『時の娘』再考 歴史ミステリとしての『時の娘』

 肝心の『時の娘』(1951年)そのものにほとんど触れていなかったので、最後に、二王子の謎の研究史を辿ってみたアングルから作品を再考察してみたいと思います。

 まず、作中のアラン・グラント警部による二王子の謎に関する議論は、それ自体、少しも目新しいものではありません。作中で展開される議論のほとんどは、マーカムの“Richard the Third: His Life and Character”(1906年)に依存しており、実は『時の娘』が出版される40年以上も前に公にされていた議論であることが分かります。グラント警部の推理がテイのオリジナルであり、探偵小説が歴史の謎の解明に寄与した希有な例だと思われる方がいるとすれば、残念ながら、それは作品への過大評価だということになります。
 また、テイの情報源のほとんどはマーカムであり、他の研究書等はあまり参照していないと思われます(作品の終りの方で、登場人物達がリチャードの無実を論じた研究者が過去にもいたことを知り、マーカムの名とともに言及しているが、彼らについてはマーカムも言及しているので、テイが孫引きした可能性が高い)。
 例えば、リチャード三世が嫡子エドワードの死後、誰を後継者に指名したのかは、はっきりした記録が残っていませんが、姉エリザベスの子、リンカーン伯ジョン・デ・ラ・ポールだとするのが一般的であり、ジョージ・バックもそう述べています(ケンダルも、リチャードがリンカーン伯をヨーク家の相続人のポストであるアイルランド総督に任命している事実から、そう判断している)。
 同時代に近い歴史家ラウスは、リチャードは最初、兄クラレンス伯の子ウォリック伯エドワードを後継者に指名したが、後に心変わりしてリンカーン伯を後継者にしたと述べています。マーカムは、ウォリック伯の方を上位に置いている同時代の書簡やリンカーン伯が後にウォリック伯のために戦った事実などを挙げて、リチャードが後継者としたのはウォリック伯の方だとしていますが、これはむしろユニークな見解と言えるでしょう。
 いずれにせよ、かくも議論の分かれる問題ながら、テイが自明の如くリチャードはウォリック伯を後継者にしたとしているのは、彼女がマーカム以外の著作をあまり参照していない一つの証左と言えるでしょう。
 さらに、マーカムの著作が発表された時点では、遺骨の医学的調査はまだ行われておらず、マンシーニの報告書も発見されていないため、マーカム自身がこれらを踏まえた議論をしていないのは当然ですが、これらの情報を利用できたはずのテイが、リチャードを二王子殺害で非難したロシュフォールの情報源を相変わらずモートンとしているのはともかく、遺骨の調査が行われた事実に全く言及していないのは不自然です。
 このように、テイはリチャードと二王子について十分調査しているとは言い難く、『時の娘』は研究書の水準としては問題外と言わざるを得ないようです。 しかし、だからというので、『時の娘』がミステリとしても水準以下だということには決してならないでしょう。
 バートラム・フィールズは、「シェークスピアと同じく、ジョセフィン・テイは、リチャードに対する一般人の見方に、おそらく彼女と同時代の歴史家よりも大きな影響を与えた」と述べています。マーカムの著作は入手困難になって久しく、『時の娘』は今なおポピュラーな作品であり続けています。その理由は、たとえ素材はマーカムから借用したにしても、その素材に探偵小説の形式を与え、読者を歴史の謎へと誘い込み、一つ一つ解明を行っていくプロセスの中から真実が明らかになっていくという、謎解きとしての醍醐味と興奮を盛り込むことに成功したからでしょう。『時の娘』は、議論としては時代遅れになった部分が少なくないとしても、歴史の謎に対する読者の関心を啓発してきたという意味で、第一級の歴史ミステリと言えるのではないでしょうか。
追記:
 アメリア・ピーボディのシリーズでも知られるエリザベス・ピーターズは、『リチャード三世「殺人」事件』(1974:邦訳は扶桑社ミステリー)において、ジョセフィン・テイがネタ本として依拠したマーカムの議論から、テイがなぜか使わなかった論拠、すなわち、ロンドン塔の会計記録に出てくる‘the Lord Bastard’(庶子卿)という言及を引き合いに出して、リチャードの無実を弁護しようとしている。ピーターズもマーカムを参照したとは書いていないが、きっとマーカムの著作に自分で当たったに違いない。
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