「ディテクション・クラブ」の設立年――シモンズの証言

 「ディテクション・クラブ」設立年の問題について若干の補足をしておく。この問題に関していかに証言が混乱しているかを示す好例は、ジュリアン・シモンズの証言だ。シモンズは、1976年から1985年まで「ディテクション・クラブ」の会長を務めた人でもある。
 シモンズは、1979年に「クラブ」が刊行したアンソロジー『13の判決』(邦訳は講談社刊)に序文を寄せているが、ここでは「ディテクション・クラブは1932年に設立された」としていた。ところが、1983年に復刊されたリレー長編『ザ・スクープ』(邦訳は中央公論社刊)に寄せた序文‘A Brief Account of the Detection Club’では、冒頭で、これを「間違い」だったとはっきり認めている(但し、邦訳にはこの序文は収録されていない)。その理由は、同書に収録された『屏風のかげに』と『ザ・スクープ』が、本来はそれぞれ1930年、1931年に世に出たものだからだ。
 シモンズは、自分が1932年と誤った思い込みをしたのは、「クラブ」の会則の日付が1932年となっていたためだと理由を説明している。ジョン・ディクスン・カーをはじめ、1932年説を採る者の多くは、この記録に依拠しているとみてほぼ間違いあるまい。
 シモンズによれば、間違いに気づいてから、正しい日付を突き止める試みがなされ、日付を確定する具体的な情報、例えば、「○○日開催 ディテクション・クラブ第一回会合」と記されたメニュー・カードといった証拠を提供してくれた最初の人には、シャンペンのマグナム瓶を進呈することにしたという。さすがにメニュー・カードのような決定的な証拠は出てこなかったが、1930年の「タイムズ・リテラリー・サプリメント」掲載の、「クラブ」のメンバー数人が署名したレターの情報を送ってきた、ブライトンのある書店主がマグナム瓶を獲得したという(このレターについては、ダグラス・G・グリーン、サイモン・ブレットも言及している。グリーンは「サンデー・タイムズ」としているが、これは何かの間違いだろう)。シモンズはこのエピソードに続けてこう述べている。
 「メンバーの一人、アントニイ・バークリーは、1928年にクラブを設立したと主張していたし、その年に非公式の会合が何度かあったのかもしれないが、どこかに埋もれている貴重な文書でも出てこないかぎりは、ひとまず1930年としておこう」
 つまり、シモンズも、決定的な証拠はないと認めた上で、1930年説に従うことにしたわけだが、それ自体はシモンズ一人の説でもなく、特筆すべきことでもない。1930年以前に非公式の会合があった可能性に言及しているのも、サイモン・ブレットなどがいる。
 (追記:シモンズは、ローズマリー・ハーバート編“The Oxford Companion to Crime and Mystery Writing”でも「ディテクション・クラブ」の項目を執筆しているが、ここでは「おそらく1929年だろう」としている。いかに判断がぐらついていたかが分かろうというものだ。“The Avenging Chance and Other Mysteries from Roger Sheringham’s Casebook”の編者、トニー・メダウォーとアーサー・ロビンスンも、序文の注で「バークリーが1929年に設立した」と述べているが、根拠は示していない。)
 ここで注目すべきは、むしろ、バークリーについての言及だ。1928年に「クラブ」が設立されたという見方は、“Detection Medley”(1939)におけるジョン・ロードの序文に依拠していると考えられてきた。しかし、シモンズによると、それはバークリー自身の主張でもあったというのだ。
 シモンズによる上記の言及は、もしかすると、ロードの序文をバークリー自身の証言と勘違いしたものだという可能性も疑えるかもしれない。しかし、いったん自らの間違いを認めた上に、日付確定の真剣な試みまで行われたあとに、そんないい加減な勘違いをするものだろうか?
 シモンズが「ディテクション・クラブ」に加入したのは、1951年。バークリーが亡くなったのは1971年だし、シモンズが「クラブ」の会合などでバークリーと直接接する機会は何度もあっただろう。シモンズ自身も物故した今となっては確認のしようもないだろうが、その証言はシモンズがバークリー自身から聞いた肉声に基づく公算が高いのではないだろうか。
 ジョン・ロードも「ディテクション・クラブ」設立時のメンバーとされる26人の一人だが、そもそもの「クラブ」の提唱者であるバークリーが1928年だったと主張していたとなれば、これは1928年説を裏付ける強力な傍証となる。
 シモンズやブレットのように、1928年にスタートした会合を「非公式」なものと見なして「前史」に位置付けるか、バークリーやロードの主張を尊重して、事実上の「クラブ」設立と見なすかは、捉え方の問題かもしれないが、いずれにしても、以前の記事でも触れた傍証に加え、シモンズの証言も含めると、「クラブ」の起源を1928年とする蓋然性はさらに高まったと言えるだろう。
 なお、若干脱線になるが、復刊ものでやっかいなのは、復刊に際して新たに加えられた序文のたぐいが翻訳ではしばしば省かれていることだ。これにはそれなりのわけがあって、復刊された本文が1970年以前に初版が出たもので、刊行後10年以内に日本語訳が出ていなければ、本文はいわゆる「10年留保」に基づいて翻訳権フリーになっている。ところが、復刊書の刊行年が1971年以降だと、新たに加筆された序文のほうは翻訳権を取得しないと日本で翻訳・刊行できないというわけだ。このため、翻訳権取得の手間や負担等を考えると、序文はあっさり無視して、復刊された本文だけを訳して出そうという判断になるのだろう。
 「ディテクション・クラブ」が刊行したリレー長編もこうしたケースに当てはまり、『漂う提督』の復刊に寄せられたクリスチアナ・ブランドの序文が邦訳で省かれているのも同様の理由によるのかもしれない。『ザ・スクープ』は、もともと「リスナー」誌に掲載されたもので、1983年に初版を出したゴランツ社から翻訳権を取っているようだが、当時存命中だったシモンズの序文についてはそれほど手続きが単純ではなかったのかもしれない(なお、邦訳は原書巻末の付録も省いている)。こうした序文にはしばしば貴重な情報が含まれているだけに、手続き的な理由等で省略されるのはいかにも残念だ。
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