ジョン・ロード『クラヴァートン事件』第三章-2

 クラヴァートンは素直にこの療法に従ったが、ベッドで安静にしていたほうがいいとも忠告したんだ。それはそれでよかったんだが、彼の世話をする者がいなくてね。家には使用人が四人いる。フォークナーと料理人を含めてね。ところが、病人の世話の仕方が分かる者がいなかったんだ。それで、経験のあるナースを雇ったほうがいいとクラヴァートンに勧めたんだよ。
 ところが、クラヴァートンには、ちょっとへそ曲がりなところがあってね。希少本でほしいものがあれば、出し惜しみしないくせに、彼の言う無用な便宜なるものには出し渋るんだ。ナースの言うことなど聞くつもりはない、金の無駄遣いだ、家事からなにからみんな引っかき回される、と言ってね。私も、どうしていいか思いあぐねながら家を退散したよ。まさか、療養施設に入院しろとは、さすがに言えなかったしね。
 あくる日、遠まわしにあれこれ希望を聞いてみると、ナースには心当たりがあると言うんだ。ロンドンの病院で研修を受けた姪がいるから、しばらく同居させてやれば、けっこうな節約になるとね。二日後に来ると、家にはヘレン・リトルコートと母親が腰を据えていたというわけさ」
 プリーストリー博士は苦笑すると、「なるほどな」と言った。「クラヴァートンの節約願望は、妹の所業への怒りすらも超越したというわけだ。だが、リトルコート夫人までが娘と一緒に来る必要はなかったんじゃないかね? そもそも、夫人は十三番地の家でなにをやっているんだい?」
 オールドランドは、めがねの奥で目を細めると、「彼女は待っているのさ」と妙に意味ありげな言い方で答えた。
 待っている? とたんに、プリーストリー博士は、その一語がいかに彼女の様子を見事に言い当てているかに気づいた。自分の周囲で起きていることは気にも留めず、謎めいた黒い編み物にひたすら集中しながら待っているわけだ! だが、いったいなにを? なにか現世の出来事だろうか。それとも、正体不明の霊魂が降臨して、交信してくれるのを待っているのか? あのグレーの髪の頭を垂れた様子を見ていても、誰にも分かるまい。
 「常軌を逸しているね、オールドランド」と博士は静かに言った。「なにが起きるのを期待しているんだい?」
 オールドランドは両手を挙げ、おかしな身振りでお手上げだと表現した。「私に分かるわけがないじゃないか」と答えた。「君も気づいたと思うが、彼女とはうまく意思疎通できないんだ。なにを待っているかって? 知るかね! 娘と甥が結ばれるのを待ってるのかもしれんし、クラヴァートンの勘気が解けるのを待っているのかもな。夫人があの家に来てからも、クラヴァートンは妹のことをさほど気にかけていないようだしね。そんなことより、もっと仰天するようなことかもしれんな」
 彼はひと息つくと、気を静めて話を続けた。「分からんがね。なにも打ち明けてもらってないからな。クラヴァートンがなぜ妹を家に受け入れたのかも知らないんだよ。私に思いつくことといったら、母親が一緒でないといやだと、ヘレンが言ったんじゃないかということぐらいさ。夫人は現にあの家にいるし、クラヴァートンが回復するまで居座り続けるつもりのようだな・・・回復すればだがね」
 「確実に回復するんじゃなかったのかね?」博士は、オールドランドの言葉を聞いて、思わず声を上げた。「彼の病気は重くないと言ってたじゃないか」
 「重くはないよ。現に、順調に回復しているしね。だが、いつまで続くかな? なあ、プリーストリー、君に話さなきゃいかんことがあるんだ。守秘義務違反になってしまうがね。これから話すことはここだけの話で、他言無用に願いたい」
 博士はたじろいだが、「異論はないよ。他人に話さざるを得ないような特段の事情でもあれば別だがね。君が打ち明けてくれたことを漏らしたりはしない」と力を込めて言った。
 オールドランドは暗い表情でうなずくと、「残念だが、これは特段の事情なんだ」と答えた。「だから、いずれは明るみに出る。じゃあ事実を話そう。私にも解せんのだが、ずっと頭を悩ませてることなんだ。
 リトルコート夫人と娘は、私が異常に気づく二週間も前からあの家にいる。クラヴァートンは期待したほど回復は早くなかったが、そんなことだってあるものだ。一度か二度、薬を変えてみたが、効果はないようだった。そしたら、六週間ほど前のある日の晩、フォークナーがタクシーで私を迎えに来てね。知ってのとおり、十三番地の家には電話がない。使い勝手よりやっかいな面のほうが多いというのがクラヴァートンの持論なんだ。
 フォークナーの話は、旦那様の具合がひどく悪いからすぐ来てほしい、ということだった。クラヴァートンは衰弱していて、ひどく具合が悪そうだった。ヘレンの話では、急にそうなったというんだ。私は、胃潰瘍が急に悪化したせいだと思ったから、その判断に従って処置した。そのときも、どうも気に食わん症状がみられるのに気づいていたよ。しばらく付き添っていると、症状も治まってきた。だが、どうも納得がいかなかったし、手術の必要があるかもしれんと思った。クラヴァートンには黙っていたが、ヘレンには、明日にでも専門医を呼ぶつもりだと言ったよ。呼ぶからには、症状について極力詳細な情報を伝えなきゃならんと思って、組織や血液などのサンプルを採って持ち帰った。
 疑いを抱いていたとまでは言わんよ。しかとした確信があったわけじゃない。とはいうものの、それらのサンプルをさっそく調べてみたんだ」
 引きつった笑みがオールドランドの唇に一瞬浮かび、椅子から身を前に乗り出した。「徹底した分析をやったんだ。どういう分析かは分かるだろうがね」表情が険しくなった。「検査したサンプルからは、いずれも多量のヒ素が検出された」
 「ヒ素だって!」とプリーストリー博士は声を上げた。「摂取元は突き止めたのかね?」
 「いや。私の身にもなってくれ、プリーストリー。いったいなにができるというんだ? クラヴァートンの発作は、致死量以下のヒ素の摂取と完全に符合していた。サンプルにその証拠を見つけたんだ。だが、そのヒ素はどこから摂取されたのか? 私はそんなものを処方などしとらん。翌日、彼の薬瓶を持ち帰って、調剤を間違えた可能性がないか検査してみたよ。結果はシロだった。そう確信してはいたがね。カプセルにはなんの疑惑もない。テイラー・アンド・ハント社がミスを犯すはずはないさ。では、ほかになにが考えられるか?」
 「クラヴァートンに出された食事だな」プリーストリー博士はゆっくりと答えた。
 「そのとおり。だが、どうしたらいい? 騒ぎたてて、警察を呼ぶと迫るのか? クラヴァートンに向かって、君を毒殺する企てがあると言えとでも? そしたら、どうなると思うね? 食事の残飯は、とっくに廃棄されてしまっている。ヒ素は、まったく偶然の経緯で摂取されただけかもしれん。実は、頭がおかしくなるほど、この問題を繰り返し考え続けたんだよ。けっきょく、誰にも言わないかわり、症状のぶり返しがないか、患者を慎重に観察することに決めたんだ。
 それが六週間前のことでね。それ以来ほとんど毎日、サンプルを採って検査している。ヒ素の痕跡は徐々に消えていったし、ここひと月ほどは検出されていない。明らかに一服だけ盛られたんだな。クラヴァートンは着実に回復しているよ。だが、もう一服盛られないという保証がどこにある?」
 「誰をクラヴァートンの毒殺未遂犯と疑ってるのかまでは、あえて聞くまい」とプリーストリー博士は言った。「こういう場合、疑惑はもっぱら推測に基づいているだけだからね。クラヴァートン自身は、発作の原因について思い当たる節はあるのかい?」
 「ないだろうね。だが、時おり真相に気づく不気味な直観力を持っているからね。今の環境に満足しているのか、私もよく疑問に思うんだよ。もっとも、頑固なところがあるから、療養施設で治療を受けるよりも、毒殺の危険があっても自分の家にいるほうを選ぶだろうな。
 その一件以来、彼が選んだナースには、私も以前ほど信を置いていないんだ。なあ、プリーストリー、仕事の点では、彼女に非の打ちどころはないよ。仮に私自身が普通にナースを選んだとしても、彼女と同程度の能力だったろうよ。あんなものさ。確かに気が短いし、マナーもよくないが、クラヴァートンが気にかけてる様子もないしね。そしたら、この事件の一週間後に、ダーンフォード青年に玄関ホールで呼び止められたというわけさ。
 最初は、なにが言いたいのかよく分からなかった。伯父の健康のことで心配しているという話をくどくどとしゃべりはじめてね。伯父が病気になってからというもの、機会あるごとにロンドンまで見舞いに来てるというんだ。私がクラヴァートンの治療に当たってきたこととか、あれやこれやと感謝の言葉を浴びせながらね。いやはや、プリーストリー、あの男からはどうにも逃げられなかったよ。
 すると、どうしてもお話ししておきたいことがあるとほのめかしはじめてね。それで、ちょっと辛らつに、それなら教えてもらおうかと言ったのさ。そしたら、さんざん的外れな話をしたあげくに、ヘレンが事実を偽ってこの家にいると知っているか、と聞いてきたよ」
 「事実を偽っている!」とプリーストリー博士は声を上げた。「なにが言いたいんだ?」
 「私もまさにそう聞いたのさ。単刀直入にね。そしたら、彼女にはナースの資格はないと言うんだ。研修を修了する前に、セント・エセルバーガ病院を追い出されたというんだよ。理由を聞いたんだが、知らないのか、言いたくないのか、口を割らないんだ。
 むろん、私を安心させようと思って言ったことじゃない。ともかく、彼女にはなんの不満もないし、彼女が伯父の看護をする十分な能力があることは、私が一番よく知っていると言ってやったよ。一応、セント・エセルバーガ病院にも照会してみると、ミス・ヘレンは婦長といさかいを起こして首になったみたいなんだ。詳しいことは話してくれなかったが、その件は彼女のナースとしての能力とは無関係だとはっきり言ってたよ。
 もう一度言うが、どうしたらいいんだ? クラヴァートンが重病人だとでもいうなら、私だって、違う人間を雇えと説得したさ。だが、そうじゃない。日々よくなっていたしね。君も見たとおり、起き上がって、図書室で本も読める。彼にそんなことを言ったら、きっと、余計なおせっかいだと言うだろう。彼ならそんないきさつぐらいとうに知ってたとしても、私は別段驚かんよ」
 「確かに君の立場は苦しいね、オールドランド」プリーストリー博士は重々しく言った。「なるだけクラヴァートンを訪ねてやってほしいという君の気持ちがやっと分かったよ。君が不在の間はもちろんそうするさ。だが、どうもいやな予感がするんだ。今日の午後行ったときには、クラヴァートンの親戚たちに歓迎されていないのがよく分かったんでね」
 「君ほどおおらかな人なら、そんなこと気にかけたりしないだろ、プリーストリー」オールドランドは熱を込めて言った。「連中の態度なら、どういうことか分かるよ。君がクラヴァートンに忠告するんじゃないかと不安なのさ」
 「忠告だって! なんでまた、私が彼に忠告したりするんだい? 彼から求められないかぎり、そんなことはしないよ。彼らとなんの関係があるんだ?」
 「人間の性根に鑑みれば、彼らはまさに切羽詰まっているのさ。クラヴァートンは今日、リズリントンのことを言ってなかったかい?」
 「言ってたよ。彼が持ってきた本のカタログのことで、たまたま口にしただけだがね」
 「クラヴァートンらしいな。君には、リズリントンが仕事の依頼に応じて面談に来たとは言わなかったんだな。経緯を教えるよ。くだんの発作のせいでクラヴァートンもちょっと動揺したんだろう。また発作が襲ってくるのか、命にかかわるものかどうか、はっきり言ってくれと私に言うんだ。二度とないことを願ってはいるが、彼くらいの歳なら、胃潰瘍が悪化することもあり得ると答えておいた。
 彼もその時はそれ以上言わなかったが、先週、顧問弁護士のリズリントンがいつものように彼のところに来たという話と、今度、私にも彼に会ってほしいという話をしてね。火曜にお会いしたよ。マナーも心得た年配の男だった。自分の顧問弁護士にしたいと思うような男だよ。事務員も一人連れてきていた。リズリントンは書類を一枚出してきて、クラヴァートンに署名させた。それから、私とその事務員にも証人として署名させたよ。文書はジョン・クラヴァートン卿の遺言書だったんだ。
 さて、クラヴァートンのような男がまだ遺言書を作ってなかったとは思えん。だから、あれは明らかに新しい遺言書なんだ。前のやつを破棄したわけさ。リズリントンはそのまま持ち帰ったし、もちろん私も中身は見てない。
 だが、クラヴァートンの親類の心情も分かるじゃないか? 彼らだって、リズリントンが来訪したのは知ってるし、クラヴァートンが遺言書の変更を検討しているのは、推測していたに決まっている。とはいえ、新しい遺言書が火曜に実際に署名されたことまでは知らないだろう。誰が得をするように変更したのか? ここ一、二週間、彼らが思いあぐねていたのは、その問題に違いないね。みんな、自分が気に入られようと、努めて愛想よくしていたことだろうよ。彼らは私のことをそねんでいるんだよ。クラヴァートンの旧友が発言力を持つことは喜ばしくないからね。一族以外の者に遺産を分配する気になるかもしれんだろ。それに、君も推察してるだろうが、クラヴァートンは自分の考えをまったく漏らしてはいない。その点は私にも安心材料なんだ」
 「どうしてかね?」とプリーストリー博士は尋ねた。
 またもやオールドランドは唇をゆがめて苦笑いすると、「クラヴァートンが遺産相続人を明らかにしないかぎり、これ以上ヒ素を検出したりはしないはずだよ」と謎めかすように答えた。
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