ファイロ・ヴァンス登場 ヴァン・ダイン ‘The Clyde Mystery’

 ‘The Clyde Mystery’は、The Illustrated Detective Magazine誌1932年7月号に掲載された作品。台本風のセリフに挿絵を交えた、映画シナリオ仕立てであり、全十八場構成となっている。挿絵画家は、A・E・ジェイムスン。
 タイトルの前には、S. S. Van Dine's New Picture Exploits of Philo Vanceと記され、さらに、Copyright 1932, by W. H. Wrightと付記されている(言うまでもなく、ヴァン・ダインの本名、ウィラード・ハンティントン・ライトのこと)。

 翡翠収集家のアンガス・クライドが自宅で殺害されたという連絡がマーカム地方検事のもとに入る。マーカムは、ただちにファイロ・ヴァンスの協力を求め、ヴァンス、ヒース部長刑事ととともに現場に赴く。
 クライドは、右耳のうしろを38口径のリボルバーで至近距離から撃たれていた。死亡推定時刻は午前2時頃だった。執事のハンキンズの話では、その晩、家にいたのは、ほかに、アン・クライド夫人、その弟のレジー・モンクトン、その友人のラッグ大尉、ドイツ人のコレクターのムンター氏だった。ムンターは、クライドから翡翠を買いとろうとして拒まれていた。
 クライド夫人は、ヴァンスの質問に、犯行時刻に銃声を聞かなかったと答えるが、寝室にいたのであれば聞こえたはずなのに、それ以上は聞かれても説明しようとしなかった。ヴァンスはさらに、弟のレジーを追及する。レジーの話によれば、その晩、部屋にひきとったあと、頭痛で眠れず、ふと部屋の窓の外を見ると、その時、時計が2時を打ち、下のバルコニーに、アン夫人とラッグ大尉が一緒にいるのを目撃したという・・・。

 ヴァン・ダインは、1931年から1932年にかけて、ワーナー・ブラザーズ社で製作された、クラブトリー博士とカー警視を主人公とする‘S. S. Van Dine Mysteries’という短編映画シリーズのシナリオ作成に携わった。その中には、のちにファイロ・ヴァンス物の短編に書き直されたものもあったという。
 どうやら、本作がこれに当たるものと思われる。なぜなら、その短編映画シリーズの第1作目は、‘The Clyde Mystery’とされているからだ。本作が映画シナリオ仕立てになっていることも、元々映画シナリオだったものを改作したためと考えれば理解しやすい。実際、IMDbで映画の筋書きを確かめると、登場人物の名前が多少変わっているほかは、概ね同様の筋立てと思われる。
 ファイロ・ヴァンス物の短編といえば、『ファイロ・ヴァンスの犯罪事件簿』(論創社)という短編集が邦訳で出ているが、本作は収録されていない。同短編集の訳者解説にも本作についての言及はないが、この解説には、一点、気になるところがある。
 同短編集収録の「役立たずの良人」には、かつて「新青年」という雑誌に「クライド殺害事件」、のちに「クライド家殺人事件」として「改題・戯曲化」されて掲載された翻訳があったと説明されている。ところが、妙なことに、この「役立たずの良人」のどこを見ても、「クライド」という名の登場人物は出てこない。むしろ、この「クライド殺害事件(「クライド家殺人事件」)」は、‘The Clyde Mystery’の邦訳だったのではないか。「戯曲化」というのも、もともと映画シナリオ仕立ての作品を翻訳したから、戯曲の体裁になっていたのではないだろうか。
 同書の訳者が「新青年」の出典に当たっているのなら、そんな間違いは犯さないと思うのだが、これもよく見ると、別の個所で、「訳者は現物にあたったわけではない」とも記されているので、案外、推測で同じものと考えただけなのかもしれない。(もっとも、こちらも出典に直接当たったわけではないので、これもあくまで推測にとどまる。誤解であれば、平にご容赦願いたい。)
 『ファイロ・ヴァンスの犯罪事件簿』は、犯罪実話を基にした短編集であり、ヴァンスは過去の事件を解説するだけで、捜査に自ら携わり、推理を展開してみせるわけではない。しかし、‘The Clyde Mystery’は、ヴァン・ダインのオリジナル作品であり、ヴァンスは、現場の暖炉に残された傷から意外な真相を明らかにする。ヴァン・ダインの作品を知る読者なら、思わずニヤリとさせられるプロットだ。事件を解決したあと、ヴァンスは、カーネギー・ホールに、トスカニーニ指揮のブラームスの交響曲第二番を聴きに行く。
 シナリオ仕立てで、ほとんど会話だけで進行するため、ストーリー展開のテンポがいい半面、作品の短さとも相まって、なにやらコミック的で軽い印象があるのも事実だが、ヴァンスの登場するレアな短編として貴重な作品と言えるだろう。


Clyde Mystery
左側正面がヴァンス、そのうしろがマーカム地方検事、ヒース部長刑事
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ジャンル : 小説・文学

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