脱線の余談――底本にはご注意

 我が国における海外ミステリの紹介は翻訳に大きく依存しているわけだが、翻訳書を手にする際、翻訳そのものはもちろんのこと、実は、どの版を底本にしているか、ということも、翻訳を手がけたことのある者としては非常に気になる問題だ。
 以前の記事でも書いたが、クリスティの『三幕の悲劇(三幕の殺人)』、『動く指』は、英版と米版ではテキストに重大な異同がある。『動く指』は、明らかに英版のほうが充実した版であり、邦訳もこれを底本としているため、何の問題もない。ところが、『三幕の悲劇(殺人)』のほうは、大団円の付け方に重大な差異があり、どちらが最終形にしても、優劣を付け難い面がある。さいわい、いずれの版も邦訳が出ており、かえって読み比べる楽しみまであるのが我が国の読者にとっては嬉しいところかもしれない。ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』もやはり米版と英版に異同があり、これも両方とも邦訳があるため、読み比べて違いを確かめることができるようだ。
 むしろ悩ましい問題と思えるのは、誤植などのミスや、のちの版における改訂のほうだ。例えば、単純に考えると、初版にあった誤植はのちの版では訂正されていくだろうから、初版よりのちの版のテキストのほうが正確なのでは、と思いそうになるのだが、私自身の経験では必ずしもそうではない。
 フリーマンの長編は、新しいところでは、バタード・シリコンのオムニバスやハウス・オブ・ストラータス社のペーパーバックが出ているが、英初版のテキストと比較すると、これらには植字上のミスが散見されるし、『キャッツ・アイ』の推敲をしていた時も、バタード・シリコンのテキストにわけの分からない変更があちこちに施されているのに気づいて当惑させられたものだ。ハウス・オブ・ストラータス社版が、“Felo de Se?”の標題の終わりのクエスチョン・マークを省いて“Felo de Se”と勝手に変えていることも海外のサイトで指摘されているが、これも意味不明の改変と言わざるを得ないし、つぶさに確認したわけではないが、おのずとテキストも疑わしく思えてくる。
 やはり作家の出身国の初版のほうが正確である場合が多いようで、『オシリスの眼』では、アメンエムハト四世というエジプトのファラオが、米初版ではなぜかアメンホテプ四世になっていたりと、とんでもないミスが生じているし、ほかにも妙な誤植や誤りがあちこちにあるのに気づいた。ロードの『代診医の死』でも、米初版で首を傾げる箇所にぶつかって英初版を確認すると、誤植だと分かった個所もある。
 初版に入っていた図面や写真等がのちの版で省かれることも珍しいことではない。フリーマンについては、このブログの記事でも解説してきたが、クリスティをはじめ、ほかの作家でもしばしば見られる現象だ。アリンガムの長編もそうで、これは翻訳者の小林晋氏も解説で述べていて、底本選びに苦心されたことが窺える。翻訳者とは本来、こんな問題でも悩んだり、調べたり、探したりしなくてはいけないものなのだ。
 だからというので、初版に依拠すれば安心かというと、そうでもなく、のちの版で著者が新たに序文を加筆したりしている場合もあるから要注意だ。例えば、これも以前の記事で解説したが、クリスティがのちのペンギン・ブック版で加筆した序文は、必ずしも邦訳に採り入れられているわけではない。クロフツの『樽』にものちの版に著者序文が加筆されているが、これを採り入れた邦訳は新訳も含めて一つもない。
 さらにややこしいのは、著者自身が改訂版を出している場合だろう。以前の記事でもご紹介したとおり、クリスティの戯曲にも、のちにテキストが改訂されているものがある。長編の場合と同様、たいていは改訂後のテキストのほうが充実・改善しているものだが、差別用語の削除などは判断に迷うところ。時代背景の理解とともに、著者自身の本意と言えるかどうかという問題もあるからだ。
 フィリップ・マクドナルドも改訂版をしばしば出した人で、『迷路』は明らかに改訂後の版のほうが充実していて、邦訳もこれに基づいている。他方、『ライノックス殺人事件』は、初版等で随所に挿入されていた、読者への注意喚起の‘Comment’がのちの改訂版では省かれてしまい、奇抜な趣向がやや後退してしまっているのだが、創元社の邦訳では、あとがきで改訂のプロセスを解説して読者に便宜を図っているようだ。
 ヘレン・マクロイも、1970年代に英ゴランツ社から出た版を参照すると、初版にはなかった章題を加筆したり、章の区切りを変更したりと、あちこち改訂を加えていることが分かる。さらに、これはマクロイ自身も語っていることだが、大戦前後に書かれた作品は、のちの版で戦争に関連した時局的な言及を省略・変更するなどの改訂を加えている。例えば、“Who’s Calling?”では、1973年のゴランツ社版を見ると、ヒトラーやナチス、敵国側のプロパガンダ活動、戦時の品不足など、第二次大戦関連の言及が全体にわたって削除・変更されているのが分かる。一例を挙げると、モロウ社の米初版の最終頁には、‘Fort Hancock in the Army Medical Corps’という、明らかに戦時を連想させる場所の言及が出てくるのだが、ゴランツ社版では、‘Johns Hopkins’と、今もある医学で有名な大学の名前に変更されている。
 この点については、マクロイ自身が、こうした改訂を行ったことは間違いだったとのちに語っていることを踏まえると、むしろ改訂前のテキストを選択するのが、著者の最終的な意図に即した対応ということになるだろう。リファレンス・ブック等によっては、“Panic”に1972年の改訂版があることしか言及していないが、これは、同書の改訂版でマクロイ自身が序文を寄せてわざわざ説明しているからで、実際はほかに幾つも改訂版があるから要注意なのだ。ちなみに、近年になって邦訳の出た『小鬼の市』と『逃げる幻』は、いずれも初版にはない章題が入っているので、ゴランツ社版等ののちの改訂版を底本にしているのだろう。
 ついでに言うと、若干気になるのは、改訂版を底本に選択したこと自体は判断の問題なのでとやかくは言えないのだが、改訂版の刊行が1971年以降だとすると、この版をベルヌ条約の「10年留保」に該当するものと考えていいのか、という疑問が浮かぶこと。もし改訂版が初版とは別物という整理になるなら、翻訳権を取得せずに刊行しているのは問題ではないかということになるのだが、この点は著作権に詳しい人に聞いてみないと分からない。
 (ちなみに、さらに脱線になるかもしれないが、『逃げる幻』の原題は、“The One That Got Away”。これは、釣り関連でもよく使われる言葉で、「逃がした魚(大物)」の意。‘The one that got away is always bigger.’と言えば、日本のことわざと同じで、「逃がした魚は大きい」という意味になる。購買意欲をそそるタイトルにするために、訳書に原題とまるで違うタイトルを付けることは珍しくないので、「逃げる幻」という、分かったような分からないようなタイトルも、ある意味、仕方ないと思わぬでもない。しかし、本文となると、事情は違う。ネタばれになりそうだが、作中でもシングル・クォート(かっこ)で囲われて何度も出てくるこの表現は、「逃げた大物」とは誰なのかという謎の提示によって、犯人の意外性をそれだけ際立たせる効果を持っているのだ。これを「逃亡捕虜」のようにべたっと訳すと、せっかくのニュアンスが生きてこないのだが、気づいた限りでは、残念ながら訳に生かされているとは言えないし、かっこも省かれて目立たない言葉になっている。せめて訳注か解説でもあればと思ったが、あとがきにも原題の意味についての説明はないようだ。)
 底本にどれを選ぶか、複数のテキストを前にしてどう取捨選択するか――これは翻訳者を悩ませる(あるいは、本来悩まなければならない)重大な問題なのである。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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難しい問題

謹賀新年

本年もよろしくお願いします。

ご指摘の通り、確かにテクスト選定が重要なケースがあります。ただ、どこぞの翻訳家のように(笑)、この作品、この作家を紹介したいから翻訳するという人はほとんどいません。いわゆるプロの翻訳家は出版社からの注文を受けて仕事をするのですから、(そうあってほしい、そうであるべきとは思うものの)現実には不可能なことであります。本来はそういう役割は担当編集者がするべきなのでしょう。そこまで有能かつ良心的な編集者はそうそういませんが。

ではまた。

昨年はいろいろとお世話になり、改めて感謝申し上げます。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

古典や社会科学関係の文献など、学術的な書籍となると
研究者が翻訳を担当するせいか、複数の版を参照して
版の相違やテキストの異同を解説や注などで詳細に明らかにしている
ものも多いのですけれど、エンタテイメント系となると
さすがそこまでは、というのも無理からぬ話・・・残念なことです。
まさか『純粋理性批判』の第一版と第二版ほどの重大な異同が
ミステリで生じるわけはさすがにないでしょうしね(笑)。
その反面、研究者による翻訳は、専門知識はともかくも
翻訳としてどうか、という問題も生じやすいんですけどね。
文豪の小説なども底本の選定に気を遣う例が多いようですが
これも研究者などが翻訳を担当する場合が多いからかもしれませんね。
もっとも、ミステリも真面目に研究される方は意外と多いと思いますし
そうした知見が活かされるようになれば、とひそかに期待しております。
そこはおっしゃる通り、担当する編集者の方の力量にも
かかっているのかもしれないですね。
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S・フチガミ

Author:S・フチガミ
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