「マクルーア誌」におけるソーンダイク博士

 『オシリスの眼』の解説にも記したように、フリーマンは、「マクルーア誌」(米)の発行者であるS・S・マクルーアと『オシリスの眼』の雑誌連載について計画していたが、この計画は、結局、幻に終わったようである(その原因が、ミス・ビスランドによる横槍のせいなのかどうかは分からない)。しかし、同誌には、1910年から1911年にかけて、ソーンダイク博士物の短編が連載されている。その一覧は以下のとおりである。

 1910年5月号  ‘The Anthropologist at Large’
 1910年6月号  「青いスパンコール」
 1910年7月号  「アルミニウムの短剣」
 1910年8月号  「計画殺人事件」
 1911年12月号 「オスカー・ブロズキー事件」

 このうち、「計画殺人事件」については、以前紹介したとおり、英「ピアスン誌」への掲載(1912年1月号)に先行しており、「マクルーア誌」が初出ということになる。上記掲載作品については、いずれもヘンリー・ローリーが挿絵を描いている。
 「アルミニウムの短剣」は、‘The Aluminium Dagger’ではなく、‘The Aluminum Dagger’と、アメリカ式にスペルが変更されているのが面白い。だが、残念なことに、肝心の短剣のスケッチは挿入されていない。‘The Anthropologist at Large’と「青いスパンコール」も同様で、「ピアスン誌」やチャトー&ウィンダス社の英初版に挿入されていた写真やスケッチは、いずれも省かれている。
 短編集“The Singing Bone”(1912)の著者序文において、フリーマンは、「オスカー・ブロズキー事件」に関して、「大西洋の両側の優れた審判者――「ピアスン誌」の編集者を含む――が、この短編を高く評価してくれたため、同じタイプの作品をさらに書く気になった」と述べている。大西洋の東側は、もちろん、「ピアスン誌」の編集者と分かるのだが、西側、つまり、アメリカのほうの審判者とは誰なのか、この序文を読む限りでは分からない。だが、アメリカにおける「オスカー・ブロズキー事件」の初出が、上記のように「マクルーア誌」であることからすれば、ほぼ確実に、S・S・マクルーアを指すとみていいだろう。


オスカー・ブロズキー事件
「オスカー・ブロズキー事件」のローリーによる挿絵
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