エリザベス・フェラーズ『猿来たりなば』

 『カクテルパーティー』、『灯火が消える前に』と、今年はフェラーズの作品が矢継ぎ早に紹介されたが、かつては作品数の割に翻訳数が少ない作家の代表例だったようだ。
 トビー・ダイクものの第4長編、『猿来たりなば』(1942)は、我が国でフェラーズが続々と紹介されるきっかけとなった作品で、結局、このシリーズの5長編はすべて邦訳が出た。
 だが、海外における評価は大きく異なり、むしろ60年代以降の作品のほうが評価が高く、トビー・ダイクものが言及されることは少ない。例えば、“Twentieth Century Crime and Mystery Writers”(1980)でフェラーズの項目を執筆しているメアリ・ヘレン・ベッカーは、『私が見たと蠅は言う』(1945)を別にすれば、『さまよえる未亡人たち』(1962)、“The Decayed Gentlewoman”(1963)、“Ninth Life”(1965)、“Breath of Suspicion”(1972)、“The Small World of Murder”(1973)、“Alive and Dead”(1975)と、60~70年代の作品ばかり取り上げているし、“1001 Midnights”(1986)でマーシャ・マラーが取り上げたのも、“Alive and Dead”(1975)と“Frog in the Throat”(1980)の二作。“Detective Fiction: The Collector’s Guide”(1995)の編者、ジョン・クーパーが選んだパースナル・チョイスも、アンドリュー・バスネットものの“Something Wicked”(1983)だ。
 以前の記事でも紹介したように、フェラーズ自身も、初期のトビー・ダイクもののシリーズにうんざりしていたらしく、『ひよこはなぜ道を渡る』(1942)を最後に、再びこのコンビを登場させることはなかった。
 チンパンジーの殺害という奇想天外な設定が目を惹く『猿来たりなば』は、原題も“Don’t Monkey With Murder”(殺人を弄ぶな)と、タイトルからして凝っている。動機のユニークさもさることながら、オチで明かされる、ちょっとした仕掛けが面白く、思わず冒頭に戻って読み直した読者も少なくないはずだ。紹介された際に我が国で高い評価を得たのも、フェラーズらしい、こうした小才の利いたプロットにあったと見ていいし、トビーとジョージというコンビの魅力がこれに華を添えたこともあるだろう。
 フェラーズの長編は、謎解きとしてのフェアプレーを必ずしも重んじるわけではないものの、読者を思わずハッとさせる、ツイストの利いたアイデアが光るものが多い。この初期シリーズをどう評価するかは彼我の差があるにしても、このシリーズが、フェラーズの長編が再び注目されるようになるきっかけとなったのは事実だし、彼女の作品の特徴もこれらの初期作品において既によく表れている。いつの間にか品切れになっている作品が多いようだが、注目を浴びつつあるこの機会に、このシリーズにも再び光が当たってほしいものだ。
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