ナイオ・マーシュ “Death at the Bar”

 “Death at the Bar”(1940)は、ロデリック・アレン首席警部が登場する長編。

 ロンドンで法廷弁護士を務めるルーク・ウォッチマンは、友人達と休日を過ごすため、デヴォン州南部にある海沿いの田舎、オッターコームに向かっていたが、途中、運転していた車に他の車が接触する事故に遭う。相手の男は平謝りに謝り、ウォッチマンはとりあえずその場は収めたが、オッターコームに着くと、その男は同じ宿屋の「羽根飾り亭」の滞在客で、ロバート・レッグという男だと分かる。
 オッターコームには、彼のいとこで俳優のセバスチャン・パリッシュ、友人で画家のノーマン・キュビット、かつての愛人だったデシマ・ムーアも来ていた。「羽根飾り亭」の主人、エイベル・ポムロイにはウィルという息子がいて、レッグ、デシマとともに左翼活動の団体を作っていた。
 ウォッチマンは、ある朝、ハリエニシダの茂みでデシマと二人になり、ウィルやレッグと行っている左翼活動への疑問を話しているうちに、強引にデシマに言い寄り、よりを戻そうとするが、そこにパリッシュとキュビットが通りかかったおかげで彼女はその場を切り抜ける。
 ある晩、「羽根飾り亭」のバーで、ウォッチマンがレッグに、自慢のダーツの技を見せろと、ダーツボードに自分の手を広げて当てて挑発する。レッグは、広げた手の指の間にダーツを当ててみせる特技があった。ところが、レッグは誤ってダーツをウォッチマンの指に刺してしまう。
 ウォッチマンは子どもの頃から流血を過度に恐れる特質があり、一気に青ざめて言葉を失う。宿の主人のエイベルは、急いで救急箱を出してきて、ヨードチンキを傷に塗るが、ウォッチマンはそのまま絶命してしまう。レッグは、自分が失敗するはずはなく、ダーツが刺さったのはウォッチマンが手を動かしたせいだと主張する。
 検死解剖の結果、ウォッチマンの死因は青酸カリによるものと分かるが、胃の内容物からは検出されなかったことから、外傷から取り込まれたと考えられた。はたしてウォッチマンを刺したダーツの矢からは青酸カリが検出される。事件の前に、エイベルは、ネズミ駆除のために青酸カリを購入して戸棚にしまっていたのだった。
 ダーツは、その時に出したばかりの新しい矢で、他の矢に毒はなかったし、レッグが選んだ矢にあらかじめ毒を塗っておくことも不可能だった。しかも、バーにいたほかの客たちは、その矢を取り出してから投げるまでの間に、レッグが矢に細工するようなことはしなかったと断言する・・・。

 いとこのパリッシュと親友のキュビットはウォッチマンの相続人であり、デシマはウォッチマンの愛を拒み、ウィルは彼女に思いを寄せ、さらに、レッグは、かつてウォッチマンが弁護士を務めた横領事件で有罪判決を受けた前科者と分かるなど、有力な動機を持つ容疑者には事欠かない。そこにダーツと青酸カリの謎というハウダニットの興味が加わり、いかにも本格謎解きファンを喜ばせそうな設定となっている。
 大団円から顧みても、シンプルな殺人方法とともにフーダニットとしての魅力もあり(といっても、推理小説を読み慣れた読者なら案外簡単に見抜きそうな気もするが)、“The Mystery Lover’s Companion”のアート・ブアゴウのように、「傑作」を意味する短剣4本を与えている評者もいるが、意外と推薦作に選ぶ評者は少ない。
 私自身も、かつて読んだ時は、マーシュの作品をそれほど読んでいなかったし、謎解き重視の視点で読んだせいもあってか、まずまずの佳作と思ったものだが、久しぶりに読み返してみると、マーシュの作品の中では比較的地味な作品のように思えた。
 というのも、しばしば指摘されるように、マーシュの作品は、中間部に事件関係者への退屈な尋問シーンが延々と続くことが欠点とされるが、比較的初期に属する本作にもそうした場面が目立ち、途中の展開がだれてややうんざりしてくるからだ。マーシュもそうした批判を踏まえてか、次第に人物描写に円熟味を増すとともに、演劇や旅行などの舞台設定を巧みに取り入れるなど、ストーリーテラーとしての才に磨きをかけていった。本作は、まだマーシュのそうした才能が十分開花する前の時期に属する作品と見るべきなのかもしれない。
 だからというので、ジュリアン・シモンズのように、『ヴァルカン劇場の夜』をはじめ、人物描写に力のこもった作品ばかりを優先的に推すつもりもないのだが、プロットとしても、本作は比較的シンプルな設定で、マーシュにはもっと緊密で構成のがっちりしたプロットの作品が幾つもあるように思える。
 ハウダニットやフーダニットとしてそれなりの面白さがあるにもかかわらず、さほど斬新な印象を受けないのも、そうしたプロットのシンプルさと人物描写の地味さに加えて、マーシュらしい展開の退屈さが目立つためだろう。もちろん、決して悪い作品ではなく、謎解き重視の傾向が強い我が国であれば、評価する読者もきっと多いのではないだろうか。
 なお、クライマックス直前で、部下のフォックス警部が毒殺されそうになり、いつもはあまり感情も見せず個性も希薄なアレンが、フォックスを気遣って人情味を見せるところはなかなか珍しいシーンといえるだろう。
 タイトルもマーシュらしく、ダブル・ミーニングを活かしたものとなっている。素直に読めば、バーで起きた殺人を意味すると思えるが、‘bar’には「法廷」の意味もあり、‘a case at the bar’(係争中の事件)、‘a prisoner at the bar’(刑事被告人)のように使う。読後にその意味が分かる仕掛けとなっているのだ。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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No title

お久しぶりです。
ナイオ・マーシュはもっと出版されてもいい作家だと思うんですが、
アレン警部ちょっと、アップルビイと重なる部分があって、損をしている気がします。

フォックス警部を気にかけてくれるアレン主席警部→読んでみたいです。

イネスとマーシュはずいぶんと印象の違う作家ではありますけどね。
マーシュはやはり伝統的なフーダニットの流れを堅持した作家でしたね。
だから今でもクリスティやセイヤーズなどと並んで
手堅い人気を保っているんじゃないかとも思います。

マーシュは、プロットのオリジナリティでは
クリスティにはさすが及びませんが
背景や人物がよく描けていて印象に残る作品が多く
後期の作品でも質が落ちた気がしないのがいいところです。

イネスは『学長の死』がなかなか凝ったプロットで面白いと思いました。
邦訳は訳に疑問が多くてあまりお勧めできませんが。
やや荒唐無稽の感はあるものの、『ある詩人への挽歌』より
ある意味、推理小説としては出来がいいんじゃないかと思います。
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