リチャード三世の遺骨発見?

 9月12日、リチャード三世の遺骨の可能性がある骨が発見されたとのニュースが流れている。
 リチャード三世は、ボスワースの戦い(1485年)で戦死したあと、レスターのグレイフライアーズ修道院に葬られたとされている。しかし、同修道院は、ヘンリー八世の修道院解散令(1538年)により取り壊され、その後、王の埋葬場所も不明になっていた。
 レスター大学の考古学チームは、今年8月25日から、修道院があったと推定されるレスター市議会の駐車場の発掘を開始し、フランシスコ会の修道院跡と、リチャードを追悼するために造成されたと思われる17世紀の庭園を発見した。
 さらに、遺骨発掘の許可を得て、9月4日からその作業を進め、男性と女性の二体の遺骨を発見した。聖歌隊席の下から発見された成人男性の遺骨には、頭蓋骨のうしろに刃物によると思われる深い損傷があり、脊椎には金属製の矢じりが刺さったまま残っていた。
 背骨には重度の脊柱側湾症と考えられる異常があり、シェークスピアが描写したような‘hunchback’(従来の訳語では「せむし」だが、今日では差別用語とされることも念のため言及しておきたい)ではないが、その異常のために、右肩が左肩よりはっきりと上向いているように見えたと思われ、同時代のリチャードの描写と一致しているとしている。
 この発表に先立つ9月7日には、考古学チームは、17世紀にレスター市長だったロバート・ヘリックが、リチャード追悼のために造成した庭園のものと思われる中世の敷石を発見したとの発表を行っていた。クリスファー・レン(セント・ポール大聖堂の設計者として知られる同名の建築家の父親)が、1612年にヘリック市長を訪問した際、その庭に、「かつてイングランド国王であったリチャード三世の遺体、ここに眠る」と記された3フィート(約1メートル)の柱があったことを記録しているとのことである。
 今後、リチャードの遺骨かどうかを確認するため、リチャードの姉であるアン・オブ・ヨークの直系子孫に当たる、マイケル・イブセン氏(55)から、比較のためのDNAサンプルの提供を受け、DNA鑑定が行われる予定とのこと。鑑定には12週間かかるそうである。イブセン氏は、カナダ人の家具製造業者で、現在はロンドンで暮らしているとのこと。
 最終的な鑑定結果が出ていない現在、チームはなお判断に慎重なままだが、レスター市のピーター・ソウルズビー市長は、「彼らにははっきり言えんだろうが、私には言える。ほぼ確実に彼を発見したと考えていい。なにもかもがぴたりと当てはまるよ」と語っているようだ。

 この遺骨の発見が、リチャード三世にまつわる歴史上の謎にどれだけ寄与するかは、にわかに判断しがたいが、海外のマスコミ記事などでは、脊柱側湾症の事実から、シェークスピアをはじめとするチューダー朝時代の記述の正しさがある程度裏付けられたと見る論調もあるようだ。しかし、見方変えれば、‘hunchback’という描写が誇張であったことの裏付けになるとも思われ、そう安易に言えるかどうかは疑問だろう。実際、“Richard the Third: His Life and Character”の著者クレメンツ・マーカムは、リチャードの肩の高さが左右不均衡だったという初期の記述が、時代を経るにつれて‘hunchback’としてグロテスクに誇張されていく過程を分析しているし、リチャード擁護派も何の異常もなかったと主張しているわけではないことも留意すべきだろう。
 アン・オブ・ヨークの直系子孫とされるイブセン氏の家系がどこまで裏付けのあるものかは私もよく知らないが、現在の英王室も、リチャード三世の兄であるエドワード四世の直系子孫に当たる。であれば、王族からDNAサンプルの提供を受けられないのかという疑問も感じるところだが、それも実際は難しいのだろう。いずれにしても、悪名高い歴史上の国王との血縁性は目立たないようにしたいというのが人情かもしれない。
 それより、以前も言及したが、二王子のものとされる遺骨の身元をDNA鑑定により確認するほうが、歴史の謎の解明に寄与する可能性が高いと思われるのだが、これも当局の許可が下りず、容易ではないようだ。
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