロ・ウルフとその創造者スタウトにオマージュを捧げている。スタウトのウルフ物が今日に至るまでいかに人気の高いシリーズなのかを実感させられる。
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ネロ・ウルフの名前の由来

 レックス・スタウトが創造したネロ・ウルフ(Nero Wolfe)の名前の由来については、いろんな説明がなされている。
 『我が屍を乗り越えよ』や『黒い山』で明らかにされているように、シリーズの中では、ウルフはモンテネグロの出身とされ、故国に戻っての冒険譚すらあるわけだが、ウルフの名、ネロは、このモンテネグロ(Montenegro)に由来するという説明が一般的である。
 モンテネグロは「黒い山」という意味であり、国土の約六割が色濃い山林に覆われていることに由来するとされる。同国が第一次大戦で敗北するまで独立を維持し得たのも、天然の要害のような国土のおかげだったと言われている。
 “Three At Wolf’s Door”所収の中編‘The Rodeo Murder’(邦訳「ロデオ殺人事件」EQ98年7月号)では、ウルフ自身が、自分の名前ネロは山の名に由来すると語っているので、公式にはそれが正しい説明なのだろう。
 しかし、どうやら、それはシリーズが展開していく中で、あとから考えられた由来であり、もともとは全く違う発想に基づいていたようだ。
 手がかりは、ジュリアン・シモンズがコリンズ・クライム・クラブの記念復刊で選んだ“Even in the Best Families”に寄せた序文にある。それによれば、スタウト自身が時折書いているものを参照すると、ウルフの名前はスタウト自身の名前をもとに作られたようだ。
 ‘Rex’は国王を意味し、‘Nero’は皇帝の一人(ローマ帝国の第五代皇帝ネロ)、‘Stout’は雄牛向きの名であり(‘stout’は「頑丈な」とか「恰幅がいい」という意味がある)、‘Wolfe’は狼(wolf)向きの名だというのだ。要するに、自分の名をもじったわけ。(スタウトのミドルネーム、Todhunterが「狐を狩る者」の意であることから、ウルフという名を思いついたのでは、という意見の人もいるようだ。)
 『我が屍を乗り越えよ』ではじめて、ウルフがモンテネグロ出身だと明らかになるのだが、これも、他の作家がモンテネグロ人はひどく怠け者だと語っていたことから思いついたアイデアだという。
 シモンズはそれ以上踏み込んでいないが、ウルフが肥満体でビール好きなのは、‘stout’が太っていることを意味する形容詞でもあり、黒ビールを意味する名詞でもあることに由来するのではないだろうか。
 美食や蘭を好むのは、スタウト自身の趣味だったようだし、どうやらウルフの個性は、作者スタウトの名前や趣味をもとに造形されたらしいことがうかがえるが、なにやら遊び心を感じる半面、なんと安易な発想なのかと拍子抜けしてしまう。
 シモンズも、スタウトは煙に巻いている面があると言及しているが、実はほかにもまるで違う説明をしているソースもある。それは、エラリー・クイーンの『クイーン談話室』(邦訳は国書刊行会)収録の‘The Great O-E Theory’(「偉大なるOE理論」(前掲書所収)、「偉大なるo-eセオリー」(EQ79年11月号所収))。
 クイーンがスタウトに直接質問したところ、スタウトは、なんと、ネロ・ウルフの名はシャーロック・ホームズの名にちなんだものだと答えたというのである。クイーンは、そこからあれこれ思弁をめぐらし、ポーにまで遡る「OE理論」なるものを展開して一つのエッセイにまでまとめ上げているのだが、それはともかくとして、ここまでくると、真偽のほどは測りようもない。
 ホームズといえば、『西35丁目のネロ・ウルフ』の著者でもあるベアリング=グールドは、『シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯』の中で、ウルフはホームズとアイリーン・アドラーとの間に生まれた私生児ではないかという説を提唱しているが、これもスタウトは特に否定しなかったとされる。
 おそらくは、シモンズが説明しているように、当初は単純な発想から造形された探偵だったのだろうが、シリーズが展開していくにつれて、次第に具体的な肉付けがなされ、さらには、まことしやかな「神話」まで作り上げられてしまうところが面白い。

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レックス・スタウトの評価とベスト長編は?

 クイーンの評価傾向を調べたとなると、もう一方のアメリカ探偵小説の雄、レックス・スタウトについても調べてみたくなる。日本での人気はクイーンに遠く及ばないが、北米ではむしろ逆で、書棚に並ぶペーパーバックもスタウトのほうがずっと品揃えがよかったのを憶えている。(クイーンを置いてない書店も珍しくなかった。)
 かつては人気を誇ったアール・スタンリー・ガードナーも今ではすっかり下火となってしまったが、スタウトの人気は堅調で、それは、バンタム社から刊行されているペーパーバックに、キラ星の如き作家や批評家たちが序文を寄せていることからもうかがえる。

 それでは、まず本国アメリカの批評家から。
 マーヴィン・ラッチマン(“A Reader’s Guide to The American Novel of Detection”)は、「傑作推理小説100選」において、クイーンと並ぶ9作品を選んでいる。すなわち、『毒蛇』(1934)、『ラバー・バンド』(1936)、『料理長が多すぎる』(1938)、『シーザーの埋葬』(1939)、“The Silent Speaker”(1946)、“In The Best Families”(1950)、『黒い山』(1954)、『ネロ・ウルフ対FBI』(1965)、『ネロ・ウルフ最後の事件』(1975)だ。
 興味深いのは、クイーンの作品選定では初期から中期の作品に偏っていたのに対し、スタウトでは、脂の乗った初期の代表作から、アーノルド・ゼック三部作のクライマックス“In The Best Families”やウルフの個人史に関わる異色作『黒い山』を経て、後期の人気作『ネロ・ウルフ対FBI』や遺作『ネロ・ウルフ最後の事件』に至るまで、満遍なく節目の作品を選んでいること。作品のバラエティの広さとシリーズ展開の面白さを縮図的に表したような選択が見事だ。
 ラッチマンは、ビル・プロンジーニ&マーシャ・マラー編“1001 Midnights”でもスタウトの項目を担当していて、『毒蛇』、『料理長が多すぎる』、『シーザーの埋葬』、『Xと呼ばれる男』(1949)、『黒い山』を取り上げ、いずれもアスタリスク一つを付している。『料理長が多すぎる』を「ネロ・ウルフ物のベスト長編リストに一番頻繁に登場する」とし、『シーザーの埋葬』を「最高のウルフ物長編としてよく挙げられるもう一つの作品」としている。
 アート・ブアゴウ(“The Mystery Lover’s Companion”)が短剣5本(真の古典)を与えているのは、『毒蛇』、『腰ぬけ連盟』、『黒い山』、『ネロ・ウルフ対FBI』。ゼック三部作(『Xと呼ばれる男』、“The Second Confession”(1949)、“In The Best Families”)についてはひと括りにして「すべて傑作」、つまり短剣4本相当と見なしているようだ。『腰ぬけ連盟』を「お気に入りの一つ」、『ネロ・ウルフ対FBI』を「おそらくスタウト最良の作品」と述べている。
 ロビン・ウィンクス(“Detective Fiction”)は、『料理長が多すぎる』、『Xと呼ばれる男』、“Plot It Yourself”(1959)をお気に入りに挙げている。
 ブルース・F・マーフィー(“The Encyclopedia of Murder and Mystery”)は、ウルフの項目で『腰ぬけ連盟』、『シーザーの埋葬』、『Xと呼ばれる男』、『編集者を殺せ』(1951)、“A Right to Die”(1964)を傑作として挙げ(スタウトの項目では『ネロ・ウルフ対FBI』も挙げている)、特に『腰ぬけ連盟』を「ネロ・ウルフ・ミステリのベスト」としている。
 エドワード・D・ホック(“The Oxford Companion to Crime and Mystery Writing”でスタウトの項目を執筆)は、『毒蛇』、『腰ぬけ連盟』、『料理長が多すぎる』、『シーザーの埋葬』をシリーズのベストとし、『腰ぬけ連盟』のプロットを「シリーズ最強の一つ」としている。
 ジム・ホァン編『書店のイチ押し! 海外ミステリ特選100』では、『シーザーの埋葬』が選ばれている。
 ジャック・バーザンとW・H・テイラー(“A Catalogue of Crime”)は、『料理長が多すぎる』を「スタウトの作品で傑作の名に値する3、4作中の最高傑作」と称賛し、彼らのベスト50にも選んでいる。彼らがほかに傑作としているのは、“The Second Confession”、『Xと呼ばれる男』、『シーザーの埋葬』。
 ところが、“The Armchair Detective: A Book of List”では、バーザンは『ギャンビット』(1962)をベスト・テンの一つに選んでいる。“A Catalogue of Crime”では特に称賛していなかった同作を、バーザンがなぜ選んだのかは謎。“A Catalogue of Crime”での評価は共著者テイラーによるものだったのだろうか。
 “The Armchair Detective: A Book of List”でベスト・テンを挙げている人々の中では、ほかに、マイケル・マローンが『腰ぬけ連盟』を選び、ロバート・B・パーカーが「レックス・スタウトのほとんどの作品」としてチャンドラーやハメットなどの個別作品と並んで選んでいる。(ローレンス・ブロックも作家として名を挙げている。)
 なお、同書には、「アームチェア・ディテクティヴ」誌が行った作家や探偵の人気投票の結果も掲載されていて、作家ではスタウトがベスト15のうち1位(2位はクリスティ)、探偵ではウルフがベスト5のうち2位(1位はホームズ、3位はポアロ)となっている。(クイーンはいずれも選外。)
 『アメリカ探偵作家クラブが選んだミステリBEST100』では、66位に『ネロ・ウルフ対FBI』が選ばれている。

 英国勢では、メルヴィン・バーンズ(“Murder in Print”)が、『毒蛇』、『ファーザー・ハント』(1968)、『ネロ・ウルフ最後の事件』を挙げている。(なお、『ファーザー・ハント』はCWA(英国推理作家協会)の外国作品賞を受賞している。)
 H・R・F・キーティング編“Whodunit?”では、『腰ぬけ連盟』、『料理長が多すぎる』、『マクベス夫人症の男』(1973)が挙げられている。キーティング自身は、『海外ミステリ名作100選』で『腰ぬけ連盟』を選んでいる。
 ジュリアン・シモンズ(“Bloody Murder”)は、『毒蛇』、『腰ぬけ連盟』、『赤い箱』(1937)を特に推し、次いで“The Silent Speaker”、“The Second Confession”、“In The Best Families”、後期の作品では『ネロ・ウルフ対FBI』を好意的に評している。(“Even in the Best Families”[“In the Best Families”の英版タイトル]の序文では、『毒蛇』と『腰ぬけ連盟』を特に推しているようだ。)
 “Detective Fiction: The Collector’s Guide”のB・A・パイクは、『編集者を殺せ』をパースナル・チョイスに選んでいるが、共著者のジョン・クーパーはスタウトの作品を挙げていない。
 CWA会員が選んだベスト100である“Hatchards Crime Companion”では、スタウトの作品は選外だが、人気男性探偵ではウルフが8位に食い込んでいる。その上位には、4位のフィリップ・マーロウを除けば、英国作家の探偵たちが並んでいることからすると、むしろ大健闘と言うべきかもしれない。
 なお、スタウト自身のお気に入りは、ウルフ物ではない“Double for Death”(1939)だったというが、“Even in the Best Families”の序文でジュリアン・シモンズが伝えるところでは、ウルフ物の中では『腰ぬけ連盟』が最良だと語っていたとのこと。

 こうして見ると、『腰ぬけ連盟』が定評のあるベスト長編と言えそうだ(ジョン・ディクスン・カーもベストテンに選んでいた)。そのほかでは、『毒蛇』、『シーザーの埋葬』、『料理長が多すぎる』の評価が高い。そう言うと初期作品に偏っているようだが、アーノルド・ゼック三部作や『ネロ・ウルフ対FBI』も根強い支持を得ているのが分かる。さらに、個別作品に図抜けた古典があるわけではないが、ネロ・ウルフのシリーズは、人気という点では明らかにクイーンを凌駕し、アメリカを代表するミステリと言ってもいいほどだ。
 この素晴らしいシリーズが日本では比較的冷遇されているのが残念でならない。クイーンの作品はすべて邦題で引用できるし、複数の邦題から選択するほどだというのに、スタウトは(ご覧のとおり)原題で引用せざるを得ない作品が幾つもあるだけでなく、邦訳があっても雑誌に掲載されたまま放置されているものも少なくない。
 スタウトを知らずしてアメリカの本格ミステリは語れない。もっと多くの人にその魅力を知ってもらいたいものである。

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レックス・スタウト “Champagne for One”

 “Champagne for One”(1958)は、ネロ・ウルフとアーチー・グッドウィンが登場する長編。

 アーチーに、知り合いのオースティン・バインから電話がかかってくる。喉頭炎を患ってしまい、伯母のルイーズ・ロビロッティ夫人がその晩開く予定のディナー・パーティーに行けなくなったので、代わりに行ってくれないかという依頼だった。ロビロッティ夫人はかつてウルフに仕事の依頼をしたことがあり、アーチーのことも知っているので、ゲストの穴埋めにちょうどいいというのだ。ロビロッティ夫人本人からも同じ依頼の電話が来る。
 毎年開かれるそのパーティーには、ロビロッティ夫妻、夫人が前夫との間に儲けた息子のセシル・グランサムと娘のシーリア・グランサムなどのほか、シングル・マザーたちが招待されていた。莫大な財産を持っていた前夫のアルバート・グランサムは、シングル・マザーが職を得たり、結婚できるように支援するプロジェクトを進めていて、彼女たちが更生したあとも、毎年、自分の誕生日パーティーに3、4人、招待していた。前夫の死後、再婚したあとも、ロビロッティ夫人はその誕生日パーティーを継続していたのだった。今回のパーティーにも、4人のシングル・マザーがゲストとして招かれていた。
 4人の一人、フェイス・アシャーは、ハンドバッグにいつも青酸の入った小瓶を忍ばせていて、仲間たちに自殺の可能性をほのめかしていたが、周囲の人々は本気にしていなかった。その話を聞いたアーチーは、パーティーの間、彼女とそのバッグにずっと目を光らせていた。ところが、フェイスは、セシル・グランサムが彼女に持ってきたシャンペンを口にすると、そのまま絶命してしまう。死因は青酸中毒だった。
 セシルが彼女に渡したシャンペンのグラスは、バーに並んでいたグラスから無作為に選んで持ってきたグラスだったし、彼がグラスを手にしたところもバーにいた人々が目撃していて、自分が飲むグラスをもう一方の手に持っていたため、持って行く途中も含めて、セシルがグラスに毒を仕込むことは不可能だった。現場にいた誰もが、フェイスの自殺に違いないと証言する。
 衆人環視の下で椅子に公然と置いてあったフェイスのバッグから毒の瓶を出して蓋を開けるようなことをすれば人目につかずにはいなかったし、幾つも並んでいたグラスの中から、セシルがフェイスに渡すグラスを予め特定して毒を仕込むこともできず、警察も自殺と判断する。だが、アーチーは、自分は彼女のほうをずっと見ていたし、毒をハンドバッグから取り出してグラスに入れたりはしておらず、これは殺人に違いないと主張する・・・。

 ウルフとアーチーのシリーズは、この二人とクレイマー警部をはじめとする警察、さらには魅力的な美女を含む事件関係者たちとの掛け合いがいつも絶妙で、キャラクターの魅力と弾けるような会話の面白さで読ませてしまうシリーズと言っていい。
 その反面、謎解きのプロットという点では、同時代の本格派の作家たちに比べていかにも弱く、初期の作品、例えば、『腰抜け連盟』、『ラバー・バンド』、『シーザーの埋葬』、『料理長が多すぎる』などは、まだそれでも骨格のしっかりしたプロットを具えていたが、時代を下るにつれてそれもいい加減になり、謎解きファンからはあまり熱烈な支持は得てこなかったというのが実情だろう。
 ハードボルイドやいわゆるコージー派の人気が高いアメリカでは、今なお根強い人気を誇っているシリーズだが、謎解きファンの読者層が厚い我が国では、残念ながらさほど支持は広がらず、今も紹介されていない作品が多数あるし、過去に翻訳されても入手困難になっているものも少なくない。けだし、謎解きを楽しもうという姿勢で臨む読者に、いくらスタウトの魅力を力説してみても無理があるというものだろう。
 そんな本格謎解きファンにお口直しにお勧めするとしたら、本作などはちょうどいい作品かもしれない。スタウトにしては珍しく、不可能興味を盛り込んだ作品であり、途中で腰砕けになることなく、最後までその謎を持続させているし、それだけでなく、解決の仕方も、目覚ましい独創性を期待してはさすがにつらいが、それなりに合理的で筋の通った解決を用意しているからだ。
 “A Catalogue of Crime”のバーザンとテイラーは、本作に好意的な評を与え、毒がどのように仕込まれたのかという謎にも注目しているが、スタウトが不可能犯罪を扱うなど、普通なら考えにくいせいか、ロバート・エイディの“Locked Room Murders and Other Impossible Crimes”でも本作は取り上げられていない。リファレンス・ブックの多くも、本作に言及しているものは稀だ。
 アーチーの活躍ぶりもさることながら、容疑者を一堂に集め、事件の現場を再現して謎解きを披露するウルフの推理も、中心となる謎の面白さもあってか、本作では一段と光っているように思える。代表作として定評のある作品と比べればやや弱いかもしれないが、まずまずの出来栄えであり、スタウトの作品を敬遠しがちな謎解きファンには特にお勧めの一作といえるだろう。

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レックス・スタウト “Plot It Yourself”

 “Plot It Yourself”(1959)は、ネロ・ウルフとアーチー・グッドウィンが登場する長編。

 ウルフがフィリップ・ハーヴェイの『神々はなぜ笑うのか』を読んでいるところに、そのハーヴェイ自身から電話がかかってくる。ハーヴェイは、出版社と作家・劇作家たちが共同でつくった剽窃問題に関する委員会の議長であり、その問題についてウルフに面談したいという。翌日、ハーヴェイは、作家と出版社の代表五人を引き連れてウルフのオフィスにやってくる。
 彼らの説明によれば、ここ四年の間に、売れっ子作家たちが次々と剽窃問題で訴えられていた。最初の被害者は、エレン・スターディヴァント。彼女は、アリス・ポーターという無名の作家志望の女性から、意見をもらうために自分が送った原稿から筋書を盗まれたと訴えられた。エレンはその訴えを無視するつもりだったが、ポーターが送ったと称する原稿が彼女の家で見つかる。エレンは身に覚えがなく、その原稿がこっそり置かれたものと考えていたが、裁判沙汰になるのを恐れてアリスに8万5千ドル支払って解決していた。その後も、ほかに二人の売れっ子作家たちに同様の事件が起きていて、既に三人の作家たちが屈服して支払いに応じていた。そして、四件目の訴えが現在起きているという。最初の事件で剽窃を訴えたアリス・ポーターが、再び、エイミイ・ウィンという作家を剽窃で訴えていたのだ。
 ウルフは、告発者たちが送ったと称している原稿を入手して文体を調べるが、その特徴からそれらの原稿がいずれも同一人物の手によって書かれたものであることを看破する。ウルフは、告発者の一人に金を提供し、訴えないと約束してその人物を暴露させるよう委員会に提案し、了承を得る。
 アーチーは、告発者の一人、サイモン・ジェイコブズのアパートを訪れるが、そこにはパーリー・ステビンズ部長刑事が待っていた。ステビンズは、ジェイコブズが刺殺されたことを告げる・・・。

 出版業界を舞台にした作品としては、ほかに『編集者を殺せ』(1951)があり、女性編集者の死の謎をめぐるストーリーだった。本作では、小説や劇のプロットを剽窃されたと訴えた告発者たちが次々と殺されていくという連続殺人を扱っている。
 『手袋の中の手』や『苦いオードブル』に登場する、スタウトのもう一人のシリーズ・キャラクター、ドル・ボナーが登場しているのは、ちょっとした読者サービスなのだろうが、残念ながらたいした見せ場はなく、ソール・パンザーら、ウルフの常連の部下たちに混じり、ウルフの指示に従って足を使った調査に協力しているだけだ。
 この頃の作品になると個々の場面も登場人物の動きもマンネリの傾向が顕著になり、プロットも締まりのないものが多くなってくるのだが、本作は作家や出版社というスタウトにとっても馴染みの世界を舞台にしているせいか、ストーリー展開にもそれなりに勢いがあってまずまず読ませる。連続殺人という設定が中だるみを回避するのに寄与している面もあるが、プロットも破綻せずにうまくまとまっている。ロビン・ウィンクスのようにベストの一つに挙げる評者がいるのも分からなくはない。


Plot It Yourself
米初版ジャケット

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