ロード問答――乱歩の「カー問答」風に

 「フチガミさんは、ジョン・ロードの作品に親しんできたそうですね」
 「うん、ここ十年ほどのことだけど、ロード名義の作品なら、過半は読んだよ。ただ、後期の作品は、読むに堪えないものに何冊も接して印象が悪いので、ぬけが多いんだけどね。バーザン&テイラーが“A Catalogue of Crime”で好意的に評価している“The Two Graphs”(1950)も、あまりのくだらなさにがっかり。邦訳のある『吸殻とパナマ帽』(1956)もひどかった。復刻された『エラリイクイーンズ・ミステリマガジン』創刊号の「海外ニュース」に、“Delayed Payment”(1955 英題:“Death of a Godmother”)について「ダラダラ長いばかりで退屈だと、馬鹿に評判が悪い」という当時の悪評が載っていて、そんな評を見たら、読む気失せちゃった(笑)」
 「以前、自分なりのベストスリーは、“The Claverton Mystery”(1933)、『ハーレー街の死』(1946)、“Dr. Goodwood’s Locum”(1951)だと言ってましたよね。ほかにはどんな作品がお勧めですか。せめてベストテンくらいにしてくださいよ」
 「そうだなあ。じゃあ、あと七つ。とりあえず挙げるとすれば、“The Davidson Case”(1929)、 “Peril at Cranbury Hall”(1930)、“Pinehurst”(1930)、“The Hanging Woman”(1931)、“The Motor Rally Mystery”(1933)、“The Robthorn Mystery”(1934)、それにバートン名義の “Murder M. D.”(1943)かな。機会を改めて振り返ると、また評価が変わるかもしれないけど」
 「なんだかユニークな選択ですね。“Peril at Cranbury Hall”、“Pinehurst”、“The Hanging Woman”、“The Robthorn Mystery”ってのは、加瀬義雄さんが『見えない凶器』の解説で集計した、リファレンス・ブック等で挙がる推薦作の上位には出てこない作品ばかりじゃないですか。反対に、そこで挙がっていた『見えない凶器』(1938)、“Mystery at Olympia”(1935)、バートン名義の『トンネルの秘密』(1936)、“Death Leaves No Card”(1939)は推さないんですね。これらの作品だって読んでるんでしょ?」
 「うん。それらを推さないのは、僕なりのわけがあるんだ。要は、技術的な仕掛けをメインに用いた作品というのは、点が辛くなっちゃうんだよ。でも、これは僕だけの偏見とも言えないんじゃないかな。現に、『見えない凶器』が紹介された時の評判は必ずしも芳しくなかったよね。使い古された時代遅れのトリック、という見方が多かった。(代表作がこの程度のものか)と思いこんで失望した読者も少なくなかったと思うよ。『トンネルの秘密』や“Death Leaves No Card”も、今紹介しても、やはり同様の評価を受けるんじゃないかな。
 ロードは、こういうメカニカルなハウダニットのトリックが多いね。それだけに、今読むと、使い古されたトリックだったり、今日の技術的水準からすると、時代遅れだと思われるものが少なくない。つまり、こうしたトリックをメインに据えたプロットの作品は、時の試練に耐え得ないものが多いんだよ。ロードが一番得意としたタイプのプロットが、今日的視点では一番弱さを感じさせるというのは、彼にとっては悲劇的だったね。ロードが忘れられた作家になった一因は、『退屈』というだけでなく、その点にもあるんじゃないかと思う。
 それだけに、そんなトリックがまだ新鮮だった同時代の評価に引きずられて作品を選ぶと、現代の読者の感覚とずれてくる場合が多いと思われるんだ。『見えない凶器』はその典型例じゃないかな。メルヴィン・バーンズが推す“The House on Tollard Ridge”(1929)は、初期作品らしいストーリー展開の面白さはあるけれど、仕掛け自体は、今読むと、まさに時代遅れもいいところだし、バーザン&テイラーもそう評価している。バリー・パイクが推す“Death Invades the Meeting”(1944)にしても同様で、いまどきこんなトリックに感心する読者はまずいないと思うよ」
 「そういえば、“Mystery at Olympia”は、“1001 Midnights”のチャールズ・シバク&ビル・プロンジーニや“Twentieth Century Crime and Mystery Writers”でロードの項目を担当しているメルヴィン・バーンズも代表作の一つに挙げていますけど、フチガミさんはこれを『チョンボ作』だと言ってますね」
 「そう。この作品を評価する向きは、死因の謎をめぐる前半部分を高く評価するんだろうけれど、僕に言わせると、肝心の解決がひどすぎる。確かに、ロードは特殊な毒物だとか、込み入った仕掛けを取り入れることが多いんだけど、実行可能性も乏しければ、現実事例としてもあまりに特殊すぎる手法を用いると、説得力が感じられないし、ばかばかしくなってしまうんだ。『ハーレー街の死』ですら、そう感じた読者がいるくらいだから、彼のプロットはそうしたリスクが伴いやすいんじゃないか。
 “Murder at Lilac Cottage”(1940)や“Men Die at Cyprus Lodge”(1943)も、込み入った仕掛けを用いている割には、(そううまくいくかい)という疑問がつきまとってしまう。被害者がちょっとでも姿勢をずらしたら、『はい、やり直し』となるようなたぐいの仕掛けさ。もっとも、カーター・ディクスンの『ユダの窓』にも似たような批判はあるから、これはロードだけの問題ではないんだけどね」
 「ふーん、じゃあ、フチガミさんの推す作品はどうなんですか。現代の読者が読んでも読むに堪える作品だとでも?」
 「そう断言はできないけれど、努めてそういう作品を選んだんだよ。“Peril at Cranbury Hall”は、暗号物という見方もあるけれど、実は暗号は添え物で、メインは炭疽菌を用いたハウダニットなんだ。(米版は、扉のイラストでネタばれしてしまっているので要注意だけどね。)炭疽菌を最初に生物兵器として実験したのは連合軍で、第二次大戦後の1946年のことだったという。2001年にアメリカで炭疽菌事件が起きた時、炭疽菌によるテロを描いたロビン・クックの『ベクター-媒介』(1999)が先見の明があったと評判になったけれど、実は連合軍が実験する以前に、ロードが既に小説の中で用いていたんだよ。サマセット・モームは、“The Decline and Fall of the Detective Story”の中で、これを現実離れしていると批判しているけれど、今にして思うと、むしろ驚くほど早い段階で現実の事件を先取りしていたことになるね。この作品などは、今日的視点で再評価すると、当時とはまるで評価が変わってくるといういい例だよ。クリスティの『蒼ざめた馬』にも似た評価があるよね。
 加瀬さんが集計した推薦作は、それなりに参考になるけれど、ロードの作品はいずれも今日的視点での見直しが必要だと思うんだ。そうした視点で再評価すれば、否定的な評価に変わる作品も多々出てくるだろうが、反対に、かつては目立たなかった作品が佳作として見直されるものもあるはすだよ。
 “Pinehurst”は、トリックという点ではそれほど見るべきものがあるわけじゃないけれど、プリーストリー博士も活動的だし、中期以降の作品に見られるルーティン化したパターンに陥らず、ストーリー展開に起伏があって読み応えがある。初期作品には、まだストーリーとしての面白さに工夫を凝らした作品が少なくないし、『退屈だ』という批判が当てはまらない作品も多いよ。『プレード街の殺人』(1928)もその一つだろう。“Pinehurst”はそうしたストーリー・テリングの活きた初期作品の代表として選んだんだ」
 「“The Hanging Woman”と“The Robthorn Mystery”にしたって、トリックという点ではずいぶん地味な作品じゃないですか」
 「これは僕の個人的嗜好かもしれないけれど、ロードの作品で時の試練に耐えて生き残りそうなものは、凝った仕掛けとか、特殊な毒物や殺人手法を用いたものではなく、心理的なミスディレクションや動機の意外性をうまく応用した作品のほうじゃないかと思うんだ。数の上では少数だし、ロードらしさが希薄ともいえるんだけどね。
 “The Hanging Woman”は、殺害に用いた道具が、死体発見場所にあった物の一部だったことから、そこが犯行現場だと無意識に思い込む心理的盲点を突いている。“The Robthorn Mystery”は、動機の意外性もさることながら、事件後の展開が読者の錯覚をうまく導き出すように工夫されている。(見抜きやすいんだけどね。)“Murder M. D.”も動機の謎をメインに据えた作品の一つだし、凝った仕掛けがないだけ、シンプルにすっきりまとまっている。『見えない凶器』だって、殺害方法はともかく、殺人の動機は小粒ながらも面白い面があったよ。
 登場人物たちが延々と推理の議論を展開するのも、中期以降のロード作品の特徴だけれど、その意味では、論理的な解決の側面から評価できる作品も少なくない。“The Motor Rally Mystery”は、プロット自体に特別な仕掛けはないのだけれど、着実な推理の展開が楽しめるという意味で選んだんだ」
 「それなりに考え方があるのは分かったんですけど、どこまで大方の賛同を得られますかね」
 「どんな作家や作品に対してだって、人の評価は千差万別だよ。僕の評価は僕だけのものでしかない。ただ、こういう見方もあるんだという意味で参考にしてもらえたらと思う」
 「人の評価といえば、ジュリアン・シモンズの『退屈派』批判をどう思いますか」
 「ロードやウェイドに対するシモンズの批判には、それ自体に反論も多々あるし、同じ議論をここで繰り返そうとは思わないけど、シモンズはその点では決してブレなかったね。1985年の“Bloody Murder”改訂版で加筆された『水晶球再訪』という章でも、ロードやウェイドの作品を積極的に取り上げたバーザン&テイラーの“A Catalogue of Crime”について、『ロードに熱狂したり、ウェイドに心酔しているなら、バーザンをガイドにしたまえ。私の見方は明らかに彼とは正反対(バーザンには魅力的なものが私には退屈)なので、我々には議論の接点がない』と突き放している。
 確かに、初期の作品では、プリーストリー博士自身も行動的で、自ら捜査に携わったり、時には事件に巻き込まれて危機的状況に陥ったりもするし、ストーリーも、発端の事件発生にとどまらず、その後の展開にも起伏があって、それなりに読み応えのある作品が少なくない。
 ところが、中期以降の作品になると、次第に、事件発生→警察による捜査→捜査官や例会出席者による議論→博士による謎解き、という定型パターンを踏襲する例が多くなり、特に中間部の大半が延々と続く尋問や議論で占められるものだから、その分、ストーリー展開が緩慢になり、見せ場も乏しくなって、退屈さを感じさせるんだよね。これでプロットまで冴えを失ったら、さすがに読むに堪えないよ。後期の作品はまさにそうだ。
 登場人物の造形の薄っぺらさがこれに拍車をかけることになる。レギュラー・メンバーすらそうで、秘書のハロルドやオールドランド医師も、初登場時には詳しく描かれるし、それなりの人間味もあったのに、後続作では紋切り型の登場人物に平板化してしまう。『ロードは人物造形(プリーストリー博士を除く)や雰囲気醸成に長けていない』という、スタインブラナー&ペンズラー編“Encyclopedia of Mystery & Detection”の評のとおりだよ」
 「主だった批評家のロード評は、そんなに否定的なものが多いんですか。なんだかマニアックなファンばかりがロードに希少価値を見出しているような印象を受けますね」
 「そんなことはないさ。シモンズと並ぶ英国の批評家の雄だったH・R・F・キーティングは、“The Claverton Mystery”の復刊に寄せた序文で、ロードの作品に退屈なものが多いことを認めながらも、『軽率にも、十把一絡げに退屈と決めてかかるような批判こそが、ランスロット・プリーストリー博士という、卓越した科学者にして趣味の犯罪研究家を、ほとんど見かけない探偵にしてしまった理由だろう』と述べて、暗にシモンズを批判しているよ。僕も、シモンズの批判がまったく的外れとまで言うつもりはないけど、キーティングの言うとおり、一事が万事と決めてかかるのはよくないと思うね。
 作品数が多いだけに、歩留まりは決してよくないけれど、過大な期待を抱かなければ、ロードには面白い作品がたくさんあると思うんだ。なにより、プリーストリー博士というキャラクターの造形は成功だね。ソーンダイクや思考機械と比較されることも多いけど、黄金時代のカリスマ的な名探偵たちの殿堂に連なる探偵と言っていいんじゃないかな」
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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No title

ジョン・ロード問答面白かったです♪邦訳があるものは読んでるんですけど、よかったのは「プレード街」ですかね。残念ながら「本格ミステリーを語ろう海外編」で動機がネタバレされちゃったのが残念でしたけど。
初めから明らかになっているようなことを言ってたんですが、全然そんなことはなく。
またこういう問答をやってください!

ちょっとおふざけでしたが・・・

遊び心でイレギュラーな記事にしちゃったんですけど、悪くなかったですか(笑)
私も『プレード街』は楽しい作品だと思いました。
個人的には、自分も何度か訪れたことのある、ドーセット州のコーフ・キャッスルが舞台として登場したのが懐かしかったですね。
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