ヘレン・マクロイ “The Further Side of Fear”

 “The Further Side of Fear”(1967)は、(クリスティの『未完の肖像』にも似て)私小説的性格の強い“Before I Die”(1963)を除けば、マクロイが離婚後の長いブランクを経てようやくミステリの軌道に戻った最初の作品である。

 リディア・グレイは、ロンドンのアパートの自室で、夜中にかすかな足音に気づいて目を覚ます。足音は明らかに室内で聞こえたが、ドアは一つしかないし、鍵がかかっているはずだった。部屋は八階にあり、外から窓を通って入ることもできないし、窓にも鍵がかかっていた。
 リディアは目覚めたことを相手に気取られないようにじっとしていたが、暗闇の中でも相手が男であることに気づく。男が出て行ったのを感じると、リディアはすぐに電気スタンドをつけてドアを確かめるが、ドアは内側からかんぬきがかかったままで、外から侵入するのは不可能だったし、男がどうやって出ていったのかも分からなかった。
 リディアは警察を呼んで部屋を調べてもらうが、盗まれた物もなく、侵入者がどうやって室内に出入りしたのか説明できず、警察官たちは彼女の話を半信半疑で受け止めつつも、指紋を採取して帰る。彼女のほか、男の指紋もあったが、その前に部屋を訪れたハロルド・デンビーという知り合いの指紋の可能性もあった。デンビーはケンブリッジ大学の社会人類学者で、船でたまたま知り合った相手だった。彼女は警察の示唆を受けて、ハロルドに指紋を警察に提供して疑いを晴らしてもらうよう頼む。
 翌日、彼女の部屋に謎めいた電話がかかってくる。相手は明らかに彼女を別の女性と勘違いしているようだったが、ただの間違い電話ではなく、彼女の番号を指定してかけてきた電話だった・・・。

 再び密室の室内への侵入事件があり、アパートの管理人が殺害され、前半は謎解きらしい展開を期待させるのだが、後半に入るとがらりと展開が変わり、リディアの二人の娘が誘拐され、娘を無事に返してほしくば、部屋の冷蔵庫に隠してあるテープを持参して、フランスとイタリアの国境にある路傍の宿屋まで来いという手紙が届くあたりから、すっかりエスピオナージュものの展開となる。
 1950年代までの脂の乗った時期の作品と比べると、分量も少ない上に、ストーリー展開も単純で起伏に乏しく、著しい落差を感じずにはいられない。もっとも、それも全盛期の作品と比べてしまうからで、サスペンスとしても、やや薄味ではあるが、予断を持たずに読めば、それなりに楽しめる作品ではあるだろう。
 本作はロバート・エイディの“Locked Room Murders and Other Impossible Crimes”にも取り上げられていて、マクロイが不可能興味を盛り込んだ作品の一つである。マクロイの不可能犯罪ものとしては、『暗い鏡の中に』、“Alias Basil Willing”、『割れたひづめ』などが思い浮かぶが、純粋な密室ものは本作と『割れたひづめ』だけだろう。全盛期の作品と比較すると、それほど斬新な仕掛けが用いられているわけではないが、スランプ期にあってもこうした謎への取り組みを忘れなかったマクロイのチャレンジ精神を多としたい。なお、エイディは探偵役としてデヴリン警部の名を挙げているが、実際はデヴリン警部の登場場面はわずかで、事件の謎解きをするわけでもない。
 本作は、『暗号ミステリ傑作選』や『毒薬ミステリ傑作選』の編者であるレイモンド・T・ボンドに捧げられている。マクロイには、“Panic”や“The Impostor”のような暗号をテーマとした作品もあり、ボンドとどのような関わりがあったのか興味深いところだ。


Further Side of Fear
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ジャンル : 小説・文学

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