エリザベス・フェラーズ『私が見たと蠅は言う』

 『私が見たと蠅は言う』(I, Said the Fly)は1945年の作品で、フェラーズにとっては、トビー・ダイクもののシリーズと決別して書いた最初の長編。戦時の雰囲気が色濃く感じられる作品だが、大戦の影響なのか、トビー・ダイクものの最終作『ひよこはなぜ道を渡る』(1942)から本作まで3年の空白期間がある。これはフェラーズに限ったことではないが、大戦中に筆を折る作家は少なくなく、フェラーズにとっても転機となったのか、しばらくシリーズ・キャラクターものは手がけなくなったようだ。
 邦訳もあるのでストーリーの詳細は省くが、ケイ・ブライアントという女性の住むロンドンの安アパートで、ガス工事の作業員がリボルバーを発見するという発端から始まり、そのリボルバーが二週間前にネイオミ・スミスという女性の殺害に使用された凶器と判明し、しかも彼女はケイが越してくる前のアパートの住人だったという展開。
 タイトルはよく知られたマザー・グースの歌からの引用で、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』でもモチーフとして使われたし、かつて「パタリロ!」というアニメでも「誰が殺したクック・ロビン」というフレーズが使われていたのをご存知の方もいるだろう。
 フェラーズは、70作以上もの長編がありながら、我が国でもそれほど多くは紹介されていないし、本国でも既に入手困難な作品が多いが、プロットを見る限り、個々の作品は決して悪くないし、もっと評価されてもおかしくない作家だ。ただ、やはりシリーズ・キャラクターの存在が人気に与える影響は大きい。ジュリアン・シモンズのように、フェラーズがシリーズ・キャラクターを放棄して心理描写を重視した作風に転じたことを称賛する批評家もいるにはいるが、いくら高尚な鑑識眼を持つ批評家が絶賛しようと、大衆的人気を維持獲得するには魅力のあるシリーズ・キャラクターの存在が不可欠だという自明の理を改めて証明したのがフェラーズではないかという皮肉な見方もできる。
 ただ、フェラーズの場合は、作風を転換するにも、純粋なサスペンスやスリラーに思い切ってジャンルを切り替えるわけでもなく、伝統的な謎解きのスキームを維持しながら人物描写により力を入れていくという路線を取ったわけで、これを評価する本格ファンも無論いるのだろうが、厳しい見方をすれば、どっちつかずの中途半端な作風がいずれのファン層からも根強い支持を獲得するに至らなかった一因なのではなかろうか。
 本作も、ケイ、パメラ、チャーリー、テッド、メリッサといった登場人物たちとその人間関係がそれなりによく描かれているし、互いに疑心暗鬼を抱きながら真相を推理していくプロセスも読ませるものがある。しかし、ストーリーの舞台はほとんどせせこましいアパートの空間に限られているし、さほどサスペンスフルな見せ場があるわけでもないため、身内同士の内輪もめや痴話げんかみたいな会話がいつまでも続くのに次第にだれてうんざりしてくるのも事実だ。
 それにしても、近年、『嘘は刻む』のようなまずまず悪くない作品も紹介されたというのに、版元が倒産してすぐ入手困難になってしまったというのも残念なことだ。さらなる紹介を期待したいところである。
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