F・W・クロフツ『フレンチ警視最初の事件』

 一度原書で読んだものは、邦訳が出ても買わないことが多いので、クロフツも学生時代以来邦訳は買ったことがなかったのだけれど、唯一未読のままだったのが『フレンチ警視最初の事件』(1949)。折よく邦訳が出たのは知っていたが、ようやく読むことができた。
 邦訳があるのであらすじは省かせていただくが、結論から言えば、この時期の作品らしく、質の衰えとマンネリ化を打開しようとする作者の試行錯誤を感じさせる作品だった。
 シモンズが「退屈派」と呼んだ作家の中でも、ジョン・ロードなどは、中期以降になると、人物描写の努力などあっさり放棄し、開き直って、ひたすらプロットだけで勝負している感があるのだが、クロフツの場合は、後年の作品になるほど、下手なら下手なりにも、登場人物の性格描写や人間関係にふくらみを持たせようと骨を折っているのが痛いほど伝わってくる。その点では、犯罪小説重視のシモンズのような辛口の批評家が、クロフツには一定の評価を与えようとしていたのもそれなりに理解できる。
 本作でも、ダルシーとフランクという恋人同士の関係を中心に据え、特にダルシーの性格描写に力を入れたことがよく分かる。欺瞞的な恋人を救おうと思ううちに自分も犯罪に手を染めて泥沼にはまっていき、相手の裏切りを察した彼女が今度は恋人の罪を暴こうと画策する展開には、ダルシーという女性の葛藤する心理がそれなりに描かれていて興味を引くし、ストーリー展開に起伏を与える効果も持っている。
 ところが、いざ物語が完結してみるとほとんど印象に残らないのは、そんな心理描写自体が、特別独創的でもなく、紋切型の枠にとどまっているからであり、さらには、その証拠に、簡単な説明だけでハッピーエンドで丸く収まってしまい、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまうからだ。邦訳解説者の言う「衝撃的な人間ドラマ」はいかにも大げさではなかろうか。
 第九章の末尾に、「原註」として読者への注意喚起を加えてフェアプレイの姿勢を見せていることについても、これを称賛する向きもあるのだが、実はとってつけた感が強く、鮮やかな論理性があるわけでもないし、この「原註」があろうとなかろうと、作品の質にはほとんど影響しないと思われる。はやりの「読者への挑戦」を書き加えて、黄金期の謎解き物らしい雰囲気をまとわせたにすぎないのではないだろうか。苦心のトリックもメカニカルな仕掛けにとどまり、さほどの独創性もなければ、爽快なサプライズも味わえない。
 “A Catalogue of Crime”のバーザンとテイラーは、「フレンチが最終的に事実を突き止める頃には、読者のほうがとっくに要点を捉えて、もっと手際よく解決してしまっているだろう」と評しているが、確かに、真犯人の隠し方も見え見えで、慣れた読者なら早い段階で見当をつけてしまうだろうし、仕掛けについても正確には見抜けないとしても、およそそんなものと予測してしまえるようなものだ。
 残念ながら、邦訳の解説者ほど手放しでお勧めする気にはなれないのだけれど、クロフツの後期の作品には、人物描写や事件設定も含めて、(成功しているかどうかはともかく)作者なりに新機軸を打ち出そうと努めた跡が窺われ、ロードのように、肝心のプロットの才が冴えを失った途端に読むに堪えない代物が目白押しになるということがない。「極端なハズレや駄作はない」という意見もそれなりに頷ける。なにより、久しぶりにフレンチに出会えたことが本作を読めた一番の喜びだったかもしれない。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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No title

この作品は新訳が出る前に苦労して読んだので、よく覚えています。
殺人が起こるまでの詐欺事件がなかなか面白かったですね。被害者達が別に怒らなかったところが微笑ましかったです。

そうなんです。そんなところが、とってつけたような、予定調和的部分でね・・・(笑)。
ただ、ハッピーエンドで、読者も含めて誰もが幸せな気分になれる
クロフツのような作品のほうが、しんねりむっつりした犯罪小説より
気軽に楽しめるじゃないか、と言われれば、これまたまったくそのとおりです。
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