ジョン・ロード『クラヴァートン事件』第五章-2

 「リトルコート夫人に遺贈はないのかね?」とプリーストリー博士は尋ねた。
 弁護士は笑みを浮かべ、「いえ、ありますよ」と答えた。「あの家と家財一式は、書籍を除いて、そのままリトルコート夫人のものとなります。クラヴァートンらしい配慮があると思いませんか。彼女は最後に残ったクラヴァートン家の人間ですからね。ダーンフォード夫人は一年ほど前に亡くなったはずですので」
 「その遺言書は実に奇妙な文書のようだね。だが、君の今の説明からすると、信託はいつまでも続くものではないようだ」
 「メアリ・アーチャーが二十五歳になるまでのことですよ。それで終了です。そのあとは、元本は十等分され、次のように分与されます。つまり、三割はメアリ・アーチャーに、二割はアーチャー夫人に行きます。それ以前にアーチャー夫人が亡くなった場合は、彼女の相続分は娘に行きます。一割はヘレン・リトルコートに、同じく一割がアイヴァー・ダーンフォードに行きます。残りの三割は、指定された各種慈善団体に分与されます。ただ、注目すべき項目が一つあります。信託が終了して元本が分割されるまでのあいだに、アイヴァー・ダーンフォードがメアリ・アーチャーと結婚し、かつ同居しているならば、最後の三割は、慈善団体にではなく、彼に行きます」
 プリーストリー博士は、しばらくなにも言わなかった。博士は、クラヴァートンの遺言書の項目について考えていた。受益者の立場からではなく、その遺言書が彼の死にどう影響したかを考えていたのだった。すると、ある可能性が思い浮かんだ。「メアリ・アーチャーが二十五歳になる前に死んだら、どうなるのかね?」と博士は尋ねた。
 「その場合は、信託は終了し、元本は分割されます。その時点で彼女がすでにアイヴァー・ダーンフォードと結婚していた場合には、彼女の相続分は、彼と二人の間にできた子どものところに行きます。結婚していなければ、彼女の相続分は、母親が生きていた場合には、母親のところに行き、亡くなっている場合には、慈善団体に行きます。あらゆる不測の事態が考慮されていますよ」
 「そのようだね」と博士はゆっくりと言った。「君が今説明した遺言書と、その前の無効になった遺言書のことは、クラヴァートン家の人たちは知っているのかね?」
 「まず確実に知らないでしょうね。最初の遺言書のことは分かりませんがね。その内容はもうどうでもいいことですし。ただ、クラヴァートンは、二番目の遺言書については秘密厳守だと、ことのほか強く私に厳命されました。それどころか、どんな軽率な発言も険呑だとまで言いましたよ。ずいぶんな言いようだな、とそのとき思いましたね」
 「どういう意味で険呑なのか、説明はあったのかね?」博士は、すぐさま尋ねた。
 「いえ。私も問いただしはしませんでした。彼の心の安らかさにとって険呑ということかな、とも思いましたけどね。リトルコート親子なら、自分たちがたいしたものはもらえないと分かったら、憤るでしょうからね。リトルコート夫人は、家はもらいますが、これを維持するための収入は得られないわけです。さっきお話しした業者側の提示を受け入れようにも、もう遅すぎるんです。業者は別の計画を立ててましてね。十三番地の家はもう無用なんですよ。自分の実入りがない以上、夫人は相手の言い値で家を売らざるを得んでしょうな。リトルコート夫人のことはご存知ですね?」
 「一度だけお会いしたよ」と博士は答えた。
 「一度だけですか? まあ、夫人があの家に落ち着いたのはごく最近ですからね。オールドランド医師がナースを必要としたものですから、クラヴァートンが夫人と娘を呼び寄せたんですよ。夫人には一、二度お会いしましたが、口をきいたことはありません。私のみたところ、あのご婦人にはどうも妙なところがありますよ。彼女の精神はこの世に存在していないような感じなんです。言わんとする意味がお分かりいただければいいですが」
 「確かにそうかもしれないね」博士は意味ありげにそう言った。「夫人は熱心なスピリチュアリストだそうだ」
 「そうなんですか? なら、ぜひお近づきになりたいですな。でも、私までがスピリチュアリズムに傾倒しているなんて思わないでくださいよ。オカルトに飽くなき好奇心を持ってるというだけでして。夫人の妙に浮世離れした態度も、そのせいかもしれませんな。娘のほうはそんなことはなさそうですがね」
 「ミス・リトルコートの態度も、浮世離れとは言えないが、私の見たところ、やはり変わっているよ」
 「そう思いましたか? いまどきの女性らしい、活気のある人だと思いましたがね。伯父さんによく尽くしていましたし、私みたいな老いぼれにも明るく接してくれますしね。おまけに、とてもきれいな娘ですよ。正直言って、とても魅力的な娘だと思いますな。むろん、依頼人に向かってそんなことは言えませんでしたが、彼は遺言書で彼女のことをえらくぞんざいに扱ったものだと思いましたよ。まあ、すでに十分持ち合わせがあるんでしょうな?」
 「聞いたところだと、あの親子は、もう何年も、クラヴァートンからもらう生活費しか実入りはないということだよ」と博士は答えた。博士は、ヘレン・リトルコートが弁護士にそんな印象を与えたことを意外に思った。弁護士に対しては、まるで違ったところを見せていたわけだ。自分の相続分についてヒントくらい得られないかという期待からか?
 「いやはや、それは残念な話ですな!」リズリントン氏は声を上げた。「彼女とクラヴァートンは必ずしもしっくり行ってないと感じてはいましたがね。あの一族は、離れていたほうが互いに好意を抱けるようだ。しかし、彼が姪に敵意を持つ理由はないはずですがね。甥のダーンフォード青年にはお会いになりましたか?」
 「リトルコート親子に会った金曜に、彼にも会ったよ」
 「私は、短時間ですが、一度だけお会いしました。なかなかの好青年だと思いましたよ。そのとき、彼が十三番地の家を訪れたのは、伯父さんに会いに来ただけなのかな、と勘繰りましたよ。いとことずいぶん親しそうに見えましたからね。それだけに、遺言書にダーンフォードの結婚に関する項目があるのは、いかにもあいにくなことですよ」
 プリーストリー博士は、ぼんやりとうなずいた。博士には、その遺言書の条件は必ずしもあいにくなものとも思えなかったが、ひどく謎めいているように思えた。アーチャー夫人とその娘とは、何者なのか? クラヴァートンがその二人のことを黙して語らなかったのは、それほど意外でもない。自分の一族のことすらめったに話そうとはしなかったからだ。だが、遺言により多額の遺贈を受けるというのは、確かに尋常なことではない。博士には、その点について弁護士が推測したことは、得心のいく説明ではなかった。
 「遺言書の話に戻りますが」リズリントン氏はきびきびと話を続けた。「主だった内容についてはお話ししました。受託者たる私たちが関わる範囲についてはね。ほかに、小額の遺贈があります。全部で千ポンド程度になります。フォークナーが五百ポンドもらい、ほかの使用人はさらに小額をもらいます。受託者は、これらの遺贈を執行し、相続税を支払うために必要であれば、元本を換金することもできます」
 「遺言書の内容は、受益者の誰かに伝えたのかね?」と博士は尋ねた。
 「まだです。まずはあなたにご相談しようと思いまして。今朝、最初の郵便でクラヴァートンの逝去を知ったばかりですからね。ミス・リトルコートが短信で知らせてくれたんです。返信で、お悔やみを申し上げて、葬儀の手配がどうなっているか、できるだけ早く教えてくれと伝えましたよ。葬儀に参列させてもらって、そのあと、集まったご一族に遺言書の内容をお伝えするつもりです。あなたにも立ち会っていただけると、ありがたいですね」
「もちろん、そうさせてもらうよ」と博士は答えると、ひと息ついてこう付け加えた。「クラヴァートンの死は、あまりに予想外だったね」
 「確かに突然でした。でも、まったく予想外といえますかね? 数週間前にも大きな発作を起こしていましたし、再発するのは想定内でしたよ。クラヴァートンが遺言書の作成を指示したのも、最期が近いことを覚悟してたからだと思いますよ」
 確かにリズリントン氏には知らぬことが多すぎる。博士は、氏の知ったかぶりが急に癪に障ってきた。彼がさっき口にしたヘレン・リトルコートへの好意的な意見のせいかもしれないが。ちょっと驚かせたところで害はあるまいと判断した。いずれにしても、数時間後には事情を知るのだから。
 「クラヴァートンの死は予想外だったと言っていい」と博士は穏やかに言った。「検死官も間違いなく私と同じ考えだ。検死解剖を行うよう指示したとのことだからね」
 博士の言葉は、予想どおりの効果をもたらした。弁護士は泡を食って椅子から飛び上がらんばかりだった。「なんですと!」と彼は叫んだ。「検死解剖ですと? では、ほぼ確実に、そのあと検死審問が行われるということですな。なんと間の悪いことだ! でも、確かなんですか? なにか手違いがあったに違いない。オールドランド医師が死亡診断書を出せないわけはないでしょうに」
 「折悪しく、クラヴァートンが息を引き取ったとき、オールドランド医師はロンドンにいなかったのだ。代診医のミルヴァーリーという青年が診療を担当していた。彼は、死亡診断書は出せないと思い、検死官に連絡したのだ」
 リズリントン氏の警戒した表情が安堵の表情に変わった。「ああ、それで分かりました!」と強い口調で言った。「いやはや、プリーストリー博士、まったくぎょっとしましたよ。検死審問は、関係者全員に一番不快なお白州の場になりますからな。やっと事情が呑み込めました。あなたのおっしゃる、その若い医師は、責任を負うことに耐えかねたわけですな。彼がそんな手順を踏んだのは残念なことです。検死解剖はいつだって、親族にとっては痛ましいものですからね。とはいえ、それでクラヴァートンの死因もはっきりすることでしょう。検死審問はきっと不要だと思いますよ。検死官が自分で死亡診断書を出してくれるでしょうから。それでこの件はおしまいというわけです」
 「そんな悠長な見込みどおりに行けばいいがね。クラヴァートンは自分の死が間近いとあなたに言いでもしたのかね?」
 「そうはっきりとではありませんがね。でも、最初の大きな発作のせいで、深刻に考えるようになったのは確かですよ。全快すると確信してたら、遺言書を書かなきゃいかんとは思わなかったでしょうからね」
 「おそらくはね。だが、金曜に会ったときは、死に瀕している様子などなかったよ。それに、あの晩、オールドランド医師とも話したが、彼の病気は死に至るような心配はないとはっきり言っていた」
 弁護士は肩をすくめ、「私の医学の知識はたいしたものじゃありませんがね」と言った。「ただ、医師が予防しきれない難しい事態がしょっちゅう起きるのも、ごく普通に経験することですよ。その手の事態がクラヴァートンに起きたからといって、それほど異常なこととも思えませんがね」
 「困難な事態がよく起きるというのは、そのとおりだろう」博士はしかつめらしく言った。「だが、そうした事態は、たいていは外部の要因によるものだ」
 リズリントン氏は、わけの分からぬ様子で博士を見つめると、「まさか、なにか事故が起きたとほのめかしておられるわけじゃないでしょ?」と尋ねた。「ミス・リトルコートも、手紙のなかでそんなことはなにも書いてませんでしたよ」
 「私はなにもほのめかしてはいないさ」と博士は答えた。「検死解剖の結果が君の予想したとおりであればいいと願うのみだよ。葬儀の時間と場所は知らせてくれたまえ。さて、これ以上話すことがなければ、失礼させていただくよ」
 弁護士は来訪に厚く謝意を述べ、博士は辞去した。博士は、いらだちを感じながら帰途に就いた。なぜそんな気持ちになるのか、自分でもよく分からなかった。リズリントンは愛想がよかったし、そんなことではない。しかし、弁護士が的外れな共感を示したことが博士には腹立たしかった。クラヴァートンの一族から受けた対応の記憶が生々しいだけに、彼らのことを好意的に話すのを聞くのが不快だったのだ。仮に彼らがクラヴァートンの死に直接関与していなかったとしてもだ。検死解剖のことなど話さず、警察からいきなり事実を知らされるようにすればよかった。
 しかし、博士のいらだちも、やがてクラヴァートンの遺言書の内容に対する驚きにかき消された。博士は、亡き友の立場に立って考え、彼が遺言で望んだことがなんだったのかを確かめようとした。明らかに彼の一番の望みは、誰かはともかく、メアリ・アーチャーなる女性と甥が結婚してくれることだった。信託の条件は、その目的が実現されるように慎重に仕組まれている。甥が彼女と結婚すれば、彼は元本の四割を手に入れる。しなければ、最終的に受けとるのはたった一割だ。
 主たる受益者は、クラヴァートン家の者ではなく、メアリ・アーチャーだ。彼女は少なくとも元本の三割を相続する。仮に彼女が二十五歳になる前に亡くなったとしても、ダーンフォードもリトルコート親子も、なんの利益も受けない。彼女の相続分は、おそらくは彼らの意に反して、慈善団体に行くことになるからだ。
 いずれにせよ、ヘレン・リトルコートは、状況がどう転ぼうと、相続分が増えたりはしない。どのみち、彼女は財産の一割と、あとは母親が亡くなれば、家と家財一式の価値相当分しか相続できない。彼女の相続分は、ざっと見て、年四百ポンドの収入をもたらすだろう。しかし、リズリントンの話では、新しい遺言書で自分が受益者の一人になっていることは彼女も知らないはずだ。とはいえ、前の遺言書では、彼女のことはなにも触れられていなかったのだ。
 博士は、急いでそうした思弁を頭から追い払った。検死解剖が自分の疑惑を確信に変えてくれないかぎり、そんな思弁も裏付けを得られない。
 博士は夕刊を取り上げ、紙面の論説に努めて思考を集中させようとした。
スポンサーサイト

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

S・フチガミ

Author:S・フチガミ
お問い合わせ等は
fuhchin6491
(アットマーク)
hotmail.co.jp
へどうぞ

カテゴリ
フリーエリア
天気予報
リンク
検索フォーム
アクセスカウンター
RSSリンクの表示