ヘレン・マクロイとベイジル・ウィリング博士

 ヘレン・マクロイの『暗い鏡の中に』が創元社から新訳で出るという案内がメールで来ていた。
 ミステリ作家達が、自分が影響を受けた作品について語っている“Mystery Muses”(2006)の中で、EQMMの書評欄「陪審席」の担当者でもあった、ジョン・L・ブリーンがマクロイの『死の舞踏』を取り上げて、こう語っている。
 「『死の舞踏』は、彼女をS・S・ヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カー、アンソニー・アボット、アンソニー・バウチャー、クライド・B・クレイスン、スチュアート・パーマー、クレイトン・ロースン、C・デイリー・キングといったアメリカン・クラシックの名誉ある仲間に加えた」。
 確かに、邦訳のある『死の舞踏』、『家蠅とカナリア』、『ひとりで歩く女』、『暗い鏡の中に』、『幽霊の2/3』、『殺す者と殺される者』、『割れたひづめ』を読んでも、いずれも練りに練られた謎解きのプロットという点で際立っている。
 加えて、特に、精神科医のベイジル・ウィリング博士を探偵役にしたシリーズは、専門知識を縦横に駆使してプロットの要としているところが独創的。夢遊病(“The Man in the Moonlight”、“The Long Body”)、多重人格(“Who’s Calling?”、『殺す者と殺される者』[但し非ウィリング物])、ドゥードルに基づく心理分析(“Who’s Calling?”、“The Goblin Market”)、ファシズムにおける異常心理(“The One That Got Away”、“Alias Basil Willing”)など、精神分析学上の知識が、ただの蘊蓄として空回りせずに、巧みに謎解きのプロットに織り込まれているところが見事だ。
 デビュー作の『死の舞踏』が既にそうで、痩身剤の広告のモデルとなった娘が殺された理由がプロットの要だが、その着想は、クリスティのミス・マープル物のある傑作を連想させる。
 (余談だが、ある日本のリファレンス・ブックでは、この作品を不可能犯罪物の傑作として言及している。“Locked Room Murders”のロバート・エイディもそうだが、人間心理の不可思議さではなく、雪の中の死体が熱を帯びているという現象の方が重要だと考えているらしい。その謎自体はすぐに判明し、作者自身、さほど重きを置いているとは思えないのだが、そんな周辺的な小道具がとても重要なことと思う批評家もいるのかと、私などは首を傾げてしまう。)
 ただ、シリーズ・キャラクターのウィリング博士は、初登場時からして、ほとんど人間性がつかめない無色透明なところがあり、喜怒哀楽を感じさせない個性の乏しさが、このシリーズの弱さだ。原書でもマクロイの作品は現役で手に入らないものが多く、後期の作品の水準が著しく落ちることが原因とされるが、それでも、ウィリング博士が魅力的な個性や強力なカリスマ性を持っていたら、マクロイの人気はもっと持続的なものになっていたかもしれないと思う。
 ウィリング博士の妻となるギゼラ・フォン・ホーヘネムスは、“The Man in the Moonlight”(1940)で、犯行現場であるヨークヴィル大学のコンラディ博士の秘書として初登場し、次作“The Deadly Truth”(1941)をはじめ、その後の作品でもたびたび登場する。
 “Alias Basil Willing”(1951)では既に結婚していて、“The Long Body”(1955)では、二人の間にできた娘が初登場する(ここでは、名前はエリザベスとなっていて、リサと呼ばれている)。
 ウィリング博士の個人史は、短編集“The Pleasant Assassin and Other Cases of Dr. Basil Willing”(2003)に収録された後期の短編の中で駆け足で進展し、彼は急速に年をとっていく。
 標題作“Pleasant Assassin”(1970)では、娘は既に大学に通っていて、ウィリング博士はボストンに移り住んでいる。地方検事の顧問も既に辞め、ハーヴァードで教鞭をとる悠々自適の生活に入っているようだ。(奇妙なのは、博士の娘はここでは母親と同じギゼラと呼ばれていること。いつ名前が変わったのか、ワトスン医師やメグレ警視以来の珍事。)
 “A Case of Innocent Eavesdropping”(1978)では、ウィリング博士の娘は既に結婚して海外に移り、彼は引き続きボストンに住んでいる。この作品で初めて、妻ギゼラが死んだこと、その後にボストンに移住したことが触れられている。
 最後の短編“That Bug That’s Going Around”(1979)は、娘ギゼラのいるリンカーンをウィリング博士が訪問した時のことになっている。(前の短編では、娘は海外に移住したことになっていたはずだが、ネブラスカ州のリンカーンならabroadとは言えまい。イギリスのリンカンシャーの首都かもしれないと思ったが、ギゼラの夫で微生物学者のアラン・シップリーは、ワシントンの上院委員会で汚染について証言しているという言及もあり、どう考えても舞台はアメリカ。どうも細かい点に矛盾があるようだ。)
 ピーターというよちよち歩きの孫も登場し、ウィリング博士はとうとうおじいさんになっている。ほかならぬギゼラの家で事件は起こり、幼い孫までが巻き込まれる。事件そのものは生物兵器という時代を先取した大きなテーマを扱っているが、実際の展開は家庭内で起き、セイヤーズの「桃泥棒」に似て、最後の短編にふさわしい舞台設定になっているのが面白い。
 マクロイ自身が、“Twentieth Century Crime and Mystery Writers”(1980)に寄せたコメントで語っているように、彼女はウィリング博士に親しみを感じていたし、後期の短編の中で彼の人生をささやかに祝福してやりたいと思ったのだろう。この点では、ドロシー・セイヤーズが、ピーター・ウィムジイ卿とハリエット・ヴェインのカップルを、その出会いから、ハリエットの出産を経て、成長した子供達に愛情を注ぐ初老の夫婦となるまで描いたのと似ている。
 祝福された引退でなく、ウィリング博士を再び表舞台で活躍させてやろうという意気込みで書かれた『読後焼却のこと』が結局は遺作となったが、これだけ人生行路を描いてもらった探偵もそう多くはいないのではないか。
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テーマ : ミステリ
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