ポケミスが60周年を迎える

 今月の「ミステリマガジン」はポケミス60周年記念特大号ということで、アンケートやエッセイの寄稿などの特集が組まれているようだ。
 この記念すべき節目に、私なりのポケミスの思い出でも書きたいところなのだが、実はなかなか難しい。なにしろ、物心ついた頃には既にミステリ文庫の時代だったし、初めてポケミスを手に取った思い出といえば、これがあまり印象がよくないときてる。書店に置いてあったポケミスを手に取ってみると、色彩感の乏しい抽象画の表紙に、黄色く着色した天地と小口が、いかにも古臭く貧相に見える。開いてみると、なんと促音表記が活字上区別されておらず、「ちよつとまつてくれ」みたいになっているではないか。文庫で手に入らないものをポケミスでカバーしようと思ったのが、とたんに買う気喪失し、(辛抱強く文庫化されるのを待つか)と思ったのを憶えている。今なら中身優先で、本の見栄えにこだわったりしないものだが、当時は本棚に並べてみた時の外観の統一感や表紙のデザインなどをそれなりに気にしたこともあるだろう。サイズがかさばる上に、値段がややお高めだったのもネックだった。買うより図書館で借りて読んだものも多い。
 さらに、ポケミスのナンバーの中には、今読み返すと、訳を改めたほうがよさそうなものもあるし、実際、文庫化等に際して改訳されたものも少なくない。揃えること自体を目指しているコレクターならいざ知らず、中身優先で読みたいと思っている読者にとっては、初期のナンバーの大半は、翻訳紹介史における意義を認めることはできても、今日そのまま読む意義は乏しいのではなかろうか。
 そんなこともあって、私の本棚に並ぶポケミスは今でも非常に少ない。改めて数えてみると50冊程度。だから、とてもポケミスのことを論評する立場にはないのだけれど、印象に残る作品ももちろんある。文庫化されたものを外して、今なおポケミスでしか邦訳が読めないものに限って挙げれば、シムノンの『メグレと無愛想な刑事』、ロス・マクドナルドの『運命』、スタウトの『我が屍を乗り越えよ』、ディクスンの『恐怖は同じ』、ミラーの『これよりさき怪物領域』などが思い浮かぶ。
 ついでに言わせてもらうと、今となっては、原書で手っ取り早く読んでしまうことが多いので、年少の頃ほど文庫化や改訳を切望しているわけでもないのだけれど、中田耕治訳のロス・マクドナルド、つまり、上記『運命』や『死体置場で会おう』、『犠牲者は誰だ』、『ギャルトン事件』などが未だに文庫化されずに放置されているのがちょっと残念だ。さっき触れたように、いずれも促音表記が古いままのポケミス。そうこうするうちに、文庫化されたマクドナルドの作品すら何点も品切れで入手困難になっている。「ミステリマガジン」の座談会でも触れられているが、過去の作家のように扱われてしまうのはあまりに惜しい。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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はじめまして、今までブログを読むだけでしたが今回の内容で初めてコメントいたします。
自分は今26歳でポケミスの所有冊数は、あるときに譲っていただいた分をあわせて五十数冊程度(大部分が未読です)なのですが、子どもの頃は古臭くてダサいと感じていたのですが、いつの頃からかポケミスに関して憧れのようなものを感じ、勝呂誉さんの表紙にも愛着を感じるようになりました。

譲っていただいたもなどの古いポケミスの「つ」や「や」が大きいのは最初の頃は読みにくかったのですが、いつの間にかそれこそ今年読んだ初チャンドラー長編読了となった「高い窓」(田中小実昌・訳)はすらすらと慣れてしまっていました…
自分は英語がまったくできないため翻訳書が頼りとなるのですが、初期ポケミスの訳文についての信頼性だとか、文庫化や改訳・新訳における訳文修正だとかの話を聞くと読みながら「この訳は大丈夫なのか…」とたまに思うことがあるのですが、それでも自分はポケミスに関して尊敬の念を抱いています…値段の都合で文庫ばかりでポケミスはあまり購入しませんが…
特に改訳は日影丈吉さん訳のガストン・ルルー作品…特に黄色い部屋と黒衣夫人の同一人物とは思えないくらいの古さ

今回の「ミステリマガジン」でも触れている人がいますが、抽象画の表紙は「高尚」なイメージがあって、原作者からも人気があるようですね。「300号記念増大号」でも、エリック・アンブラーがそんなコメントを寄せています。なにしろ、以前の記事でも書きましたが、海外のミステリの表紙デザインは俗悪なものが多くて、原作者も嫌悪している場合があるわけですよ。私が原書のダストジャケットにさほど興味を持たない理由の一つでもあります(もともと絵画センスがないんですけど(笑))。
『黒衣夫人の香り』は、ポケミス版には「脱落」があって、ミステリ文庫版で「穴埋め」したと訳者の日影氏自身が文庫あとがきで書いておられますね。翻訳は正確であるに越したことはありませんが、いくらその時点では理想的な翻訳だったとしても、日本語自体が時代とともに変わっていきますから、どんな翻訳でもいずれは古くなっていくんですよ。ですから、帯文句でよく使われる改訳「決定版」などというものは、実際にはあり得ないし、そんな言葉を軽々に使ってほしくないと思っています。表記の問題もさることながら、時代に応じて新しく読みやすい翻訳が出るような好循環が生まれることを期待したいですね。

失礼しました、 今確認したのですが、文章がなぜか途切れてしまっていました…
自分は黄色い部屋と黒衣夫人は訳が古く、読みにくくともなぜか黒衣夫人のほうが黄色い部屋よりも好きです…たぶん少数派だとは思いますが、黄色い部屋は退屈したものの、黒衣夫人は推理場面以外は盛り上がってドキドキしながら読んだのですが、後に創元推理文庫版の冒頭を読んだときに、日影丈吉さんのときほどのワクワク感を感じなかったです…
そんなこともあってシリーズ三作目の「皇帝に招かれたルレタビーユ」が未だに気になっています…
なんというか訳が古くてもそれが奇妙に合うこともあるのかなと感じています…最近日影丈吉さん訳の「オペラ座の怪人」と「死者の中から」を前後して読みましたが、後者は作者が違うせいもあるのかガストン・ルルー作品のときはそれほどもなかったのに、読み通すのにかなり苦労しました…
とはいえ新訳の方がいいのはたしかなので、訳文の好みだとか色々と難しいものがあると思います…
長文失礼しました

『ルールタビーユ、ロシア皇帝に招かれる』と『死者の中から』の新訳『めまい』は当ブログの記事でも紹介しました。
前者は謎解きファンには受けそうにありませんが、ストーリーとしてはそれなりに読み応えがあって面白かったですよ。
旧訳の『死者の中から』は読んだことがないので、比較はできませんが、『めまい』はよくこなれた訳文だと思いました。
フランス語は大学で学んだものの、そのあと英語やドイツ語ほど使わなかったので、なにより語彙が足りず、辞書と首っ引きでないと読めないのがつらいところです。さいわい、ポピュラーな作品は英訳が出ているものが多いので、ついそっちに手を出してしまいますね。
邦訳でしか知らない読者は、ルールタビーユがのちに結婚することも知らない人が多いかもしれませんね。

自分はまさにそうです…ルレタビーユが後に結婚するとは初めて知りました…
ミステリマガジンや一応はアガサ・クリスティファンクラブの会員なのでそれなりに古典作品の情報は集めているつもりなのですが…
そういったこともあり本当にこのブログは勉強になるとともに、読んでいない作品ばかりだということを絵もい知らされます…

自分は推理(論理)よりも物語の方をとるので、それこそ黒衣夫人の方を楽しんだ自分としては以降の翻訳が入手困難な抄訳くらいしかないのが残念です。

機会があれば、いずれその作品もブログで紹介したいと思っています。
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