アガサ・クリスティ 戯曲『ブラック・コーヒー』

 『ブラック・コーヒー』は、クリスティ自身が初めて手掛けた戯曲作品であり、エルキュール・ポアロが登場するオリジナル作品である。自ら戯曲を執筆した動機は、マイケル・モートンが『アクロイド殺害事件』を舞台化した『アリバイ』が気に入らなかったからとも言われている。長編を戯曲化した、のちの諸作品では、ポアロは登場人物からことごとく省かれてしまっているので、その意味でもポアロのファンにとっては貴重な戯曲作品といえるだろう。
 クリスティの自伝では、『ブラック・コーヒー』の初演は、ハムステッドのエヴリマン・シアターで行われたとされているが、これはどうやらクリスティ女史の勘違いらしく、実際は、1930年12月8日にエンバシー・シアターで行われ、その後、セント・マーティンズ・シアター、ウィンブルドン・シアター、リトル・シアターと、場所を転々として公演が続けられたようである(サミュエル・フレンチ版には初演データが載っていないが、アルフレッド・アシュリー版には、初演はエンバシー・シアター、続いてセント・マーティンズ・シアターで公演と記されている)。初演でポアロを演じたのは、フランシス・L・サリヴァンで、クリスティ自身もサリヴァンのポアロを気に入っていたとされる。(サリヴァンのポアロは、『アガサ・クリスティー読本』(早川書房)に、『邪悪の家』の舞台で演じた際の写真が掲載されている(同書150頁)。)
 初版は、他の戯曲と異なり、サミュエル・フレンチ社ではなく、アルフレッド・アシュリー・アンド・サンから1934年に刊行された。1952年にフレンチ社からも刊行されたが、その際、クリスティはテキストに改訂を加えており、両版にはかなりの異同がある。(『ブラック・コーヒー』については、いったん完成した後、クリスティはすっかり関心を失ったという、まことしやかな俗説は退けなくてはなるまい。)邦訳はフレンチ版を底本にしているようだが、以下、異同の具体例を幾つか挙げよう。
 第一幕冒頭の場面説明で、初版では、本棚の高さは6フィート6インチから7フィートと指定されている。その位置も、フランス窓とホールへのドアの間という指定があり、さらに、注を付して、そのほうが好都合なら、ホールへのドアと上手のドアの間に置いてもいい、と違う選択肢も示唆している。(前に踏み台を置かないと、本棚にある金属の箱に届かないという指示もある。乗っている位置も、フレンチ版は、本棚の上とあるだけだが、アシュリー版は、本棚の上か、上のほうの棚となっている。)
 第一幕のフレンチ版のこの部分は、アシュリー版に比べて説明が簡潔な印象があるが、アシュリー版には、小道具リストや舞台配置図が載っていないのに対し、フレンチ版は、例によって巻末に小道具リストや配置図等を載せているので、そこで詳細を補っているとみることもできる(邦訳は小道具リストを載せていない)。しかし、実際にフレンチ版の巻末を参照しても、本棚については「背の高い本棚」とあるだけで、高さまでは指定していないし、位置も配置図で固定的に示されていて、他の選択肢までは示唆していない。
 反対に、第二幕、第三幕の冒頭の場面説明は、フレンチ版のほうが指示が詳細である。例えば、壺の位置がわずかに動いているという第二幕冒頭の説明は、アシュリー版にはない。
 ト書きに目を移すと、冒頭のルシアとキャロラインの会話で、ルシアがハンドバッグからハンカチを取り出したり、再びしまったり(邦訳11頁)、そのハンドバッグを長椅子の上に置く(邦訳12頁)というト書きの指示があるが、これはフレンチ版で加筆されたもので、アシュリー版にはない。他の戯曲にも見られるように、こうしたト書きの詳細化があちこちでなされている。
 しかし、それ以上に目につくのはセリフのほうで、フレンチ版では、初版のセリフを至る所で刈り込みを入れているようだ(以下、フレンチ版は早川文庫の邦訳から引用し、初版の部分の訳は私訳による。邦訳の頁は現在のクリスティー文庫ではなく、旧版に従う)。例えば、「父が現代科学界の第一人者だとしてもさ」というリチャードのセリフ(邦訳18頁)と「自分のものの見方でしか物事を考えないんだ」と続くセリフの間には、初版では、ルシアが「そうね、素晴らしい人だけど――時々ぞっとさせられることもあるわ。情け容赦のない人ですもの」と言うセリフが入っている。
 「君の古いお友達がさっき君の手にそっと紙きれを渡したのをぼくが見なかったとでも思っているのかい」というリチャードのセリフ(邦訳20頁)のあとにも、初版では、ルシアが「見たの?」と問い、リチャードが「見たさ。それから君が紙きれを胸に入れるのもね。以前、君がぼくの手紙を入れていた場所だよ」云々と答えるセリフやト書きがある。細かいことだが、最初のセリフの「古いお友達」も初版では「イタリアから来た」という説明が加わっている。
 第三幕では、「今度は何がやって来たの?」(邦訳150頁)と言うセリフの前に、初版では、バーバラは、ヘイスティングズに気づかれずにフランス窓から入ってきて、指を銃のように突きつけ、「手を上げろ」とアメリカのギャングの真似をし、ヘイスティングズを驚かせるシーンがある。ところが、フレンチ版ではそのやりとりが省かれているため、ト書きの「気づかれずに(unobserved)」という指示の本来の意図が不明になってしまっている。(なお、邦訳の「ヘイスティングズがそこに居ると知らずに」は明らかに誤訳。ヘイスティングズのほうがバーバラがいるのに気づいていないのだ。)(追記:クリスティー文庫では、「ヘイスティングズに気づかれずに」と訂正されている。)
 全体として言えば、ト書きは詳細化の傾向があるが、反対に、セリフは省略が目立つ。ト書きの詳細化は他の戯曲にも見られる傾向だが、セリフにここまで大ナタを振るった例はほかに知らない。クリスティは、それまでに重ねた演劇の経験を踏まえ、役者の動きをト書きでより精緻化するとともに、セリフについては、劇の時間や会話の躍動性も考慮して、饒舌と感じた箇所のスリム化を図ったとも考えられる。それだけ、戯曲作家としての円熟さが増したということなのだろう。(もっとも、役者の動きをト書きで縛り過ぎることの良し悪しは議論の余地があるかもしれないが。)
 本棚については、実際の上演の経験を踏まえて、高さや位置にしても、現場の演出家に委ねて、細かい指定や示唆をする必要はないと考えたのかもしれないし、あるいは逆に、位置を変える必要はないと最終的に判断したのかもしれない。
 クリスティの改訂作業のプロセスを垣間見ることのできる貴重な資料だが、オリジナルの姿を知る意味でも初版のバージョンは貴重であり、上記の第三幕のユニークなシーンにも見られるように、舞台としてはともかく、読み物としてはアシュリー版のほうが充実していて面白いと感じた。
 なお、『ブラック・コーヒー』には、チャールズ・オズボーンが遺族の許可を得て1998年にノベライズした長編もあり、邦訳も出ている。
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