マイケル・モートン脚色 戯曲『アリバイ』

 「アリバイ」は、マイケル・モートンが『アクロイド殺害事件』を脚色した戯曲。1928年5月15日にロンドンのプリンス・オブ・ウェールズ・シアターで初演が行われた。同年12月までに250回の公演が行われ、まずまずの成功を収めたとされる。クリスティの原作を戯曲化した最初の作品である。1930年にサミュエル・フレンチ社から台本版が刊行された。邦訳も昭和30年代に早川書房から刊行されたが、現在は入手困難となっている。
 モートンは、原作長編のストーリーの流れを大きくいじってはいないが、随所で大胆な脚色を加えている。クリスティが、1953年のペンギン・ブック版に寄せた序文で、モートンがシェパード医師の姉のキャロラインをキャリルという妹に変更し、詮索好きで気の強い女性から、魅力的な若い娘に変えてしまったことに不満を述べているのは有名なエピソードだが、変更点はそれだけではない。
 まず、原作のラッセル夫人とチャールズ・ケントが登場人物から省かれているが、これは戯曲化に当たって必要な単純化と見るべきもので、まだ許容範囲かもしれない。しかし、ポアロがフランス人にされてしまっているのは、ポアロが自分はフランス人ではなくベルギー人だと繰り返し強調していることを知るファンにとっては許しがたい変更だろう。
 場面も、ポアロの登場を含めて冒頭シーンはほとんどモートンのオリジナルと言っていいし、マーゴットというポアロの女中を新たに創作して掛け合いシーンを設けるなど、随所でかなり自由に脚色を加えているのが分かる。ダーボンのように原作に縛られ過ぎてもつまらないし、舞台らしい見せ場も必要なことを考えると、これも脚本家に許された裁量の範囲と見ることもできる。
 問題は、原作のプロットをどう生かしているかだろう。というのも、『アクロイド』の根幹となるプロットを舞台で有効に活かすのは至難の業だからだ。ロバート・バーナードは『欺しの天才』で『アクロイド』を評して、解決を別にすれば「かなりありきたりなクリスティ作品」としているが、確かに肝心の解決部分を抜いてしまえば、『アクロイド』はごく普通の謎解き物でしかないし、実際、この解決のオリジナリティを活かせていない戯曲版「アリバイ」は、「かなりありきたりな」ミステリ劇に貧弱化してしまっていると言わざるを得ない。
 原作のプロットを舞台では活かしにくい作品としては、『そして誰もいなくなった』もそうなのだが、クリスティはプロットに大胆な変更を行うことで舞台化を可能にしただけでなく、実際の公演でも大きな成功を収めた。(もちろん、オリジナル長編に愛着のある読者にはこれに批判的な人も多いのだが。)だが、「アリバイ」は、それほどの優れた代替案を提示しているわけでもなく、根幹を骨抜きにしただけの劇になってしまっている。
 むしろ、「アリバイ」が舞台で成功したのは、同時代の批評を見ても、ポアロを演じたチャールズ・ロートンの力演によるところが大きいようだ。当時まだ28歳、新進気鋭の俳優だったロートンは、持ち前の広い芸域を活かしてコミカルなポアロを自由闊達に演じて好評を博した。その様子は『アガサ・クリスティー読本』(早川書房)186-7頁に掲載されている写真からも窺うことができる。
 ところが、クリスティ自身は、ロートンの演技を優れたものと認めつつも、ポアロには向いていないと、厳しい見方をしていたようだ。「アリバイ」がお気に召さなかったことが、「ブラック・コーヒー」をはじめ、自ら戯曲に手を染めるきっかけになったのはよく知られているとおりである。
 ロートンのポアロは同時代の批評や写真でしか窺い知ることはできないが、彼は後年、ビリー・ワイルダー監督の「情婦(検察側の証人)」(1957)にウィルフリッド・ロバーツ卿の役で出演しており、マレーネ・ディートリッヒの向こうを張って、コミカルながらも貫録のある弁護士を演じている姿を今も観ることができる。
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