ジャック・フットレル「ラルストン銀行強盗事件」(二)



 フレイザー頭取は、十時に銀行に来ると、強盗のことを知らされた。頭取室に入ると、まるでぶん殴られてのびてしまったかのように、椅子に座って頭を抱え込んだ。ミス・クラークは、タイプライターに向かいながらも、深い同情の色を浮かべて老人の姿をしきりと盗み見ていた。彼女の目にも疲れが感じられた。室の外で捜査官たちが活動する様子も、閉じたドア越しに聞こえてきた。
 時おり、行員と捜査官たちが室に入ってきて質問した。頭取は、ぼうっとしたように返答をした。それから、重役会が開かれ、受けた損害は重役自身で埋め合わせるという採決がなされた。預金者のあいだに動揺はなかったが、それというのも、銀行の資産はほぼ無尽蔵だと知っていたからだ。
 ウェスト支配人は逮捕されなかった。重役たちが逮捕など受け入れるはずがなかったからだ。ウェストは十八年も支配人を務めていたし、重役たちも彼を心から信頼していたのだ。しかし、自分のハンカチがなぜそこに落ちていたのかは説明できなかった。ミス・クラークとダンストンが自分の帰る姿を目撃したあと、銀行には戻っていないときっぱり証言した。
 捜査を終えると、警察はこの強盗事件を、正体不明のプロの金庫破りの仕業と考えた。怪しい人物は洗いざらい調べるよう非常警報が発せられ、この捜索網により、重要な手がかりが出てくるものと期待された。マロリー部長刑事もそう言っていたし、銀行の幹部たちも彼の言葉を信じた。
 こうして、昼食時間になった。完全に無視されていたミス・クラークは、午前中ずっとタイプの前に座っていたが、席を立ってフレイザーのところに行った。
 「特に御用がございませんでしたら」と言った。「昼食に出てもよろしいでしょうか」
 「ああ、もちろんだとも」と彼は少し驚いたように答えた。どうやら彼女がいることをまったく失念していたようだ。
 彼女は一瞬、黙って彼のほうを見つめた。
 「本当にお気の毒です」と彼女はようやく言ったが、唇がかすかに震えていた。
 「ありがとう」と頭取は言い、かすかに笑った。「ショックだよ。こんなひどい事件は初めてだ」
 ミス・クラークは、そうっと出て行った。頭取室から出ると、一瞬立ち止まり、壊れた鋼鉄製金庫を不思議そうに見つめた。頭取は突然意を決したように立ち上がり、ウェストを呼ぶと、支配人はすぐにやってきた。
 「この事件で助けてくれそうな人を知っている」とフレイザーは期待を込めて言った。「こちらにお越しいただいて、検分してもらおうと思う。警察にとっても助けになるだろう。彼を知っているかね? ヴァン・ドゥーゼン教授だ」
 「知りません」とウェストは率直に言った。「ただ、この事件を解決してくれる人なら誰であれ歓迎ですよ。私の立場もやっかいなものですから」
 フレイザー頭取は、ヴァン・ドゥーゼン教授、すなわち、《思考機械》に電話をかけ、電話越しに少し話をした。それから、ウェストのほうを向いた。
 「来てくれるそうだ」と、ほっとしたように言った。「彼の発明品を市場に売りに出してやったことがあってね」
 一時間後、《思考機械》は、記者のハッチンスン・ハッチを伴ってやってきた。フレイザー頭取はこの科学者のことをよく知っていたが、ウェストのほうは、彼の奇妙な外観にぎょっとし、不気味な印象すら受けた。分かっている情報はすべて《思考機械》に提供された。彼は黙って耳を傾けたあと、立ち上がって、頭取室の中をうろうろと歩き回った。銀行家たちはその様子を面白そうに見ていた。ハッチはなにも言わず眺めていた。
 「ハンカチが見つかった場所はどこですか?」《思考機械》はようやく質問をした。
 「ここです」ウェストはその場所を指し示しながら言った。
 「これまでに、オフィスにすきま風が入ってきたことは?」
 「ありません。そうならぬよう、優れた換気システムを取り入れてますので」
 《思考機械》は開いた窓をしばらくじっと見つめていた。支配人の個室の窓だ。窓は何本もの鋼鉄の棒で守られていたが、今は受け口から引き抜かれていたし、受け口部分の花崗岩は白亜のように柔らかくなっていた。しばらくすると、《思考機械》は頭取と支配人のほうを向いた。
 「ハンカチはどこですか?」
 「私のデスクの中です」とフレイザーは答えた。「警察はハンカチに特別な意味があるとは思っていませんでしたよ。ただ、その・・・つまり・・・」と口ごもると、ウェストのほうを見た。
 「ただ、それが私を罪に陥れようとしたものだという点を別にすればね」ウェストが怒ったように言った。
 「おいおい」フレイザーが咎めるように言った。「誰もそんなことは・・・」
 「まあまあ。ハンカチはどこですか?」《思考機械》は困ったように割って入った。
 「私の執務室に来てください」と頭取は促した。
 《思考機械》が入っていくと、女性と出くわした。それはミス・クラークで、昼食から戻ってきたところだった。《思考機械》ははたと立ち止まった。彼がこの世で恐れる唯一のもの。それは女性だった。
 「ハンカチを出してください」と彼は頼んだ。
 フレイザー頭取は、ハンカチを取り出し、科学者のほっそりした手に渡した。《思考機械》は窓のそばに行き、裏表ひっくり返しながら綿密に調べた。最後にくんくんと匂いを嗅いでみた。まとわりつくようなスミレの香りがかすかにした。すると、科学者はいきなり、脈絡もなく、フレイザーに質問をはじめた。
 「銀行には女性職員が何人いますか?」と彼は尋ねた。
 「三人です」と頭取は答えた。「秘書のミス・クラークと、室外の受付に速記者が二人です」
 「男性は?」
 「私を含めて十四人です」
 頭取と支配人のウェストが《思考機械》のそれまでの行動に目を丸くしていたとすれば、今度はあっけにとられてしまった。彼はハンカチをハッチに渡し、自分のハンカチを取り出すと、自分の手をせっせと拭き、それもハッチに手渡した。
 「持っていてくれたまえ」と言った。
 彼は手をくんくん嗅ぐと、室外受付に出て行き、一人の女性速記者のデスクにまっすぐ歩み寄った。彼女におじぎすると、質問した。
 「君が使っている速記方法はなにかね?」
 「ピットマンですわ」驚いた様子の答えが返ってきた。
 科学者はくんくんと匂いを嗅いだ。そう、まさにくんくんとだ。すぐに彼女から離れると、もう一人の速記者のほうに行った。彼はまったく同じ行動をした。彼女のそばに行って質問し、答えを聞きながらくんくんと嗅いだのだ。ミス・クラークが、手紙を出すのに、室外受付を通って行った。彼女も科学者の質問に答えるはめになったが、彼はそのときも目を細めて彼女を見つめながら、鼻をくんくんさせた。
 「ほう」彼女の答えを聞くとそう言った。
 それから、銀行の職員一人一人のところに行き、各人に二言三言質問をした。その頃には、面白がっている様子のつぶやきがオフィスじゅうに広まっていた。最後に、《思考機械》は収納係のダンストンがいる部署に近づいて行った。青年は身をかがめて仕事に没頭していた。
 「この銀行に勤めて何年かね?」科学者はだしぬけに尋ねた。
 ダンストンは驚き、あわてて振り返った。
 「五年になります」と答えた。
 「仕事は大変そうだね」と《思考機械》は言った。「汗ばんでいるよ」
 「そうですか?」と青年はにっこりしながら聞き返した。
 尻ポケットからクシャクシャのハンカチを引っ張り出すと、はたいて広げ、額を拭いた。
 「ほう!」と《思考機械》はいきなり言った。
 ほんのかすかなスミレの香りがした。金庫の前に落ちていたハンカチと同じ匂いだった。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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