ヘレン・マクロイ “Unfinished Crime”

 “Unfinished Crime”(1954:英題“He Never Came Back”)は、ノン・シリーズもののサスペンス。

 ピーター・モクソンは、足を引きずるような足音を背後に感じ、あとをつけられていると知る。モクソンはコートのポケットに高価なルビーのペンダントを隠し持っていた。警察の尾行を疑った彼は、閉店五分前の10セント・ショップに入り、ルビーのペンダントを安物のガラス装飾品が並ぶ中に隠す。ところが、店を出たあと、モクソンは信号待ちをしているところを何者かに突き倒され、車に轢き殺されてしまう。
 モクソンが店を出た直後、サラ・デイカーは、図書館から帰る途中、口紅を買うつもりで同じ店にたまたま入り、そのペンダントに目を惹かれる。ちょうどその時、外の通りからモクソンの断末魔の叫び声が聞こえるが、サラは気にとめない。店員を目で探すと、ジェリー・ホーンという同じアパートに住む青年が店内にいるのに気づく。ジェリーに勧められ、サラはそのペンダントを買う。商品を入れた紙箱がサラのハンドバッグに入りきらないため、ジェリーは自分の上着のポケットに入れる。
 店を出た二人は、モクソンが事故死した現場に出くわす。轢き逃げだった。現場に来ていた警官は、事故の目撃者たちに車の種類や運転手について質問するが、ある者は白髪の小男だったと言い、ある者はブロンドの大柄の女だったと言うなど、証言が食い違う。子連れの女性は、被害者が何者かに背後から押されたのだと証言する。
 そのあと、ジェリーはサラを近くの自販式食堂に誘う。テーブルに着いたあと、サラは紙箱を受け取り、ジェリーが小銭の両替に行っているあいだに、宝石の美しさに見とれ、たわむれにペンダントを自分の首にかけるが、鎖が長いために、宝石がブラウスの中に隠れてしまう。
 戻ってきたジェリーは、箱を再び自分のポケットに入れ、コーヒーを取りに行くが、すぐに戻ってくると言って、テーブルに帽子を残したまま戻ってこない。すると、隣のテーブルにいたインド人らしき男がサラのテーブルにやってきて座る。男の手首には、今にも飛びかかろうとうずくまる猫の刺青があった。男が去り、いつまで経ってもジェリーが戻ってこないのを不審に思ったサラは、入ってきた時にジェリーに声をかけた顔見知りらしき男に、ジェリーがどこにいるか知らないか尋ねるが、男は、今日はジェリーを見かけていないし、声をかけた覚えもないと否定する。食堂の店主も、今日はジェリーを見ていないと言う。
 サラはそれ以上待ち切れず、アパートに戻れば、ジェリーも部屋に戻っているかもしれないと思いながら、食堂を出て帰途につく。ところが、その途中、彼女は引きずるような足音があとをつけてくるのに気づく・・・。

 本作は、ブレット・ハリデイとの離婚を機にスランプに陥る前に書かれたものだけに、ツボをうまく押さえたスリリングな展開に加え、プロットも変に脱線することなく、よくまとまった読み応えのあるストーリーとなっている。
 その後、ジェリーを名乗る青年がサラの前に現れ、偽者と察知したサラが、ジェリーの仕事仲間や親戚にまで会わせて偽者であることを暴露しようと試みるが、よく知っているはずの従姉までがジェリー本人であることを裏づける。自分だけがこの男は偽者だと主張して孤立を深めていくサラのシチュエーションは、なにやらアイリッシュの『幻の女』の展開にも似て効果的にサスペンスを高めていく。
 本物のジェリーはどこに消えたのか、なぜ誰もが偽者を本人だと証言するのか、ジェリーをめぐって深まる謎が、ルビーの追跡劇と重なり合い、ややもすると、安手のエスピオナージュ的展開になりそうなストーリーを、過度に脱線することなく、一人の女性の心理的不安の高まりに焦点を据えて描き切ることに成功している。
 余談になるかもしれないが、初期のマクロイは凝った文体や表現が目立ち、『あなたは誰?』なども、一文が五行以上に及ぶ、まるでドイツ語かと思うような文章が頻繁に出てきたものだが、1950年代頃になると、格段に文体が分かりやすくなり、短い文章で簡潔に表現するのがうまくなる。(『あなたは誰?』を読まれた方が、そう言われて意外に思われたとしたら、翻訳上読みやすさを工夫した甲斐があったということになる。) これは、重厚な謎解きものが多かった初期作品に比して、冒険小説的な展開やサスペンスものが目立つようになった中期以降の作品への推移とも並行した現象ともいえ、「削除の美学」を旨としたマクロイは、作家として文体そのものも次第に洗練の度を増していったことが窺えるように思える。


Unfinished Crime
米ランダム・ハウス社初版ダスト・ジャケット
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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