アガサ・クリスティの英米両版の異同

 アガサ・クリスティの作品には、今日にいたるまで英米両版に異同のある作品が幾つかある。
 ジョン・クーパーとB・A・パイクの“The Detective Fiction: The Collector’s Guide”によれば、「『動く指』と『死が最後にやってくる』は、英版用に変更が加えられた」とされ、実際、今日流布している『動く指』の英ハーパー・コリンズ社と米バークリー社のペーパーバックを見比べると、冒頭から全く違う書き出しであることに驚かされる。(早川文庫の邦訳は英版に基づいている。)
 ロバート・バーナードも、『欺しの天才』の「解説付き著作リスト」における『動く指』の項目で、「アメリカの読者は、この小説の米版ほぼ全てが、おそらくは雑誌掲載用に準備された短縮改訂版であることに注意すべし。これは英版より著しく劣る。」と言及している。(『欺しの天才』の邦訳ではこの部分は省かれている。)
 確かに、『動く指』の両版の差異を拾っていくと、明らかに英版の方が分量も多くて充実している。ただ、クーパーたちの言うように、短い米版のほうが本来の版で、英版出版の際に加筆が行われたのか、それとも、バーナードの言うように、英版が本来の版で、雑誌掲載用に短縮改訂したものが米版なのかは、にわかに判断し難い。クーパーたちの前掲書によれば、『動く指』は英版より米版のほうが先に初版が出ているので、それだけ見れば、クーパーたちの意見のほうが正しいようにも思える。
 『動く指』の場合は、明らかに英版のほうが充実しているので、どちらを選ぶかは迷う余地がない。問題は、“Three-Act Tragedy”だ。これも、米初版が1934年、英初版が1935年に出た、米版先行作品の一つなのだが、英米両版に重要な異同がある。
 それは、犯人が明らかになる大団円の場面。米版ではポアロは犯人をスコットランド・ヤードに引き渡すが、英版では犯人が捨て台詞を残して部屋を出ていくに任せている。これはおそらく、場面設定の変更というより、犯人の造形に関わることと思われ、犯行の動機を不可解な狂気に近いものとみなすか、全く合理的で首尾一貫したものとみなすかの違いによるものだろう。
 勧善懲悪を好んだクリスティの傾向からすると、米版のほうが裁きがはっきりしていて分かりやすい。しかし、単なる狂気で片づけてしまうことに抵抗があったがゆえに英版で変更を加えたとも考えられる。いずれにしても、どちらがベターかは、これまたにわかに判断し難い。
 なお、邦訳では、創元文庫の『三幕の悲劇』が米版に基づいており、早川文庫や新潮文庫は英版に基づいているので、その異同は邦訳を見比べるだけでも分かる。
 余談だが、冒頭の登場人物紹介に、‘Illumination by Hercule Poirot’と出てくる。illuminateには「照らす」という意味だけでなく、「(謎などを)解明する」という意味もあり、これを単に「照明係」のように訳してしまうと、原意がうまく伝わらない。「照明(証明)係」とするとか、工夫してくれると面白いと思う。

追記:
この記事を書いたあと、ジョン・カランが『アガサ・クリスティーの秘密ノート』の続編に当たる“Agatha Christie’s Murder in the Making”(Sept. 2011)を刊行したが、その中で、“Three Act Tragedy”の英米版の異同についても触れている。
カランもこの記事で触れた問題について、「動機の変更の謎」‘The Mystery of the Altered Motive’として論じているが、英版が米版よりあとに変更されたバージョンだという点までは推測しているものの、‘But the question remains: why?’として、設定変更の理由までは見当がつかなかったようだ。クリスティの遺したノートを調べても、この謎を解く手がかりはなかったようである。
私がこの記事で書いた動機変更の理由についても(もともとは十年以上前にニフティで書いた記事だが)、彼女のプロット設定の傾向から推測したものにすぎず、傍証として挙げられる明確な裏づけがあるわけではない。「ミステリの女王」はとんだ謎を置き土産に遺していってくれたものだ。
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