戯曲『そして誰もいなくなった』のテキストの異同

 クリスティの戯曲は、英ハーパー・コリンズ社や米モロウ社、米ハーパー社などのペーパーバックで手頃に読むことができるが、本家本元のサミュエル・フレンチ社の‘Acting Edition’と突合してみると、作品によって、テキストにかなりの異同があることに気づく。
 『そして誰もいなくなった』の邦訳を例に取って解説しよう。ミステリマガジン1990年10月号掲載の『そして誰もいなくなった』は、訳者の麻田実氏が解説で述べているように、フレンチ版の初版を底本にしている。
 フレンチ版の初版は、まだタイトルが“Ten Little Niggers”となっていて、舞台は「黒人島(Nigger Island)」となっているし、おまけに巻頭には、“Ten Little Niggers”の歌詞まで掲げられているが、現在出ているフレンチ社の‘Acting Edition’のタイトルは、‘And Then There Were None’と変えられており、この点は小説も同じで、事情もよく知られているとおりの想定内の改変と言えるだろう。
 もちろん、前の記事でも述べたように、フレンチ版には、巻末に舞台配置図や大道具・小道具、照明等の指示が載っているが、これらは上記ペーパーバック版にはない。問題は、テキストそのものだ。以下、分かりやすい例を挙げる。
 上記邦訳162頁下段のナラコットのセリフに、「それはもう。(I think so.)」とあるのに続けて、(と籠を下ろす(Putting down the basket.))というト書きがある。ところが、ペーパーバック版では、このト書きに相当するものはなく、代わりに、‘I think so.’というセリフの前に、(Giving her basket)というト書きが加えられているのだ。
 つまり、フレンチ版では、ナラコットが籠を床に下ろすことになっているのに、ペーパーバック版では、ロジャース夫人に籠を手渡す設定になっているのだ。これに応じて、邦訳164頁上段の(ロジャース夫人は籠を手にとる(Mrs. Rogers picks up the basket.))というト書きは、ペーパーバック版では省かれている。
 さらに、同頁の(ロジャース夫人はホールへと出て行く(Mrs. Rogers exits to the hall.))というト書きが、ペーパーバック版では、(Mrs. Rogers puts basket on floor up Left; exits to hall Left 1.)、つまり、籠を上手奥の床に置いて、上手1のホールへと退場、となっている。
 ロジャース夫人はすぐに再登場し、同頁中段の(上手に向かって行きながら(turning towards L.))というト書きで再び食堂へと退場するのだが、この箇所はペーパーバック版では、(Picks up basket; going out Left 2)、つまり、バスケットを取り上げ、上手2へと退場、となっているのだ。
 つまり、籠の動きを軸に追うと、フレンチ版では、ナラコットが籠をいったん床に下ろし、それをロジャース夫人が取り上げてホールへ退場して、再登場時にはもはや籠は出てこない(あるいは、そのままずっと持ったままなのか、よく分からない)。これに対し、ペーパーバック版では、ロジャース夫人は、ナラコットから籠を渡され、それをいったん床に置いてからホールに退場し、再登場すると、その籠を再び拾って食堂に退場するという流れになっている。さらに、邦訳163頁の舞台プランを見れば分かるように、上手には、ホールと食堂にそれぞれ通じるドアが2つあるのだが、ペーパーバック版では、これらを上手1、上手2と、数字を振って区別しているのが分かる。
 明らかに、ペーパーバック版のほうが合理的で詳細なのが分かるだろう。というのも、野菜の籠を持っていく場所としては、ホールではなく、食堂のほうが自然なわけで、ペーパーバック版は、ロジャース夫人に野菜を食堂へ持って行かせるために、いったん籠を床に置かせる設定にしたのだと推測できる。さらに、どちらのドアから出て行くのかも、数字で明確にしたわけだ。
 このように、全体を通して異同箇所を見ていくと、ペーパーバック版のほうが明らかに位置の指示が細かく、動きも合理化が図られているように思える。つまり、実際の演出経験を踏まえて、役者が迷わないように指示を細かく具体化したり、動きを合理化したりした結果が反映されていると思われるのだ。
 刊行順から考えても、サミュエル・フレンチ版が原初のバージョンであり、ハーパー等のペーパーバック版がその後の改訂であることは明らかだろう。問題は、改訂を行ったのは誰か、という点だ。原作者であるクリスティ本人なのか、それとも、劇監督などの作者以外の人物なのか。これは全く推測の域を超えないが、答えは後者だろう。
 というのも、改訂が加えられているのは、大半がト書きであり、セリフそのものは異同がほとんどないからだ。もしクリスティ自身が実際の上演経験を踏まえて改訂を行ったのなら、ト書きだけでなく、セリフにも気づいた点などを踏まえて改訂を加えそうなものではないだろうか。ということは、実際の演出に携わった人物が加えた改訂がペーパーバック版に反映されている可能性が高いように思えるのだ。さすがに原作者の書いたセリフにまで手を入れるのはためらいがあったと想像される。
 (追記:その後、演劇の経験のある方から次のような御意見をいただいた。クリスティの戯曲のト書きの細かさは独特のもので、他の戯曲作家の作品でこれほど細かい指示を書き込む例はほとんどない。細かすぎる指示は、俳優を過度に拘束するデメリットもあるため、演出家がそんな改訂を行うとは考えにくく、ここまで細かい指示を書き込むのは、むしろ、いかにもクリスティらしい特徴ではないか、とのこと。
 私自身は演劇に詳しいわけでもなく、他の戯曲作家の作品もほとんど見たことがないので、安易な推測をしていたが、この御意見を踏まえれば、詳細化を図った改訂作業は、クリスティ自身に由来する公算が高いということになるだろう。貴重な御意見に感謝申し上げたい。)
 さらに疑問なのは、そうした改訂バージョンがどのような経緯でペーパーバック版に採り入れられるに至ったのか、という点だ(厳密に言えば、ハーパー社の“The Mousetrap and Other Plays”は、1978年にドッド・ミード社から出たハードカバー版を1993年にペーパーバック化したもの。イギリスでは、1993年の“The Mousetrap and Selected Plays”が最初。いずれにしても、クリスティの死後だ)。これはペーパーバックのどこをどう見ても、何の手がかりもない。
 テキストを見る限りでは、実際の上演に当たっては、ペーパーバック版のほうが使い勝手がいいとも思われるのだが(追記:上記のとおり、そうとも言い切れないようだ)、その割には、舞台配置図などの情報が欠けている。台本としての使いよさはともかく、読み物としては、上手(left)・下手(right)、手前(down)・奥(up)、前(below)・うしろ(above)といった位置関係の細かい組み合わせの指示が煩雑に出てくるペーパーバック版より、フレンチ版のほうがすっきりしていて読みやすい印象はある。そのあたりは好みの問題かもしれないが、『三幕の悲劇』と同様、戯曲の版の異同の問題も、クリスティ女史が置き土産に残していった謎のように思えるのである。


そして誰もいなくなった
フレンチ版初版に挿入された舞台写真。本文には写真への参照指示はないが、巻末の小道具リストに参照指示有り。
左側の壁には‘Ten Little Niggers’の童謡が貼ってあり、その下に黒ん坊の人形が十体並べてある。

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