フィリップ・マクドナルド “Death on My Left”
“Death on My Left”(1933)は、アントニイ・ゲスリン大佐物の第10作目。
ストーリーは、ボクシングのライトヘビー級世界チャンピオン、アルバート(キム)・キンナードが、彼のために設けられたトレーニング場所のリングの中で首の骨を折って死んでいる場面から始まる。キンナードは、トランクスやシューズを身につけていたが、なぜかグローブははめていなかった。
そこから場面は過去に遡り、テントで格闘技の見世物を興行していたレオポルド・ぺトラスがキンナードを見出し、ボクサーとして育てていく過程が描かれる。
ぺトラスは、ふと足を踏み入れたスラム街の通りで、不良少年たちが喧嘩しているところに出くわす。一人の少年が五人を相手に戦っているのを見て、ぺトラスは思わずその少年に声援を浴びせ、少年はぺトラスとともに相手を撃退する。ぺトラスはキンナードというその少年が気に入り、自分に付いてくれば、闘うことで金儲けができると誘い、少年の保護者だった義理の叔父の了解も得て連れて行くことになる。少年は、ぺトラスの指導を受けながらボクサーとして頭角を現していくが・・・。
章題は、第一部「結果」、第二部「原因」、第三部「問い」、第四部「答え」となっていて、第一部でキンナードの死体が発見される場面、第二部でキンナードがボクサーとして成長し、成功していく過程、第三部では、関係者の証言から事件の前後関係が明らかになる検死審問の場面、第四部でゲスリンによる事件の解決を描くという構成をとっている。
原因と結果が倒置され、冒頭の死体発見の場面からにわかに過去に遡るところから、同じ作者が『ライノクス殺人事件』で用いたプロローグとエピローグの逆転という趣向を本作でも取り入れたと見る向きもあるようだが、実のところ、そんな意図があったとは考えにくい。
『ライノクス』の場合は、文字どおり、事件の発端となるエピソードを最後に描いて、冒頭の謎をそこで初めて明らかにするという手法をとっているのだが、本作では、死体発見の場面を冒頭に持ってきただけで、あとは通常の時系列で描かれているし、その場面を冒頭に持ってきたことにより、謎を一層不可思議に見せる効果を上げているとまではいえないからだ。
むしろ、これは映画で用いられる「フラッシュバック」の手法を取り入れたものであり、作者が本作執筆以前にハリウッドに渡って映画脚本家として活動した経験を活かしたものと見るべきだろう。例えば、ビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」と比較してみれば構成の類似に気づくはずだし、オスカーを獲った映画でも、デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」はロレンスの事故死シーン、リチャード・アッテンボロー監督の「ガンジー」もガンジーの暗殺シーンから始まるという具合で、映画ではおなじみの手法だ。推理小説でも、クロフツの『クロイドン発12時30分』のように、同様の手法を取り入れた作品はほかにもある。
喧嘩やボクシングのシーンなど、場面のリアルな描き方にもハリウッドで得た経験が反映されていると思われ、個々の場面の迫力や臨場感にはそれなりに読み応えがあるが、全体としてのプロットはお粗末としか言いようがない。象牙の骨とう品を売っていた謎の船乗りの存在や、キンナードが死んだと思われる深夜に重い金属のようなものが落下した音が聞こえたという謎なども、思わせぶりに提示される割には消化不良のまま尻すぼみに終わってしまっている。まるで、事前にプロットを練ることなく、場当たり的に執筆していったのではないかとすら思えるほどだ。
なにより致命的なのは、ボクシングのチャンピオンだったキンナードがなぜ首の骨を折られるほど簡単にやられてしまったのかという一番肝心の謎をきれいに処理できなかったことで、残念ながら、出来栄えとしてはゲスリン物の中でも最低の部類に入ると言わざるを得ないようだ。
ストーリーは、ボクシングのライトヘビー級世界チャンピオン、アルバート(キム)・キンナードが、彼のために設けられたトレーニング場所のリングの中で首の骨を折って死んでいる場面から始まる。キンナードは、トランクスやシューズを身につけていたが、なぜかグローブははめていなかった。
そこから場面は過去に遡り、テントで格闘技の見世物を興行していたレオポルド・ぺトラスがキンナードを見出し、ボクサーとして育てていく過程が描かれる。
ぺトラスは、ふと足を踏み入れたスラム街の通りで、不良少年たちが喧嘩しているところに出くわす。一人の少年が五人を相手に戦っているのを見て、ぺトラスは思わずその少年に声援を浴びせ、少年はぺトラスとともに相手を撃退する。ぺトラスはキンナードというその少年が気に入り、自分に付いてくれば、闘うことで金儲けができると誘い、少年の保護者だった義理の叔父の了解も得て連れて行くことになる。少年は、ぺトラスの指導を受けながらボクサーとして頭角を現していくが・・・。
章題は、第一部「結果」、第二部「原因」、第三部「問い」、第四部「答え」となっていて、第一部でキンナードの死体が発見される場面、第二部でキンナードがボクサーとして成長し、成功していく過程、第三部では、関係者の証言から事件の前後関係が明らかになる検死審問の場面、第四部でゲスリンによる事件の解決を描くという構成をとっている。
原因と結果が倒置され、冒頭の死体発見の場面からにわかに過去に遡るところから、同じ作者が『ライノクス殺人事件』で用いたプロローグとエピローグの逆転という趣向を本作でも取り入れたと見る向きもあるようだが、実のところ、そんな意図があったとは考えにくい。
『ライノクス』の場合は、文字どおり、事件の発端となるエピソードを最後に描いて、冒頭の謎をそこで初めて明らかにするという手法をとっているのだが、本作では、死体発見の場面を冒頭に持ってきただけで、あとは通常の時系列で描かれているし、その場面を冒頭に持ってきたことにより、謎を一層不可思議に見せる効果を上げているとまではいえないからだ。
むしろ、これは映画で用いられる「フラッシュバック」の手法を取り入れたものであり、作者が本作執筆以前にハリウッドに渡って映画脚本家として活動した経験を活かしたものと見るべきだろう。例えば、ビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」と比較してみれば構成の類似に気づくはずだし、オスカーを獲った映画でも、デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」はロレンスの事故死シーン、リチャード・アッテンボロー監督の「ガンジー」もガンジーの暗殺シーンから始まるという具合で、映画ではおなじみの手法だ。推理小説でも、クロフツの『クロイドン発12時30分』のように、同様の手法を取り入れた作品はほかにもある。
喧嘩やボクシングのシーンなど、場面のリアルな描き方にもハリウッドで得た経験が反映されていると思われ、個々の場面の迫力や臨場感にはそれなりに読み応えがあるが、全体としてのプロットはお粗末としか言いようがない。象牙の骨とう品を売っていた謎の船乗りの存在や、キンナードが死んだと思われる深夜に重い金属のようなものが落下した音が聞こえたという謎なども、思わせぶりに提示される割には消化不良のまま尻すぼみに終わってしまっている。まるで、事前にプロットを練ることなく、場当たり的に執筆していったのではないかとすら思えるほどだ。
なにより致命的なのは、ボクシングのチャンピオンだったキンナードがなぜ首の骨を折られるほど簡単にやられてしまったのかという一番肝心の謎をきれいに処理できなかったことで、残念ながら、出来栄えとしてはゲスリン物の中でも最低の部類に入ると言わざるを得ないようだ。
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