レスターで発見の遺骨、リチャード三世の遺骨と確認

 今月4日、昨年9月に英国レスターの駐車場で発見された遺骨が、5か月に及ぶDNA鑑定等の調査の結果、リチャード三世の遺骨と確認されたと発表された。
 レスター大学のプロジェクト・チームの主任遺伝学者、トゥリ・キング女史が記者会見で述べたところでは、リチャード三世の姉、アン・オブ・ヨークの子孫に当たる二人の人物からDNAサンプルの提供を受け、遺骨から採取されたDNAとの照合が行われたとのこと。
 この二人は、歴史学者・系譜学者のケヴィン・シューラー氏が突き止めた人々で、一人はロンドン在住のカナダ人で、家具職人のマイケル・イブセン氏(55)、もう一人は匿名希望のイブセン氏のまたいとこだという。
 イギリスとフランスの3か所の実験室でミトコンドリアDNAの検査が行われ、母系を通じて受け継がれる遺伝因子が、発見された遺骨と一致した。三つのサンプルは、英国の人口の1、2パーセントにしか見出されないミトコンドリアDNAのタイプに属するものであり、一致と見なすに十分な結果だったという。
 プロジェクト・チームは、この結果が出る前に、他の調査結果から、遺骨がリチャードのものであるとほぼ確信していたようだ。その根拠は以下のとおり。

・遺骨は、華奢で細身の、20代後半から30代前半の男性のものであり(リチャードの享年は32)、骨の分析から、肉や魚介類を豊富に摂っていた高蛋白食と分かり、15世紀の特権階級の食生活と合致していた。
・二本の肋骨から放射性炭素による年代測定を行ったところ、故人は1455年から1540年の間に亡くなったと判明(リチャードが戦死したボスワースの戦いは1485年)。
・致命傷になったと考えられる左耳の後ろの大きな頭蓋骨骨折は、中世の武器であるホコヤリによるものであり、リチャードが戦場で受けたとされる傷とほぼ一致。ほかに、死後に、兵士によって加えられたと思われる、頬、あご、背中に受けた9か所の傷が確認された。
・脊椎上部に顕著な脊柱側弯症があり、右肩が上がって見えたと考えられるが、これは同時代の記録と一致。

 遺骨は現在のところ、レスター大学の図書室に安置されているが、リチャード三世協会の会員たちは、遺骨は国王にふさわしくウェストミンスター寺院に再埋葬されるべきだと主張しているようだ。しかし、レスター市当局は、来年初めに、発見場所から200ヤードほど離れた場所にある国教会の大聖堂に埋葬し、あわせて、大聖堂敷地内にリチャードを追悼するビジターズ・センターをオープンさせる予定だという。

 この遺骨がリチャード三世のものと確認された場合の意義については、以前の記事で既に述べたので、ここでは繰り返さない。
 ただ、埋葬場所に関しては、リチャード三世協会の人々が言うように、ウェストミンスター寺院が適当かどうかは、ちょっと考えさせられるところではある。
 同寺院は、確かに多くの歴史上の英国王が埋葬されている場所ではあるが、ヘンリー七世の命により増築されたヘンリー七世チャペルが有名なだけでなく、ヘンリー自身も葬られている場所だからだ。リチャードは(ヘンリーも)果たして仇敵と同じ場所に葬られることを潔しとするだろうか? そして、もちろん、二王子の遺骨とされるものも、ここに葬られているのだ。
 もっとも、信仰上の対立があったメアリ一世とエリザベス一世の姉妹が並んで葬られ、エリザベスに処刑されたメアリ・スチュアートも同寺院に葬られていることを考えれば、悠久の歴史を刻むこの由緒ある寺院は、そんな過去の些細な諍いも飲みこんでしまうほどの大きな包容力と威厳を持ち合わせた場所なのかもしれないけれど。


 「いまや昔の不和は永遠におさまったのであり、もはや一方が他方に対して権利や席次を争うこともない。そして生涯互に敵意をもって避けあい、互に相まみえることをしなかった二人ではあるが、いまようやく姉妹のように隣り合って並んで、同じ不死の聖なる眠りのうちにやすらっている。」
(シュテファン・ツヴァイク『メリー・スチュアート』古見日嘉訳(みすず書房)より)
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