フリーマン『キャッツ・アイ』解説3

三 聖書の翻訳史との関連

 聖書が旧約と新約からなっていることは常識と言えるが、旧約聖書は、本来、ヘブライ語(一部アラム語)、新約聖書は、コイネーと呼ばれる当時の口語ギリシア語で書かれたものである。いずれも原典は存在していないが、多数の写本が存在し、本文批評に基づく校訂版が数種刊行されている。
 もとよりヘブライ語やギリシア語は、その後の西洋社会における共通語ではなく、キリスト教の普及に伴い、古代世界においても、その翻訳は不可避の課題となり、以来、聖書はさまざまな言語に翻訳されてきた。
 旧約聖書は、キリスト教成立以前にギリシア語訳が存在していた。ヘレニズム時代における地中海世界の共通語はギリシア語であり、パレスチナの地から他の地域に移住していったユダヤ人(いわゆるディアスボラ)にとっても、旧約の言語であるヘブライ語は既に理解しがたいものとなっていたことから、ギリシア語訳が求められるようになっていたのである。
 紀元前三世紀頃にエジプトのアレクサンドリアで成立したとされるギリシア語の「七十人訳聖書」(その名称は、七十二人の翻訳者が七十二日間でモーセ五書の翻訳を完成させたとの伝説に由来する)は、新約聖書における旧約からの引用でも用いられ、キリスト教の拡大とともに帝政ローマ領内にも普及していった。
 ローマ帝政時代のキリスト教会では、公用語のラテン語が用いられていたため、聖書のラテン語訳の試みもなされていたが、教皇ダマスス一世の命を受けて、既存のラテン語訳を改訂して新たなラテン語訳の翻訳に取り組んだのは、ラテン教父の一人、ヒエロニムス(三四〇頃―四二〇)であった。彼が四〇五年頃に完成させたラテン語訳が「ウルガタ訳聖書」である。ウルガタ訳は、長きにわたってカトリック教会において権威を持ち続け、一五四六年のトリエント公会議においてカトリック教会の標準ラテン語訳として定められた。
 ただ、ウルガタ訳の旧約聖書における詩編の数え方は、ヘブライ語原典からの写本であるマソラ本文と異なり、七十人訳聖書に一致しているなどの異同があるし、昔からよく知られている誤訳もある。ミケランジェロの制作した「モーセ像」には角が生えていて、今日の旧約の翻訳を参照してもモーセに角が生えていたという記述はないが、これは、ヒエロニムスが、肌が「光る」と訳すべきところを「角」と誤訳したことに由来する(出エジプト記第三十四章参照。今日出ている「新ウルガタ訳」では訂正されている)。
 そのラテン語も、中世を過ぎると、一部の学者や専門家などにしか読めない特殊言語となり、ウルガタ訳聖書も、聖職者の独占物のようになって、一般人には容易に手の届かないものとなった。
 十六世紀に入ると、宗教改革者マルチン・ルターは、聖書を一般庶民が身近に親しめるものとして開放するため、旧新約聖書のドイツ語訳を行い、普及した「ルター訳聖書」は近代ドイツ語の形成にも影響を与えたとされる。
 英国においても、ほぼ同時期にウィリアム・ティンダルが聖書の英訳に取り組んでいる。彼は、当時まだカトリック信者だったヘンリー八世の命により処刑され、その訳業は未完に終わるが、彼の遺した翻訳は、のちにジェームズ一世の命により一六一一年に完成された「欽定訳」(Authorized Version)のベースとなった。その後も、聖書の英訳は様々な改訂版が刊行されているが、欽定訳の格調高い表現と文体は、今日においても多くの人々から親しまれている。なお、ルターのドイツ語訳、ティンダルの英訳、欽定訳は、いずれもヘブライ語、ギリシア語の底本から直接訳されたものである。
 本作では、ウルガタ訳と欽定訳が重要な役割を演じているが、英国史の関連で触れたように、英国のキリスト教は国教会が主流だが、ジャコバイトにはカトリック信者が多く、フランスもカトリックの勢力が強かったことも留意すべきだろう。
 なお、本書の翻訳では、聖書からの引用は、日本聖書協会刊行の新共同訳の訳文を使わせていただいた。ここで念のためおことわりさせていただく。
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