モイエ・チャールズ&バーバラ・トーイ脚色 戯曲『牧師館の殺人』

 「牧師館の殺人」は、ミス・マープルものの同題の長編(1930)をモイエ・チャールズとバーバラ・トーイが1949年に戯曲化した作品。クリスティの伝記作者、ジャネット・モーガンによれば、この戯曲は本来、クリスティ自身が執筆し、そのあと、チャールズとトーイが手を加えたものではないかとのこと。結果的にクレジットが二人の名前になったことからすると、それだけ大きな改変が加えられたものと思われるが、クリスティはこの戯曲の上演にきわめて熱心で、リハーサルや初演にも立ち会ったという。
 バーバラ・トーイは、舞台監督や脚本家としての業績もあるが、旅行記作家として知られる人で、1950-60年代にランドローバーで中東や北アフリカを一人で旅した記録を何冊も出版している。
 初演は1949年10月17日にノーザンプトンのニュー・シアターで行われ、その後、ウェスト・エンドのプレイハウス・シアターで同年12月16日から上演。1950年4月1日まで126回の公演というまずまずの成果を収めた。台本版は1951年にサミュエル・フレンチ社から刊行。同書掲載の初演データはウェスト・エンドでの上演記録を記している。
 この戯曲は、のちに「ねずみとり」で成功を収めたピーター・ソーンダーズが最初に手掛けたクリスティの戯曲である。コナン・ドイルの『毒ガス帯』の舞台化で失敗したソーンダーズは、その損失を取り戻そうと、「牧師館の殺人」に目を付け、ウェスト・エンドでの終演後、この戯曲を取り上げて国内ツアーをプロデュースした。ソーンダーズは、出演俳優よりもクリスティの名前のほうが売りになると考え、「『牧師館の殺人』、原作アガサ・クリスティ」ではなく、「アガサ・クリスティの『牧師館の殺人』」と宣伝。これが功を奏してツアーは成功。損失を穴埋めできただけでなく、クリスティからも注目されて、ソーンダーズは「ホロー荘の殺人」のプロデュースを委ねられることになる。二人の長年にわたる協力関係はここから始まった。
 この戯曲の場面は、もっぱら、牧師館の書斎で進行する。戯曲化に際して単純化が図られた結果、ミス・マープルの甥のレイモンド・ウェストや、ストーン博士と秘書のミス・クラムも登場しない。
 小説でも第一章で女中のメアリがライス・プディングを持って入ってくる場面があるが、戯曲では、この時にメアリがミス・マープルの来訪を告げ、彼女は昼食の邪魔をしてしまったことを詫びながら登場する。いかにもミス・マープルらしい、華々しさも颯爽とした見せ場もない、慎ましやかな登場の仕方だ。
 反対に、クライマックスは、舞台を意識しての演出もあってか、テンションの高い見せ場作りがなされている。原作では、ミス・マープルが語り手のクレメント牧師とメルチェット大佐を相手に謎解きをし、犯人逮捕の顛末がそのあとに報告されるという流れになるのだが、戯曲では、マープルは犯人と直接対峙して謎解きをし、相手が犯人だと名指しする。しかも、犯人と二人きりという危機的な状況を切り抜けるため、あるブラッフを仕掛ける。
 さらに、そのあと、原作にはないドラマチックな場面が展開し、高いテンションを維持したまま終幕を迎えるのだが、最後は、そんな状況の中をミス・マープルが落ち着き払って電話をかけるシーンで閉じる。しとやかな中に潜むミス・マープルの卓越した個性とカリスマ性を際立たせる巧みな演出だ。このあたりの脚色がクリスティ自身によるものか、チャールズとトーイによるものかはにわかに判断できないが、場面自体もなかなかサスペンスフルで面白い。ヒットしたのも分かる気がする。
 ミス・マープルを演じたのは、アメリカ出身のバーバラ・マレンで、のちにイギリスのテレビ・ドラマなどでも活躍した人らしいが、当時の批評を見る限りでは彼女の演技も好評だったようだ。クリスティがどう評価していたかは分からないが、ポアロの具象化を嫌った彼女も、ミス・マープルを舞台に登場させることには抵抗がなかったようだ。
 ただ、残念ながら、クリスティの生前に舞台化された作品は「牧師館の殺人」だけだった。できれば、『魔術の殺人』や『鏡は横にひび割れて』なども戯曲化して、小説とは違ったマープルおばさんの活躍ぶりをもっと見せてほしかったところだ。
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