フランク・ヴォスパー ‘Love from a Stranger’

 ‘Love from a Stranger’は、フランク・ヴォスパーがクリスティの短編「ナイチンゲール荘」を脚色した戯曲である。ヴォスパーは俳優でもあり、垢抜けした悪役をこなすのを得意とし、この作品の初演でも自らブルース・ロヴェル(原作のジェラルド・マーティン)の役を演じた。彼はこの初演の翌年、オーシャンライナーから転落、溺死するという事故で亡くなっている。
 初演は、1936年3月、ロンドンのニュー・シアターで行われ、その後、クイーンズ・シアター、ストリートハム・ヒル・シアターと場所を移し、同年8月まで公演が続けられ、まずまずの成功を収めた。ブロードウェイにはヴォスパー自身が乗り込んで公演を打ち、1936年9月から11月まで38回上演された。これまでに二度映画化され、ジョーン・ヒクソンもメイド役で出演している1937年の映画は評価も高いようだ。
 初版は1936年にコリンズ社から刊行され、翌1937年にフレンチ社から台本版が刊行された。コリンズ社から初版が出たクリスティ関連の戯曲は、ほかに「アクナーテン」があるだけだ。
 原作は、「事故」と並んでクリスティの短編の代表作とされるものだが、謎解きではなくサスペンスに属する作品。戯曲では、登場人物名が、アリクス⇒シシリー、ジェラルド⇒ブルース、ディック⇒ナイジェルという具合に変更されている。
 ヴォスパーは、全三幕からなるこの戯曲の第二幕までを、原作では簡単に触れられるだけのこの三人の関係のエピソードに費やし、ナイジェルとの結婚をためらうシシリーにブルースが巧みに干渉し、二人の婚約を解消させて自分がシシリーと結ばれるまでのプロセスを詳しく描いている。その結果、原作ではやや性急に説明されていた、それまでの恋人を振り、知り合って間もない上に出自もよく知らない相手と結婚してしまった経緯が明確になり、なにほどか説得力を持つようになっている。
 ただ、全体の三分の二が男女の三角関係の機微を描くことに費やされるため、ミステリらしくないタイトルとも相まって、先入観抜きで読んでいると、ややもするとロマンス劇と勘違いしそうになるほどだ。こうしたラブロマンスめいた展開を好む向きもあるだろうが、「序幕はややもたつく」(『アガサ・クリスティー読本』早川書房190頁)という意見もあるように、原作の味わいを求める向きにはいら立ちを感じる人も多いに違いない。
 第三幕に至ってようやく原作の筋に近づき、裁判記録の写真や過酸化水素水の瓶などをきっかけにシシリーが夫の正体に疑惑を抱きはじめるあたりから本来のサスペンス劇に軌道を乗せていく。ついでに言えば、ヴォスパーは、ブルースが心臓を患っているという設定を加えて、大団円をより無理のないものにしようと工夫しているが、それを合理化の工夫として改善と見るか、原作の結末が持つ衝撃をスポイルする改悪と見るかは判断の分かれ目だろう。
 原作は、小説らしく、夫への疑惑を深め、真相を確信してから必死に状況を逃れようとするアリクスの不安な心理や恐怖を細やかに描写していて、そこが読みどころとなっているのだが、戯曲のほうは、言葉による心理描写が不可能な舞台という制約から、どうしても心理的なサスペンスの高まりが消化不良に感じられてしまう。もちろん俳優の演技にもよりけりなのだろうが、台本を読んでいる限りでは、原作の持つサスペンスの強烈さは十分に伝わっては来ない。
 とはいうものの、実際の上演が成功裏に終わったところからすると、やはりこれは、自ら配役を演じて見せたヴォスパーの演出と演技の卓越さによるところが大きかったのかもしれない。リチャード・ダルビーの‘Spotlight on Agatha Christie’によれば、観客の中にはクライマックスのサスペンスに耐え切れず失神する者もいたという。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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