ジャック・フットレル「正体不明の男」(三)



 謎の男は意識を失ったまま《思考機械》の家に運び込まれ、ソファに寝かされた。《思考機械》は彼にかがみこみ、今度は医師の立場で検査した。ハッチはそばで興味深そうに見ていた。
 「こんなのは見たことないですよ」とハッチは言った。「いきなり両手を上げてくずおれたんです。それっきり意識を失ったままです」
 「意識を取り戻したら、記憶もよみがえっているかもしれないな。そうなれば、おのずと君と私のこともすっかり忘れているだろう」と《思考機械》は説明した。
 ドーンはようやく少し身動きし、刺激薬のおかげで青ざめた顔に血色が戻りはじめた。
 「ハッチ君、彼はくずおれる前になにを言ってたかね?」と科学者は聞いた。
 ハッチは説明し、憶えているとおりに会話を再現した。
 「そして、『売り』だと言ったわけか」と《思考機械》はつぶやいた。「つまり、銅は下落すると考えたか、そうと知っていたわけだ。彼が聞いた最初の言葉は、銅会社が破産した、というものだ。それは潰れたという意味だね?」
 「そうです」と記者は言った。
 三十分後、ジョン・ドーンはソファに起き上がり、部屋の中を見回した。
 「ああ、教授」と彼は言った。「気を失ったんですね?」
 《思考機械》はがっかりした。患者は意識とともに記憶を取り戻さなかったからだ。その言葉から、彼がまだ同じ精神状態にあることが分かった。いまだに正体不明の男なのだ。
 「銅を売れ、売りだ、売り、売り」と《思考機械》は命じるように繰り返した。
 「そう、売りだ」と答えが返ってきた。
 激しい精神的葛藤がドーンの表情に表れた。ずっと記憶から落ちていたなにかを思い出そうとしていた。
 「銅、銅」と科学者は繰り返し、一ペニー硬貨を取り出して見せた。
 「そう、銅だ」とドーンは言った。「分かりますよ。一ペニー銅貨ですね」
 「なぜ銅を売れと言ったのかね?」
 「分かりません」と疲れきった答えが返ってきた。「まったく無意識に言ったんだと思います。分からないんです」
彼はそわそわと手を握ったり開いたりし、ずっと床をぼんやり見つめて座っていた。
 「たぶん」とドーンはしばらくして言った。「銅という言葉は、記憶の中に反応する糸口があって、そこに触れたんでしょうけど、また分からなくなってしまったんです。私は過去に、銅となにか関係があったんでしょうね」
 「そうだ」と《思考機械》は言い、ほっそりした指をせかせかとこすった。「君は記憶を取り戻しつつある」
 彼の発言はマーサが電報を持ってドア口に現われたことで中断された。《思考機械》はすぐに電報を開いたが、中身を読むと、またもや当惑の色を浮かべた。
 「なんと! まったく奇妙だ!」と叫んだ。
 「どうしたんですか?」とハッチは興味に駆られて聞いた。
 科学者は再びドーンのほうを見た。
 「プレストン・ベルを憶えているかね?」と、その名を激しく強調して問いただした。
 「プレストン・ベルですって?」と相手は問い返し、またもや心中の葛藤が表情に表れた。「プレストン・ベル!」
 「モンタナ州ビュートのブランク国立銀行の支配人だが?」《思考機械》はやはり強い口調で問いただした。「支配人のベルは?」
 《思考機械》は熱心に身を乗り出し、患者の顔を見つめた。ハッチも思わず同じように見つめた。一瞬、なにか思い出しかけたらしく、《思考機械》はその様子を見て、記憶を完全に呼び戻そうとした。
 「ベル、支配人、銅」彼はこれを何度も繰り返した。
 ドーンの表情には、はっと気づいた様子が一瞬浮かんだが、げんなり疲れた様子がとって代った。病人が示す疲労感だった。
 「思い出せません」とようやく言った。「疲れてしまいました」
 「ソファに横になって、眠りたまえ」《思考機械》はそう勧め、枕を整えてやった。「今は睡眠が一番だ。だが、横になる前に、君が持っていた百ドル紙幣を見せてくれるかね」
 ドーンは札束を手渡すと、子どものように眠りについた。ハッチも興味津々で見守っていたが、ドーンの様子は気味が悪かった。
 《思考機械》は紙幣をざっと調べると、最後に十五枚選び出した。手の切れるような新札だ。モンタナ州ビュートのブランク国立銀行発行の紙幣だった。《思考機械》は紙幣をじっと見つめると、ハッチに手渡した。
 「偽札に見えるかね?」と聞いた。
 「偽札ですって?」ハッチはびっくりして言い、「偽札!」と繰り返した。紙幣を受け取って確かめると、「見たかぎりじゃ本物ですよ」と言った。「専門家みたいに百ドル紙幣を鑑定できるほどの経験はないですけどね」
 「専門家を知っているかね?」
 「ええ」
 「すぐに面談を申し入れてくれ。その十五枚の紙幣を持って、一枚一枚調べるよう頼んでほしい。偽札じゃないかと疑われる理由、それももっともな理由があると言ってね。結果を得たら戻ってきてくれたまえ」
 ハッチはポケットに金を入れて出て行った。そのあと、《思考機械》はもう一つ電文を書いたが、それはビュート銀行の支配人、プレストン・ベルに宛てた電報だった。そこにはこう書かれていた。

 「以前説明されし金のなくなった状況の詳細を知らせられたし。経緯を知り得る者全員の名を含む。貴行および正義のためにきわめて重要。回答あらば、詳細を知らせる」

 次に、来客が眠っているあいだに、《思考機械》は彼の靴をそっと脱がせて調べてみた。かなりすり減ってはいたが、メーカーの名前を見つけた。虫眼鏡を使って綿密に調べると、《思考機械》ははっきりと安堵の表情を浮かべて立ち上がった。
 「なぜもっと前に気づかなかったのか?」と自問した。
 それから、電報をほかにも西部地方に向けて打った。宛先の一つは、コロラド州デンヴァーのごく普通の靴製造業者だった。

 「ここ三か月以内に金融業者か銀行家に靴を売ったか? 靴は最高級品、牛革で踵が高く、ナンバー8、Dの靴型。ジョン・ドーンを知っているか?」

 二つ目の電報は、デンヴァー州警察本部長に宛てたもので、こう書かれていた。

 「貴市において、出張などで五週間以上不在の金融業者、銀行家、実業家がいれば回電ありたし。ジョン・ドーンを知っているか?」

 そのあと、《思考機械》は椅子に座って待った。ようやく玄関のベルが鳴り、ハッチが入ってきた。
 「どうだったね?」科学者は待ちかねた様子で問いただした。
 「専門家によれば、紙幣は偽札ではないそうです」とハッチは言った。
 《思考機械》はその回答に驚いた。すぐさま眉を吊り上げ、あごがいきなり引き締まり、黄色い髪の頭をぐいっと前に突き出したことからも明らかだった。
 「ほう、ほう、ほう!」彼はついに叫び、なおも「ほう、ほう!」と繰り返した。
 「どうしたんですか?」
 「見たまえ」《思考機械》は百ドル紙幣を手にとった。
 「これらの紙幣は手の切れるような新札で、ビュートのブランク国立銀行が発行したものだ。連番になっているということは、ある個人に同じ時に払い出されたもので、それもおそらくは最近のことだ。疑問の余地はない。番号は846380から846395で、すべてBの連番だ」
 「なるほど」とハッチは言った。
 「では、これを読んでみたまえ」と科学者は電報を渡した。ハッチが出て行く直前にマーサが持ってきた電報だった。 ハッチは読んでみた。

 「Bの連番で846380から846395の100ドル紙幣は、当行から払い出されたものだが、もはや存在せず。同じ連番の他の二十七枚の紙幣とともに火災により焼失。政府に同じ番号の紙幣の再発行許可を申請中。
支配人 プレストン・ベル」

 記者は問いただすように目を上げた。
 「つまり」と《思考機械》は言った。「この男は、強盗の一味か、なにか金融関係のいかさまの被害者ということだ」
 「だとすると、自分が誰か分からないふりをしているということですか?」と記者は聞いた。
 「それはまだ分からない」
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