ジョン・ロード『クラヴァートン事件』第十六章-2(完)

 博士はデスクの引き出しを開け、そこから小さな箱を二つ取り出した。「一つはパパインのカプセルが入っている。テイラー・アンド・ハント社から購入したものだ。二つ目の箱は、アラード・フェイヴァーシャム卿に用意してもらったものだ。見比べてもらえば、外観はまったく同じと分かるだろう。どちらも、ゼラチンの被覆部分はまったく同じだ。両方混ぜてしまったら、見た目だけでもう一度選り分けるのは無理だろう」
 博士は二つの箱を来客たちに回覧してから、アラード卿に返した。「フェイヴァーシャム、我々が今晩目撃した実験を、見世物ふうに演出したりせずに、もう一度やってもらえるかね」
 真鍮製の湯沸かしが暖炉に置いてあったが、フェイヴァーシャムはこれを取り上げ、博士のデスクに置いてある水鉢にお湯を注ぐと、その中に、用意したカプセルを一粒落とした。カプセルは水面に浮かんだが、しばらくはなにも起きなかった。ゼラチンの被覆が溶けると、突然、ポンッ!という音を立てた。黄色い炎がカプセルから立ちのぼり、水面をさまようように泳ぎはじめた。数秒後には、その物質は完全になくなり、炎も消えた。
 オールドランドは実験を見ながら突然叫んだ。「そうか! 分かったぞ。もちろん、ナトリウムだ!」
 アラード卿はうなずき、「ごく普通の金属ナトリウムだよ」と答えた。「分かってみれば、実に単純だろ?」
 「伯父が亡くなった頃、ダーンフォードが実験していたのは、金属ナトリウムだったよね」と博士は言うと、問いかけるようにハンスリットのほうを見た。
 警視はうなずくと、「そのとおりです、教授」と言った。「ダーンフォードの自供によれば、黄色い炎を見たとたん、トリックを見破られたと知り、万事休すと悟ったようです。自分のやったことを正確に話しましたよ。
 ジョン卿死亡前の月曜にロンドンに来た際、彼は一定量のナトリウムといろんなサイズの空のカプセルを携えてきました。伯父がカプセルを飲んでいるのを知っていたわけです。テーブルに置いてあるのを見たんですね。火曜の晩、箱から一粒取り出したそうです。ホテルに泊まっていたのですが、続く二日間、ナトリウムと空のカプセルで実験を重ね、伯父が飲んでいるのとまったく同じ外観のカプセルを作ったんです。本物のカプセルのほうは捨て、金曜の朝、伯父のテーブルにあった箱に、自分の作ったカプセルを入れたわけです」
 「うむ、してやられたよ」アラード卿は悔しさをにじませながら言った。「どういうことか、私から説明させてもらおう。まず、ナトリウムをお湯に入れると、どう反応するかは観察してもらったね。胃の内容物に取り込まれても、まったく同じように反応するだろう。発火したように見えるだろうね。見えると言ったのは、実際に発火するのは、水から分解された水素であって、ナトリウムではないからだ。もうお分かりと思うが、そうやって胃壁にすぐさま穿孔を生じさせるわけだ。
 次に、ナトリウムはいったん溶解すると、痕跡を残さないだろう。胃液の塩素と化合して、塩化ナトリウム、つまり、普通の塩になってしまうからだ。分析の過程で検出されて当たり前の物質だからね。クラヴァートンのケースでも、かなりの量のナトリウム化合物を検出したが、オールドランド医師が処方したアルカリ性の水薬によるものと判断したんだ。
 カプセルがなんのために使われるかは言うまでもなかろう。カプセルはまるごと嚥下され、ゼラチンの被覆は胃に達するまで溶けない。だから、中の薬を味わわなくてすむ。この場合も、ナトリウムはカプセルに入っているから、口やのどで腐食作用を起こしたりはしないわけだ」
 「間違いなくそれが事の真相だ」少し間をおいて、プリーストリー博士が言った。「ナトリウムのカプセルは、箱の中のほかのカプセルと外観はまったく同じだ。金曜の昼食後、ダーンフォードが十三番地の家を立ち去ったときには、箱には全部で八粒のカプセルが残っていた。したがって、クラヴァートンが、その日のお茶の時間にナトリウムのカプセルを選ぶ見込みは八分の一だったわけだ。夕食時に選ぶ見込みは七分の一、という具合に事態は進んでいく。カプセルを飲むたびに見込みは大きくなっていくが、ダーンフォードが十三番地の家を去ってから伯父が死ぬまでに、二十四時間はかかる公算が大きい。単純な数学上の計算だよ。実際、ナトリウムのカプセルは日曜の朝食時にようやく選ばれた。すぐさま致命的な結果をもたらしたのだ。むろん、穿孔の事前の徴候がなかったこともそれで説明がつくし、ミス・リトルコートは完全に容疑から除外されるわけだ」
 「教授、きっと興味を持たれると思いますが、ダーンフォードの自供によれば、彼は葬儀終了後に遺言書が読み上げられるまで、伯父が遺言書を変更したことをまったく知らなかったんですよ」とハンスリットは言った。
 「そうだろうと推測していたよ」と博士は言った。「だが、認識しておかなくてはいけない事実がある。ダーンフォードが伯父を殺した方法は、私自身確信してはいたが、証明できる見込みはなかった。用いた手法が巧妙すぎて、検出が不可能だったからだ。だが、ダーンフォードを動揺させて自白に追い込むことはできるかもしれないと思ったのだ。
 降霊術会は、すでにやると決めていたものだが、うまくこの目的に使えると思ってね。オールドランド医師から、最初の降霊術会のことをお話ししたが、ご存じのとおり、その時にリトルコート夫人が手と白い粉のことを話したのをうまく利用したのだ。
 私の戦略は、夫人の手口を逆手に取ることだった。例の手が女の手だったと言い張り、白い粉がヒ素だったと知っているぞと言うことで、クラヴァートンを毒殺しようと試みたのが夫人か娘だと私が疑っているように思わせた。自分の身を守るために、やがては犯人の正体を口にせざるを得なくなるはすだ。ハンスリット警視には制服を着て同席してもらったので、夫人はますます恐れおののいたことだろう。
 夫人がどういう状況でダーンフォードがヒ素を振りかけるところを見たのかは、私にも分からない。だが、オールドランド医師と私は、夫人の芸当について得がたい経験をしていた。夫人は、その気になれば、音もなく移動できたし、十三番地の家の暗がりのなかでほとんど姿を消してしまう芸当すらできるようだった。ダーンフォードが犯行時に自分以外誰もいないと思っていても、リトルコート夫人がこっそり見ていたのは間違いない。
 だが、私の質問には二重の目的があった。リトルコート夫人にプレッシャーをかけつつ、ダーンフォードを安心させることだ。私の言葉を聞いて、自分の行為が誰かに知られていたことを初めて悟ったに違いない。だが、私が女の手だと言い張ったことで、自分は疑われていないと信じたはずだ。
 自分は大丈夫と安心させたところで、私はいきなり戦術を変えた。スピリチュアリズムによる啓示を装うのも、もちろんそこまでだった。その場を支配する暗闇と緊張感だけで十分効果的だったからだ。ちょっとした手品をやる機が熟したと思えた。
 私が座っていた椅子の下には、前もって小道具を隠してあった。水鉢、お湯の入った魔法瓶、アラード・フェイヴァーシャム卿の作ったナトリウムのカプセルが一粒、それに、蛍光塗料を塗った古手袋だ。手袋は黒い布で覆っておいたのさ。
 私がクラヴァートンの死因のことを言い出すと、リトルコート夫人は答えに窮した。明らかに、夫人はカプセルのすり替えについてなにも知らなかったのだ。私は夫人の手を離し、魔法瓶から水鉢にお湯を注ぎ、水鉢をテーブルに置いた。それから、用意してあった手袋を、黒い布で覆ったまま右手にはめ、カプセルをつまんだ。右手を水鉢の上にかざすと、左手で布覆いを取り去り、カプセルをお湯の中に落としたのだ。
 確かにあまりに芝居かがっている。だが、思いがけない手の動きで、思った通りの効果をもたらした。ダーンフォードは、大丈夫と安心しきっていたところから、いきなり自分の仕掛けが暴かれるのを目撃したわけだ。そして、恐怖から立ち直るいとまもないうちに、リトルコート夫人から、最初の試みの実行犯は彼だという告白を引き出したのだ」
 プリーストリー博士の説明が終わると、長い沈黙があとに続いた。リズリントン氏がその沈黙を破った。「謝らなくてはなりませんね、プリーストリー博士」と彼は言った。「しかし、実演してもらうまでは、そんなことが可能とは信じられなかったでしょう。あえて言わせてもらえば、自分が犯罪に手を染めるとしたら、あなたの目に留まらぬように気をつけなくてはなりませんな」
 プリーストリー博士にとっては、これでクラヴァートン事件は終わりだった。その日の夜、就寝前に、メモを綴ったファイルを封印して片づけると、翌朝には、新たなエネルギーにあふれて、痛烈な科学関係の批判論文に取りかかっていた。
 ダーンフォードは、しばらくして、犯した犯罪に対する刑を受けた。リトルコート夫人は今でも自分の天職に携わっていたし、かなりの成功を収めているようだった。リトルコート親子の新しいフラットに一番足繁くやってくる客は、医師のミルヴァーリー青年だった。リズリントン氏は、依頼人たちを温かく見守り続けていたが、はやロマンスの兆しをそこに感じ取っていた。
 オールドランド医師は、休日をビルとマートンベリーで過ごすようになった。ビルはけがの後遺症も完治し、メアリ・アーチャーとも親密の度を増していた。アーチャー夫人が博士に打ち明けたところでは、メアリがもう少し大人になったら、二人は結婚するつもりのようだ。
 プリーストリー博士も、ビル・オールドランド青年なら全く申し分がないと思っていたし、娘の世間体を守ってやりたいというクラヴァートンの切なる願いも、これで望みどおり実現するだろうと信じていた。
スポンサーサイト

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

S・フチガミ

Author:S・フチガミ
お問い合わせ等は
fuhchin6491
(アットマーク)
hotmail.co.jp
へどうぞ

カテゴリ
フリーエリア
天気予報
リンク
検索フォーム
アクセスカウンター
RSSリンクの表示