ジョン・ロード『クラヴァートン事件』第十五章-2

 ダーンフォードはぎくりとし、彼らと目が合うと、思わずあとじさり、「おい!」と声を上げた。「こりゃいったいなんなんだ?」
 その声には警戒した様子は感じられなかった。しかし、明らかに驚いていたし、叔母といとこがそこにいることに不快感を表していた。彼はうしろを振り返り、プリーストリー博士に向き合った。そのときも、自分とドアのあいだにハンスリットが立ちはだかっているのに気づいていないようだった。
 「リトルコート夫人は、いくつか質問することも快く了解してくれました」と博士は答えた。「質問を聞けば、その趣旨も十分理解できるはずです」
 ダーンフォードは肩をすくめ、「クララ叔母さんが我々に能力を披露してくれるというわけだ」と嘲るように言った。「そんなもの信じるのはアホだけだろうがね。この手の茶番に呼ばれたと分かっていたら、わざわざ来たりしなかったんだが」
 彼はヘレンに見向きもせず、わざとらしく彼女に背を向けた。彼女の目が怒ったようにきらめいたが、とくに態度に表したりはしなかった。彫像のように身動きせず、目の前にいる男の存在など忘れているかのようだった。
 ハロルドは、来客たちを席に案内した。霊媒に一番近いテーブルの席にはアラード卿を座らせ、その隣はオールドランド医師で、その左隣はリズリントン氏。アラード卿の反対側には警視が案内され、ダーンフォードはその右隣に座らされた。最後に、ハロルド自身がダーンフォードの右側の椅子に座った。
 プリーストリー博士は、テーブルの一番はしに読書用ランプを置き、そのスイッチを霊媒の向かい側にある誰も座っていない椅子のそばに置いた。客たちが全員座ると、博士自身もその椅子に座った。
 読書用ランプには厚手の光を通さないシェードが付けられていたため、部屋の上部は暗闇のままだった。明るい光が磨かれたテーブルの上を円形に照らし、男たちのワイシャツの胸とヘレン・リトルコートの白いドレスにも照り返していた。かたずを呑む人々の顔、霊媒の黒服姿も含め、ほかはなにも見えず、ビロードのような部屋の暗闇に飲みこまれていた。一呼吸おいて、博士が手を伸ばすと、円形の光が突然消えた。
 完全な暗闇が部屋を包んだ。暖炉の上の天井の一画がかすかに明るい色合いを帯びているだけだった。男たちの一人が神経質そうに咳払いをした。その音も、部屋の静寂の中にかき消えていった。
 博士は、暗闇の中で腕を伸ばした。厚手の布地の背後で動くものを感じたが、すぐさま霊媒の手が博士の手を探り出し、かぎ爪のように指を曲げて固くつかんだ。博士は、自分の指が冷たく生気のない指に掴まれたのを感じた。すると、博士は小声で命令するように言った。「ジョン・クラヴァートン!」その言葉は霊の呼び出しとして発せられたものだった。
 ばかにしたように軽く鼻を鳴らす音がダーンフォードのほうから聞こえた。反対側に座っていたオールドランド医師は苦笑した。ダーンフォードはきっとこの手のやつを前に見ているのだろう、と医師は思った。ここにいる者の中でも、彼ならとうに叔母のトランス状態の実態を見抜いてしまっているはずだ。プリーストリー博士のような地位の人物がこんなペテンにたぶらかされるとは、彼には間が抜けて見えるに違いない。
 オールドランド自身も、友人のこの演出にすっかり面食らっていた。博士は、前に降霊術会をやったときも頭から懐疑的な態度を示していた。同じことをやって、フェイヴァーシャムやリズリントン、それに優秀な警察の警視を欺けるなどと思っているのだろうか? まさかな。だが、博士になにかはっきりした目的があるのは間違いあるまい。
 博士の呼び出しのあと、長い沈黙が続いた。かたずを呑む沈黙だった。すると突然、ナイフで切り裂くように沈黙が破られた。クラヴァートンの声がくっきりと響き渡った。「やあ、プリーストリー! また君かい? 私になんの用だね?」
 その明瞭な声に、オールドランドは両隣に座っている者が椅子の中でびくっとしたのを感じとった。彼らにとっては、リトルコート夫人の能力に接する最初の機会だったのだ。
 博士の答えは、鋭く堂々としていた。「君の助けがいるんだ、クラヴァートン。君に忘れないでくれと言われたことは、しっかり心に留めているよ。例の白い粉を見つけたんだ。だが、それを振りかけたのが誰の手なのか探っているところだ。長くほっそりした指をした、小さな手だ。女の手だね。そうだろう?」
 声はすぐさま力を込めて答えた。「いや! 違う! 違うぞ! なにを勘違いしてるんだ、プリーストリー? 女の手なんかじゃない。君はまったく間違っているよ」
 オールドランドは理解した。これはプリーストリー博士とリトルコート夫人との知略の競い合いなのだ。夫人ははや最初の一撃にひるんだようだった。声が少しばかりクラヴァートンらしくなくなったからだ。女らしい声が忍び込んできたようだったが、それは追いつめられた女の口調だった。医師は、博士の次の言葉に聞き耳を立てていたが、部屋にいる誰かの息遣いが荒くなってきたのを感じた。
 「いや、それは違う、クラヴァートン!」博士は、響き渡るような声で言った。「そのことを知っているのはもう君だけじゃない。その手は女の手だよ。そして、白い粉はヒ素だ」
 ヘレン・リトルコートが立っている部屋の向こうの隅から、妙に震えるようなため息が聞こえた。しかし、それもリトルコート夫人の声にかき消された。もはや兄の声にわずかながら似ているだけだった。「いや、違う、男の手だ。誓ってもいい。私以上に知っている者がいるかね? 自分で見たというのに」
 クラヴァートンの声色には、部屋にいる誰ももう欺かれなかったが、博士は彼に質問する形をとり続けた。「君は私を困らせているんだよ、クラヴァートン。君はその手を見たと言うが、誰の手なのかは言おうとしない。それは女の手だと言わせてもらうし、その考えに従って行動するつもりだ」
 「誰の手なのかは言えん!」声は泣き声になった。「どうしてこんなふうに私を苦しめるんだい? だが、あれは男の手だった! 男の・・・」
 声はすすり泣きに変わって消えていき、一瞬途切れた。博士は、自分の手をつかむ相手の手が木の葉のように震えるのを感じた。自分の言葉がリトルコート夫人を悩ませているのを知ったが、あえて心を鬼にした。彼女の忍耐も続きそうになかった。
 「本当のことを話してくれないとは残念だね、クラヴァートン」博士は穏やかに言った。「とりあえず、男の手だったという君の主張を受け入れておくこととしよう。君に死をもたらしたのは、その手かね?」
 しばらくはなんの答えもなかった。穏やかに問われたその質問に、リトルコート夫人は明らかに驚きに打たれたようだった。しかし、博士は、手の感触から、夫人が急に気を静めはじめたのを感じ取り、自分もこれ以上こだわらないことにした。
 ようやく声が話しはじめると、夫人が落ち着きを取り戻したのは明らかだった。再び、クラヴァートンらしい話し方に戻り、声もためらいがちではあったが、しっかりしていた。「どういう意味だね、プリーストリー? わけが分からんが」
 「だが、私の質問の意味ははっきりしているよ」と博士は言い張った。「君の食べ物にヒ素を振りかけた手が、数週間後に君に死をもたらしたのと同じ手なのかね?」
 長い中断のあと、やはりためらいがちな答えが返ってきた。「私には分からん」
 「だが、ヒ素を振りかける手を見たように、二度目のときもその手を見たはずだ。その手を我々に見せてはくれないかね?」
 声が答える前に、驚くべきことが起こった。真っ暗な部屋の中で、手袋をはめた人間の手が突如として現れた。青白い炎のようにぱっと光を発したかと思うと、テーブルのはじの上にかざした手があった。その手が開いた。かすかに水がはねる音がし、なにか小さな物が水の中に落ちたようだった。手は現れたときと同じように突如として消えた。
 オールドランドは、こんなことが起きるとはまったく予期しておらず、小さく叫び声を上げた。しかし、医師が説明を見出すいとまもなく、プリーストリー博士の声が部屋を支配するように再び響き渡った。「手を見たね、クラヴァートン。その手がどうやって君に死をもたらしたか分かるよ。見たまえ!」
 博士が口を閉ざすと、ポンッというかすかな破裂音がし、シューッという音が続いた。それから、手がかざしていたテーブルの場所から、黄色くゆらめく炎が生じたように見えた。オールドランドの目が突然の光に慣れてくると、その炎が水を張った水鉢から生じたものであり、その水面の上を炎がゆらゆらと不規則に泳ぐのが分かった。
 突然の叫び声が静寂を破った。オールドランドは、それがダーンフォードの声だと気づいた。「おお! なんだこれは?」炎がちらちらし、最後にシューッと音を立てて消えた。椅子のひっくり返る大きな音が部屋の張りつめた静寂を破った。
 突然、光が暗闇を引き裂いた。博士が読書用ランプのスイッチを入れたのだ。博士がシェードを傾けると、ドア側の部屋の隅がはっきり照らし出された。ドアの前に立ちはだかっているのはハンスリット警視で、向かって、アイヴァー・ダーンフォードが顔面蒼白で震えながら立っていた。檻に囚われた獣のように目に怒りがあふれていた。
 テーブルの周りに座っていた人々が立ち上がったが、博士が身振りで彼らを押しとどめた。「明かりをつけてくれるかね、ハロルド?」博士は静かに言った。
 ハロルドがスイッチに手を伸ばすと、部屋がぱっと明るくなった。リトルコート夫人は身動きしなかったが、彼女の身を包んでいる黒い衣服は激しく震えていた。娘はテーブルに歩み寄り、その端をつかみながら立っていた。彼女の目が魅入られたようにダーンフォードを見つめていた。「どういうことなの?」娘はかすれたささやき声で尋ねた。その言葉が人知れぬ森の中を吹き抜ける風のように部屋の中をこだました。
 「お母さんが教えてくれるよ」と博士が答えた。同座する人々はみな身を前に乗り出し、博士の言葉にじっと聞き耳を立てた。博士はリトルコート夫人のほうを向き、夫人の肩に手を置いた。夫人は触れられるととたんに身震いした。まるで博士がどんな質問をするのか予感し、もはや逃げられないと分かっているかのようだった。
 「本当のことを言わなくては、リトルコートさん」博士は心なしかいたわるように言った。「あなたが見た、お兄さんの食べ物にヒ素を振りかけた手は、アイヴァー・ダーンフォードの手ですね?」
 夫人はゆっくりと頭を上げ、疲れ果て、負けを悟ったその目が博士の目を見つめ返した。簡潔な一語を発したその声は、彼女の本来の声だった。「そうです!」
 夫人が言い終わらぬうちに、取っ組み合いが部屋の反対側で始まった。ダーンフォードは窓に向かって突進したが、ハンスリットが彼よりも早かった。警視は彼の腕を強力にはがいじめした。「アイヴァー・ダーンフォード、伯父ジョン・クラヴァートン卿の殺害容疑で逮捕する」警視は厳として言い渡した。
 震えるような奇妙な泣き声を発しながら、ヘレン・リトルコートがテーブルから手を離した。一瞬立ちつくしたかと思うと、激しく身を震わせはじめた。プリーストリー博士が手を伸ばして支えるより先に、彼女はどさりと床に倒れた。
スポンサーサイト

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

S・フチガミ

Author:S・フチガミ
お問い合わせ等は
fuhchin6491
(アットマーク)
hotmail.co.jp
へどうぞ

カテゴリ
フリーエリア
天気予報
リンク
検索フォーム
アクセスカウンター
RSSリンクの表示