ジョン・ロード『クラヴァートン事件』第一章-2

 博士は、その静かな部屋にほかにも人がいるのに気づいた。火のない暖炉のそばに、娘がひざに本を載せて椅子に座り、周囲のカーペットにたばこの灰をまき散らしていた。博士は、彼女がこっちを見て、かすかにおじぎしたのに気づいた。むっつりと敵意に満ちたその表情はまったく変わらなかった。博士がおじぎをすると、身なりのいい青年があいさつを返した。彼はその時まで、娘が座っている椅子のうしろから無頓着に身を乗り出していたのだ。
 プリーストリー博士には、その連中が誰なのか見当もつかなかった。過去を偲ぶ最後の砦ともいうべき十三番地の家が、いつの間にか見知らぬ敵に侵入されてしまったかのようだった。彼らはまるで、見つからないように言葉を発してはならぬという誓約を立てているみたいだった。博士は、彼らの秘密の場所に闖入してしまったような気がしたし、娘と視線がぶつかった瞬間から、自分が招かれざる存在であることに気づいた。沈黙は一、二秒ほど続いただけだったが、そのあいだに、博士は、得体の知れない未知の人々の印象をすばやくまとめ上げた。グレーの服を着た女は、ソファに座ったまま規則正しく編み物をし、決して頭を上げなかった。青年のほうは、今は体をまっすぐ起し、石から切り出された像のように固く身じろぎもしなかった。そして、娘は、謎めいた目で問いかけるように博士を見つめていたが、博士がいることに対する激しい憤りが目にはっきりと表れていた。
 沈黙を破ったのは娘だった。唐突で、驚くほど敏捷な動きだった。今まで座っていたはずが、次の刹那には立っていたと思うほどの素早さで立ち上がった。一瞬、立った彼女の姿は、窓から差し込む明かりを背に、長身で優美なアウトラインとなって浮き彫りになった。黒髪が頭の形を隠すヴェールのように垂れていた。すうっと音もなくドアのほうに行くと、「ジョン伯父さんに、いらっしゃったことを知らせてまいりますわ、プリーストリー博士」と顔も向けずに言った。その声は単調で生気がなく、しなやかで活力に満ちた体とは妙に対照的だった。
 部屋を出ると、まるで挑むように大きな音を立てながらドアを後ろ手に閉めた。博士は、静かな家の中をぼんやりとこだましていくその音にたじろいだ。まるで誰かが薄暗い聖堂のなかでぶしつけな叫び声を上げたかのようだった。しかし、ソファに座るグレー服の女の指はまったく動揺しなかった。彼女の目も、糸が紡ぎ出す模様から一瞬たりとも離れなかった。
 しかし、ドアが激しい音を立てたせいか、あるいは娘が出ていったせいかもしれないが、青年は急に生命を吹き込まれたように見えた。博士のほうに数歩歩み寄り、心もとなさそうに立ち止まると、「この季節にしてはよい天気ですね、先生」と見るからに取り繕ったような丁重さで言った。
 「うむ、まあね」プリーストリー博士はもどかしげに言った。まったく無駄なその言葉に、博士はひどくいらだった。そんなことしか言えないのなら、黙っていてくれたほうがましだったな。それなら、なんで自己紹介をしないんだ? 少なくとも、さっきの娘は何者なのかヒントはくれたぞ。ジョン伯父さんと言っていたな。博士は、クラヴァートンが甥や姪のことを話していたのをぼんやりと思い出した。たぶん、あの娘は姪の一人なのだろう。こっちの若者は甥かな? 博士は、そうでなければいいがと思った。
 この青年に即座に嫌悪を感じた理由はよく分からなかった。親しみの欠けたあいさつに反感を抱いただけのことではない。もっと深い理由がある。青年が「先生」と言ったときの口調のせいかも。博士は、若者が尊敬語を口にするのには慣れていた。だが、この青年の口から出る尊敬語には、敬意よりも挑戦の響きが感じられたのだ。
 プリーストリー博士ほど世間ずれしていない者なら、こんな冷淡な迎え方をされれば、居心地悪く感じたかもしれない。しかし、博士は、これまでも奇妙な状況にはいろいろ出くわしてきたので、この程度の居心地悪さも今さら気に留めはしなかった。戸惑いはしなかったものの、腹は立った。クラヴァートンも、自分をこんな目にあわせてほしくなかったな。家にこんな連中がいるなら、手紙に書いておいてくれればよかったものを。フォークナーにしても、もっとましな部屋に案内できたろうに。たとえば、居間でお待ちくださいとも言えたはずだ。もっとも、得体の知れない連中が居間にもいるというのなら話は別だが。博士は、あと五分以内にクラヴァートンのところに案内されなかったら、下におりてコートと帽子を取り上げ、家を立ち去ろうと決めた。
 そうこうするあいだにも、博士は、観察の習慣に従って、同室の人々の情報をかき集めていた。グレー服の女は、編み物に編み針を通すことしか意識せず、博士のことも無視していた。女の姿で目に入るものは、ほっそりと痩せた体と、その身にまとったグレーのドレス、かすかにつやを帯びた鉄灰色の髪、せわしく動くか細い指だけだった。作業中の黒い編み物は、棺覆いのようにひざの上に広げられ、厚いひだになって床に垂れていた。それが結局何に使われるものなのか、博士にはさっぱり分からなかった。まるで催眠術で自意識を失っているかのように、単調に動く指以外に微動だにしない女の姿は、編み針を操る仕掛けを内蔵した蝋人形のようだった。
 青年のほうは、自分のあいさつに博士が示した反応にがっかりしたらしく、窓のほうに歩み寄り、ぼんやりと向かいのアパートを見つめていた。光の加減のせいで顔が窓に映っていたため、博士はその顔をじっと観察した。見た限りでは、二十代前半のようだった。顔つきは端正で、際立ったあごが意志の強さを表していた。顔はハンサムだったが、博士の見るところ、ユーモアのかけらも感じられないのが玉に瑕だった。ユーモアのセンスもない男はこの世で成功しないというのが、博士の持論だったからだ。
 青年は眉根に深くしわを寄せ、表情を曇らせていた。なにか悩みがあるな、と博士は思った。彼は確か、来客を告げられたとき、娘の椅子のうしろから身を乗り出していた。愛想の悪い対応をしたのも、そのせいなのか? 二人は内密の話をしていたのかもしれん。どうみても二人だけで話をしていた。グレー服の女の存在は、内緒話をするのになんの妨げにもなりそうになかったからだ。この女なら、目の前で二人が窓から飛び降りたとしてもまったく気に留めまい、と博士は思った。
 しかし、これほど深刻そうな悩みに比べれば、自分が束の間闖入したことなどたいした話でもあるまい! 娘はクラヴァートンに来客を告げに行っただけだし、数分もすれば、自分もここからやっかい払いというわけだ。この連中の態度についても、きっともっとましな説明をしてもらえるはずじゃないかな? この家にはなにか謎めいた秘密があるぞ、と博士が判断したとき、ドアが開いて娘が姿を見せた。
 「ジョン伯父さまがお会いになるそうです」と娘は唐突に言った。「図書室におりますわ。場所はご存じですわね?」
 こうして、どうやらプリーストリー博士のことも意識から追い払ったらしく、博士に背を向けて窓際の青年のところに行った。
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