コーネル・ウールリッチ『黒衣の花嫁』

 日本では、アイリッシュ名義で書かれた『幻の女』の評価が図抜けているようだが、個人的には『黒衣の花嫁』のほうが断然気に入っている。いや、気に入っているなどというものではない。すっかり魅せられて、何度読み直したかと思うほどだ。
 冒頭での描写から提示されるヒロインの正体の謎や、半ば独立した犯罪のエピソードが続く中で浮かび上がってくる被害者の共通性の謎などに注目して、本作をミッシング・リンクをテーマにした謎解き物のように捉えることも可能だし(結末からすると、ウールリッチ自身も中途半端にそんなまとめ方に傾いてしまった感がある)、確かにこうした設定の巧みさがサスペンスを高め、読み応えのあるストーリー展開に寄与しているのは事実であろうが、本作の本当の魅力はそんなところにあるのではない。(余談ながら、我が国における『幻の女』の人気の高さは、サスペンスとしての評価より、目撃者が口を揃えて、いたはずの女の姿を見ていないと証言する一種の「不可能興味」の要素が、謎解きを好む傾向の強い我が国の読者にウケがいいという面もあるからではないだろうか。)
 この作品にこれほど惹かれるのは、やはりそれが一つの復讐劇としての魅力を持っているからだろう。そこには、いわば、デュマの『モンテ・クリスト伯』にも相通ずるような復讐者の意志の強さが一貫しているし、さらには、忠臣蔵にも似た、死者の無念を晴らさんとするひたむきな誠実さも存在している。愛する者への誠実さと復讐の決意とが表裏一体となって復讐者の意志の強さを形作っている。しかも、その意志を体現する者は、莫大な財を武器に変幻自在の策を弄する貴人でもなければ、腕力や武芸を誇るもののふでもない。無力でかよわい一人の女なのだ。
 それまでは平凡だった一人の娘が、結婚式の最中に花婿の命を奪われた時、瞬時にして復讐を果たす決意を固め、その日を境に自分の過去をすべて捨て去り、非情に徹してその意思を強靭なまでに貫き通す鬼気迫る姿が、読む者を惹きつけてやまない、この作品の最大の魅力ではないかと思う。
 ただ、ウールリッチの作品の弱いところは、プロットを予め十分練り上げないままに、場当たり的に執筆していった節があることで、時には付け焼刃の結末を設定して、「前半名作」よろしく腰砕けになってしまうことがある。安易に意外性を演出した真犯人設定と幻だった女の中途半端な絵解きに脱力感に襲われる『幻の女』にしてもそうだが、それは『黒衣の花嫁』にも当てはまり、ウールリッチは、最後に余計なツイストを加えることで、せっかくの復讐劇を中途半端なものにしてしまった。もちろん、H・R・F・キーティングのように、その結末を是とする読者もいるだろうが、個人的には、復讐劇としてのカタルシスを味わえない、消化不良の感覚が残ってしまうし、私と同意見の読者もきっと多いことだろう。
 おそらくは『黒衣の花嫁』を映画化したフランソワ・トリュフォー監督も同様で、トリュフォーはこのツイストを完全に省き、一貫した復讐劇としてプロットを組み替えてしまった。原作の持つ強烈なサスペンスと人物造形の魅力には遠く及ぶべくもないが、プロットとしてはこちらのほうがはるかに納得がいく。既に薹が立っていたものの、ほとんど笑顔を見せないジャンヌ・モローの冷たい美しさが、復讐者としての意志の強さと凄みを感じさせ、原作の持ち味を何ほどか反映しているようで印象的だった。
 ウールリッチはのちに、同様の設定で『喪服のランデヴー』を執筆したが、この時は『黒衣の花嫁』のようなツイストは加えずにストレートなプロットをベースにしている。ただ、こちらは恋人を奪われた青年が主人公で、いかんせん男が復讐者では、「喪服の花嫁」が放つ強烈なオーラに比べるといかにも魅力に乏しい。『黒衣の花嫁』は今なお私の心を捉えて離さないウールリッチの最高傑作である。
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