戯曲『そして誰もいなくなった』の初演データ

 先の記事で、『そして誰もいなくなった』のテキストの異同について書いたが、ささやかながら、この戯曲にはもう一つ謎がある。
 邦訳では、いずれの戯曲でも省かれていて分からないが、フレンチ版やペーパーバック版に収録されたクリスティの戯曲には、(“Murder on the Nile”のような例外はあるが)冒頭に初演時のデータが記載されている。
 『そして誰もいなくなった』も同様で、ミステリマガジン1990年10月号の邦訳では、訳出こそしていないが、訳者解説で、扉に「初演のキャスト」が載せられていることに触れている。
 フレンチ版と英ハーパー・コリンズ社のペーパーバックは、1943年11月17日、ロンドンのセント・ジェームズ・シアターでバーティー・マイヤーにより上演、監督はアイリーン・ヘンチェル、舞台装置はクリフォード・ペンバーと記され、キャストが列挙されている。
 ところが、米ハーパー社のペーパーバック(1978年のドッド・ミード社のハードカバーが元版)では、このデータの代わりに、1944年6月27日、ニューヨークのブロードハースト・シアターでの米初演データが記されているのだ。監督はアルバート・ディコーヴィル、舞台装置はハワード・ベイとなっていて、もちろん、キャストも全く違う俳優名が列挙されている。
 作品の標題もやっかいで、サミュエル・フレンチ版は、初版では‘Ten Little Niggers’だったが、現在では‘And Then There Were None’と改題され、英ハーパー・コリンズのペーパーバック版も‘And Then There Were None’となっている。ところが、米ハーパー社版は、初演時の標題を反映して、‘Ten Little Indians’となっているのだ。
 本文のテキストは、先の記事で触れたとおり、フレンチ版と両ペーパーバック版との間に、特にト書きに集中して大きな異同があるが、米ハーパーと英ハーパー・コリンズのペーパーバックはほぼ同じである。
 イギリスでは、セント・ジェームズ・シアターでの初演に先立ち、1943年9月20日に、ウィンブルドン・シアターで試験興行が行われた。セント・ジェームズ・シアターでの公演は好評を得、劇場が爆撃を受けて中断のやむなきに至るまで、1944年2月24日までに260回の公演を数えた。その後、2月29日からケンブリッジ・シアターに場所を移し、5月6日まで公演が続いたあと、再建なったセント・ジェームズ・シアターに再び戻り、5月9日から7月1日まで続いたという。
 アメリカでも、1945年1月にブロードハースト・シアターからプリマス・シアターに場所を移して公演が続けられ、同年7月30日まで、ブロードウェイでの公演は通算426回に及んだという。
 米版は、好評だった米初演のデータに敢えて差し替えを行ったのかもしれないが、これは版元としていささか越権行為のような気もする。私が最初、テキストの改訂作業はクリスティ以外の人物によってなされたのではないかと推測したのは、米版がこのように明らかに作者以外の手によって改変が加えられていることもあったからなのだが、英ハーパー・コリンズ版もテキストは米版と同じものを採用しているので、ますますわけが分からない。
 改訂作業がクリスティ自身の手になるものならば、テキストは改訂後のバージョンを優先させるべきだろうが、舞台配置図や小道具、照明等のデータはフレンチ版にしかないので、これに依拠せざるを得ない。但し、改訂版のト書きには、出入り口に1、2という数字が新たに振られるなどの改訂もあるため、舞台配置図も、改訂後の具体的な図面データはないものの、これに応じて手を加えなくてはならないだろう。
 もしかすると、小道具などにも変更が行われた可能性はあるが、ト書きから推測できる部分はあったとしても、現在のデータだけでは推測にも限界があると言わざるを得ない。
 なにやら細部にこだわり過ぎた面もあるかもしれないが、フレンチ版と他のペーパーバック版はデータとして相補的なものであり、厳密を期すならば、両方を参照しなくてはならないということになるだろう。
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