ジョルジュ・シムノン『ビセートルの環』

 『ビセートルの環』(1963)は、シムノンが「ロマン・ロマン」と呼んだ普通小説の一つであり、ミステリではない。主人公は、脳梗塞を起こし、半身不随となってビセートルの病院に入院するはめになったルネ・モーグラという新聞社の社長だ。
 身動きはもちろん、言葉も発することができず、医師や看護婦に意のままにされる今を描きながら、モーグラ自身の半生の追想がこれと並行して描写される。先に進むにつれて、モーグラというこの人物の具体性が次第に膨らんでいき、血の通った存在になっていく。貧しい生活を送った少年時代から、最初の妻との結婚を経て、その妻との間にできた娘よりも若い現在の妻との結婚を振り返りながら、破綻に瀕した今の家庭生活に思いをはせるモーグラの描写は、とても凡百の推理小説作家のなし得る業ではない。
 作者自身がインタビューで述べているように、この作品には筋らしいものはなにもないのだが、まさにシムノンらしい名人芸で、なるほどメグレ物ではこんな作品は書けなかったと思うし、読んでいて気合いの入れ方がまるで違うと実感する。シムノンにとってメグレ物は息抜きにすぎなかったというのは本当かもしれないと思わせる出来栄えだ。
 この作品のちょうど前後をなすのが、『メグレとルンペン』と『メグレと殺された容疑者』だが、三作をまとめて俯瞰してみるとそれがよく分かる。『メグレとルンペン』も、確かに人物描写が素晴らしく、元医者でルンペンになり下がった男の造形は実によくできているし、男とその家族との奇妙な取り合わせも興味をそそる。
 『メグレと殺された容疑者』も悪い作品ではない。特に、シムノンにしては珍しく推理小説としてのプロットがよくまとまった作品といえる。どう見ても真面目な商売主がなぜ殺されたのか、明らかにやくざの仕業ではなく、容疑者は弁護士なのだが、依頼人が弁護士を殺すことはあってもその逆はない、という謎をうまくまとめているからだ。しかし、どちらも『ビセートルの環』に比べると、どうしても人物造形が脆弱に感じられ、力を出し切った重厚な作品の前後に書かれた息抜き作品という印象が否めないのだ。
 その一方で、シムノンはメグレ物の人気をよく理解していたし、後世に残るのもシリーズ探偵のメグレ物のほうだということを自覚していたようにも思える。『メグレとルンペン』には、「誰も哀れな男を殺しはしない」という中編のエピソードが回顧される場面が出てくるが、これもシリーズ物であることを意識していた証拠だろう。だから、メグレ物も最後まで放棄せずに書き続けたし、後期の作品にも出来のいい作品が少なくないのだが、シリーズのファンとしては、シムノンが普通小説に注いだのと同じくらいの真剣さをメグレ物にも注いでくれていたら、という残念な思いも拭いきれない。
 ただ、『メグレとルンペン』にもその特徴が顕著に表れているが、メグレは事件に関わる人物に自らを同化させようと試み、そこから事件の全容を把握しようとする独特の捜査法を持つ探偵だ。事件とその関係者に大団円をもたらすメグレの役割には、まさに「運命の修理人」としての面目躍如たるものがあり、これはメグレ物だからこそ体験することのできる独自の面白さともいえる。そこから立ち現われてくるメグレ自身の存在感も、このシリーズの大きな魅力だろう。『ビセートルの環』とその前後のメグレ物を対比してみると、そうしたメグレ物の長所と短所が同時に浮き彫りになってくるようにも思える。このブログはミステリをテーマにしたものだが、敢えて原則を破って、ここで普通小説を取り上げた所以である。
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