アガサ・クリスティ 戯曲『ホロー荘の殺人』

 以前も書いたとおり、『ホロー荘の殺人』(The Hollow)は、クリスティの「劇場での黄金時代」の幕開けを告げる記念すべき戯曲である。この黄金時代に深く関わったのが、プロデューサーのピーター・ソーンダーズだ。『アガサ・クリスティー生誕100年記念ブック』(早川書房:77頁以下)にも、クリスティとソーンダーズの関わりや「マウストラップ」成功の逸話が記されているので、ご存知の方も多いだろう。
 1928年に上演された『アクロイド殺害事件』の劇化作品『アリバイ』以来、クリスティ作品のプロデューサーを務めてきたバーティー・マイヤーは、クリスティから提示された『ホロー荘の殺人』の上演に難色を示す。1950年のことである。表向きは、配役が難しいという理由だったが、実際は、作品に潜むアンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)に、自身がユダヤ人だったマイヤーが反発したためと言われている。
 当時38歳の新進気鋭のプロデューサーだったソーンダーズは、その年、他の劇作品の失敗で手痛い損失を被っていたが、クリスティの長編を劇化した『牧師館の殺人』(脚本はモイエ・チャールズとバーバラ・トーイ)の上演を、原作者クリスティの名をクローズアップすることで成功に導き、損失の穴埋めに成功すると同時に、クリスティからも注目され、『ホロー荘の殺人』のプロデュースを委ねられることになったという。これがクリスティとソーンダーズの終生にわたる協力関係の始まりだった。
 『ホロー荘の殺人』は、1951年2月にケンブリッジのアーツ・シアターで初演が行われたが、当時、クリスティは発掘調査に従事する夫のマックス・マローワンとともにイラクに滞在中だった。
 アーツ・シアターでの8週間に及ぶ上演ののち、1951年6月7日から、ロンドンのフォーチュン・シアターでウェスト・エンドでの公演が始まり、同年10月8日からアンバサダーズ・シアターに場所を移して、延べ11か月、376回に及ぶロングランという好評を得た。クリスティのファンだったメアリ皇太后(エリザベス女王の祖母)も観劇し、幕間に、出演した俳優たちに親しく接したという。ソーンダーズの尽力に感激したクリスティは、その年のクリスマス直後に彼をランチに誘い、茶色い包装紙の包みを渡した。その中に包まれていたのが、『ねずみとり』の原稿だったそうである。
 『ホロー荘の殺人』刊行本の冒頭に記されている公演データは、これもウェスト・エンドでの初演を優先してか、フォーチュン・シアターでの初演データが載せられている。
 サミュエル・フレンチ社の初版(1952年)に掲載されている舞台写真を以下にアップしておく。


ホロー荘の殺人


 なお、本作については、ミステリマガジン2010年4月号に邦訳が掲載されたようだが、私自身は参照していない。
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