ジョン・ロード『クラヴァートン事件』第四章-2

 しかし、今度の場合は、友人の死が絡んでいるだけに、未然に防げなかったという悩ましい気持ちが消えなかったし、いつもの客観的な見方もお預け状態だった。ハンスリットは、時間ぴったりにやってきたが、見たこともないほど博士が動揺している様子なのにすぐ気づいた。分別を働かせて、あえてなにも聞かず、博士のほうから進んで話してくれるのを待つことにした。
 長く待つまでもなかった。昼食をとりながら、博士は、十三番地の家と、そこにいた人々のことを事細かに説明した。彼らの性格や行動に関することはなにひとつ省かず、先週の金曜に自分が経験したことを詳しく話して聞かせた。ただ、オールドランドの疑惑については話さなかった。確かに、秘密を守る約束に縛られないほどの特段の事情が生じてはいた。しかし、博士は、間接的に得た証拠は信じないたちだった。むしろ、例の驚くべき出来事については、オールドランド自身から説明してもらうほうがいいと考えた。
 「そりゃまた奇妙な連中ですな、教授」ハンスリットはそう論評した。「ジョン卿は、ちょっと変わったところはありますが、いたって正常な人のようですな。日がな一日書物に没頭している人なら、そういう性格は珍しくないですよ。博士のお話からすると、彼が妹さんに自分の世話を任せようとしないのも、驚くにはあたりませんよ」
 警視は言葉を切り、博士が話を続けるのを待った。まったく見ず知らずの連中の物語を聞かせるだけのために、ウェストボーン・テラスに呼び出したわけではないことぐらい、よく分かっていたからだ。しかし、博士が次に口にした大胆な発言は、いざ聞くと、思いもかけないことだった。
 「わが旧友クラヴァートンは、昨日の朝、何者かに殺害された疑いがあるのだ」と博士は言った。
 警視は、くゆらせていたワイングラスをゆっくりと下におろした。プリーストリー博士がろくな根拠もなくそんな発言をするはずがないことは、彼もよく知っていた。ただ、その問題をどう扱うつもりでいるのかは、必ずしもはっきりしなかった。素晴らしいランチを賞味しながら、ほんの気まぐれに口にするような話とも思えなかった。
 「警察にはっきり告発を申し立てようというわけですか、教授?」ハンスリットはすぐさま尋ねた。
 「そんなふうに受け止めてほしくはない」と博士は答えた。「私の見るところ、警察はほかの筋からも前後関係の情報を集めることができる。私はただ、できるだけ早い段階である程度の情報を君に知らせたいと思ったんだ。君たち警察が犯人を特定しやすいようにね。クラヴァートンの死について言えるのは、今朝、執事から聞いた話だけだ。執事によると、突然倒れて亡くなったそうだ。医師が現場に着く間もないほどにね」
 「ジョン卿は、なにか内臓の長患いがあったとのことでしたね?」
 「そのとおり。その疾患で急死することもないわけではない。事の真偽は、医師が判断することだ。医師の所見を待たずして捜査を進めてもらってもかまわんかね?」
 「お聞きした話からすれば、ある程度まではかまわないと思いますよ、教授。まずは、ジョン卿の治療にあたっていたという、そのオールドランドとかいう医師から話を聞きたいですね。今のところは、彼の意見を手がかりにするしかありませんよ」
 ハンスリットの答えに慎重さが垣間見えるのは、プリーストリー博士も見逃さなかった。「これが犯罪だという私の話を鵜呑みにしてくれるとは期待していないよ」と博士は言った。「残念ながら、オールドランド医師は現在、ロンドンにはいない。私の知るかぎりでは、彼は土曜の朝に出発して、来週日曜に戻ってくる予定のはずだ。不在中は代診医を雇ったとのことだ。ミルヴァーリーという若い医師だが、私はよく知らない」
 「ということは、ジョン卿が亡くなったとき、オールドランド医師は付き添っていなかったわけですね?」ハンスリットはすぐさま尋ねた。
 「どうもそのようだ。だが、ミルヴァーリー医師の所見を聞きたいだろうね」
 「もちろんです。住所を教えていただければ、すぐに会いに行きますよ」
 「私も同行させてもらえるかな。なんなら、私からミルヴァーリー医師に電話しよう。一時半には戻っているはずだし、ちょうどその時間になったところだよ」
 博士は、もう一度電話をかけた。今度はミルヴァーリー医師本人が電話に出た。医師は、プリーストリー博士の名前を聞いただけで誰か理解した。「博士のことは、オールドランドから出発前にお聞きしました」と彼は言った。「ええ、お越しいただけるならありがたいです。ジョン・クラヴァートン卿のことですね? オールドランドにはすぐ電報を打ったんですが、まだ戻ってこないんです。あなたがいらっしゃるのをお待ちしてますよ」
 博士はタクシーを呼んだ。タクシーが来るのをハンスリットと待っているあいだに、手紙が届いた。届けてきた使いの者は返答を待っていた。プリーストリー博士はもどかしげに封筒を破り、タイプ打ちの手紙を取り出した。その紙には、「ヒュー・R・リズリントン、弁護士、宣誓管理官。ベッドフォード・ロウ一五二番地、W・C・2」というレターヘッドがあった。手紙には次のように書かれていた。

 「拝啓 拝顔の栄に浴したことはございませんが、御高名は依頼人のジョン・クラヴァートン卿からよく拝聴しております。残念なお知らせですが、ジョン卿は今月十四日日曜午前に急逝されました。内密にお知らせ申し上げることですが、ジョン卿の遺言書には、貴殿にかかわる項目がございます。恐縮ではありますが、早急に当事務所にてお目にかかりたく存じます。ぜひお話ししたいことがございますので。いつお越しいただけるか、この手紙を持参した者にお伝えいただければ幸甚に存じます。
                             敬具 ヒュー・リズリントン」

 「本日午後四時にリズリントン氏の事務所にお伺いすると、使いの人に伝えてくれるかね?」博士は、そばに控えていた女中に言った。「タクシーが来たかね。よし、一、二分後に警視と一緒に出るよ」
 手紙はハンスリットには見せなかった。見せる時間はあとでいくらでもあるし、リズリントンの話を聞いてからでもいい。使いの者が立ち去るのを待ってから、博士は外に出た。警視とともにタクシーに乗り込むと、オールドランド医師の家に向かった。
 二人はすぐに、ミルヴァーリー医師のところに案内された。医師はまだ若く、明らかに資格を取って間がなかった。純真で邪気のない顔にはまだ童顔が残っていたが、今はその顔に深い憂慮の表情が表れていた。不意に重い責任をいきなり課せられたという雰囲気が漂っていたし、プリーストリー博士にもその気持ちがそれなりに分かり、同情を禁じ得なかった。
 医師は深々と博士におじぎすると、「お越しいただき、ありがとうございます」と言った。「博士のことは、オールドランドから出発前にいろいろお聞きしております。もちろん、ご高名はそれ以前から存じておりました。実は昨日お伺いしようとも思ったのですが、いきなりお邪魔するのは厚かましいかとも思いまして」
「来てくれたらよかったんだよ」と博士は言った。「あいにく、今朝になるまでクラヴァートンの死を知らなかったんだ。こちらは友人のハンスリット氏。スコットランド・ヤードの捜査官だ。今日たまたま、昼食をご一緒したものでね。彼と一緒でもかまわないだろうね」
 「博士のご友人であれば、どなたでも歓迎ですよ。ジョン卿の死の状況をお知りになりたいんでしょうね?」
「金曜午後に会ったのが最後でね。その後なにがあったのか、知っていることはすべて教えてほしい」と博士は言った。
 「なんでもお話ししますよ。オールドランドは、金曜晩に患者のことを詳しく教えてくれました。彼の話では、患者は順調に回復しているし、今のままの治療を続けるべしとのことでした。ジョン卿はちょっと扱いの難しい患者だし、対応には慎重でなければならないとも忠告してくれました。
 土曜朝に往診に出かけた際に、ボーマリス・プレイスにも寄ったんです。若い女性が出たんですが、ジョン卿の姪で、卿の看護をしているとのことでした。細かいことを教えてくれて、ジョン卿は夜よく眠れたとか、いろいろ説明してくれました。卿はなにやら気難しい人だとも言ってましたよ。『気難しい』というのは、彼女の使った言葉そのままですけどね。あんなに小うるさくなければ、もっと治りも早いだろうにとも言ってました。
 小うるさいとはどういうことかと尋ねたら、食べ物のことらしいんです。伯父さんは、彼女がまず味見をし、ちゃんと調理されているか確かめてからでないと食べ物を口に入れないという話でした」
 プリーストリー博士は、この思いがけない情報に驚きの色を表しそうになるのを抑えた。「クラヴァートンには、確かに好みのうるさいところがあったよ」と博士は言った。「君が診察したときはどうだったね?」
 「オールドランドの話から予測してたより健康でしたよ。姪御さんの言う気難しさも、まるで感じませんでしたしね。とても愛想よく迎えてくれましたし、少し雑談もしましたが、彼も病気のことはほとんど話しませんでしたよ。迅速に回復しているという印象を受けましたし、同じような患者であれば、二、三日は往診に来なくてもいいと思うほどでした。でも、オールドランドから、毎日往診に行ってくれと念押しされていましたので、ジョン卿には、日曜の十二時頃にまた往診に伺うと申し上げたんです。
 ところが、日曜朝の十時少し前に、至急来てほしいとの連絡がありました。ジョン卿の執事がタクシーでやってきて、旦那さまが突然発作に襲われたと言うんです。執事と一緒にタクシーでボーマリス・プレイスに行きました。執事は自分が持っていた鍵でドアを開けて、そのままジョン卿の寝室まで案内してくれました。ジョン卿は身を丸くしてベッドに横たわっていました。一目見て、すでに亡くなっていると分かりましたよ。検査したところ、私が着く数分前には亡くなっていましたね。
 ジョン卿の姪御さんも部屋にいましたが、年配のご婦人もいて、その人とははじめて会いました。どちらも打ちのめされている様子でしたし、私の質問にもまともな答えは返ってきませんでした。年配のご婦人のほうは、私の言っていることが分からない様子でしたし、ジョン卿の姪御さんは恐怖で凍りついたようになってました。やっとなんとか、彼女に知っていることを話させましたよ。九時十五分前ちょうどに、伯父さんに朝食をもってきたということでした。メニューは、トーストに落とし卵、バターを塗ったパンを二、三きれ、ポットに入れたお茶だったそうです。それからダイニングに行って、自分の朝食をとったとのことです。
 彼女は、九時すぎに、ジョン卿の薬が置いてある図書室に行き、水薬を一服分コップに入れて、薬箱からカプセルを一粒とってきました。それから、ジョン卿のところに薬をもって行ったんですが、まだ朝食を食べ終わっていなかったので、薬はすぐ取れるようにベッドのそばに置いて、部屋を出て行ったそうです。
 五分後に、ジョン卿の部屋から金切り声が聞こえました。金切り声とは、彼女の表現ですけどね。正確な時間を問いただしたんですが、九時十五分頃というのが精いっぱいでした。部屋に飛び込むと、伯父さんは苦悶で身をよじらせていたそうです。ほとんど口もきけなかったそうですが、水をほしがっていると察しました。彼はいくらか飲んだそうですが、ひどい痛みが続いたようです。それから、彼女が執事を大声で呼びつけて、私を呼びに行かせたというわけです。
 ところで、私は十時十五分頃には部屋に来ていました。つまり、ジョン卿は、発作に襲われてから一時間以内に亡くなったわけです。これは異常としか思えませんでした。胃潰瘍の患者がこんなふうに予兆もなく発作に襲われるなんて聞いたことがありません。そんな発作で、これほど短時間に死に至るというのも理解できないことです。どうしていいか分かりませんでした。こんな状況では、自分の責任で死亡診断書を書く気にもなれません。まして、一度しか診察したことのない患者とあってはなおさらです。なので、オールドランドが残していった住所に至急電を打ったんです。彼以外に適切な対応を判断できる者はいないと思ったからです。
 昨日一日待ちましたが、返事はありませんでした。それどころか、今になってもまだ連絡がないんですよ。もちろん、いつまでも待っているわけにはいきません。それで、今朝、検死官に連絡して状況を説明し、自分では死亡診断書を出すわけにいかないと説明しました。検死官も私と同じ所見で、検死解剖の指示をしました。私としては最善を尽くしたことをご理解いただければと思います」
 「それ以外の対応はとれなかったと思うよ」プリーストリー博士はいたわるように言った。「検死解剖はもう行われたのかね?」
 「まだです。遺体は今晩、安置所に運ばれる予定です。アラード・フェイヴァーシャム卿が検死解剖を行う予定です。卿は、私か、もしオールドランドがそれまでに戻ってくれば、彼に立ち会ってほしいとのことでした」
 「フェイヴァーシャムか!」と博士は声を上げた。「よく知ってるよ。彼以上の適任はいない。ミルヴァーリー先生、その点では、君にとっても不幸中の幸いだったよ。今後の状況については、私にも逐一知らせてくれるかね?」
 ミルヴァーリーは、検死解剖が終わったらすぐ電話をすると確約し、博士と警視はいとまごいした。
 「確かにちょっとうさんくさいですな、教授」警視は、外に出るとすぐそう言った。「お疑いのとおりだとしても驚きませんよ。それが事実なら、ジョン卿の妹と姪にはやっかいなことになりますな」
 「検死解剖の結果をみてから論じ合うことにしよう」プリーストリー博士は厳しい表情でそう言った。
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