ジョン・ロード『クラヴァートン事件』第九章-2

 「そうさせてもらうよ」と博士は言った。「正直言えば、クラヴァートンの死をめぐる状況には興味が尽きないんだ。だが、言っておかなくてはならんことがある。ヘレン・リトルコートが伯父の死を画策したというのなら、そんなことをした動機は必ずしも明白ではない。遺言書の内容をすべて説明すれば、君にもそのわけが分かるだろう」
 オールドランドは、プリーストリー博士がその奇妙な文書の内容を説明しているあいだ、じっと聞いていた。「妙な措置をしたもんだな」とうなずいた。「一見すると、ヘレン・リトルコートは、伯父が死んでもさほど得をしないようだね。ヘレン・リトルコートと言ったのは、彼女が実行犯のように思えるからなんだ。だが、むしろ母親のほうが真の黒幕だと考えたいね。自分と娘の共通利益のために動いたのさ。
 一見すると違うように見える。だが、君の今の話を聞いて、はっきり分かってきたよ。知ってのとおり、我々医師はてだれの観察者だからね、プリーストリー。患者を往診すれば、実にいろんなことを知ることになる。診療業務とは無関係なこともね。人間の本性についてもたくさんの興味深い洞察を得るのさ。それと、忘れちゃ困るが、私は連中とは君よりもたくさん会ってきてるんだからね」
 彼は椅子に座りこみ、たばこに火をつけた。博士は、彼の手がもう震えていないのに気づいた。この三十分のあいだに、再び有能な医師に戻ったようだ。彼が口にした過去の秘密も、患者に対する職業的配慮のほうが大きくなるうちに、すっかりどこかに行ってしまっていた。
 「リトルコート親子の立場で考えてみよう」医師はだしぬけに言った。「彼らを責めるつもりも弁護するつもりもないよ。確かに彼らのことは好きじゃないが、それはまったく個人的な感情にすぎないし、今から話すこととはなんの関係もない。
 彼らがパットニーの小さなフラットに住んでいる様子は想像がつくよ。だろ? リトルコート夫人が、巡回伝道者の思い出を大切に抱きながら、スピリチュアリズムにふけることで心情的なはけ口を求めたのもね。彼ら親子の生活資金はほとんど霊媒として得た料金だったろうよ。クラヴァートンからの支援はたいしたものでもなかったろうしね。
 娘のほうは、物心ついて以来、貧しさに慣れていたろうし、そのおかげで赤裸々な人生の現実を学びもしたろう。それが自分の人生の定めとも思っていたろうね。飢えに苦しんだりとか、それほどすさまじい目にあったりまではしなかったろうがね。だが、飢えをちょっとした欠乏としか思わん者もいるよ。とくに女はそうだ。でなかったら、シルク・ストッキング業界がこれほど繁盛したりはしないよ。見逃してはならんのはもっとほかのことさ、プリーストリー。つまり、あの娘は癇癪持ちだということなんだ」
 博士はうなずき、「私も何度か目の当たりにしたよ」と言った。
 「そのせいでセント・エセルバーガ病院での仕事も失ったんだ。我々が彼女に会うよりずっと前の話だがね。それ以外に職を失いそうな理由なんて彼女にあるかね? どうやって生計を立てていくつもりだったんだろうか? 事務仕事をするようなタイプではないし、仮にそんな仕事についたとしても、どのみち続きそうにない。困窮から抜け出す解決策は、どう考えても、結婚だけだったんだよ。だが、彼女も馬鹿じゃない。クラヴァートン家の血が彼女にも流れているし、馬鹿ではないのさ。玉の輿に乗る見込みが大きくないことぐらい、よく分かっていたはずだ。相性のいい相手なら誰とでも結婚しようなどという気もなかった。それに、有望な青年なら、いくら彼女がきれいな娘だろうと、プロの霊媒の貧困にあえぐ娘などはさすがにご免こうむるだろう」
 オールドランドはひと息つき、最初のたばこの吸いさしにもう一度火をつけた。「始末に負えん習慣だよ、このチェーンスモーキングというやつはね」と言うと、話を続けた。「患者にはいつも忠告してるんだがね。さて、そこでなにが起きたか? クラヴァートンからの手紙は、いわば青天の霹靂だったろうが、十三番地の家に住み込みで自分の看護をしてくれるよう頼んできたわけだ。
 もちろん、親子でいろいろ話したことだろう。いったいどういうつもりなのか? 金持ちのジョン伯父さんも、とうとう勘気が解けたのか? きっとそう思えたに違いあるまい。ともあれ、素晴らしいチャンスだ。娘が模範的にふるまえば、かわいい姪だと認めてもらえるかもしれん。どんな結果になるかは、なんとも言えない。
 母親同伴を条件にしたのが誰の考えかは分からん。彼らの立場でいえば、それは戦略上のミスだった。きっと、兄妹間の仲直りを意図したんだろうがね。だが、そううまくはいかなかったわけだ。クラヴァートンは妹が家に来るのを承諾はしたものの、顔をあわせようとはしなかったからね。その結果、リトルコート親子の戦闘ぶりは、娘が前線に出て戦い、母親は参謀長として陰で指揮することになったわけさ。
 考えてみれば、注目すべき状況だよ。リトルコート軍は塹壕も十分に掘って、攻撃目標も視野にはっきりとらえていたからね。進撃を妨げるおそれがあるとすれば、それは彼らが目的を果たす前にクラヴァートンが回復することだけだった。そんな事態になれば、彼らは完全におっぽり出されて、パットニーの基地にすごすごと退却するはめになる。クラヴァートンが速やかに回復することは彼らの得にならない。それどころか、作戦が遅延すれば、敵に包囲されるおそれもある。ダーンフォード青年はお気に入りの甥っ子だし、彼が自分の戦略を進めれば、戦況を脅かしかねないというわけだ」
 プリーストリー博士は苦笑し、「軍事のたとえをふんだんに使われると、かえって混乱するね」と言った。「アイヴァー・ダーンフォードはどんな戦略を進めていたのかね?」
 「私は戦時中、『規制支援管理グループ』で働いていたんだ。知らなかっただろ。今の話の中身は『情勢把握』というやつさ。いい言葉だ。ダーンフォードかい? ああ、彼なら、伯父とは常にうまくやっていた。伯父が病気になるずっと前から、しょっちゅう会いに行っていたしね。病気になったら、もっと足繁く通うようになった。だが、実に巧妙に事を運んでいたよ。でしゃばったりとか、そんなことは一切しなかった。ただ毎週のように顔を出しただけだ。『やあ、ジョン伯父さん、順調そうでなによりです!』といった感じでね。立ち寄って一時間ほど話してから帰っていくんだ。邪魔者視されぬよう気を配っていたわけさ。
 ところが、リトルコート親子のほうは、さほどめざましい前進はしなかった。リトルコート夫人が仲直りを試みてもうまくいかなかったし、クラヴァートンは期待したほど娘を気に入りはしなかった。それに、彼らが思っていたほど、というか、期待していたほど、病も重くなかったわけだ。回復するのはほぼ確実と思われたし、それまでに自分たちの立場を確実なものにしないと、二度と見込みはない。戦略の変更が行われ、これに従って戦線を移したというわけだ」
 「どういう意味かね?」と博士は尋ねた。
 「彼らは競合勢力との同盟を模索したんだ。君がさっき言ったように、その時点では、ダーンフォードを相続人に定めた古い遺言書が生きていた。そのことは関係者全員がなんとなく知ってはいたはずだ。こういうことがすぐ広まるのは君にも分かるだろ。どのみちダーンフォードが一番有望なのははっきりしていた。それならそれでいい。ヘレン・リトルコートがいとこと結婚したっておかしくはあるまい? 互いに知らぬ同士ではないしね。知ってのとおり、彼らはしばらく前にセント・エセルバーガ病院で顔をあわせていたんだから。
 ダーンフォードだってきっと気をひかれたと思うよ。我々がヘレン・リトルコートをどう見ようと、彼女は彼女なりに美しい娘だからね。それに、彼もこんなふうに考えたかもしれん。つまり、クラヴァートンが不憫に思って、ダーンフォードが相続するはずの遺産のうちからいくばくかを娘のほうに遺すという可能性もあるとね。娘と結婚しさえすれば、そうなってもどうということはない。ところで、ダーンフォードもリトルコート親子も、アーチャー夫人とその娘のことは知らなかったんだろ?」
 「と思うね」と博士は答えた。「彼らがクラヴァートンの遺言書の内容を知ったときに見せた驚愕ぶりからすればね」
 「私もそうだと思ったよ。だが、リトルコート親子は、クラヴァートンの存命中に計画を実行に移すのは剣呑だと考えたはずだ。自分たちが格別気に入られてはいないことにも気づいていた。彼なら、ダーンフォードがいとこと結婚するという考えには反対したことだろう。今だから分かるが、その判断は正しかったわけだ。クラヴァートンは、ダーンフォードを遺言書から締め出すことでその反対意思を表したんだ。
 もう一点言うべきことがある。クラヴァートンがあの世に旅立つ気配はなかったから、早く旅立ってくれるよう後押ししてやる必要があった。リトルコート親子がそんな血も涙もない物事の見方をしていたとは思えんと言うかもしれんがね。だが、彼らの血縁者としての絆はとうに切れてしまっていたことも忘れちゃならんよ。リトルコート夫人は、結婚してからというもの、兄にはもう何年も会っていなかった。娘のほうも、彼が雇われナース同然に自分に接することに苦り切っていたに違いない。それに、彼らはクラヴァートンに怨念があったしね」
 「怨念だって?」博士は問いただすように言った。「どんな理由でかね?」
 「施しを受ける者が常に抱く怨念さ。彼には金があり、彼ら親子にはない。だから彼を憎んだ。十三番地の家を見ると、怒りを覚えずにはいられなかったのさ。クラヴァートンは明らかに裕福な男だったが、親子にははした金しかくれなかった。独り身のくせに、そんな金があって、なんの役に立つのか? なぜ妹や姪に分け与えようとしないのか? あえて言えばね、プリーストリー、彼らがあの不気味な客間で、互いにそう問いかけながら座っている姿が目に浮かぶんだよ。彼に死が訪れるのは当然の報いだと考えるのに、それほど時間は要しなかっただろう。
 ひとたびそういう考えに至れば、あとは簡単なものだ。ヒ素は彼らの目的にぴったりだった。今も言ったようにね。ヒ素は手に入れるのも簡単だからだ。ここ数年のあいだに起きたヒ素による毒殺事件のことを考えてみればいい。もちろん、露見した事件しか耳にすることはない。露見せずに終わった事件に比べれば、それがどれほど少ない件数か、考えたことはあるかね?」
 「あるさ」とプリーストリー博士はそっけなく言った。「ヒ素による毒殺が露見しにくいことは知っているよ」
「ヘレン・リトルコートもナースとしてそのことをよく知っていたとみていい。だが、彼女は失敗した。上首尾に行っても確実な結果を出せない薬物だからね。よほど大量に与えれば別だが、それではほとんど確実に露見してしまう。失敗した結果、彼女が思いもしなかった事態となった。伯父は恐れをなして、新たな遺言書を作成する準備にとりかかってしまったわけだ。
 前も言ったがね、プリーストリー、これで陣営に動揺が生じたんだよ。それも、ダーンフォードとリトルコート親子の両陣営にさ。クラヴァートンはどうするつもりなのか? 妹と姪に対する態度からすると、彼らが得するように遺言書を書き換えるとは思えなかった。ダーンフォードにしてみれば、もともと彼がただ一人の相続人になっていたわけだから、どう書き換えられようと、自分の損になるに決まっている。どんな行動に出るべきかをリトルコート親子が話し合っているところを聞きたかったところだね。クラヴァートンが実際どうするつもりなのか、彼らにはまず予測できなかったろう」
 「クラヴァートンが遺言書を書き換えたのは、実のところ、リトルコート親子の存在に影響されたからではないよ」と博士は言った。「主だった項目は、何年も前から考えていたものなんだ。実際に書き換えるのはあとになったがね。新たな遺言書の目的は、自分の死後にアーチャー親子に財産を遺してやることだ。リトルコート親子のことは、付随的に触れられているにすぎない」
 「意図したところはほかにもあるさ」とオールドランドは重々しく言った。「リトルコート親子には間接的な形での打撃だがね。なぜクラヴァートンは、姪に二百ポンド与えて、あとの遺産をアーチャー夫人とダーンフォードに半分ずつ遺さなかったのか? それは、どんな結果になるか分かっていたからさ。信じてもらいたいがね、プリーストリー、彼は口に出す以上にいろんなことに気づいていたんだ。二人のいとこ同士が接近していることもよく分かっていた。姪がそうやって自分の遺産をものにすることなど望んではいなかった。だから、アーチャー夫人に娘がいることを思い出して、ダーンフォードがその娘と結婚する条件の項目を書き加えたのさ」
 プリーストリー博士はうなずいた。この説明はいかにももっともらしく思えた。
 「だが、リトルコート親子には知る由もなかった。彼らにできたことは、クラヴァートンが二番目の遺言書に署名する前に死んでくれるよう祈ることだけだった。知らぬ神よりなじみの悪魔のほうがましというわけだ。彼らは、クラヴァートンが一族に財産を渡すまいとしていることを予測していたはずだ。今度ばかりは、彼らも祈るしかなかったようだ。呪い殺される者もいるというからね。リトルコート夫人がソファに座りながらやっていたのも、本当はそうやって祈り続けていたのかも。分からんがね。
 ともあれ、彼らには実に都合のいいタイミングで、クラヴァートンの病状が急変したわけだ。医師を呼べば、すぐにクラヴァートンを入院させ、手術するだろうし、それですっかり回復してしまうかもしれない。だが、医師は呼ばれなかった。クラヴァートンの症状は土曜に最初に表れたという君自身の仮説に従えばね。
 医師が呼ばれなかったのは、クラヴァートンをそのまま放置すれば確実に死ぬことを、あの娘が知っていたからだ。うまい具合に、彼女が裁量権を握っていた。ダーンフォードが干渉してくる余地はなかった。私も近くにいなかった。いたからといって違いが生じたともいえないが、いずれにしても、ミルヴァーリーは若いし、よそ者だ。彼らも奴なら扱いやすいと思ったかもしれんな。それに、私が在宅していたら、不意に家に立ち寄ったかもしれん。ヒ素の一件のあと、時おりそうしていたからね」
 オールドランドが口を閉ざすと、深い沈黙が部屋を支配した。それが本当にクラヴァートンの死の真相なのか? プリーストリー博士には、それなりにもっともらしく聞こえた。だが、どうやって裏づけを得るのか? 裏づけが得られたとしても、どうやってリトルコート親子に罪の報いをもたらすのか? 犯罪がなんの役にも立たなかったと知って、彼らが味わった悔しさに匹敵するほどの罰があるだろうか?
 オールドランドははっと我に返り、「なんてこった、もうこんな時間じゃないか!」と声を上げた。「私に一晩中ここにいてほしいとは思わんだろ。だが、明日、一緒に十三番地の家まで来てくれるかね? 十時に車をここに回して君を拾うというのではどうだい?」
 「けっこうだ」と博士は答えた。こうして二人は別れを告げた。しかし、プリーストリー博士がようやく書斎を出て就寝したのは、客が帰ってずいぶん経ってからだった。
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