『ABC殺人事件』へのシモンズの序文

 『空のオベリスト』に続き、クリスティの『ABC殺人事件』にジュリアン・シモンズが寄せた序文も紹介しておこう。
 シモンズは、クリスティのベストを一ダース選ぶとすれば、おそらくその半数は1930年代の作品から選ばれるとし、特に、『そして誰もいなくなった』、『エンド・ハウスの怪事件』、『エッジウェア卿の死』、『オリエント急行の殺人』、『ナイルに死す』、『ひらいたトランプ』、そして、この『ABC殺人事件』をタイトルとして挙げている。
 “Bloody Murder”でも、1930年代の彼女の代表作として、やはり、『エンド・ハウスの怪事件』、『エッジウェア卿の死』、『ABC殺人事件』、『そして誰もいなくなった』を挙げているので、これらの作品がシモンズのお薦めであったことは疑いない。(ライリー&マカリスター編『ミステリ・ハンドブック アガサ・クリスティー』(原書房)に寄せた序文でも、1930年代の作品として、『エンド・ハウス』、『エッジウェア』、『ABC』、『雲をつかむ死』、『ナイル』、『そして誰も』を挙げている。この序文によれば、一番のお気に入りは『アクロイド』(1926年の作品)、次いで『そして誰も』だったようだ。)
 『エンド・ハウスの怪事件』などは、クリスティのベストとして挙げるには首を傾げる人も少なくないだろうが、シモンズは、トム・アダムスによるカバー・アートをまとめた“Agatha Christie The Art of Her Crimes”でも、同作について「私のお気に入りのクリスティ作品の一つだが、批評家からは概して過小評価されている」とコメントしていて、個人的に思い入れがある作品だったのだろう。
 そして、『ABC殺人事件』については、同書でも、「これぞ最高傑作の一つ、完璧な驚愕をもたらすプロット」と絶賛しており、どうやら、1930年代の作品としては、この作品がシモンズの一番のお気に入りだったと推測できる。
 記念復刊に寄せた序文に戻ると、シモンズに言わせれば、『ナイルに死す』には興味深く真実味のある登場人物が出てくるし、作者自身も(1953年のペンギン・ブックス版への著者序文で述べているように)主要な登場人物をそう評価しているのだが、『アクロイド殺害事件』を別にすれば、真に迫った登場人物が出てくる作品がプロットの優れた作品とは限らない。クリスティが他者の追随を許さないのはプロット構築においてこそであり、「『ABC殺人事件』はプロットの最高傑作である」としている。
 “Bloody Murder”では、謎解き推理小説の衰退と、人物造形や心理描写を重んじた犯罪小説の台頭を予言したシモンズだが、決して謎解きが嫌いだったわけでも、過小評価していたわけでもなく、優れたプロットを兼ね備えた謎解き作品には称賛を惜しまなかったし、個人的にも大いに楽しんでいたことが窺える。「リアリスティックな犯罪小説はいろいろあるが、『ABC殺人事件』はまったく毛色の違う作品であり、それも目覚ましい毛色を持った作品だ」という評価を見ると、ロバート・バーナードの『欺しの天才』にも似て、シモンズが謎解き推理小説を独自の意義を持つジャンルとして認めていたことも窺えるのである。
 これはあくまで私の個人的な見方(それも子どもの頃に読んだ印象)にすぎないのだが、『アクロイド』や『ナイル』などは、緻密さの点ではともかくも、手がかりとこれに基づく推論の展開がある程度は丁寧に論じられていたけれど、『ABC』は、サプライズ効果こそ大きいものの、その反面、「帽子からウサギ」式の直感的な謎解きという印象が強く、フェアプレイの視点では疑問を感じないでもなかった。
 しかし、シモンズに言わせると、『ABC』は「まさに論理的なファンタジー」であり、手がかりもページのいたるところにちりばめられているという。かつて読んだ作品も、時を経て読み直してみると、新たな魅力の発見があるかもしれないという予感を抱かせ、(以前の記事で論じたように)『アクロイド』を読み直すきっかけを与えてくれた思い出の序文でもある。
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